雨宮と霧島
「霧島……」
「…………なによ、笑いに来たの?」
「……隣、座っても良いか?」
「……勝手にすれば」
直美と共に、公園のベンチで横になったまま上体すら起こそうとしない幼馴染の隣へ腰を下ろす。
ちらりと幼馴染へと目をやれば服はあちこちがほつれて汚れた肌が見えて……異臭もしている。
恐らくろくに食事もとれていないのだろう……体力的にも精神的にも野宿生活はよほど堪えているらしく、その姿にもはや覇気も活力も見受けられなかった。
(前に会った時も酷かったけど……これは予想以上だな……)
ある程度承知の上で来たつもりだが、こうまで落ちぶれているところを見ると何やら言葉が出てこない。
とても見ていられず視線をそらし、見覚えのある公園の中を見回す。
「……幼稚園ぐらいの時、ここでよく追いかけっこしたなぁ」
「……ここじゃない、ピンクの公園」
何気なく呟いた言葉に、期待していなかった返事をする幼馴染。
横目で見るとその両目は自らの腕で隠されていて、どのような表情で口にしているのかはまるで分らない。
「ピンクの公園って……あの滑り台があるところか、そうだったっけ?」
「そう…………あれ好きだったから……」
言われてみれば、幼馴染はピンク色の滑り台を好んで遊んでいた記憶がある。
そして思い出した、どこかに遊びに行くときはいつだって幼馴染の意見を聞いて……いう通りにしていたことを。
「あんたは……こっちで遊びたかったんでしょ、あの大型ブランコで……」
「それは小学生になってからだよ……今考えれば何であんな危険なものに乗りたがったのやら……」
「…………それは嫌味のつもり?」
「いや、そんなつもりじゃ……というかなんで嫌味に?」
「あんたはあの頃……私と一緒に遊べること以外しなかったじゃない……」
(そうだっただろうか……全く覚えてない……)
覚えているのは、何かにつけて幼馴染の意見を聞いて……共に行動していたことばかりだ。
そんな関係に変化が訪れたのは……霧島のほうが俺の後ろを付いて回るようになったのはいつからだっただろう。
「……中学生の頃は、お前が俺に付き合ってくれてたんだよな?」
「……もう少し前……四年生ぐらいから……」
「そんなに早かったっけ?」
「忘れん坊……昔はあんだけ私に文句つけたくせに……そうだよ、間違いない……あの男が浮気し始めて……あの女がイライラしながら見てみぬ振りし始めた頃だから……」
「そうか……」
幼馴染の言葉は初耳だった、そんなことで悩んでいることなどまるで知らなかった。
尤も当時小学生の俺が隣とは言え別のお宅の事情を察するなど無理な話だ。
「そう、だから私は……あの女みたいに惨めにはなりたくないって思って……良い女を目指して努力してた……つもり、だったんだよ……」
「それで中学生になってからも興味のないゲームに付き合ってくれてたのか……」
「なんだ、バレてたの……じゃああの頃余り私を遊びに誘わなくなったのって……気を使ってたってこと?」
「はっきりと意識してたわけじゃないけどな……それにお前とは朝起こす時から学校が終わるまで……夕食後から寝る前も……放課後の僅かな時間以外ずっと一緒だったから……それで俺は満足してたんだよ」
寝坊する霧島を起こして、遅刻しないようその手を引っ張りながら一緒に登校して……夕食後も窓越しにその日の他愛のない出来事や明日の宿題などを話して……それだけで十分楽しかったのだ。
だからそんな大切な時間が壊れないよう、霧島が成績で落ちぶれたりしないよう厳しいことも言うようになった。
(それでも結局何も改善してくれなかった……勉強もろくにしないから成績も上がらないで……あんな学校に行く羽目に……)
「…………」
「…………」
話の流れで高校時代の嫌な思い出が蘇ってしまう。
霧島も同じなのか、俺たちはしばらく無言で佇んでいた。
「……あんたはさぁ、とーるおじさんのこと何か覚えてる?」
その空気を変えようとしてくれたのか、或いは単純に興味があったのか……不意に直美が話題を提供した。
「……忘れられるわけないでしょ、あんな馬鹿……いつだってこいつとイチャイチャしてたし……それに……」
「べ、別にイチャついてたわけじゃ……」
「よく言うわよ、中三の文化祭であんたたちがしたこと……忘れたとは言わせないわよ……」
