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三谷永太一の物語 その2

 警察から母親へおじさんの遺体が見つかったという連絡が入ったのは、それから三日後の1月12日のことだ。なにかの間違いであることを願いながら母親と共に練馬警察署へ向かい手続きを済ませ、線香の匂いが鼻をつく遺体安置所へ入ると、おじさんの亡骸が固そうなベッドの上に横たわっていた。


 到底信じられなかった。嘘であって欲しいというよりも、嘘に決まってると一蹴したくなるような、そんなバカげた笑い話のように聞こえた。あんな殺したって死なないような人が死ぬわけがない。そう思っていた。思っていただけだった。


 おじさんは確かに死んだ。嘘でも冗談でも夢でもなかった。悲しみよりも驚きが勝り、涙が一滴も出てこなかった。


「……どうして、荘慈は死んだのでしょうか」


 険しい顔をする母は側に立っていた制服警官へ震える声でそう尋ねた。


「高所から落下の際、地面に落ちていた突起物により心臓ごと身体を貫かれた外傷により亡くなったという報告が上がっています。傷口は見ないほうがよろしいかと思われますが」


 淡々と説明した警察官は後ろ手に持っていたクラフト封筒を母へ手渡した。母がそれを開けると、中からは『もう疲れました』とだけ小さな文字で印刷されたA4サイズの紙が出てきた。


「そんな!」


 反射的に出てきた声に自分でも驚きながら、俺は警察官に詰め寄った。


「つまり、おじさんは自殺したって言うんですか?!」

「……ええ。残念ですが、そういうことになると――」

「あり得ません! そんな、おじさんが自殺なんて……だいたい、飛び降りが原因ならもっと全身に傷がついててもいいはずじゃないですか!」

「その辺りは、私に言われましてもなんとも……」


 いかにも迷惑そうな素振りを見せる警察官に苛ついて、俺は母親に救いを求めるように視線を向けた。


「母さんもそう思うでしょ?! あり得ないよ、おじさんが自分で死ぬなんて」


 しかし、熱くなる俺と違って母は落ち着き払っていた。というよりも、「諦めていた」といった方が近いかもしれない。


「落ち着きなさい、太一。私だって荘慈が自分で死んだなんて信じられない。でも……現実なの」

「待ってよ。おじさんは俺と一緒に出かける約束までしてたんだって。それなのに死ぬなんて……」


 俺が言葉を呑み込んだのは、母さんの目からひと筋の涙が流れているのが見えたからだ。感情を押し殺すために血が滲むくらい下唇を強く噛んだ俺は、「ごめん」とだけ呟いて安置所を飛び出した。



 これは後から母さんに聞いた話になるが、おじさんが亡くなったと推定されるのは1月8日の夜のことらしい。つまり警察の言う通り〝本当に〟おじさんが自殺したというのなら、わざわざ競馬へ行こうと俺を誘った後で飛び降りたわけだ。


 そんなことがあり得るだろうか。普通に考えてそんなわけがないとは思うが……だとしても、それだけで「おじさんは誰かに殺されたんだ」と主張するわけにはいかない。俺はやり場のないモヤモヤをただ心の片隅に抱えておくしかなかった。


 家庭を持たないおじさんにとって、一番近い血縁者は姉――つまりは俺の母さんだ。そのため葬儀の手配や諸々の手続きは母さん主導で行う必要があって、おじさんの死が発覚してから数日間、我が家ではなんだか忙しい日々が続いた。


 おじさんの葬儀が行われたのは1月17日ことだった。おじさんが定職に就いていなかったということもあるためか、通夜への参列者はほとんどいない。空席ばかりの会場に虚しく響くお経を聞いていると辛くなる。人間、死ぬときはひとりだ。


 姉の亜子と共に受付係を任された俺は、背筋を凍らすほどの虚しさを誤魔化すために芳名帳をぱらぱらとめくっていた。馴染みのある名前ばかり目につくところを見るに、ほとんど身内しか来ていないのだろう。


「あの、すいません」


 ふいにか細い声が前方から聞こえてきた。慌てて視線を上げると、車椅子に乗った若い女性がこちらを見あげている。少し目尻の垂れた幸薄い印象を与える美人だ。


「お忙しい中お越しいただき、ありがとうございます」と姉ちゃんが頭を下げ、俺もそれに続く。

「いえ。この度はご愁傷様でした」


 車椅子の彼女は短く切った髪をさらりと揺らしながら頭を下げると、膝の上に置いていた鞄から香典袋を取り出して姉ちゃんに手渡す。一挙手一投足に品がある。


「恐れ入ります」と袋を受け取った姉ちゃんを横目に見ながら俺は、机の上に置いてあった芳名帳を彼女に「どうぞ」と手渡した。軽く頭を下げてそれを受け取った彼女は、さらさらと名前を書いていく。『江連朝顔』とあるが、まったく覚えのない名前だ。おじさんの知り合いなんだろうか。


 記帳を終えた江連さんは芳名帳を机に置くと、どこか不安そうに辺りに視線を配りながら「あの」と切り出した。


「どうされました?」

「いえ、その……実は、ずっとわたしのあとをついて来ている人がいるかもしれなくて。もしご迷惑でなければ、外を見てきて頂けませんか?」

「それなら、警察を呼んだ方がいいんじゃないですか?」

「いえ……もしかしたら気のせいかもしれなくって。気配はあるのに、姿は見えないんです」


 葬式に参加するために夜道を行く。背後に人の気配を感じて振り返るが、どこにも人はいない。不安に思いながら道を進むとまた人の気配が。今度は素早く振り返ってみるがやはり誰もいない。やがて背後に聞こえる足音はだんだんと大きくなっていき……。


