番外編 『直美ちゃん』と『直美』
(遅いなぁ……)
目を皿のように凝らして駅から流れてくる人並みを観察するけれどおじさんの姿は見つからなかった。
わざわざおじさんの仕事が終わる定時ごろからずっと待機しているのに、全く帰ってくる気配がない。
(残業なのはわかってたけどさぁ……きょぉも遅すぎるよぉ……まさか見落としちゃって、先に帰っちゃったとか……?)
すれ違いの可能性を考えるとすぐにでも家に戻って確認したくなる。
だけど同時に次の電車で帰ってくるかもしれないと思うと、どうしてもここを離れられない。
家で待っていたほうが確実に会えるとはわかっているのだ……だけど私は少しでも早くおじさんに会いたい。
(はぁ……もぉ十時過ぎだぁ……流石に補導されたら不味いし……早く帰ってきてよおじさぁん……)
祈るような気持ちで私は駅前をうろつき、電車が入ってくるたび入り口に注目する。
おじさんにはここで待っていることは伝えてない、だから私が見つけないと向こうは絶対に気づかないだろう。
何せ最近のおじさんは頭を落として下ばかり見ている……そしていつだってうつろな活力のかけらもない表情を浮かべている。
(お家でもぼんやりとしててご飯もろくに食べないで……本当にだいじょうぶなのかなぁ……)
おじさんの両親が亡くなってからずっとこんな調子だ。
それでも私の前では……私に構ってくれる時だけは笑顔になってくれる。
だから私は出来る限りおじさんと一緒の時間を過ごすようにしている……少しでも心を癒してあげたくて。
(直美が辛いときはいつだっておじさんが助けてくれたんだもん……今度は直美の番なんだ、どんなことをしてでもおじさんを支えてあげなきゃ……)
両親や祖父母、果ては周りにいる全ての人に見捨てられてた私をおじさんだけが助けてくれた。
餓死する寸前で抱き上げられたあの日の温もりは今でもはっきり思い出せる。
あの思い出があるから私はまだ生きていられる……この辛いことばかりの世界で生きていこうと思える。
(早く会いたいなぁ……会って抱き着いて思いっきり甘えて……そしたらきっとおじさんは笑顔で私を撫でてくれて……って違う違う、直美はもう大人なのぉ……それに直美が甘えさせてあげる番なのっ!!)
少し気を抜くとすぐにおじさんに甘えたくなる……寄りかかりたくなる。
だけどそれでは駄目なのだ、ただでさえ今までずっと私の面倒を全て押し付けてしまってきているのだ。
せっかくこの歳まで成長したのだ、自分で出来ることは自分でやって少しでもおじさんの負担を減らさないといけない。
(出来れば色々と……癒してもあげたいんだけどなぁ……直美まだ子ども扱いされてるからなぁ……やっぱりどうにかしてお金稼いで自立したほうが……)
ため息をついて近くの椅子に腰かける。
そうして通り過ぎる人波を見つめると、チラチラとこちらを見てくる男の人が居るのがわかる。
そのほとんどが……嫌らしい目付きをしていた。
(こんな格好してるから仕方ないんだけどさぁ……本当に嫌になるなぁ……)
おじさんに余計な負担をかけたくないから家に残ってたあいつの洋服を着ているが、はっきり言って肌が露出しすぎだ。
最初は物凄く恥ずかしかったし、未だにこの視線には慣れない。
だけど仕方ない、こんなことで少ない生活費を使うわけにはいかないのだから。
(だけど、売春とか……したほうがいいのかなぁ……?)