「えぇ……や、やっぱりしたの? 女装してレ……」
「違うから、そんなじゃないって……ただ二人で肩組んであちこち見て回っただけだよ……」
珍しく霧島が俺とではなく友達と一緒に行動したいと言ったから……少しだけ嬉しくて結構辛くてやけくそ気味にあいつのノリに付き合ったのだ。
「それだけじゃないでしょ……よく家にも呼んで泊りがけで遊んだり……あいつの家に泊まりに行ったり……私とはしなくなった癖に……」
「……隣に住んでるからそこまでして遊ぶ必要を感じなかっただけだ……それに年頃だったしな……」
親しい異性ということで、どうしても色々と意識することが増えて……だけど二人の仲を壊したくなかったから頑張って隠していたのを覚えている。
「……私が他に友達いないって知ってたくせに……もっと相手してくれれば……」
「友達いただろ……特に中三になったころは……」
「同じ高校行く奴らだから孤立しないように話してただけ……そんな親しかったわけじゃないわよ……」
「……それも知らなかったな」
ゲームオタクだった俺は余り女子に好かれていなかった。
そんな俺が他の女子と居る時の霧島に近づくと、本人も困ったような顔をするから距離を置くしかなかったのだ。
「あれもそれも知らないって……あんなに一緒に居たのに……」
「一緒に居ても……やっぱり口にしないと分からないことはあるよ……」
当時の俺も勘違いしていたことだ。
隣に住んでいて小さいころから一緒で何でも知ってるつもりで……だから言葉にしなくても通じ合っていると思い込んでいた。
少し前に直美とすれ違いかけて、ようやく気付いたことだ。
(どんなに仲が良くても別の人生を生きてるんだ……ちゃんと大事なことは言葉にして話し合うべきだったんだろうなぁ)
「……私はわかってたよ、史郎のことは全部わかってた」
「……何を分かってたんだ?」
「…………全部」
「だから全部って何だよ?」
「全部は全部っ!! 私はわかってたっ!! だから頑張ってたっ!! だけど史郎は私のことなんかどうでもよかったんでしょっ!!」
唐突に上体を起こしてヒステリックに叫ぶ霧島、露わになった目元には涙の痕がはっきりと残っていた。
「どうでも良かったらあんなに面倒見るわけないだろ……」
「嘘っ!! だってあんた、あの後全然私に話しかけなくなったっ!! 無視するようになったじゃないっ!!」
「お前が話しかけるなって言って……一方的に無視し続けてたからもう何も言えなかったよ、それに俺はショックで声出せなくなってたし……」
「な、何よそれっ!? 私が悪いって言うのっ!?」
「前に会った時も言ったけど霧島が悪いだなんて思ってない……やり方はえげつなかったけど、お前はお前で好きな人と付き合うために色々やってただけだろ……その点は別にもう怨んじゃいないよ」
霧島と目を合わせてはっきりと言ってやる……トラウマを作った張本人を前に、もう詰まることもなく過去を過去だと言い切ることができた。
「違うっ!! あれはあの男が……私は騙されてただけっ!! 被害者なのっ!! 若かったから分からなかっただけっ!!」
「……かもしれないがその道を選んだのはお前だ、あの男を信じて付き合うと決めたのもお前の意思だろ?」
「だ、だから私は騙されてて……史郎がもっとちゃんと止めてくれれば私は……私だって……」
「どうやって止めるって言うんだよ、俺だって当時は学生だぞ……あれ以上できるわけないだろうが」
(強いて言うならもっと早くに男の俺が告白を……いや、もう考えても仕方ないことだが……)
直美の時もギリギリだった、ある意味で俺のヘタレさは改善すべき問題かもしれない。
尤も今考える必要はない、後でゆっくりと直美と二人で話し合えばいい。
だから今後の課題は置いておいて、今は目の前にいる霧島との決着を優先しよう。
「してよぉ……私のこと好きならもっと情熱的に……力強く引き留めてよぉ……そうしてくれれば何もかも上手く行ってたのにぃ……」
「そんな訳ないだろ、俺一人の努力でどうにかなるものかよ……」
「実際にあんたらはそんな幸せそうじゃないのぉ……そいつにはしてやってるんでしょ……ずるいよぉ……ずるいずるい……」
「全然違う、俺たちの関係は俺一人で頑張って維持しているんじゃない……二人で協力して支え合っているから上手く行ってるんだ」
