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最初の晩餐

 風に夜の気配がします。

 アルゾは身を隠す場所を探し始めました。夜は不死者の時間なのです。

 革のリュックから地図を取り出して周囲を調べましたが、今日は野宿するしかないようです。できるだけ(おとり)の馬車とは距離を取らねばなりませんから、うかつに街道(かいどう)沿いの町に泊まるわけにはいきません。(おとり)がいる場所とは、不死者に襲われる危険のある場所なのです。

 街道(かいどう)をやや外れた雑木林の中に開けた場所を見つけて、アルゾはそこを今日の寝床と決めました。切り株が幾つかあり、木材にする途中で放棄されたと思しき木々が転がっていることから見て、きっとここは樵たちの作業場だったのでしょう。

 アルゾは馬を降りて木につなぎ、それから、龍に呼びかけました。

「おい、降りろ。今日はここで野宿するぞ」

「ノジュク? ノジュクとは何だ?」

 龍は馬の上で、口を大きく開けてあくびをします。その頬には馬のたてがみの跡が付いています。トロンとした目つきは、まだ半分夢の中を見ているようです。

「野宿ってのは、屋根のない場所で寝泊まりすることだ。今日はここで寝る。だから、さっさと降りろ」

 アルゾが龍の手を取ると、龍は平然とアルゾの肩を踏み台にして着地しました。

「あっ、コラ!」

 まだ新品同様のコートにいきなり足跡がついてしまいました。王子からもらった大事なコートに。アルゾは大慌てで足跡を払います。

「降りろといわれたから降りた。何か不満なのか?」

 龍は悪びれもせず、アルゾが何を怒っているのかも理解できないようでした。キョトンとした顔で、彼を見上げています。

「これは、王子から直々に与えられた服なんだぞ! 汚す奴があるか!」

「そうか」

「新品の、白いコートだぞ。土の汚れは目立つんだ」

「そうか」

「お前は何でそのコートの上を素足で踏んだんだ?」

「ちょうどいい高さだったからだ」

「だから! 俺がいいたいのは!」

 アルゾは腕を振り上げて、ぶんぶんと振り回しました。彼が何をいっても、龍の表情は何一つ変化しないのです。そのうち、自分の方が間違っているのではないかという、不条理な考えさえ浮かんできます。

 思えば、龍はアルゾに何も逆らいませんでしたが、ただ逆らわないだけです。龍はアルゾを油断させようとしているわけではなく、ましてや自分の運命に観念しているわけでもなく、ただ単に、自分のことをなんとも思っていないから従っているだけなのだと、彼は漠然と気付きました。

 王子からは、龍が逃げようとしたら躊躇(ちゅうちょ)なく殺すようにといわれていました。アルゾも、龍に手加減するつもりなどありません。しかし、無関心がゆえの従順さというのは予想していませんでした。

 一人で怒ることにも疲れて、アルゾは火を起こすことに決めました。火を使えばそれだけ不死者に見つかる危険性も増えますが、かといって、夜の寒さと暗さをただ耐え忍ぶことはできません。

 幸い、切り倒された木々の合間に風が吹きこまない場所があって、焚き木にはちょうど良さそうです。周囲には小枝と木材の切れ端が散乱していて、燃料に困ることもないでしょう。

 アルゾはよく乾いた木切れを選んで細かく千切り、リュックから火打ち石を取り出すと、木切れに火花を打ちかけます。

 龍はアルゾと鎖で繋がれていましたから、彼のすぐ後ろで、その様子を眺めていました。

「何をやっているのだ?」と、龍。

「見りゃわかるだろ。火を起こしてるんだよ」と、アルゾ。

 火はなかなか付きません。木切れに火花は散るものの、炎にならないのです。アルゾの口からは舌打ちが漏れます。

 龍は彼の隣にしゃがみ込み、不思議なものを見るような目で火花を見ています。

 火花が落ちた場所から小さな炎が上がり、アルゾはそっと息を吹きかけて、これを大きくしようとします……が、火は消えてしまいます。

「お前は何をやっているのだ? 炎に息を吹きかけて、消して、それでどうなる?」

 龍は怪訝(けげん)な表情を浮かべます。

「黙ってろ」アルゾはまた火打ち石を打ち付けて火花を散らします。再び小さな炎が生まれ、アルゾはそこにもう一度息を吹きます。何を思ったか、龍も一緒に息を吹いています。

 今度はうまく行きました。炎は木切れ全体に燃え広がって、アルゾと龍を明るく照らしました。龍の顔には驚きが浮かんでいます。

「ほう、これはすごい」龍の目は食い入るように揺らめく炎を見つめています。「人も火が吹けるのか。知らなかったぞ」

「そんなわきゃねーだろ」アルゾは火の中に木切れを足しています。「火打ち石で小さい火を作る。そこに空気を送り込んで火を大きくする。人間はそうやって飯を作ったり暖を取ったりしてんだよ」

