不死者パラメシア
街道を進み、森を抜けて、河を渡り、一行は進みます。不死者たちが異常に気づいて追手を差し向けてくる前に、できるだけ距離を稼がなくてはいけません。だから彼らには休息らしい休息を取る暇さえありません。食料や、代わりの馬は道中で調達します。王子は、行く先々の領地を治める家臣たちに命じて、必要なものを用意させ、旅を続けます。
馬や馬車は取り替えが効くにしても、人はそうはいきません。3日も経つと、一行にも疲れが見え始めました。
「次の街で、一度休憩をとりましょう」と、賢者は提案しました。上級の不死者は空が飛べることを、彼は知っています。空が飛べるなら、そろそろ一行に追いついてくるころです。そのとき味方が疲れ切っていたのでは、迎え撃つこともできないでしょう。
王子はその提案に同意しました。兵士たちにこのことを告げると、彼らは目に見えて嬉しそうな顔をしました。特に少年兵のアルゾは遠慮なく大喜びです。冷たい食べ物ばかり3日も続いていたのが、よほど辛かったのでしょう。
やがて、街道の先に街が見えてきました。王国の東部では一番大きい城塞都市です。守備の衛兵もたくさんいるので、治安も良く、一休みするにはもってこいの場所です。
王子率いる一行が都市の城門を抜けると、市民の歓迎の声が出迎えました。大通りに面した家々の上階から、色とりどりの花が投げかけられます。花は王子の鎧の上に降り積もって、鮮やかな模様を付けました。他の兵士たちも似たような有様です。邪龍がどれほど恐ろしい存在かは、龍の山から離れた地でも、よく知られていました。そして、王子と賢者が王都で龍を捕えた話は、噂話として広まっていました。王都には多数の商人が出入りしていて、人の口に戸は立てられないのです。
これから英雄となる人々が来訪したとなれば、普段から娯楽に飢えている市民たちも、都市の有力者たちも、これを機にお祭り騒ぎをしたいと思うのも当然のことでした。
市長や大商人をはじめとする有力者が、もろ手を挙げて彼らを歓迎しました。
都市の会議場も宿屋も酒場も、すべて龍退治の一行を歓待するためにあけ放たれ、温かいご馳走が用意されていました。一行はおおいに飲み、市民たちと歌い踊り、夜をすごしました。兵士たちはすっかり機嫌をよくして、温かい寝床で眠りました。
こうして都市の住人も龍退治の一行も寝静まったころ。
夜回りの衛兵が独り、ぶつぶつと文句を言いながら巡回していました。彼はこの日の寝ずの番だったので、街をあげて王子の歓迎をしているというのに、飲酒を許されなかったのです。
街のそこかしこに、眠りこける人がいました。誰も彼も、お酒とご馳走の匂い、それから稀に、吐いてしまったあとの、酸っぱい臭いをプンプンさせています。
衛兵は顔に不平と不満と不機嫌を混ぜ合わせた表情を貼り付けて、松明を片手に、暗い道を歩いていきます。
不意に、暗がりから男が現れて衛兵につかみかかってきました。酷い臭いがします。
「なんだぁ? また酔っぱらいか?」
夜回りをしていると、酔っぱらいに絡まれることはよくある事でした。こういう酔っぱらいは適当にあしらって、それが無理なら留置場に放り込んで酒が抜けるのを待つのが通例です。
「勘弁してくれよ」と、衛兵は臭いを我慢しながら、男に語りかけます。「おい、おっちゃん。俺は衛兵だぞ。さっさと手を離さないと、しょっぴくぞ」
男は衛兵の話を聞いていないようでした。手を離すどころか、ますます指に力を込めて、しがみついてきます。
「オイ、離せ。いい加減にしないと、ぶん殴っていうこときかせるぞ」
衛兵は男の手をつかんで振りほどこうとしました。そして、その力が自分よりも強いことに気が付きました。悪臭はますます強くなり、腐敗臭といっていい臭いに……いや、これは死臭です。
闇の中、男の顔が月明かりを浴びてあらわになります。その顔にはドロドロに腐った皮膚が貼り付いていて、口元の鋭い歯だけが月の光を反射して白く輝いています。衛兵はヒッと短い悲鳴をあげて、助けを求めて叫びます。
「大変だ、不死者だ! 街に不死者が紛れ込んでるぞ! みんな起きろ!」