「そうだよ……私たちはお互いに助け合って何とかここまでの関係になれたんだよ……」
最初は幼い直美を育てようと俺は一人で頑張って潰れそうになった。
潰れそうになった俺を直美は奮起させようと頑張って、やっぱり色々と抱え込んでしまった。
「こうまで幸せになれたのはつい最近だ……お互いに色んなことを曝け出して話し合うようにして……やっと幸せになれたんだよ」
「史郎さんは私が幸せになれるよう協力してくれたの、だから私も史郎さんが幸せになれるように協力したの……」
直美の言葉で前に亮が言っていた、幸せにしてあげたいのかなってほしいのかという問答が思い出される。
「結局個人個人で臨む幸せの形なんか違うんだ、だからちゃんと話し合って協力し合うしかないんだ……他人が勝手に、こうだと決めた幸せにしてやるだなんて傲慢じゃあ……本当の幸せには届かないと思う」
「……何よそれ、わけわかんない」
「まあこれは俺の……俺たちの出した結論だからな……分かってもらおうとは思わないよ」
ただ霧島は仮にも付き合っていたあの男と一緒に幸せになろうと努力していたようには見えなかった。
向こうの男の思惑がどうであれ、霧島もまた自分が楽な思いが出来るよう……自分の楽しみだけを優先して行動していた気がする。
(あの男がもしまともだったとしても……それじゃあ長続きしないよなぁ……)
「……嘘つき……そうやって馬鹿な私を見下して笑いに来たくせに……」
「違うよ、そうじゃない」
「他に会いに来る理由なんかないじゃない……もうちょっかいだって出せないんだから……」
霧島の言う通り、俺たちが結婚したことで警察も役所も余計な干渉をしてくることは無くなった。
更には既に引っ越しも完了している、住所も知らず電車代もない霧島ではもう嫌がらせすらできない。
「少し話があって探してたんだよ……まだ時間良いか?」
「勝手にしなさいよ……尤もその間に借金取りが来たらあんたらも巻き込んで……」
「それなんだけどな、ほらこれ見ろよ」
「……新聞なんか今更……っ!?」
鞄から取り出した新聞を渡してやると、ある記事に気づいた霧島は驚いたように目を見開いた。
「こ、これ私を監禁してた……そ、それにこの店……っ」
「そこまで大きな組織じゃなかったみたいでな……結構あっさりと片が付いたみたいだ」
どうも亮が手に入れた携帯のデータが決定打になったようだ。
その連絡先から直接動いた奴らは殆どお縄になったし、黒幕も現在進行形で亮たちが追い詰めているところだ。
(亮の奴、まるでこの手の経験があるみたいに的確に動いたみたいだし……本当に何をやってんだか……頼りになり過ぎるよ……)
「もちろんここで嵌められて作った借金はもうチャラになってる……ほら、お前の借用書だ」
「っ!?」
俺の手から奪い取る様に借用書を掴むと、勢いよく破き捨てる霧島。
「はぁ……はぁ……うぅ……な、なんでこんな簡単にぃ……私あんなに苦労して……こんな真似してまで逃げ回って……バカみたい……」
霧島の言葉に何も言ってやることができない。
確かにいくらでも手段はあったし、相談する場所もあった……だけど自分勝手に勉強もせず生きてきた霧島にはそんなこと思いつきもしなかったのだろう。
(俺だって知り合いに沢山迷惑かけて……協力してもらえたからだもんなぁ……)
そう言う知り合いが……友達すらいなかった霧島が哀れですらあった。
だからと言ってこいつが俺たちにしてきたことを……そして今後してくるかもしれないことを許容する気にはなれない。
(今度という今度こそ俺たちの関係を……終わらせよう)
ようやく俺は一番の目的である書類を取り出し、霧島へと差し出した。
「……これにサインしろ」
「うぅ……な、何よこれ……?」
「接触禁止……簡単に言えば二度と会わないって言う誓約書だ」
「っ!?」
淡々と告げてやると、霧島は目に見えて表情を歪ませた。
「俺たちは俺たちの人生を生きていく……もうこれ以上お前に関わる気はないんだ」
「な、何よそれ……私に関係ないところで幸せになろうってのっ!! そんなの認めると……」
「サインするなら最後に餞別をやる……」
「せ、餞別って……そんな下らない物で私は……っ!?」
俺が差し出した鞄を押し返そうとした霧島だが、中身を見せてやるとぴたりと固まった。
