不死身の少女
※前回までのあらすじ
黒い龍と、その下僕たる不死者(吸血鬼)におびやかされる世界。
ロムルス王子と賢者は、龍に古代魔法をかけることに成功する。それは、賢者が探し求め、遺跡で発見した「龍をも倒せる魔法」であった。
龍は魔法を受けても傷一つ受けなかった。だが、やがて彼女は、自分の身体が黒髪の少女の姿に変貌していることに気が付く。
少女?
そう、龍は女性だったのです。
何千年も生きてきて、何も成長することがなかった少女です。
退屈を嫌い、怠惰を好み、弱いものを踏みにじる、残酷な少女です。
「龍が相手とはいえ、気が咎めるな」王子は剣を振りかぶりました。「賢者どの。それにしてもなぜ、この姿なのだ? なぜ龍はこんな少女の姿になったのか?」
「この世には魔法で人に化ける魔物がおります。この魔法はその応用で、魔物を強制的に人に化けさせるのです。化けさせるといっても、術をかける側がその外見を選べるわけではなく、魔物の心のあり方に最も近い人間の姿に変えます。今の龍は、見た目通りの力しかありません」
「龍の内面が幼い少女だと? 悪い冗談だ」
王子は剣を振り下ろし、龍の身体を深く切り裂きます。龍は苦痛に悲鳴を上げて、倒れました。龍は覚えている限りで五千年は生きていますが、こんな痛みは初めてです。
黒髪の少女は血を流し、もだえ苦しみ、やがて事切れました。
「終わったか。あっけない龍退治だったな」
王子が剣の血をぬぐっていると、賢者が彼の腕をつかみ、注意を促します。
龍の身体が痙攣しています。ぱっくりと開いていた傷口がたちまち塞がり、生き返ってしまいました。龍の目が動いて、王子の顔を睨みつけます。
王子は驚き、再び剣で龍の喉を突きました。これも間違いなく龍の呼吸を止めて、彼女はごぼごぼと血液に泡を浮かべながら死にました。
しかし、やはり数秒で傷口が塞がってしまいます。盛り上がった肉に押し出されて、王子の剣は甲高い音を立てて石畳に転がります。
「なんだこれは? こいつは不死身だというのか」
「賢者、とやら」龍は笑みを浮かべて、語りかけます。「お前の魔法は面白い。こんな姿になったのは初めてだ。こんな苦痛を受けたのも初めてだ。褒美を取らせてやりたいところである。我が王国を取り仕切っているパラメシアという不死者に、申し出るがいい。最高の財宝をもらえるであろう」
「謹んで、辞退いたします」
賢者は渋い顔でそう返答しました。龍は勝ち誇ります。
「このような姿にされるのは初めてといったが、殺されたのはこれが初めてではない。何人か、人間の英雄や魔法使いのなかには妾を殺せた者がおる。じゃが、妾は幾ら殺してもすぐ蘇ってしまうので、みな力尽きて爪と牙の餌食となったわ」
王子はしばし呆然とします。
「術は龍の力をすべて封じているようだが、不死身であるということは変えられないのか」
「寿命と生命に関する特性は、そのままのようです」
王子と賢者がそう推測していると、龍は胡坐を組み、こんな提案をします。
「術を解いて妾を解放せよ。さすれば、今後百年ほど、この王国には手を出さないでおいてやろう」
「ふざけやがって!」成り行きを見ていた兵士の一人が叫びます。「ロムルス様。こいつを火炙りにして殺しましょう。灰にしてしまえば、不死だろうが何だろうが復活できないのではありませんか?」
その兵士の顔には、まだ真新しい火傷があります。きっと龍が起こした火災で痛い目に遭ったのでしょう。他の兵士たちからも、賛同の声があがります。
「殺された奴らの敵討だ!」
「復讐だ!」
「邪龍に死を!」
怒りの声は熱を帯び、野蛮で残酷な歌となって龍を取り囲みます。当の龍は涼しい顔をしているのですが。
「よろしい。やってみよう」
王子が許可すると、兵士たちは喜び勇んで火炙りの刑の準備をしました。
たくさんの薪を広場に積み上げて、その中心に龍を縛り付けて着火します。
王国の民や兵士たちは、炎にまかれて焼かれる龍の姿を見て、快哉の声を上げました。しかし、薪がすべて炭となって燃え尽きたあと、その中心には、最初と変わらぬ龍の姿があります。龍はあくびをして、人々は涙を流して悔しがりました。
「やはり、こうなりましたか」
賢者は独りごちて、懐から金属製の首輪を取り出しました。そしてそれを、龍の細い首に取り付けます。
王子がそれは何かと尋ねると、賢者はこう答えます。
「これは古代遺跡で魔法の書と一緒に見つけた首輪です。人に姿を変えられた人ならざるものに、術を解かれぬために付けておくものです」
「その首輪が外されない限り、龍はこの姿のままというわけか」
「左様でございます」
しかし龍は鼻先で笑います。
「妾にはたくさんの下僕がおるのじゃ。その誰かがこの首輪を外し、術を解けば、次の日にはお主たちはすべて炭の塊になっているであろう」
不安そうな声が、兵士たちの間に広がります。王子は龍の胸を剣で一突きして、ひとまず黙らせました。
