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天山摩耶の物語 その7

 翌日。1月23日。目からビームを放つ三谷永さんから逃げ回るという悪夢を見たせいかガッツリ寝坊し、慌てて準備して家を出たものの、待ち合わせ場所についたのは結局予定の十分後。なんでもない風を装うために、「やっほ。元気そうじゃん」と手を振ると、太一くんはどこか不安そうな顔をした。


「天山さんは……寝れてない感じですか?」

「まあね〜。厄介なことがあってさ」

「厄介なこと、っていうのは」

「まあ、お聞かせするほどのことでもないから」


 事実、お聞かせするほどのものではない。というか、口が裂けたって言えない。


 さて、それからわたしたちは石田さんの部屋の整理をはじめた。わたしは作業と並行して部屋をそれとなく探ったが、ジャーナリストの嗅覚をくすぐるような物はなかなか見つからない。せめて、誰かの名刺だとか、そういう次に繋がるものがあればいいんだけど。


 もしかして、そういうものは太一くんが既に回収してたりしない? 


 疑念を込めた視線で太一くんをちらりと見てみれば、彼はふと「そういえば」と世間話をはじめた。


「昨日、また江連さんに会ってきたんですよ」


 江連さんに会ってきた――って、マズすぎでしょ。三谷永さんがそのことを知ったらわたしがなんて言われるか。思わず彼の両肩を掴んで揺すりながら、「君、大丈夫だったの?!」と訊ねると、彼は首を斜めに振った。


「だ、大丈夫だからここにいるんですけど……」


 きょとんとする彼を見て、わたしは落ち着きを取り戻す。そりゃそうだ。もし大丈夫じゃないのなら、今ごろわたしのところに三谷永さんから怒りの鬼電がきているはずだし。


「……そうだよね。それならいいんだけどさ」

「あの、ひょっとして何かあったんですか?」

「いや。わたしの気のせい。ゴメンね、忘れて」


 妙な勘繰りを入れられる前に、わたしは「それで?」と話の続きを促す。


「それで、江連さんともう一度話をしたんですけど、あの人ウソをついてるみたいなんですよ」

「だから、それはわたしが教えてあげたでしょ」

「それはそうなんですが。それにしたって想像以上でして」


 太一くんは作業を続けながら江連朝顔との会話や、その際に感じた不審点について話してくれた。元より彼女は石田荘慈との関係について何か隠していることはわかっていたから、あまり興味をそそられるような話ではなかったが、洋服が詰められたクリアチェストを整理しつつ「なるほど」と相槌を打っていると、やがて彼は深刻そうに「これはあくまで憶測でしかないんですが」と切り出した。


「おじさんのスマホから俺にメッセージを送ったのは江連さんだと思うんです。じゃないと、クラークケントなんて馬の名前が出てくるはずない」


 ……これは、あんまり健全な状態とはいえないよね。彼女が嘘をついているのは間違いないけど、だからといって殺人の嫌疑まで向けられるべきじゃない。


「だとすると、太一くんは江連さんがおじさんを殺した犯人って言いたいの?」

「そこまで言いたいわけじゃないんですけど……でも、あの件になにか関係はしてるんじゃないかなと」

「それを証明したいなら、証拠が必要だね。言い逃れができない確実な証拠が。アテはあるの?」

「アテはないですが……しいて言えば、おじさんのスマホがまだ見つかってないんです。それを江連さんが持っているかも」

「持ってるかなあ、そんなの。普通なら捨てるよね」


 自分の主張に無理があることを悟ったのだろう。太一くんはしゅんと肩を落として俯いた。少しかわいそうだけど、いい薬になっただろう。人を疑うにも正当な理由が必要なんだ。


 落ち込む彼に背を向けて、洋服の整理を再開する。ぐしゃぐしゃに丸められたジーンズを引っ張り出したその時、ジーンズのポケットからUSBメモリがぽろりと落ちてきた。


 なんだかいかにも怪しげな香りが漂ってくる。後で中身を調べてみようかと、太一くんにバレないようにメモリをそっと懐に忍ばせたはいいが、善良な彼を騙すようでなんとなく罪悪感がある。


 いやいや、これも太一くんのためだ。自分を正当化することに踏ん切りをつけるため、「そりゃ」と勢いをつけてクリアチェストをひっくり返して中に入っていた洋服を床にぶちまけたその時、くしゃくしゃになった原稿用紙の束が出てきた。