 ……そんな妄想が頭に過ぎり、なんだか猛烈に心霊的な気配を感じて、俺は身の毛がよだつ思いをした。まだ幼稚園の頃、姉ちゃんに観せられた映画『リング』のせいで俺は心霊系の話が大嫌いである。


 同じく小学生の頃に観た映画『リング』のせいで幽霊が嫌い姉ちゃんは、小声で「ちょっと」と言いながら俺の肩を小突いた。


「太一、あんた外見てきなよ」

「い、嫌だって。ふたりで行けばいいじゃんか」

「バカね……どっちかが受付に残らなきゃいけないでしょ。常識だけど?」

「だったら姉ちゃんが行けばいいだろ」

「知ってるでしょ。わたしは夜道に出る半透明のアレが嫌いなの」

「俺だって得意じゃないって」

「うっさい! ほら、行きな! 男でしょ! 女の子が困ってたら助けるの!」


 姉特権で背中を殴りつけられ、嫌々ながら斎場を出て辺りを見回せば……いた。しかしアレは幽霊じゃない。黒のトレンチコートに身を包み、ソフトハットを目深にかぶり、斎場の様子を覗き込もうとしているいかにも怪しいその人物は、文字通り地に足のついた人間の女性だ。


 実体があるのなら怖がる必要なんてどこにもない。俺は深く安堵しながらその人に歩み寄り、「あの」と声をかける。


 中の様子を覗くのに必死過ぎて俺が近づいていることに気づかなかったんだろう。「ひゃっ」と案外可愛らしい声を上げたその人は、丸い瞳でこちらを凝視した。


「な、なんの御用でしょうか?」と訊ねる声は若干うわずっており、どこか素っ頓狂な印象を受ける。やましいことがあります、と喧伝しているような態度だ。


「それはこっちの台詞ですよ。こんなところで何やってるんですか」

「それはその……お葬式の下見……?」


 あまりにも苦しい言い訳だった。微妙な沈黙が流れた後、その女性は「いややっぱり偵察?」とかさらに妙なことを続ける。


「……あの、警察呼んでもいいんですけど――」

「待った! 待った! 待ってよ! 怪しい者じゃないんだから、わたし!」


そう言うと彼女はポケットから名刺を取り出して俺に手渡した。そこには、『フリージャーナリスト 天山摩耶』とある。ますます信用できなくなる肩書きの持ち主だが……追い返すのも早計だ。もしかしたらこの人は、おじさんの死について調べに来たのかもしれない。


 淡い期待を胸の奥に押し留めながら俺は、名刺をポケットに入れつつ「マスコミ、ですか」と呟いた。


「正しくは、正義のマスコミ、ね?」

「いや。そもそも悪のマスコミがいたら困るんですよ」

「まあ、その意見は一理あるね」


 一理程度で終わっては困る。が、いちいちそんなことを突っ込んでいる時間はない。


「それで、自称正義のマスコミの方がなんの用ですか?」

「ここの会場に江連朝顔という人が来てるでしょ? その人に取材したいと思って。呼んで貰えない?」


 ……期待した俺が馬鹿だった。


「そんなことするわけないでしょ。あの人は、俺のおじさんを偲んでここに来てくれたんですから」


 天山さんに力なく背を向けた俺は斎場へと戻ろうと歩き出す。そんな俺の背に彼女は慌てて追いすがってきた。


「待った! 待ってよ! じゃ、あなたに取材。いい?」

「……それで帰ってもらえるなら」


 天山さんは「やった」と嬉しそうに小さくガッツポーズ。こんな時にあんなポーズ、バチ当たりだと思わないのか。


 そんな俺の気などお構いなしに、スマホの録音機能をスタートさせた彼女は好奇心に光る瞳で俺に詰め寄る。


「じゃあズバリ聞くんだけど、江連さんと石田さんってどんな関係なの?」

「そんなの、俺が知りたいくらいですよ」

「えぇ〜? じゃあ、石田さんとウルトラフォースになにか関係性は?」

「そんなのあるわけが――って、どうしてそんなこと聞くんですか?」

「まあ、そこは色々とね」と天山さんは話をはぐらかす。


 天山さんには取材の目的を話すつもりはないらしい。こうなるともう追い返す他ない。「そういうことで」と歩き出すと、彼女はしれっとした態度で「じゃあ最後の質問」などと言い出す。


「ウルトラフォースが死んだことについて、どう思う?」

「悲しいことだとは思いますが……それがなにか?」


 俺の答えに天山さんはいかにも不敵に笑みを浮かべた。なにか思うところがあったのだろうか。


「要件はこれだけ。邪魔してごめんね。それと、この度はご愁傷様でした」


 まったくなんだったんだろうか、あの人は。もう二度と会わないことを願いたいところだ。異様な疲れを感じながら斎場の受付へと戻れば、姉ちゃんが必死にこちらを手招いている。なんだか、また厄介事の気配だ。


「なに。幽霊でもいた?」

「じゃなくて! 見てよこれ!」


 姉ちゃんは江連さんが置いていった香典袋の口を開いてみせた。中には、折り目のついた一万円札が何十枚と入っていた。


「……お香典ってさ、普通はこんな置いていくものじゃないよね。どうすんの、この額」


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