『霧島』直美との別れ
「直美、覚悟はいいかい?」
「う、うん……私頑張るっ!!」
直美と手を取り合い、喫茶店の一角で相手が来るのを待っていた。
「出来るだけ感情的にならないよう努めてくださいね」
「はい、今日はお願いします」
「お任せください、これが仕事ですから」
共に並んで座る付き添いの弁護士に頭を下げる。
前に元部長の紹介で知り合った方だ。
(いきなり無茶な注文したのに……付き合ってくれて助かった……)
未成年との婚姻という異常な相談を受けても彼は冷静に対処してくれた。
優秀な上にビジネスライクな付き合いが出来る人だと聞いていた通りだ。
報酬はやや高めだが今の俺にはありがたい、この人を紹介してくれた元部長には頭が上がらない。
(あの人はあの人で霧島亜紀の身辺を探ってくれてるし……まさか興信所にも伝手があるなんてなぁ……)
俺は今回の事態を打開するために親しい相手に片っ端から相談して回った。
もちろん未成年との関係などいい顔をされるはずがないと思ったが、それでも直美を守るためだと思えばいくらでも耐えられる。
ただ意外なことに皆協力的で……誰も非難をする人はいなかった。
(俺が変なことをするわけないって……皆口をそろえて言ってくれて……ありがたかったなぁ)
お陰でここまでとんとん拍子に話は進んでいる。
社長が有給をくれたからこうして自由に動けている、おまけに不動産屋も紹介してくれたお陰で新居も決まった。
ここで婚姻の許可が下りればすぐにでもそこに引っ越すつもりだ。
(俺のことだから成人するまで手は出さないだろうしって笑って言われたけど……み、皆ごめん……)
信じてくれている人にそこだけ罪悪感を抱くが……直美がそれで幸せなら俺は平気なのだ。
とにかく今日、この場で許可さえもらえれば俺たちの関係についての問題はほぼ解決するのだ。
(細かい問題は弁護士さんが調整してくれるって言うし……俺たちの結婚という方針を重視してくれてありがたい限りだ……)
他にも直美を守る方法はあるとのことだったが、既に結婚する気満々な直美の……俺たちの考えを尊重してくれたのだ。
流石に後始末にはもう少し時間が掛かるだろうが、とりあえずこれさえ上手く行けばもう直美と引き離される心配は無くなるはずだ。
「……遅いですね、約束の時間はもう過ぎているのに……ずぼらな方なのですか?」
「かなり……それでいて面倒くさがりでもあるし……目の前の問題から目を逸らすたちなので……」
「では今日は来ない可能性があるわけですね、でしたら相手の家を訪ねることも考えていきましょう」
「もぉ、嫌んなるなぁ……早くお家帰りたいのにぃ……あの怖い人が来てたらどーしよぉ……」
「大丈夫だって直美、そのために亮が留守番してくれてるんだから……」
(何だかんだ言って……やっぱりあいつは俺には過ぎた親友だよ……ちょっとアレなところが多過ぎるけど……)
霧島が訪ねてきてからの事情を話したところ、亮は憤慨してわざわざ仕事を休んで来てくれた。
そして今日、万が一の事態に備えてわざわざ自作した護身具を持ってきて俺たちの代わりに留守を守ってくれているのだ。
「いやぁ……とーるおじさんがやり過ぎないかなぁって……あの凄いバチバチの奴、絶対危険だって……」
「す、スタンガンの強い奴だって言ってたから……た、多分大丈夫だよ……」
「けどぉ、電源にしてたバッテリー……フォークリフト用とか言ってたよぉ?」
「く、車用のバッテリーとかって電圧は弱いはずだから……た、多分あれも見掛け倒しでそんな強くないんだよ……」
亮本人は十年以上前にだが実際に使ったこともある武器で実績があるとか笑って言っていたが……あいつは何をやっているのだろうか。
(他にもガスガンだとか色々持ち込んでたけど……よく途中で捕まらなかったなぁ……)
「私……ものすごぉく不安なんだけどぉ……」
「ま、まああいつなりのジョークで俺たちの緊張を和ませようとしてくれたんだよ……多分」
「……一応私は聞かなかったことにしておきますよ」
呆れたような口調で呟いた弁護士さん……本当にありがたいことだ。
(しかし、本当に遅いな……やっぱり来ないつもりなのか……?)