 へえ、という感心しているのかバカにしているのかよくわからない声が、龍の口から出ました。

「お前、何にも知らねえのか」

「忘れたか。(わらわ)は龍なのだぞ。空を支配する帝王なのだ。人間の生活を見るのは初めてだ。知るわけもないであろ」

 龍の言葉には、不当な要求をされて怒っているかのような響きがありました。またしても、アルゾは自分が悪いような気がしてきます。彼は口を尖らせつつ、晩御飯の準備にかかります。とにかくお腹が空いていて、龍の話をいちいち取り合っていたのではらちが空きません。

 小さな鉄鍋に水を入れて、火に掛け、そこに干し肉と干しキノコと香辛料を入れて、食材が煮えたら完成。アルゾが作ろうとしているのは遊牧民に伝わるシンプルなスープです。本当ならヤギの乳で煮込むのですが、そんなものはないので、水筒の水で我慢です。遊牧民であれば簡単に手に入るものが街では入手困難で、逆に香辛料や果物は街でなければ手に入らないものが多いのです。そういうわけで、アルゾは王都の兵隊になってからというもの、遊牧民の料理を現地で手に入る食材でやりくりする術を覚えていました。彼は自分の料理が気に入っていましたし、何より、食べるという行為の大切さを知っていました。

 ぐつぐつと煮込まれる食材が、食欲をそそる(にお)いを漂わせます。アルゾは木のスプーンで鍋をゆっくりかき回し、柔らかくなった干し肉と、脂がスープに溶けている様子を見て、満足そうに笑みを浮かべました。

 腹の虫が空腹を教えています。アルゾは今が食べごろと見て、スープの最初のひとくちを食べました。

 うん、野宿の食事としては悪くない味です。

 そして鍋から目を上げると、そこに龍の顔がありました。龍は()き木の向こう側で、膝を抱えて座っています。

 アルゾは、任務の軍資金として銀貨の入った袋を与えられていました。食料も調理器具も、リュックの中のものはすべて、そのお金で調達したものです。龍は腹が減らないものと思っていたので、自分一人の分の食料しか用意していません。

 しかし――夕食といえば家族や同僚と一緒に食べるものだったアルゾにとって、何も口にしていない他人の目に晒されながら食事をする――というのは、楽しい事ではありません。

  それに、彼は、誰かがお腹を空かせているということが嫌いでした。

「食うか?」

 アルゾは龍にスプーンを差し出します。龍はしばらくスプーンを見つめて、おずおずと受けとり、まるで宗教の儀式でもするような手つきで鍋に差し込みました。そしてスプーンいっぱいのスープと肉の欠片をじいっと(にら)みつけて、ゆっくり自分の口に運びました。

「口に合わないなら無理して食わなくていいんだぞ」

 アルゾが念押しします。本音は、自分が食べる分があんまり減ると困るということでしたが、それをいうのはプライドが邪魔します。

スープは熱く、龍は驚いた顔でハフハフと口を冷ましつつ、飲み下しました。それが終わると再び鍋の中にスプーンを突っ込み、一口、また一口と食べていきます。

「おい、おい、俺の分がなくなる!」

 アルゾは龍の手からスプーンをひったくりました。スープはもう鍋の半分ほどになっています。自分の食べる分が減ったのは残念ですが、勧めた料理を食べてもらえたのは(うれ)しい事でした。たとえ相手が龍でも。

「気に入ったか?」

 そうアルゾがきくと、龍は口から白い湯気を吐きながらこう答えました。

「すごい」

 微妙な回答です。

「すごいって、なんだよ?」

「うむ、すごい。味はよくわからなかったが、こんなに熱い料理を食べたのは初めてだ」

「そうか」アルゾは残ったスープを、やはり口をハフハフと冷ましながら食べていきます。「そいや、お前って、普段は何を食べてるんだ?」

 やっぱり龍だから人間とか食べているんだろうか? そう考えて、アルゾが内心で身構えていると、龍は当然という顔でこう回答します。

(わらわ)は本来、食事など必要ない」

「? 何も食わずに生きていけるってことはないだろ?」

(わらわ)はこの世界を満たす魔力そのものを食っている。食事は、不要じゃ」

「人を食ったりはしないのか?」

 その質問に、龍はムッとします。

「人は不味い。八百年ほど前に、(わらわ)の寝床を襲ってきた人間を口で噛み砕いて始末したことはある。じゃが、生臭くてかなわんので、すぐに吐いて捨てたわ」

「食ってんじゃねえか」

「吐いたなら食ったうちに入らん」

「そうかよ。じゃあ、あの不死者とかいう奴らはどうなんだ?」

「パラメシアたちか? あ奴らがどうした?」

「あいつら不死者は人間の血肉を食うというじゃないか。あれはお前の部下なんだから、お前も一口もらったりしないのか」

「あ奴らが人の血肉で料理をするのは知っておる。できた料理を見たこともあるし、献上されたこともあるが、食べたことはないな」

「なんでだ?」

「不死者たちは生の新鮮な血液に含まれる魔力が糧じゃ。(わらわ)はそんなものは必要ないし、そもそも……」

「そもそも? なんだ?」

(わらわ)は血の(にお)いが好かん。奴らの料理はどれも火が通っておらず、血なまぐさいのだ」

 龍の顔つきはどこか不愉快そうで、多分、この言い分は本当なのだろうなとアルゾは思いました。そういえばさっきのスープは干し肉を茹でて出汁をとっていましたし、香辛料も使っていましたから、血の(にお)いなどしなかったことでしょう。


