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三谷永太一の物語 その13

 2月1日の夕方。立っているのも辛いほどの寒さの中、俺は江連さんの家の前にいた。つい数日前まではしつこく彼女を追っていたマスコミ連中も、たいした情報が得られないと見るや矛先を別方向に向けたらしく、家の周辺に怪しい車や人の気配はない。この状況は今から俺がやることを考えれば好都合と言えるだろう。


 白い息を吐きながらインターホンのボタンを押す。数秒後、中から『どうぞ』という声が返ってきて、玄関扉の鍵が開く音がした。


 爆発しそうなほどに高鳴る鼓動を感じながら扉を開く。玄関では、杖を突いた江連さんが不安そうな表情を浮かべて待っていた。


 彼女が口を開くより先に、俺は言い訳のように言葉を並べた。


「すいません。会いたいだなんて無理言ってしまって。江連さんが色々と忙しいタイミングだってことはわかってたんですけど、どうしても会って話したいことがありまして」

「いえ、わたしも太一さんにお会いしたいと思ってましたから。ウルトラフォースが……佐々木がやってしまったことについて、わたしの方から謝罪しなければとはずっと考えていたんです」


 か細い声でそう言った江連さんは深々と頭を下げる。


「太一さん、この度は申し訳ありませんでした。謝って許されるようなことではないとはわかっていますが、それでも……」


 ……どんな感情で彼女がこんな言葉を口にしているのかわからない。掌に爪が食い込むほど拳を握りしめて怒りを抑えた俺は、できるだけ穏やかな口調で「頭を上げてください」と言った。


「江連さん。今日俺があなたに会いに来たのは、謝ってもらうためじゃなくて別件があるんです。もしよろしければ、座って話せませんか?」


「ええ、ぜひとも」


 江連さんと共にリビングへ。そこで勧められるままソファーに腰掛けた俺は、持っていた紙袋を対面に座る彼女に差し出した。


「江連さん、今日俺がここまで来たのは、これを返すためなんです」


 俺が江連さんに渡したのは、小説『痩せた両腕』である。紙袋を覗いた江連さんは驚いたように目を見開くと、中に入れてあった原稿用紙の束を取り出してぱらぱらとめくり始めた。


「この前に頼まれていた探し物、それで間違いありませんか?」

「は、はい! 間違いなく、わたしの書いた作品です!」


 江連さんは興奮した面持ちで頷くと、自作の小説を愛おしそうに胸に抱きしめる。感動の再会、なんて言葉がふさわしい光景だ。


「……自分で書いた小説なんて、自分の子どもと同じようなものですよね。俺は創作なんてやったことはありませんけど、それだけはなんとなくわかる気がします」

「そうなんです。この小説は、お腹じゃなくて頭を痛めて産んだ、いわば自分の分身で……それで何よりかけがえの無い、とても大切な存在で――」


「だから、おじさんを殺したんですか。おじさんの甘い言葉に騙されて、裏切られたから」


 我ながら心臓に悪い電撃作戦だ。思わぬ奇襲を受けた江連さんは表情を凍らせ固まる。俺は追求の手を緩めずさらに続ける。


「おじさんを殺した実行犯はウルトラフォースです。でも、そうさせたのはあなただ。江連さん、あなたがおじさんを殺した本当の犯人ですよね?」


「意味がわかりません。なにを証拠にそんなことを言ってるんですか?」


 俺はすかさず「これですよ」と例のレコーダーをポケットから出してテーブルに置き、音声を再生する。『あなたは目の前にいる人物を殺したくなる』という呪詛のような江連さんの声が暖かいリビングに響いた。