わざわざ弁護士さんの事務所や俺たちの家を嫌がった向こうの意向に従う形でこの店を選んだというのに、それでも来ないのならもう本当に住んでいるところに乗り込むしかない。
(住所は覚えてるけど、前の時は俺の両親が行ってくれたから細かい場所が……っ!?)
今後のことを考えていた俺だが、その時になってようやく直美の祖父が店に入ってきた。
後ろからは厚化粧をした女が付き添っている……確か祖父の浮気相手だ。
奴らは店の中を見回すと、嫌そうに俺達の居る席へと向かってきた。
「いい加減にしろっ!! お前たちは俺の生活をどれだけかき乱せば気が済むんだっ!!」
「っ!?」
そして開口一番に罵声を浴びせてきた。
「俺はもう新しい生活をしてるんだっ!! もうそいつの面倒を見る気はないっ!!」
「っ!! あんたはどこまで自分勝手な……っ!!」
「雨宮様落ちついて……横から失礼します、つまりあなた様は直美様の親権を放棄する意思があるということでよろしいでしょうか?」
「誰だお前はっ!?」
「申し遅れました、私はこういうものです」
「関係ない奴が入って……べ、弁護士っ!?」
弁護士さんに名刺を渡され途端に勢いを失う直美の祖父。
その表情には後悔の色が浮かんでいる。
(俺たちを若造と侮って……脅して色々と有耶無耶にするつもりだったのかこいつはっ!?)
「ちょ、ちょっとあんた……」
「あ、ああ……す、すみません他所の人が居るとは思わなかったのでつい……」
「気にしてません……どうぞ座って冷静に話し合いましょう」
弁護士さんの淡々とした事務的な声に従い、席に着く祖父と浮気相手。
正直かなり助かった、俺だけなら怒鳴り返して話し合いにならなかったかもしれない。
今も最初の自分勝手な言葉にかなり頭にきている……その気持ちを何とか落ち着かせながら口を開く。
「今回の話し合いがまとまればもう二度とあんたには関わらないよ……だから聞いてくれ」
「たく……いいか、養育費ならこれ以上は払わねぇぞ……高校卒業まで払えば十分だろうが」
「そーよ、なんで一緒に住んでるわけでもないどーでもいいガキにあたしらの金を使わなきゃいけないのよ」
俺と直美に対しては露骨に敵意を見せる二人……腹立たしいがここは我慢だ。
(弁護士さんが言ってた通り……冷静に……直美の為だ……落ち着け俺……)
不意にぎゅっと、机の下で握っている直美の手に力が篭る。
横目で見れば直美も深呼吸して自分の気持ちを落ち着けているようだ。
(やっぱり連れてくるべきじゃなかったかな……)
こんな敵意に晒す羽目になって申し訳なく思う……だけど自分のことだからと立ち会うと直美自身が決めたのだ。
お互いの意志を尊重出来なくて生涯のパートナーになれるはずがない。
だから俺も直美の手を強く握って、少しでも支えになろうとする。
「養育費のことじゃない……今回は違う話で来たんだ」
「わ、私たち結婚するって決めたのっ!! だからいちおー保護者になってるあんたに許可をとりにきたのっ!!」
「はぁっ!? お前まだ未成年だろうがっ!? 何考えてんだ史郎っ!?」
「うわぁ……」
一瞬驚いた様子を見せた後に、露骨に俺たちを見下しせせら笑う二人。
(確かに俺たちは世間的には色々言われても仕方がない関係だがその原因を作った……そして浮気してたお前らが笑うんじゃねぇっ!!)
