天山摩耶の物語 その6
江連朝顔への疑念は募るばかりだったが、下手を打てば今度は本当に〝始末〟されかねない。ひとまず彼女への接近を諦めたわたしは、三谷永さんから頼まれた太一くんの件を片付けることに決めて、半グレの巣窟とされる『樹星社』を訪問し、会社の社員から石田荘慈について話を聞きに向かった。
時刻は昼過ぎ。会社近くのパーキングに車を停め、タナベのお姉さまに「一時間連絡がなかったら通報よろしくです」とメッセージを入れれば準備万端。あとは当たって砕けるだけだ。
ビルの内階段で二階へ上ると、オフィスに繋がる扉が開いたままだ。外気が入って寒いだろうに気にしないのだろうか。不思議に思いながらも「お仕事中にすいません」と挨拶しながらオフィスに入ると、途端に強いアルコールの臭いが鼻を突いた。
乱雑に並べられたオフィスデスクの上には、空の酒瓶やスナック菓子の袋などが散らばっている。仕事中に酒盛りか――と思いきや、社員の姿は見当たらない。なんだか妙だ。嫌な予感を覚えたその時、背後に人の気配を感じた。咄嗟に振り返ると、そこにいたのはなんと、昨夜わたしを車中で襲おうとした細面の男だった。
左手にナイフを構えていた奴は、わたしの顔を見るなり「なんだ、お前か」と息をつき、持っていたナイフを右手にぶら下げていたコンビニ袋に放り入れる。どうやら敵意は無いらしいが油断はならない。わたしは念のためにスラックスの後ろポケットに入れていた催涙スプレーの感触を掌で確かめる。
警戒するわたしの横を素通りした男は近くにあった椅子に体重を預け、持っていたコンビニの袋から缶ビールを取り出し、喉を鳴らしながら飲み始めた。まるでわたしなんかこの場に存在していないかのような態度だ。
雰囲気に吞まれるな。ここは強気にいかなくちゃ。
「わたしはフリーのジャーナリスト、天山摩耶。取材に来たの。ここに石田荘慈さんという人が勤めてたんでしょ? 話を聞かせて。でないと、警察に通報させていただきますので」
男の膝の上に名刺を置いたわたしは、素早く後ずさりスマホを構えた。直後、太一くんから電話がかかってきて、慌てたわたしはスマホを床に落としてしまう。背中から滝のような汗が出てくるくらい焦ったが、そんなわたしを見て男は愉快そうに微笑むばかりだ。どうやら、本当に敵意はないらしい。
男はわたしの名刺を指先でつまみ、くくと喉を鳴らして笑った。
「あんな男のことを追うより、俺のことを記事にしたらどうだ。そっちの方がよっぽどカネになるぜ」
「お金はいらない……いや、生活できる分にはそりゃ欲しいけど、わたしがもっと欲しいのは真実なの。世界中の人が目を覚ますような真実」
「だとすりゃ、なおさら俺のことを記事にすりゃいい」
コンビニの袋から取り出した骨付きチキンにかじりついた男は油で光る下唇を舌で舐める。
「ここがどういう場所なのか、お前は当然わかって来てるんだよな」
「もちろん。ウォーターサーバーのレンタル会社を隠れ蓑にした半グレの組織、でしょ?」
「よく勉強してるな。だったら、その組織を仕切ってるのはこの俺、田嶋竜だってことも情報に付け加えておけ」
田嶋はビールを一口含むとさらに続けた。
「この前、お前を殺しに行ったのも仕事の一環だ。依頼者都合で未遂に終わっちまったが。でも、本来ならウチの組織は殺しなんてアシの付くような仕事は絶対に引き受けない。なにも考えず引き受けたのは俺の部下だ。金払いが相当よかったんだと。救いようもないアホだ。金払いのいい仕事こそ裏があるって考えるべきなのに」
「それなら、そんなアシの付くような仕事にもかかわらずあなたが率先して現場に出たのはなんで? 部下に任せてもよかったんじゃないの?」
「報酬額を聞いてしくじれない仕事だと思った。だとすりゃ、一番信用できる人間が動くのは当然だろ。つまりは俺自身だ」
自信ありげな言葉と裏腹に男は自嘲気味に笑う。
「だが、それ以前の問題だった。あの仕事を受けたことそれ自体が失敗だったんだよ」
「どういう意味?」
「俺を含めてこの組織は20人でやってる。お前を襲ったその日から、組織のうちもう12人の連絡が取れない。そのうちのひとりは昨日死体で見つかった。他の奴らも時間の問題だろうな」
予想以上に話が大きくなってきた。さすがに江連朝顔がそこまでやったとは思えない。恐らく、この男は嘘をついている。ただわたしをからかうために。