 ゆっくり調べたいところだが、これはさすがに隠して持って帰れない。わざと「ん。なにこれ」と声を上げると、「なんですか、それ」と太一くんは興味ありげに近寄ってくる。


 ぱらぱらとめくってみると、手書きの文章がつらつらと書き連ねてある。一枚目に『痩せた両腕』というタイトルらしきものが書いてあるところを見るに、どうやら小説のようだ。


「小説、なのかなあ。君のおじさん、そういう趣味あったの?」

「そんなことは聞いたことありませんが……。それに、文字もおじのものとは違うように見えますね」

「そっか」


 だとすれば、これを書いたのが江連朝顔だという可能性もある。どんな内容なのかと、試しに数枚読んでみると、まあたいして面白いものではない。いかにもシロウトが書いた小説という感じだ。


「あんまり面白くないね」と素直な感想を述べれば、太一くんは少し気の毒そうな顔をした。本当に人がいいよな、この子って。


「そんな軽く読んだ程度でわかるものですか? 実はきちんと読み進めたら面白いとか」

「わかるよ。最近は昔に比べて娯楽が増えたからねぇ。小説で勝負したいなら、1ページ目から攻めなきゃダメなの。自分語りをツラツラ並べてるようじゃ論外の論外」


 さて、太一くんがこの小説を江連朝顔のものだと勝手にアタリをつけて、彼女に会いに行こうとするなんてことが起きると面倒だ。また三谷永さんに文句をつけられかねない。


 彼の考えを探るため、「でも、君のおじさんが書いたんじゃないなら誰のものなんだろ」と独り言風に呟いてみれば、「友達が書いたものを試し読みするために預かった、とかなんですかね」という反応があった。とりあえず、この小説と江連朝顔を直結させたことはなさそうだ。


「だったらその友達は困ってるかもね。手書きの原稿がこんなところに放置されたままなんだもん」

「俺が預かっておきますよ。もしかしたら、その人から連絡がくるかも」


「その方がいいね。あ、ついでにあんまりおもしろくなかったって言っといて」と言って太一くんへ原稿を手渡す。


 どうか、今度は変なことをしないでよね。君のお姉さんから怒られるのはわたしなんだから。



 その日の夜。家に帰ったわたしは早速例のUSBメモリを確かめてみようとノートパソコンを立ち上げた。

使い始めてすでに3年も経過したせいか、数日前からこのパソコンは電源を入れてからデスクトップ画面に移行するまでが遅い。江連朝顔の取材に一区切りついたら新しいものを買いに行かなくちゃ。頬杖を突いたわたしはカメのようにノロノロ働くパソコンを横目に息を吐く。


 それにしても、もしあの『痩せた両腕』という小説が江連朝顔の書いたものだとすれば、石田荘慈はあの会社で何をやっていたのだろうか。半グレと小説という組み合わせから順当に考えれば、出版詐欺とかになるけど、手間暇の割にたいしてお金になるとは思えないな。まあ、田嶋氏の言っていた彼の『要領の悪さ』が如実に現れているといえばそれまでだが。


 一分強もかけてようやく起動したパソコンにUSBメモリを差し込む。中を調べてみれば、動画ファイルが複数入っていた。


 試しにひとつ動画を再生してみた瞬間――。


「――」


 わたしは、言葉を失った。


 その動画に映っていたのが江連朝顔で……それで……彼女が、屈強な男に、乱暴に辱められ、痛めつけられる姿が流れたからだ。


 思い出されるのは「石田荘慈が金になる仕事を見つけたと息巻いていた」という田嶋の言葉。それに加えてあの映像、そして小説。


 これだけ材料が揃っていれば誰にだって想像がつく。つまり石田は、「あなたの小説を書籍化したい」などと言って江連朝顔に接触し、彼女を騙してあんな映像を撮影するに至ったわけだ。彼女が車いすに乗っているのは、その時に受けた傷が原因なんだ。


 耐え難い吐き気を催して、わたしは反射的にパソコンを閉じた。それでも込み上げてくるものを我慢できず、トイレに駆け込み今朝食べたカロリーメイトをぶちまける羽目になった。


 クソ、最悪だ。最低で、最悪だ。

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