その叫び声に答える声はありません。通りのどこかで、酔っぱらいが幸せそうなうめき声を上げるだけです。衛兵はなおも、危険を呼びかけましたが、その声はやがて助けを求める声になり、おぞましい絶叫で終わりました。兵士の松明は宙を舞い、石畳に叩きつけられて火の粉を散らしました。
そうしてその夜の惨劇が始まりました。
悲鳴や獣のようなわめき声を聞いて、ロムルス王子は目を覚ましました。まだ酒が残っていて、意識はぼんやりしています。悪い夢でも見ているのかと思いましたが、血の臭いが漂ってきて、これは現実だと教えられます。
王子は剣を取り、宿から出ました。街の通りにはかがり火が灯されていて、その光が断片的に街の惨状を浮かび上がらせています。逃げ惑う市民がいて、それを追い回す異様な人影がいます。王子は道端に無残に食い散らされた死体が転がっていること気が付きます。先程の血の臭いの出処はここでしょう。
「食屍鬼か!」王子は襲撃者の正体に気がついて叫びました。
食屍鬼は不死者の中で一番下等な存在です。上級の不死者に血を吸われるなどして死んだ人間が、動く死体となって蘇り人を襲うものです。頭は悪く、武器も使えず、常に飢えに苛まれています。弱いとはいっても、それに殺された人間も食屍鬼となるので、駆除が難しいのです。
王子は宿に取って返すと、客室のドアを片っ端から叩いて、自分の兵士を起こして回ります。賢者も起きてきて、慌てて身繕いを始めます。
「馬車だ! 馬車を守れ!」王子はおっとり刀で集まった兵士たちに命令します。
食屍鬼たちが群れをなして押し寄せてきます。
王子と兵士たちは剣を振り、槍で払い、これをさばいていきました。訓練した兵士たちの手にかかれば、食屍鬼はたいした敵ではありません。しかし問題は、食屍鬼が元は人間であったという事実にあります。
若い兵士の一人が、泣き声のような悲鳴を上げました。彼の目の前には一匹の女性の食屍鬼がいます。それが、つい先程の宴会で一緒に踊ってくれた給仕の女であることに、彼は気がついてしまいました。ふくよかで明るい笑みを浮かべていた女は、いまや虚ろで濁った目を彼に向けています。彼は手にした剣の切っ先を下げ、女を斬ることを躊躇いました。
「馬鹿! 何してる!」
王子が注意を促しましたが、その兵士の耳には届いていません。次の瞬間、女の食屍鬼は兵士の喉笛めがけて噛み付き、態勢を崩した彼の元に他の食屍鬼たちが殺到して、彼はあっけなく餌食となってしまいました。
「怯むな! 押し戻せ!」王子の号令のもと、兵士たちは倒れた同僚を食い尽くそうとする食屍鬼たちを斬り捨てて、陣形を立て直します。賢者は光の魔法で、アルゾは得意の弓矢で彼らを援護しました。
馬車に集まってきた食屍鬼たちをあらかた片付けたところで、王子は笑い声を聞きました。艶やかな女の笑い声です。
声のする方向を見ると、一人の女が上空から王子たちを見下ろしています。
赤い瞳、艶やかにたなびく髪、黒いコウモリのような羽。おそらくは空を飛ぶ魔術を使っているのでしょうか、羽ばたくことなく宙に浮いています。
「わが主を連れ去ったのはお前たちだな?」
女が問います。
「お前は不死者か? 龍がいっていたパラメシアとはお前のことか?」
王子が問い返すと、女は微かに嬉しそうな顔をしました。龍が自分のことを話題にしたのが快感なのです。
「そうだ。私はパラメシア。不死者たちの女王。名前を知っていてくれて光栄だ。第一王子ロムルスよ」
不死者が自分の名前を口にしたのを聞いて、ロムルスは嫌悪の感情を抱きました。
「俺の名を口にするな。汚らわしい不死者めが!」
パラメシアは冷笑で応えます。
「威勢がいいのは今この時までのこと。お前たちの王都でわが主がどうなったのかは、私の耳にも入っている。王子であるお前が大事そうに守っているその馬車には、わが主が閉じ込められているのだろう?」
王子は歯がみするしかありません。この都市の住人さえ知っていることを、パラメシアが知らないはずがなかったのです。
パラメシアは猫なで声のような甘ったるい声を出して、眼下の護送馬車に呼びかけます。
