平日⑨
「……以上です、問題がなければ早速このプロジェクトに取り掛かりたいと思います」
俺の提案に重役たちは重々しく頷いてくれた。
その様子を見て俺はようやくほっと一息つくことができた。
何せプレゼンなどするのは初めてだ……やり方も調べこそしたがほぼぶっつけ本番だった。
(意外と何とかなるもんだなぁ……上手く通ってよかったよ……)
計画自体は結構前から、社内の改善をしているうちに思いついていたことだった。
だけど今まではこんな慣れないことをしてまで……自ら主張をして行動に移そうという気にはなれなかった。
(このプロジェクトを成功させれば出世は確実……頑張ろうっ!!)
ずっと地位や立場には興味がなくて、ただ給料を効率よく稼げればそれでいいと思っていた。
しかしこの会社に来て働く喜びを知り、また直美によって俺は前向きになれた。
何よりあの子の恋人として……未来の旦那としてふさわしい男にならなければいけないのだ。
(もっと出世すれば給料も社会的な立場も上がる……少しでも直美に釣り合える人間に成長していかないとな)
直美の為ならいくらでも頑張れる、あの子の笑顔を思えばそれだけで疲労も吹き飛んでしまうのだから。
「雨宮課長、どうでしたかっ!?」
「通ったよ、これから忙しくなるぞ……皆で一丸となってやり切ろうっ!!」
「はいっ!!」
会議室から戻ってきた俺は早速部下たちに指示を飛ばした。
つい最近になって俺は初めて課長となり部下が出来たばかりだ。
人の上に立つことになれていない未熟な俺の指示を、だけど彼らは逆らうことなく聞いてくれる。
(ありがたい……彼らの為にも頑張らないとなっ!!)
皆で協力してプロジェクトを成功させれば、全員の査定も確実に上がるだろう。
自分と、そして会社の仲間たちのためにももっと仕事を頑張って行こう。
前の会社では欠片も抱けなかった思いを胸に、俺は一心不乱に働くのだった。
「……雨宮課長、お昼ですよ」
「おお、もうそんな時間か……全く気付かなかったよありがとう」
「課長は頑張り過ぎですよぉ……無理はしないでくださいね」
俺の部下の一人である女性社員の指摘を受けて、俺は照れ隠しの笑みを浮かべながらお礼を述べる。
もう女性相手でもどもることもないし、正面から顔を見て話すこともできる。
直美と一夜を共にしてからだ、どうもあの経験は俺をかなり成長させてくれたらしい。
(全部直美のお陰だ……いくら感謝してもしきれないなぁ……)
今度お礼にデートにでも誘ってみよう。
そう思いながら俺は席を立って、昼食を摂りに休憩室へと向かった。
「課長、今日もお弁当ですか?」
「ああ……俺の恋人が作ってくれてるからね」
「えっ!? か、課長恋人いるんですかぁっ!?」
俺の後を付いてきた女性社員が心底驚いたような声を上げた。
(まあ、どう見てもモテないこんなおっさんに恋人いたら驚くよなぁ……直美の年齢を知ったらもっと驚く……というか引かれそうだなぁ……)
「まあね、俺なんかにはもったいないぐらいいい子だよ」
「そ、そうですかぁ……はぁ……」
「ど、どうしたんだ急に?」
何故かがっくりと肩を落として溜息をつき始めた彼女。
変なことを言ったつもりはないのだが、体調でも悪いのだろうか。
「な、なんでもないですよぉ……最近妙に素敵……堂々とし始めたのってひょっとしてその子と付き合始めたからですか?」
「そうだねぇ……ああ、今の俺があるのはあの子のお陰だねぇ」
どうやら周囲にもバレバレなぐらい俺の変化は顕著だったらしい。
「や、やっぱりぃ……あぁ……もっと早く……はぁ……」
「本当に大丈……」
「雨宮君、ちょっといいかな?」
またしても落ち込んだ彼女に声をかけようとして、その前に社長が声をかけてきた。
「社長、いや今は……」
「わ、私は大丈夫ですから……じゃあ先に休憩室行ってますね……はぁ……私の馬鹿……」
「おやおや、何か邪魔してしまったかな? 一応言っておくけど社内恋愛はほどほどに……」
「そんな関係ではありませんよ……それより何の御用でしょうか?」
「実は君に個人的にどうしても会いたいという人が来ているんだよ……」
(顧客からのクレーム……って感じじゃないよなぁ?)
一瞬身構えたが社長の態度や口ぶりからしてクレームなどではなさそうだ。
しかし他にわざわざ会社まで会いに来る相手など全く心当たりがない……いや一人だけいる。
(ま、まさか……直美じゃないだろうなぁ?)