「催眠術なんて本当に存在するんですね。正直、信じられませんでした」


 俺の言葉を受け、江連さんはくつくつと声を出して笑った。こちらを嘲るような、彼女の顔に似合わない悪辣な笑い方だった。


「なにがおかしいんですか」

「なにって、全部ですよ。この程度でわたしを捕まえられると思っているあなたの全部です」


 江連さんは勝ち誇ったように続ける。


「間違いありません。それはわたしの声です。でも、だからといってその程度の証拠では、わたしがウルトラフォースに催眠を掛けたとはならないでしょう?」

「だとしたら、どうしてあんな声を録音していたんですか?」

「小説のネタ作りのため、とかだった気がします。忘れちゃいました」

「その小説にはそんな過激なシーンは出ていなかった気がしますが」

「ですから、吹き込んだ理由なんて忘れたと言ってるじゃないですか。小説のためとは限りません」


 腹の立つ物言いだが、ここまでは当然想定内。もう一歩、懐に踏み込め。


「ところで、実はウルトラフォースは殺されていたんだというニュースが流れてましたね。死因は頚椎骨折だったとか」

「それがどうかしましたか?」

「それにもあなたが関係してるんじゃないか、と思いまして」


 俺はあくまで淡々と続ける。


「弾丸どころか爆弾すら効かない彼を殺せる存在なんて、世界のどこにもいるわけがない。ウルトラフォースの本人を除いて。つまり、彼を殺したのは彼自身というわけです」

「なんです? 彼は自殺をしたと言いたいんですか?」

「いえ。ウルトラフォースを殺したのはあなたです。俺は、あなたが彼に自殺をするよう仕向けたんだと思っています」

「……つまり、それにもまた催眠が関係しているのだと?」

「でなければ、彼が死を選ぶ理由なんてありません」


 江連さんは怪訝そうに眉をひそめる。ここが勝負どころだ。一歩も退くな。


「俺のくだらない話は、催眠術が存在するという前提の上で成り立っているものです。さっきのレコーダー以外の証拠はなにもありませんし、あなたにシラを切られればそれで終わりです。そもそも、仮にあなたがすべてを白状したところで罪に問えるようなものじゃない。現行法は催眠術なんてものを想定していませんから。でも、俺は真実が知りたいんです。おじさんがどうして殺されなきゃならなかったのか。おじさんを殺した本当の犯人は誰なのか。江連さん、話してもらえませんか?」


 江連さんは俺の追求から逃げるように顔をそらす。そんな彼女の顔を俺はじっと黙って睨み続けた。視線を外してしまえば、そこで彼女が煙のように消えてしまうような気がした。


 一分強の沈黙の後、彼女は観念したようにポツポツと言葉を吐き出した。


「おっしゃる通り、あなたのおじさんを……石田荘慈を殺したのはわたしです。ウルトラフォースを催眠で操って彼に石田を殺させた後、〝証拠隠滅〟のために彼自身に自殺をさせた」


 ――ようやく認めたか。なんて思うと同時に、やっぱり彼女がやったことだったのかと、無性に悲しい気持ちになった。俺は江連さんが犯人でないことを、心のどこかで望んでいたのかもしれない。


「……つまり、俺の話は間違ってない、と」

「ええ、間違いなく合っていますよ。わたしは決して罪に問われない、というところまで間違いなく」

「……おじがあなたにしたことは、たしかに許せないことだと思います。実際、身内の俺にだって許せません。でも、だからって殺すまではやりすぎです。別の形で罪を償うことだって出来たはずです」

「甘いですね。人の心を、夢を、期待を踏みにじった罪が、そう易々と許されると思っているんですか?」


 濁った色の恨みが滲む彼女の問いかけに答える代わりに、俺は胸ポケットに入れていたスマホを取り出して彼女に向ける。


「俺たちの会話は動画サイトで生中継されています。あなたが殺人を認めた姿を、全世界の人間が見ているというわけです」

「それがどうしたっていうんですか。これを見て警察が動くとでも?」

「たとえ警察があなたを逮捕できなくとも、法律があなたを罰することができなくとも、世間があなたを罰します。江連朝顔という人物は、世界中のどこに行っても後ろ指を差されて生きていくことになるんです」


 自分の置かれた状況にじわりと理解が及んできたのだろう。江連さんは徐々に表情を引きつらせると、堰を切ったように喉の奥から甲高い声を上げ、杖にぶら下げられていた色褪せたウルトラフォースのキーホルダーを俺の顔面を目掛けて投げつけた。衝撃自体は大したことがないはずなのに、貫くくらいに痛かった。


「俺が言うのも何ですが、急いで警察に駆け込んだ方がいいと思います。面倒な奴らが押し寄せてくるでしょうから」


 床に落ちたキーホルダーを拾い上げた俺は、それをテーブルの上にそっと置き、それから彼女に一礼した。


「さようなら、江連さん。どうか、お互いに二度と会うことがありませんように」



『――作戦は単純。だが確実。お前が江連の家に行き、奴に証拠を突きつけ、殺人の事実があったことを認めさせる。そしてその一連の会話を動画サイトを通じて生中継する。題して、江連朝顔の殺人告白ショーだ』


「そんなの、うまくいくんですか。イタズラだと思われたらそれで終わりですし、そもそも見ている人に信じてもらえるかどうかもわかりませんよ」


『知らないのか? 人は信じたいものを信じるんだ。それが真実かどうかなんて二の次。要するに、あいつが自分の口から殺人を認める発言が出たということが大事なんだ』


「……でも、それであなたの言う通り警察が動いてくれるんですか?」


『ウルトラフォースの信者なんてのは日本のみならず世界中に大勢存在する。真実かどうかはさておき、彼を殺したのが江連ということが世間に知れ渡ったとなれば、その信者のうち過激な奴が江連を殺しに来るのは容易に想像がつく。そうなると警察は彼女を保護する必要がある。奴が手元に来ればあとはこっちのもんだ。洗いざらい調べてやるよ』


「……万が一、警察に保護される前に、彼女がその〝過激な信者〟に殺される可能性は?」


『無いことも無いだろうが……別に構わんだろ? お前の叔父を殺した女だぞ?』


「それを許せば俺は彼女と同じことをしたことになります。それだけは絶対に嫌だ」


『……本当、つくづく〝超人〟だよ』


「超人?」


『こっちの話だ。じゃあ、俺達の電話はこれで最後だ。スマホも壊して処分しろ。お互いに二度と会うことがないことを祈ってるよ』

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