とはいえ、ここは話を合わせておくのが吉だ。神妙な表情を作ったわたしは「何が起きてるの?」と彼に問う。
「さあな。だが、これだけはわかる。そのうち俺も殺される。避けようがない事実だ。だからここで最後の晩餐を楽しんでる」
不味そうにチキンをかじった田嶋はこちらに視線を向けた。
「野良記者。お前、何者だ。なにが理由で狙われた」
「ウルトラフォースの元マネージャーの江連朝顔の家の前で張り込んでたら、あなたたちが襲いに来たの。それ以上はなにも知らない」
「それしか心当たりがないってなら、お前はなんにも知らないうちに、ずいぶんぶっとい虎の尾を踏んじまったんだろうな」
何が虎の尾だ。騙そうとしたってそうはいかないんだから。調子を合わせて話をするのも嫌になるが、ここは我慢の時だ。ぐっと堪えろ、わたし。
「石田荘慈のことを教えて。彼を追えば、わたしを殺すようあなたに依頼した人の狙いもわかるはず」
「やめとけよ。死ぬぞ」
「知らないの? 正義のマスコミは死なないの」
わたしの言葉がよほど面白かったのか、どこか満足そうに笑った田嶋はビールを飲みながら語る。
「石田の野郎は要領の悪い奴だったよ。何をやらせてもモタついてた。だが、人間ってのは必ずひとつは長所があるもんだ。石田の場合はその人当たりの良さだった。このふた月ばかり、奴は『カネになる仕事を見つけた』って息巻いてたよ。詳細を知る前に、奴は死んだけどな」
「金になる仕事……それ以外は?」
「いや。俺が石田の奴について言えるのはこれくらいだ。奴と仲がいいのはいたが、連絡がつかん」
十分に情報を得られたとは言えないが、これ以上のことを彼が喋ってくれるとは思えない。また適当なタイミングで出直して、田嶋以外の男に話を聞くことに使用。
「田嶋さん、ありがとうございました」とお礼を述べたわたしは彼に背を向け、ドアノブに手をかける。
「あと、お酒なんて飲んでないでさっさと逃げた方がいいんじゃない? 殺されたくないでしょ、普通」
「そのセリフ、そっくりそのまま返してやるよ」
どこか諦めたような目で田嶋は虚空を見つめた。
「生きろよ、野良記者。生きて、世界中の奴らが目を覚ますような真実とやらを広めてやれ」
自分の世界に浸っちゃって。ある意味羨ましいよ、ホント。
◯
石田荘慈はあの会社で何をしていたのだろうか? カネになる仕事、とはなんだろうか? 彼が死んだ原因はそれにあるのだろうか?
彼についてもっと調査する必要がある。彼の住んでいた部屋を調べてみるのもいいかも。そうと決まれば頼るべきは家の整理を任されている太一くんだ。整理を手伝うフリをしながら石田さんの部屋に何か無いか確かめる。三谷永さんにバレたら何か言われそうだけど、まあ大丈夫だよね……たぶん。
その日の夜。そういえば昼間に太一くんから連絡を貰っていたんだと思い出しながら、わたしは彼に電話をかけた。通話はすぐに繋がって、『もしもーし。どしたの、電話なんて』と訊ねてみれば、彼は申し訳なさそうに『すいません、かけ直してもらってしまって。忙しかったですよね』とバカ丁寧に答える。お姉さんからの〝教育〟がずいぶんと行き届いてるな、こりゃ。
しかし、まさかここで「実は君のおじさんのことを調べようと例の会社に行っててね」なんて言うわけにもいかない。太一くんはおじさんが誠実な人間であったと信じてるんだから。
「忙しかったっていうか、なんていうか」と濁したわたしは、「それより、なんの用だったの?」と続けた。
『それが、少し〝危険なこと〟をしようと思ってまして。力を貸して貰えませんか?』
ぐへぇ。とんでもない申し出が来たもんだ。力になってあげたいのは山々だが、そんなことをすれば三谷永さんに怒られる。
「いやあ。危険なことはしばらくいいかな」
『そんな。らしくないこと言わないでくださいよ』
「そう言われてもねえ。ちょっと疲れちゃってね」
太一くんの申し出をさらりと躱したわたしは、「そだ」と話の方向を変える。
「君、おじさんの家の整理してるんでしょ? 手伝わせてよ」
『そんなことより別に手伝って欲しいことが――』
「いいじゃんいいじゃん。頭ン中一回すっきりさせたくってさ。お願いだよ、太一くん」
『……わかりましたよ』
年上の女性からの押しに弱いという三谷永さんの情報通りだ。「じゃあ、明日の昼1時に石田さんのアパートの前でね」と伝えたわたしは、見られていないのをいいことにガッツポーズしながら電話を切った。