この格好にしてからたまに声をかけられることがある、そしてそのたびに迷う。
提示される金額はかなりのもので、回数をこなせばきっと人を一人養うことができるはずだ。
(そうすれば直美の生活も……おじさんのことだって養える……仕事さえ辞めれればあんな辛い顔せずに済むよね……)
おじさんは私へのお小遣いや、目に見えない所で生活費をきっと負担している。
そうじゃなければあんな辛い顔をしてまで、行きたくもない会社に通い続けるはずがない。
だからその問題さえ解消してあげれれば……そのためなら私はどんなことでも耐えられる。
(おじさんが元気になって……幸せそうに笑っててくれれば直美はそれで十分……だけど……)
それでもどうしても一歩を踏み出せないのは……私の我儘だ。
ずっとまともじゃない人生を歩んできた、多分これから先も普通の幸せは望めないだろう。
だからこそせめて……初めてぐらいは愛する人に捧げたい。
(おじさんが手を出してくれれば……いっその事こっちから襲っちゃおうかなぁ……)
どうせおじさんは私のことを子供としか見ていないだろう……少なくとも恋愛対象にはなっていない。
そんな人だから好きなのだけど、だからこそ色々と誘惑しているが未だに効果は薄そうだ。
(きょぉも戻ってきたらたくさん胸を押し付けてアピールしてやるんだからぁ……直美はもう子供じゃないんだぞぉ……だから早く帰ってきてよぉ……)
またしても電車が入ってきて人がたくさん出てくる、だけどおじさんの姿はない。
ため息をつきながら携帯電話で現在時刻を確認する。
(毎日毎日こんなに遅くまで残業だなんて絶対におかし……ま、まさか途中で変な事考えてたりしてないよねっ!?)
不穏な考えがチラついて、慌てて頭を振って紛らわせようとするけど不安は増すばかりだ。
だって私にはおじさんしかいないのだ……おじさんだけが全てなのだ。
そのおじさんが居なくなることなど想像ですら耐えられない、少し考えただけで息が苦しくなる。
(嫌だよおじさん……直美を置いてっちゃ嫌だよぉ……どうしても耐えられないなら直美も一緒に連れて……あっ!?)
涙がこぼれそうになったその時、駅からおじさんが出てくるのを見つけた。
急いで駆け寄ろうとして、だけど寸前で留まる。
(こ、こんな顔見せたら心配させちゃう……笑顔笑顔っ!!)
涙をぬぐって手鏡で笑顔の練習をする。
強張っていた顔を手のひらでほぐして、何度も顔を上げておじさんの後姿を眺める。
(もぉ遅いんだからぁ……けどまた戻ってきてくれたんだね、直美のところに……)
おじさんの姿を見つめていると、それだけで私は元気になれる。
ようやくいつもの笑顔に戻れた私は、勢いよくおじさんに飛びついた。
「お~じ~さ~んっ!!」
「うぉっ!? な、直美ちゃんっ!?」
「つ~かま~えた~っ!! GOGOっ!!」
「ど、どこに連れてく気なのっ!?」
私に腕を取られると抵抗することなく引かれるままについてくるおじさん。
その弱々しさに少し悲しくなるけど、同時に私を見て困ったようにしながらも口元を緩ませているのが分かって嬉しくなった。
(おじさんたらぁ、直美のこと好きすぎるんだからぁ……えへへ……)
私もどんどん心が温かくなっていく、自然と顔が緩んでしまう。
自分を取り囲む環境も不幸もどうでもいい、こうしておじさんと一緒にいるだけで私は……満足だ。
「おじさん、ごちそうさま~」
「ちょ、ちょっと待って……っ」
そのまま私はおじさんを食事処へと連れ込んだ……こうでもしないとすぐ食事を抜かそうとするからだ。
別に私が食べたいわけじゃない……嘘、本当は私が一緒に食べたいだけ。
何でもいいから一緒に何かをしたい、おじさんと少しでも長く一緒にいたい。
(あららぁ、おじさんたらぁ私をそんなに見つめちゃってぇ……もっと感情に素直になっていいのになぁ~)
会話の流れで私のスタイルに言及すると、自然とおじさんの視線が露出している面をなぞり始めた。
他の男なら嫌になるところだが、おじさんになら見られても嬉しいだけだ……むしろ直接触ってほしいぐらいだ。
「一回千円で好きなところ触っていいからねぇ……月賦もリボ払いもOKだからさぁ」
だからさりげなく誘ってみる。
本当はただでもいいけどそれだと逆に気にしてしまいそうだからあえて値段をつけた。
(まあこんな誘惑に乗ってくれる人なら楽でいいんだけどさぁ……)
「いいんだね、直美……触るからね」
「ふぇっ!?」
そう思ったのに、予想外にもおじさんは……にこやかに笑いながらこちらに近づいてくる。
(えっ!? お、おかしいな……だっておじさんは……じゃ、じゃなくて史郎さんは……あ、あれれっ!?)