「わが主よ。今しばらくお待ちください。こ奴らを皆殺しにしたあと、お助けいたしますから」
その声を聞いて、龍は鉄格子から外をのぞき見ました。龍は誰かに助けられるという経験が一度もありませんでした。だから、このような状況は新鮮で、龍は面白がっていました。鉄格子から見える視界は狭く、王子たち一行の姿も、肝心のパラメシアの姿もよくみえなかったのが、少々残念でしたが。
賢者が魔法の言葉を唱え、その指先から眩い光の矢がパラメシアに向けて放たれます。しかし、パラメシアが両手で短く印を結び「否定」を意味する古代語を唱えると、たちまち光の矢は消し去られてしまいます。
ルーダリアの賢者は周辺国でも名高い術者です。彼だからこそ、古代語で記された龍を封じる魔法が使えたのです。その彼の魔法が、パラメシアには通用しません。兵士たちの間に動揺のうめきが広がります。
「さあ、お前たちは慈悲深く、瞬時に殺してやろう。そして食屍鬼に作り変えて、王都に返してやろう。お前たちの腐りはてた姿を見た王都のもの共は、きっと、わが主に逆らったことの愚かさを、死に際に悟るであろう」
パラメシアが両手で印を結び、魔法の詠唱を始めます。周囲の空気が焦げ臭くなり、電撃の火花が跳ねまわります。
賢者は対抗して何かの術を唱えようとしますが、それが絶望的な試みであることは、彼の表情を見ればわかります。
そのとき、一本の矢が火花を切り裂いてパラメシアに向けて放たれました。アルゾが仕掛けたのです。パラメシアは面倒くさそうな顔で、片手でその矢を叩き落とします。しかし、印が崩れたために、わずかながら魔法の詠唱が途切れました。
「アルゾ君! 矢を、もっと撃ってくれ!」
賢者の声に、アルゾはうなずきます。彼は左手に弓を、右手には五本の矢をとり、間髪入れずパラメシアに向けて攻撃を続けます。正確に急所を狙っているのでパラメシアは矢を無視することができません。そして矢を凌ぐには印を解かなければなりません。その隙を、賢者は見逃しませんでした。
賢者はアルゾが矢を放つ瞬間にあわせて光の矢を放ちます。それも一本だけではありません。二本、五本、いや七本の光の矢が次々と賢者の指先から放たれます。賢者の魔術を舐めていたパラメシアは、とっさの対応に失敗しました。
一本の光の矢がパラメシアの防御をすり抜けて、彼女の顔面を焼きました。態勢を崩したところにアルゾの矢が襲い掛かり、右肺を貫通されてパラメシアは悲鳴を上げます。そのまま、彼女の身体は石畳の上に叩きつけられ、軽く跳ねました。
「やったか?」王子は我に返り、兵士たちに命令します。「仕留めろ! 奴を再び飛ばせるな!」
兵士たちは、それぞれの武器を構えて、パラメシアに殺到します。パラメシアはぜえぜえと荒い息をついていて、酷く弱っているように見えました。
しかし――
手負いの獣が叫ぶかのような声とともに、パラメシアは起き上がり、両手の爪を伸ばすと兵士たちに切りかかりました。兵士たちの多くは寝起きに参戦したために鎧を身に着けておらず、パラメシアの爪を防ぐ術がありませんでした。彼らは次々に爪の餌食となり、倒れていきます。しかしパラメシアも地上で多数を相手に戦うことには慣れていません。兵士たちの剣や槍は彼女の腹と胸を切り裂いて、その身体を赤く染めていきます。
王子はパラメシアの爪をかいくぐり、間合いを詰めました。そうして、自分の間合いに入った瞬間を逃さず、必殺の突きを放ちます。剣に貫かれる寸前、短い舌打ちとともにパラメシアは跳躍しました。
再び空に飛んだパラメシアは、屈辱に満ちた表情で護送馬車に頭を向けます。
「主よ。次は妹たちを連れて参ります。次こそはお迎えに上がりますゆえ、今しばらくお待ちください」
そう捨て台詞を残して、彼女は飛び去りました。まき散らされる血液の赤い筋が、遠い空に消えていきます。
「逃げられたか」王子は剣を地面に叩き付けました。
「あのまま戦っていたら、負けていたのは我々かもしれません。助かったと思いましょう」
