平和を愛せよ
県総合運動公園の一角
第二体育館のバスケットボールコートで行われている北高と西高の試合は、佳境に入っていた。
第4クォーター、[92ー94]で西高がリード。
残り30秒、パスを受けた北高の堀が3ポイントエリアから放ったシュートが見事にカゴに入った。
逆転して[95ー94]
もはや守る意味のない西高が全力で攻めに転じる。
それを受けて守りに徹する北高。
残り10秒。
必死につないだパスがゴール前の砂川に届く。
シュートの体勢に入る砂川。
それを阻止しようととして北高の神谷が前に出た。
残り3秒。
このシュートが入れば西高の勝利。入らなければ北高の勝利。
全国行きが賭かったその一瞬。
コートに何かが投げ込まれた。
ゴールに集中していてほとんどの選手は気付かなかったが、何人かの選手と観客が不審な目を向けた次の瞬間。
投げ込まれた閃光手榴弾が強烈な光と轟音を撒き散らした。
その衝撃に砂川のシュートは明後日の方へ飛んで行き、閃光が目に入った神谷は顔を押さえてうずくまる。
そこに、迷彩服を着用し、小銃で武装した集団がバスケットコートに侵入して選手たちを取り囲んだ。
観客席にも武装集団が現れる。
悲鳴が上がった。
「全員動かないでください! 動けば撃ちます!」
武装集団の後から、一人の女が入ってきた。
豪華なフリフリのドレスを着て、長く伸ばしたピンクのモコモコした髪にたくさんの花をさし、背中に【世界平和】と書かれた幟旗を立てている。
ツカツカとコートの真ん中に歩み寄り、ぐるりと選手たちを見回して、バッ、と手を広げた。
「みんな! どうして争うの!? 仲良くしようよ!」
何言ってんだこいつ。
選手も観客も、心に浮かんだものはそれだった。
何言ってんだこいつ。
「君らはいったい……」
そう抗議しかけた北高の顧問の足元に、小銃が撃ち込まれた。
「ひい!」
「次は当てます! まずゴム弾を当てます! その次は実弾を足に当てます! その次は実弾を頭です!」
ざわついていた人々がピタリと静かになる。
「そこの君!」
女が西高の砂川を指差した。
「ひゃはい!」
「どうしてゴールにボールを入れようとするの!? 嫌がってるじゃない! やめてあげなよ!」
「えええ……」
「そちらの君!」
北高の神谷を指差す。
「は、はい」
「どうしてゴールにボールを入れるのを邪魔するの!? 入れさせてあげればいいじゃない!」
「ええっ!? 言ってること違くないですか!?」
「どうして仲良くできないの! どうして相手の嫌がることばかりするの! そんなに相手が憎いの!? 争う理由は何!?」
「えっと、バスケットというのはそういうものなので……」
「そういうものなら争っていいの? ちゃんと考えた? カゴにボールを入れることに何の価値があるの? しかもわざわざあんな高いとこにカゴを置いて! 入れたいなら低くすればいいじゃない! どうして物事を難しくしようとするの! そんなことしなくたって人生は難しいことだらけなのよ!」
「えーと、お互い納得して試合に来てるので……」
「本当に納得した? 争う前に、相手とちゃんと話し合ったの? お互いの主張を言葉でぶつけ合って、時には妥協して、合意を作り上げることが大事なんじゃないの? 争わなければならないのは、ほかにどうしようもなくなった時だけよ!」
「で、でもですね、スポーツというのはそういうふうに、お互い全力を出し合って、観客もそれを見て楽しむと、そういうことになってますのでですね」
「それもよ! 観客はあなたたちがブザマにボールに群がる様子を見て笑ってるのよ? 高いところから見下ろして! 彼らの楽しみのために戦わされて、それで満足なの? それよりも力を合わせてこの世の不条理に立ち向かう方が、価値ある生き方だと思わない? 敵も味方もなく!」
女が観客席に呼びかける。
「観客の皆さんも自分の楽しみのために人を戦わせるのはやめてくださーい。観客も選手も同じ人間でーす。手を取り合いましょーう」
武装集団が小銃をガチャリと鳴らす。
観客たちは青い顔でコクコクとうなずいた。
「私だってこの世には対立というものがあるのは分かってます。そんな時はまず、対話から始めるんです! さあ!話し合いましょう! 円卓を用意しましたからみなさん座って座って!」
女がどこからか花束を出して、ブン! と観客席に向かって放り投げた。
観客がザッと避ける中、ボケッと突っ立っていた青年の手に花束が納まった。
「はい! あなたも観客代表として話し合いに参加してもらいます!」
「ひえええええええ」
青年が両側から抱えられるように円卓まで連れて行かれる。
観客代表の青年と、北高の顧問、西高の顧問、北高キャプテンの松岡、西高キャプテンの元木、それと北高の神谷と西高の砂川が円卓に座らされた。
周りを武装集団が取り囲む。
「さあ! 話し合いましょう! まずはお互いの要求を提示するんです! 隠し事はいりません! まっすぐ自分の望みをぶつけ合いましょう!」
誰も口を開かない。
「遠慮なさらず! ささ!」
誰も口を開かない。
「うーん、みなさん控えめですねえ。よし! ではまず私から提案しましょう! みなさんが争わなくてもよくなる方法を私も考えたんです!」
女がクルッと回ってバッと手を拡げた。
花びらが飛び散る。
「まず、ボールが一つしかないのがいけないと思うんです! そのせいでボールの奪い合いになるんですよ! ですから、選手の方たち全員にボールをひとつずつ配るといいと思います! ふたつずつでもいいですね」
女が得意げに胸を張る。