何かおかしいと思っている間にも史郎さんは私のそばに近づいてきて、そっと手を伸ばしてきた。
もう頭は混乱寸前で、動けないでいる私の顔に史郎さんは……パチンと平手打ちした。
「い……いったぁああいっ!? な、何すん……っ!?」
「ままぁ……もりゆきがおなかへってきたみたいだよぉ……」
「え? えぇっ!? あ、ゆ、ゆきなっ!?」
痛みに目を開けた私は目の前の光景に一瞬戸惑い、すぐに全てを理解した。
(ゆ、夢かぁ……な、何であんな懐かしい夢を……?)
私と史郎さんが一番大変だったころの……そして一番愛し合っていたころの夢。
とても懐かしくて、少しだけ浸りたくなる。
「ままぁ、おじかんもたいへんだよぉ?」
「え、ええとぉ……ああ本当だぁっ!? 起こしてくれてありがとうゆきなっ!!」
しかしゆきなの言葉で現実に立ち返ると、私は慌てて朝食の支度を始めた。
(ああもぉ大変だぁっ!!)
子供が二人も出来て、私は専業主婦として毎日が大忙しだ。
お陰で史郎さんと愛し合う時間も減ってしまった……だけどあの頃に戻りたいとは思わない。
だって私は……そして多分史郎さんもあの時よりずっと幸せに成っているのだから。
(だけど危うかったなぁ……あの頃の私は……)
身体を売ることすら選択肢に入れていた私、一歩間違えれば母親と同じ様な運命をたどっていたかもしれない。
結局はしなかったが、もしも史郎さん以外に抱かれていたら……あの人のトラウマから考えても今の生活にはたどり着けなかっただろう。
(まあ若気の至りと言うか……私も結構追い詰められてたんだろうなぁ……)
「ふぇぇ……ねぇちゃ……」
「もうすこしのがまんだよぉもりゆきぃ……ままががんばってるからねぇ」
弟の守幸をあやしているゆきなの声が聞こえてくる。
それだけで私は、かつて史郎さんと居た時のように顔が緩んでくる。
本当によくここまで幸せに成れたと思う……下手したら私は世界一幸せ者なんじゃないかとすら思える。
(史郎さんと協力したからこそここまでこれたんだろうなぁ……これからも壊さないよう二人で協力していかないとっ!!)
強く決意しながら私は朝食の準備を済ませて、御寝坊さんしている愛する旦那の元へと向かった。
「直美ぃ……ぐぅ……」
ベッドの中で寝言で私の名前を呼びながら、唇を尖らせている史郎さん。
一体どんな夢を見ているのだろうか、わからないけれど私の名前が出てるだけで嬉しくなる。
だからそっと顔を近づけて……キスして起こしてあげることにした。
「……ふぅ、どうだぁ」
「んぅ……んんー」
しかしいくらキスをしても目を覚まさない……どころか物足りないとばかりにもっと顔を押し付けてくる。
仕方ないからもっと相手をしてあげようと再度顔を近づける。
「ままぁ~、もりゆきないちゃうよぉ~」
「わ、わかってるからぁっ!!」
しかし時間が許してくれそうもない。
私は後ろ髪惹かれる思いでキスを断念すると、未だに目覚める気配のない史郎さんを叩き起こすことにした。
「起きなさぁいっ!! いつまで寝てるのぉおおおおっ!!」
「うぉっ!?」
ようやく目を覚ました史郎さんは、何か落ち着かない様子で室内を見回した。
そしてすぐに私を見つけるとすぐに笑顔になり……同時に何か物足りなそうな顔をした。
「ほらほら、早く起きてご飯食べて仕事行くのっ!!」
「……あ、あのさぁ直美ぃ……」
「ん? 何か文句でもあるのぉっ!?」
「い、いや久しぶりにおはようのキスを……」
(さ、さっきいっぱいしたでしょぉがぁあああああっ!! 鈍いんだからぁあああっ!! 私だってもっとしたかったのぉっ!!)
人の気持ちも知らずに唇を尖らせる史郎さんに、八つ当たりだと分かっていながらも私は叫び声をあげるのだった。
「あのねぇ……さっきからゆきな達がお腹空かせて待ってるのぉっ!! そんなのは後回しっ!! ほら急いでぇっ!!」
「わ、わかったから引っ張らないでぇっ!!」
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