 さて、アルゾはスープを食べ終えると、次に、どうやって寝るかを考えました。リュックの中には毛布もあり、これを身体に巻き付ければ夜の寒さと朝露は(しの)げるでしょう。

 問題は、龍です。

 アルゾが寝ている間に逃げるという心配はしなくていいでしょう。二人をつなげている鎖は頑丈で、壊すには本職の鍛冶屋が使うハンマーやノミが必要です。今の龍では取り外すことはできません。しかし、彼女の両手を自由にしておいたのでは、何をするかわかりません。

 アルゾは自分の手元にある道具や備品を吟味して、どうするかを決めました。

 龍は膝を抱えて、空と月を見ています。

「おい」と、アルゾは龍に声をかけました。「俺はこれから寝るけど、寝てる間にお前が何かしでかしたら困る。だから、お前の手を縛るぞ」

 アルゾの手には皮の紐が握られています。これは、馬具が壊れたときに補修するためのもので、遊牧民にとっては日常の道具です。

 龍は不思議そうな顔をしているだけで、抵抗のそぶりはありません。アルゾはやすやすと彼女の両手に皮紐をかけることができました。龍がアルゾのことを脅威とも何とも思っていないことは彼を密かに苛立たせましたが、同時に、とても仕事がしやすいことは、ありがたいことでもありました。

 龍は自分の両手をぐるぐる巻きにしている皮紐をしばらく見て、引っ張ったり、角度を変えて眺めたりしています。

 龍の力では皮紐をほどけそうにない。そう判断すると、アルゾは

「じゃあ、俺は寝るからな。お前も寝ろ」

 と、それだけいって、毛布にくるまりました。枕の代わりに短剣を頭の下に敷いて、龍が何かやらかしたら即座に反撃できるようにしておきます。アルゾは旅の疲れもあって、すぐ眠りに落ちました。


 ところが、アルゾはすぐに目を覚ますことになりました。誰かが彼の身体をゆすって起こそうとしているのです。

 寝ぼけ眼を開くと、月が煌々と夜空に輝いています。時間は真夜中でしょう。視界に、龍の顔が飛び込んできました。ちょっと困った顔をしています。

「なんだよ。寝てないのか」

「おい、なんとかしろ!」

「なんとかって、何をだ?」

 毛布から上半身を出し、目をこすりこすり(たず)ねると、龍は切羽詰まった顔でこういいます。

「寒い! 眠れないから、なんとかしろ!」

 ()き木はとっくに燃え尽きています。夜の寒さを和らげるものは何もありません。

「寒いって、お前は龍なんだからこの程度の寒さはどうってことないんじゃないのか?」

「知るか!」龍の声には怒りが込められています。「(わらわ)は、極北の氷河でも南の果ての灼熱の地でも、気候に怯んだことなどない。だが、この姿になったせいか、寒さが堪える。とにかく、なんとかしろ!」

「不死身なのに、か?」

「不死身でも感覚はあるのじゃ。どうも姿と同様、人と同じになっているようじゃ」

 龍は腕組みをして、まるで貴族が怠け者の召使いを叱るかのような態度でアルゾを見下ろしています。しかし、寒さのせいかガタガタと細かく歯を鳴らしていて、微妙に滑稽です。

 さすがに可哀想だと思ったのでしょうか。それ以上に、龍を何とかしないと自分が眠れないということが嫌だったのでしょうか。それとも、幼い日に、怖い夢を見た妹に起こされたときのことを思い出したのでしょうか。アルゾは自分の毛布に隙間を作りました。

「ここに入れ。お前も毛布の中で寝ろ」

 龍はちょっとだけ警戒しましたが、おずおずと毛布の隙間に入ってきました。両手を縛られているので、まるで芋虫のような動きです。彼女の身体は冷え切っていて、毛布の中もたちまち冷たくなります。アルゾは慎重に毛布の隙間を埋めて、外気を遮断しました。しばらくたつと、毛布の中は二人の体温で暖かくなってきました。

「寝れそうか?」

 そう聞かれて、龍はこくこくと首を縦に振ります。これでアルゾもゆっくり眠れそうです。二人は一つの毛布の中で、ほぼ同時刻に眠りにつきました。

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