「それからゴールも全員分用意しましょう! さっきも言った通りカゴの位置が高すぎますから、腰くらいの高さのゴールを全員分です! これで好きなだけボールをカゴに入れられますよ!」
円卓に座る者たちはただただ困惑するしかない。
「他の人のゴールにボールを入れるのは禁止です! それなら邪魔する必要もありません! あとはそうですね、点数も全員に百兆点ずつ差し上げるのはどうでしょう。それだけあれば十分ですよね! そうだ! 観客の皆さんにもボールとゴールと百兆点を配りましょう! これでもう争う必要はないですね!」
しばしの沈黙ののち。
「そんなのもうバスケじゃない」
北高キャプテンの松岡が口を開いた。
「そんなことやったってやってる方も見てる方も全然楽しくねーよ! なんなんだよあんたら!? 何でこんなことするんだよ!」
「それは人類から争い事を根絶するため! それが私たちの使命! 争うことはいけないことです! 争いを楽しんではいけません!」
「だったらこんなバスケの試合なんか止めてないで、戦争とかマフィアの殺し合いとか、止めなきゃならない争いはいくらでもあるだろ! そっちでやれよ!」
「やってますよ? 現在私たちは地球上のあらゆる人類の争い事に介入し、停戦させ、話し合いの席に座らせています」
「な……」
「我々『世界平和団』は、人類に恒久平和をもたらすためにやって来ました! お任せください! 明日には平和しか残りません!」
女のスカートの中から白い鳩が出てきてパタパタと飛び上がった。
「それにしても困りました。現在世界中の仲間と情報を共有していますが、スポーツマンさんたちの話し合いがまるで進みません。そこの人の言う戦争や殺し合いをしていた人たちは、話し合いの席に座らせれば、それなりに相手に対する要求とか、闘争してまで欲しいものとかのお話が出てくるんですけど、スポーツマンさんたちときたら相手に何か要求するわけでもなく、とにかく戦わせろ、といった感じのことしか言いません。どうしてなんでしょう」
女が円卓に座る面々に問いかける。
「どうして戦うんですか? 何が欲しくて戦うんですか? 相手に何を望むんですか? どうしたら争いをやめてくれるんですか?」
「……勝利だよ。欲しいのは勝利だよ! そのために戦うんだよ」
「勝利の結果得られるものではなく、勝利自体が目的ですか? すると相手に対する要求は敗北ということでしょうか」
「べ、別に相手に負けて欲しいと思ってやってるわけじゃない」
「んん? どういうことでしょう。勝つことと負かすことは同義ですよね? 相手を負かさずに勝つことは不可能ですし」
「…………」
「うーん、金やモノや土地なんかなら私たちがいくらでも供給して差し上げられるんですけど、勝利となると……。どうしても敗者が生まれてしまいます。敗者のいない勝者なんてあり得ませんし。どうして大多数が苦しむようなことをやりたがるのでしょう」
「……競技者ってのはみんなそれを納得ずくで戦ってるんだ。外野がどうこう言うことじゃない」
「相手を苦しめることを納得してるんですか!? いけないことよ! それは!」
「あ、相手じゃなく、自分が負けて苦しんでも受け止めるって意味だよ!」
「同じことでしょう! 勝とうとして戦うじゃない! どうしてお互いを苦しめようとするの!」
「そういうものなんだよ!」
「そういうものなのね」
女の口調が急に落ち着いたものになった。
「世界中の話し合いの様子を仲間達と共有して検討した結果、地球人類に争いをやめさせることは不可能だと結論が出ました」
「それは……」
「なので、人類は滅ぼすことに決まりました!」
「「「「はああああああ!?」」」」
「安心してください! 苦痛も恐怖もなく滅しますから!」
「ちょっ、ちょっと待って」
「すべての人類に、幸せな死を! 幸福な終わりを! これぞハッピーエンド! 世界平和ガス、散布!」
女のスカートの中から濃いピンク色のガスが吹き出してきた。
「鉄もコンクリートも突き通すガスです! マスクもシェルターも効きません! たくさん吸ってくださいね!」
円卓に座らされていた面々や、成り行きを見守っていた選手たちや観客たちがあわてて逃げようとするが、たちまちガスに飲み込まれていく。
肌にガスが触れた瞬間。
凄まじい多幸感が身体中を満たした。
これまで感じたことのない途方もない快感。
果てのない安心感。
無辺大の万能感。
「幸せなまま40秒で死にます! 苦痛も恐怖もありません! 良い滅びを! ハブアナイス滅び!」
ガスを撒き散らしながら、女は嬉しそうにクルクル回り続ける。
「家畜とかペットとか栽培植物とか、人類が世話しないと生きられない生き物たちは無限動力オートマトンが永久に世話するのでアフターケアもバッチリ! なんの心配もいりませんよ!」
とてつもない幸福の中、このままでは死ぬと理性が警鐘を鳴らす。だが一筋の恐怖も不安もない心がそれを受け取ることはなかった。
40秒が過ぎた。
「みんな死にました! なんて幸せそうな死に顔! 平和です! 平和です! もう争いはありません!」
女が花を撒き散らす。
「さあ、埋葬しましょう! 安らかに眠れ!」
武装集団が手早く、丁重に遺体を運び出す。
「お葬式の支度をしなくちゃ! 祝いましょう! 争いの終わりを!」
豪華なフリフリのドレスを着て、長く伸ばしたピンクのモコモコした髪にたくさんの花をさし、背中に【世界平和】と書かれた幟旗を立てた女が、軽やかに第二体育館を走り出ていく。
あとには静けさと、
平和だけが残った。




