opti“misa”tion (最適化)
私の名前は小渕ミサ。
小さい頃から日常に溢れかえっている非効率なものが気になって、それを解決しているうちに天才少女と呼ばれるようになった。
プログラムを組めば数秒で解決できる作業を、大人数で何日も時間をかけていたり、ちょっと見る角度を変えればもっと上手くいくのに、その努力をせず既存の枠の範囲で無駄な努力をしようとする大人たちを不思議に思っていた。
少し大きくなって気付いたのは、大人たちはそんなことには気付いているけれど、「それをしたところで自分の給料が上がるわけではない。もっと面倒な仕事が舞い込んでくるだけ」と思っていて、世の中を良くしようという発想は皆無だということだった。
私も興味の赴くままに研究をしているだけで、世の中を良くしようという気は微塵もないのだけれど、目についた非効率なものをほっとくのが気持ち悪く感じてしまう性格で、物事を効率的に最適化するにはどうすれば良いのか考えるのが好きだった。
あらゆる需要と供給を満たしていくのが世の中の功利を最大化する唯一の方法だと思っている。
最大多数の最大幸福、ベンサムやミルが唱えた功利主義。批判も多いが、これほど綺麗でわかりやすい善はないだろう。
需給ギャップを埋めることこそ世の中の最適化、最高善だと考える。
これを追求するのが楽しくて、他のなにもかもを忘れて研究に没頭しているのだ。行き着く果てには何があるのか? それを私は知りたい。
しかし、大体のことは何とかできる私だけれど、どうしようも解決できない問題が1つだけあった。
人が死ぬということ。
身内の余命が近いと分かると人々は私に助けを求めた。
「どうにか回復させられませんか?」「もう少し余命を伸ばすことはできませんか?」「人を生き返らせる研究はしてないのですか?」
人は必ず死ぬ。歴史上死ななかった人は1人もいない。もしかしたら、いずれ人が死なない社会が来るのかもしれないが、現代の医療技術のレベルでは、人が死なないなんてありえない。
必ず死ぬ。
あなたも、私も。
先日、余命の近い白血病患者の男の子の家族が私を訪問してきた。
また「回復させろ」「寿命を伸ばせ」「生き返らせろ」など要求されるのかと思ったが、男の子の要求はただ1つだった。
「学校に行きたい」
これならば、私にもなんとかしてあげられそう。
私の友達に、学校に行きたくない女がいるの。