賢者は膝をついてうずくまっています。先ほど光の矢を大量に放った技は、彼にとっても負担が大きかったのでしょう。
夜が明けると、兵士たちは怪我をした仲間の手当をして、まだ都市に残っている食屍鬼を片づけました。食屍鬼の多くはこの都市の住人が転化したものであったため、生き残った住人たちからは抗議を受けましたが、これはどうしようもありません。食屍鬼になったものを元に戻す方法は存在せず、首を切り落として焼くしかないのです。都市の各所で、火葬の火が焚かれました。人々の嘆きの声は、いつまでも止むことがありませんでした。
王子と賢者は、生き残りの兵士たちを集めて、今の状態を確認しました。すでに一行の四人に一人が戦死しているか、戦えない状態にありました。しかもパラメシアには手傷を追わせたとはいえ、まだその姉妹がいるのです。
王子は確認を済ませたあと、賢者に尋ねました。
「つまり、今のまま進んだとしたら我々はどうなる? 率直な意見をいってくれ」
賢者は青い顔で即答します。
「次の街に到着する前に、全滅するでしょう」
「絶望的というわけか」
「恐れながら。しかし、手がないわけではありません」
「何か考えがあるのか?」
賢者は懐から丸薬をとりだして、それを一つ口に放り込み、飲み下しました。酷い臭いがする上に毒性もあるので賢者本人も嫌っている薬ですが、魔術の使いすぎで体調を崩したときには役立ちます。逆にいえば、その薬を使わなければいけないほど、賢者の消耗が激しいのです。
薬のムカつくような臭いが喉を過ぎていくのを待ち、賢者は提案をしました。
「今回、我々があの女を撃退することができたのは、あの女が油断していたからです。不死者は我々が戦ってかなう相手ではありません。今後は不死者に見つからないように行動するべきです。そして、見つかってしまったら逃げるべきです」
王子は逃げるという言葉が不快で顔をしかめます。賢者はそれに気が付かないフリをして、話を続けました。
「我々は目立ちすぎます。護送馬車を兵士で囲みながら移動するのですから、これは当然です。そこで、二つの対策を立てます。一つ目は、この街で護送馬車を複数調達し、いくつか囮の部隊を作って不死者たちの目を騙します」
「ここの市長に協力を仰がねばならんな。それで、二つ目の対策はなんだ?」
「二つ目は、護送馬車はすべて囮として、龍の護送は一人の兵士に任せます」
「なんだと?」
「本物の龍は、護送馬車には乗せません。パラメシアはおそらく龍が馬車の中に閉じ込められているという先入観を持っているはずです。その裏をかいて、龍を馬に乗せ、一人の兵士に護送させるのです。龍は外見上ただの少女にしか見えませんし、腕力も外見相当です。兵士一人でも護送できます。兵士一人と少女一人だけが馬に乗って移動しても、目立たないでしょう」
「なるほど……だがその大役は誰に任せる? 私がやるべきか?」
「いいえ。貴方や私は顔を人に知られています。あくまでも目立たない人間に任せるべきです。万が一、不死者に発見されても、応戦できる能力があることが望ましいでしょう」
「それは、誰のことだ? その口調では心当たりがあるのだな?」
「はい。アルゾが適任かと思います」
「アルゾ? あの少年か?」
王子の脳裏に、先程アルゾがパラメシアに一撃を加えた様子が浮かびます。賢者は続けます。
「遊牧民であるケシュ族の男は、みな騎乗しながら弓を撃つことができると聞きます。あの少年の弓の腕も馬術も確かなものです。たとえ不死者に空から襲われたとしても、応戦しながら逃げることができるでしょう。他の兵士たちにはこれができません。それに、少女とアルゾは外見では同じ年頃に見えます。二人が馬に乗って進んでも、見た目には兄と妹にしか見えないでしょう。あの少年が龍を護送する大役を負っているとは誰も思わないでしょう。もちろん、不死者たちも」
王子は賢者の提案を聞いたあと、しばらく黙っていました。そうして、他にもっと良い計画もないことを認めて、賢者に従うことに決めました。
王子は側近を呼び、市長への連絡をつけるように指示し、自分はアルゾのもとへ向かいました。