「元々俺が住んでた家と土地の権利書、それと当座の生活費で百万……」
「な、な……何で……っ!?」
混乱している霧島、その口から洩れた言葉が何を尋ねているのかはわからないが出来るだけ答えてやることにする。
「お前が昔住んでた家は処分するらしいからな……電気ガス水道は今月分は払ってあるし、そこで暮らして身支度を整えて働く場所を探せば何とかやっていけるだろ……」
「家具も化粧道具も洋服もさいてーげん残してあるから……あんたのベッドも運び込んどいたよ」
「これが俺と直美なりにお前への感謝の気持ちだ……」
「か、感謝……私に……」
呆然と呟く霧島に俺たちは頷いて見せる。
「お前が直美を産んでくれたから俺たちは出会えた……それだけは感謝してる」
「あんたのお陰で史郎さんと出会えて付き合えた……そこだけは感謝してるよ」
「な、なんで……何よそれ……」
「要するに、お前のお陰で俺たちは不幸にもなったが……こうして幸せになれた」
「だから最後に借り貸し無しにして……きれいさっぱり忘れ去るために餞別くれてやることにしたの」
「っ!?」
ここまでしてやれば、仮にこの後こいつがどうなろうともう俺たちが気にすることじゃない。
俺はもう一度、霧島に接触禁止の条件が記載された書類を差し出した。
「…………」
無言で受け取って、だけど何も動きを見せない霧島。
「もちろんこれにサインしないならこの話は無しだ」
「っ!? わ、わかってるわよぉっ!! すればいいんでしょすればぁっ!!」
やけくそ気味に叫んで書類にサインして返す霧島。
これで後は弁護士さんが家土地の譲渡も含めて後始末をしてくれるだろう。
(これで今度こそ……完全に縁は切れたな……)
「う……うぅ……っ」
鞄を抱きしめて嗚咽を洩らす霧島……その心にどんな気持ちが去来しているのかもう俺にはわからなかった。
「……じゃあな、亜紀」
「っ!?」
「……さよなら、ママ」
「っ!?」
最後に俺たちは霧島亜紀を完全に振り切るために、はっきりと別れを告げた。
「行こう直美」
「うん、行こう史郎さん」
「うぅ……うわぁああああああっ!!」
ベンチで号泣する霧島を置いて、俺たちは一度も振り返ることなく公園を後にした。
(せめて最後に直美には謝罪してほしかったけど……そう上手くは行かないか……)
「……これで今度こそ全部の問題が片付いたんだよね?」
「そうだよ、もう二度と……余計な邪魔なんか入らせないよ」
「……えへへ、私本当に史郎さんと一緒に居られて幸せ……この先もずっと隣に居てね?」
「当たり前だよ、ずっと一緒だ」
しかし当の直美は既に霧島のことを振り切って、この先のことを考えている。
なら俺が気にする必要はない、俺もまた直美との将来を考えて生きていこう。
「直美、愛してるよ」
「私も……大好きっ!!」
お互いに見つめ合い、そして笑いあうと俺たちは新居への帰路を歩くのだった。
「……けど結局とーるおじさんがくれたこの防刃チョッキ意味なかったねぇ」
「まあ万が一を考えたら着といて間違いはないけど……本当にあいつは何をやってんだかなぁ……」
「だけどすっごい良い人だよねぇ、今度新居祝いに持ってきてくれたメイド服着てサービスしてあげよっかなぁ……」
(あ、あいついつの間に……出禁にしてやるぅ……)
「と、とにかく早く帰ってこれ脱ごう……邪魔で仕方ない……」
「えぇ~、でもその前にちょっと遊んでいこうよぉ~」
直美は笑って言うと別の公園へと俺を引っ張っていく。
ピンクの滑り台のある……霧島と共に遊んだ場所だ。
「ここであいつと追いかけっこしたんでしょぉ~、じゃあ私とも追いかけっこしよぉ~」
「……直美がしたいなら付き合うけど、急にどうしたの?」
「あいつに対しての恩義は果たしたけどムカつくことも多いからぁ……気晴らしの意味もかねてここからは私の復讐のターンっ!! あいつと同じ顔の私が同じことをして……史郎さんの思い出を上書きして独占してやるのだぁっ!!」
そう言いながらも既に幸せそうな顔で笑って俺に抱き着く直美。
そんな可愛い恋人……いや新妻の頭を撫でて俺もまた幸せを満喫するのだった。
(もうとっくに……あの夜の可愛く悶える直美の顔で上書きされているよ……スケベ扱いされそうだから言わないけどね)