ふたたび蘇る龍を前に、賢者がこう提案しました。
「王子。龍を殺すことはできないようです。しかし、奈落に投げ込むことはできます」
「奈落、だと? 地獄に通じる巨大な穴のことか? 話は聞いたことがあるが、迷信だとおもっていた」
「迷信ではありません。かつて天地創造の折に創造神と魔王が戦ったとき、魔王が突き落とされたという奈落の穴は、実在しております。私は若いころにそれを自分の目で見ました。ここから東へと十日と十晩馬で走ったところにある、この王都ほどの大きさのある真黒い穴でした。その奈落の底に、この龍を封じるのです」
「それで、龍は死ぬのか?」
「わかりません。しかし、奈落に落とされた者が戻ってきたという記録はありません。戻ってこれないのであれば、少なくともこの世界にとっては死んだのと同じことです」
ふむ、と王子は鼻を鳴らし、思案しました。
「もしもこの龍を奈落に落とそうとすれば、当然、不死者どもが襲ってくるであろうな」
「はい、間違いないでしょう」
「だが、龍をこの姿のまま牢獄に閉じ込めておくのも難しかろう」
「龍の山に住む不死者は恐るべき魔術を使うと聞きます。たとえ兵士と私が寝ずの番を続けたとしても、持ちこたえるのは難しいでしょう」
「そうだな。他に良い方法もなさそうだ」
王子の腹は決まりました。彼は兵士たちに向かい、声を張り上げました。
「すべての国民、兵士たちに告げる。私と賢者殿で、この龍を奈落へと投げ込む。これで龍は退治されるであろう。しかし、奈落までの旅は龍の下僕たちの妨害を受けること間違いないであろう。精鋭の兵と騎士を集めて、護送する。だが、あまりにも危険な旅ゆえ、志願者のみとする。出立は明日の明朝。我こそはというものは、直ちに名乗り出て欲しい」
たちまち何人もの兵士たちが手を挙げました。
王子と賢者は、側近の騎士に人選をまかせ、王の元へと向かいました。
奈落までの戦いは、とても過酷なものになるでしょう。王子は父王に、これから自分が行かなければいけない冒険について説明しなければなりませんでした。そして、戦死した場合に備え、王位継承権を誰に譲るかを遺言しておかねばなりませんでした。
次の日の朝、選抜された戦士たちは続々と城門に集結しつつありました。
頑丈な樫の木でできた、囚人の護送につかう馬車が用意され、龍はその中に閉じ込められました。馬車には鉄格子がついていて、中を確認できますが、とても小さなものなので、そこから龍が逃げ出すということは不可能です。
馬術と武術に優れたえりすぐりの兵士と騎士が、その周囲を固めます。
王子は鎧と剣を身に着けて、愛馬にまたがって現れます。その後ろには、馬におっかなびっくり乗っている賢者がいます。
民衆は喝采を上げ、あるいは、旅の無事を祈りました。
王子は護送馬車の鉄格子を覗き込みました。馬車の暗がりにはもちろん龍がいて、機嫌悪そうに王子を睨みつけます。龍とはいえ、少女の姿をした存在を裸のままにしておくのは気が咎めたために、下着と肌着を身に着けさせています。ですから、龍は傍目には薄着の少女にしか見えません。
次に、王子はこれから苦楽を共にするであろう部下たちを一瞥します。いずれも体格に優れ、眼光鋭く、重そうな鎧と武具を軽々と扱い……いや、一人例外がいます。
あきらかに若く、少年といっていい顔立ちと体格。赤毛にソバカス。身に着けている鎧は革製です。武器は腰に付けた短剣と、背中に負っている弓矢だけです。その若すぎる兵士を見て、王子は声を出してしまいます。
「なんだお前は? お前のような兵士が選抜されたというのか?」
馬鹿にされたと感じたのでしょうか。少年兵は息を吸い込みつつ胸を張り、精一杯に自分の体を大きく見せようとしました。
「俺はケシュ族の戦士、アルゾ。弓と馬の扱いでは、誰にも負けません」
「ケシュ族? 西の遊牧民か」
そこに、王子の側近が現れて、後ろから耳打ちしました。弓の扱いが上手な兵士は、龍の襲撃で大半が戦えない状態にあり、健康な生き残りの中で一番弓が上手いのは、このアルゾしかいないというのです。
少年兵を連れて行くということに、王子は少し悩みましたが、他に人材がいないのでは仕方がありません。
「よろしい。同行を許そう」王子はアルゾに告げます。「だが、少年兵とはいえ特別扱いはしない。危険になっても誰かが助けてくれることは期待するな。戦力にならなければ置いていく。それでもいいな?」
「はい!」と、アルゾは無駄に元気な声で返事をします。王子は苦笑しました。
やがて、出立の時間になり、王子は部下に向かって檄を飛ばします。
「この旅が終わるときは、龍が永遠に滅びるときだ! 我々は龍殺しとして、歴史に名を刻むだろう! 子々孫々まで語られる、英雄になるのだ! さあ、出発だ!」
城門が重い音を立てて開き、一行は、一路東へと向かいました。