やはりどうしても怒りが抑えきれない、それでも俺が下手に怒鳴って話し合いが潰れてはお終いだ。
「お忙しいと思いますのでサインと印鑑を頂ければ後はこちらで処理いたします、問題がなければ早速お願いしたいのですが?」
そんな俺の様子を見て、弁護士さんが代わりにこちらの要件を最後まで伝えてくれた。
「仕事とはいえこんな話に付き合わされて大変ですねぇ……こんな馬鹿げた話に付き合うと思ってんのか?」
「ほんと、時間の無駄だわ……あんた、もう行きましょぉ」
「……これに同意すれば、今後直美の面倒は俺が見ることになる……もう養育費も払わなくていい」
さっさと立ち去ろうとする二人を呼び止めるために、俺は交換条件を提示した。
これが効果てきめんで、立ち去ろうとした二人は俺たちへと視線を戻した。
「……つまり今月分からもう払わなくていいってことか?」
「はい、それらの条件も今回話し合う内容に入っております」
直美の祖父の言葉に、弁護士さんは頷きながらやはり冷静に条件を説明していく。
今後一切の養育費等の責任の免除と、さらにはお互いに接触禁止にすることで何かあっても催促できないようにすると明示する。
(俺としてももう二度とこんな奴らを直美に関わらせたくないからな……)
盛り込んだ条件の中には親権関係の処理も含まれているらしい。
とにかく俺たちが血縁を盾に余計な口出しを入れられないよう弁護士さんが考えてくれたのだ。
「へぇ……いいじゃんあんた、弁護士が言うなら嘘じゃないだろうし……」
「……そうだな、じゃあもう一つの条件を飲めば許可してやってもいいぞ」
「何でしょうか?」
自らの損得が絡んでようやく乗り気になった二人だが、祖父の方はどこか上から目線で下種じみた笑みを浮かべて言葉をつづけた。
「あの女の入院費だ、今後もお前が払い続けろよ……もうとっくに離婚してるし、お前らとも縁が切れれば今度こそ俺は自由だ」
「こ、今後もって……あんた今まで払ってなかったのっ!?」
「何で離婚した俺が払わなきゃいけないんだ……んでどうなんだよ史郎?」
「……それでいいさ、直美と結婚できるならな」
「っ!?」
直美が驚愕して俺と祖父の顔を交互に見ている。
(まるで直美を金で買うみたいで腹立たしい限りだけど……)
だがこれで話がまとまるならそれでいい。
事実、直美の祖父は嫌らしく笑いながら席に着くとこちらが差し出した書類にサインし始めた。
「……では確かに同意いただきました」
弁護士さんの言葉を聞いて、俺はようやく安堵で胸をなでおろした。
これで直美との間に確かな関係を築くことができるのだ。
もうどこからも余計な口出しをされることもないし……させる気もない。
「あの家も売っちまうから住んでんならさっさと出てけよ……じゃあな、もう二度と顔出すなよ」
弁護士さんといくつかやり取りして他の書類にもサインし終えた祖父は、捨て台詞を残し女を連れて振り返ることなく立ち去って行った。
(それはこっちの台詞だ……二度と直美に合わせるもんかっ!!)
「終わりましたね、では後は役所に届け出を……」
「し、史郎さん……ほ、本当に私でいいの?」
「どうした直美?」
急に不安そうに俺を見つめる直美。
「わ、私本当に史郎さんに迷惑かけてばっかり……入院費のことも知らなかったし……今だってやっぱり未成年と付き合うからってあんな奴にあんなこと言わせちゃって……」
「俺は気にしてないよ、直美と一緒になれるならあの程度何とも思わないよ」
「け、けどぉ……」
「これはあくまで許可を貰っただけだから、もしも直美が気になるなら大人になるまで……ううん、いつまででも待つよ……俺は笑顔の君と結婚したいからね」
その不安をほぐすように笑いかけて、優しく頭を撫でてあげる。
確かに結婚はしたいが、それで直美が嫌な思いをしては意味がない。
(接触禁止とかは成功したし、とりあえずそれで満足して……)
「……最近の史郎さんは本当に凄いなぁ、堂々としてるしそーいう恥ずかしい台詞も格好良く言えちゃうし……困るなぁ……」
「こ、困るって……こんな俺は嫌?」
「ううん、そーじゃなくてぇ……私もっともぉっと好きになっちゃうのぉっ!!」
そう言って直美は、とてもいい笑顔で俺に抱き着いてきた。
「史郎さん、私やっぱり……今すぐ結婚したいっ!! 史郎さんのお嫁さんになりたいのっ!!」
「わかったよ直美……愛してるよ」
「うんっ!! 私も史郎さんだぁいすきぃっ!!」
もう何の憂いもない、俺は直美の気持ちを受け入れるように抱きしめるのだった。
「直美……俺は君……」
「史郎さぁん……キスし……」
「こほんこほん……準備がよろしければ役所に行きましょうね」
「っ!?」
すっかり忘れていた弁護士さんの言葉で、俺たちはようやく自分たちの居る場所を思い出した。
「後、どうでもいいアドバイスですが人目につくところでそう言うことはしないほうがよろしいと思いますよ……余計な輩に目をつけられたら面倒でしょう」
「「は、はぁい」」
どうしようもない正論に、俺も直美も俯くことしかできないのだった。
(だけどこれで大きく進展した……残る問題は二つ、あの男と幼馴染本人……待ってろよ、次はお前らの番だっ!!)