流石に学校を休んでまで俺に会いに来るとは思えない……が無いとも言い切れない。
「丁度休憩でしたから会うのは構わないのですが……一体どちら様でしょうか?」
「それが前に君が働いていた会社の人間らしいんだが、何故か弁護士と一緒に来てるんだよ」
「べ、弁護士っ!?」
「どんな話をするつもりかはわからないけど、何かあった時の為に私も同席しておいたほうがいいと思うんだが……どうだろう?」
「それは心強い限りですが……弁護士ですかぁ」
何か恨み節でもいいに来たのか、或いは倒産の責任を俺に押し付けようとでもしているのだろうか。
全く理解できない展開に呆れと恐れが入りじまったような不思議な感覚に包まれる。
しかし逃げても仕方がない、それに社長も立ち会ってくれるというのだから会うだけはあっておこうと思った。
「まあこっちも一応法律事務所とつながりはあるし、いざというときは全力でカバーさせてもらうから安心したまえ」
「本当にありがとうございます社長……色々と迷惑ばかり持ち込みすみません」
「何を言ってるんだ、前の会社がおかしいだけで君は全く悪くないじゃないか……むしろこちらこそ君にはとても助けられてるし、真面目な社員を守るのは社長の務めだよ」
笑いながらありがたいことを言ってくださる社長。
本当に良い人に拾ってもらえたものだ。
恩返しの意味でももっと仕事を頑張ろうと思う。
「さて、いいかい?」
「ええ……失礼します」
応接室について、いったん深呼吸して心を落ち着かせてからドアをくぐった。
「おお、久しぶりだな雨宮」
「……部長?」
「はは、元部長だ……会社まで押しかけて悪いな、だがどうしてもお前に連絡が付かなくてな」
「ちょっと前に元の会社の連中が迷惑電話をかけて来まして……それで番号を変えたんですよ」
「なるほどなぁ……いや直接お前の家に行くことも考えたんだが、それは嫌がるかと思ってなぁ」
笑いながら俺を出迎える部長、その隣で弁護士らしい人が頭を下げて何やら色んな書類を準備している。
「それより、何の御用でしょうか?」
「ああ、それなんだがなぁ……前の会社でのことなんだが……」
「横からで悪いけど、私も立ち会って構わないかね?」
「雨宮さえよければ……いやもう上司部下じゃないのだから雨宮さんと呼ぶべきかな?」
「呼び方はどっちでもいいのですけど……用件のほうを聞きたいんですが?」
「そうだよなぁ、急に前の会社何て言われたら警戒もするか……じゃあさっさと本題に入ろう」
そう言って元部長は、弁護士から一つの書類を受け取って俺に差し出してきた。
軽く目を通すと、それは要するに未払い賃金の請求書のようだった。
「ええと、これは一体?」
「実はな前からあの会社で俺は不正労働の実態の証拠を集めて回ってたんだよ」
部長曰く、自分の部下を何人も潰されたことに怒りを覚えて訴えを起こすために証拠を集めて回っていたらしい。
そして訴えを起こした元部下にその証拠を渡したことで、あの会社は倒産にまで追い込まれたようだ。
「雨宮のサービス残業分もしっかり証拠に残して計算してある……ただこれを請求するにはお前の同意が必要だから……」
「し、しかしもうあの会社が倒産してる以上は……」
「倒産しても労働者への支払い義務はなくなりはしない、それに俺が集めた証拠には表沙汰にしたらシャレにならないやつも入ってる」
既に夜逃げした経営陣も見つけ出して支払いの同意を得ていると言う。
「何でも身内の就職とかいろいろ事情があるらしく余り大げさにしてほしくないんだと……自分勝手な言い分で腹立たしいが訴えてダメージを与えても傷ついた奴らの生活が改善されるわけもなし……だから金で解決する方向でまとまったんだよ」
「……そこまでするなんてすごいですね」
「そのために我慢してあんなところで働いてたからなぁ……あの時は何もしてやれなくて済まなかったな……」
「良いんですよ、結果として今があるんですから」
頭を下げようとする元部長に俺は首を横に振ってみせた。
確かにあの時は辛かったが、それを乗り越えたからこそこの会社に辿り着けたのだ。
何よりこの人は俺に仕事を押し付けたりはしなかった、だから頭を下げてもらう理由は何一つないのだ。
(むしろ頭を下げるのは俺の方だ……支えてくれた直美に対して感謝の意味で……)
「そうか……まあそれはともかく、これはお前の正当な労働における賃金だ……受け取っておけ」
「良かったじゃないか雨宮君、働いた分はしっかり貰っておいたほうがいいよ」
「……わかりました、じゃあお言葉に甘えさせてもらいます」
二人に言われて俺は書類にサインをすることにした。
(直美が居なかったらこのお金が手に入る前に俺は……これは直美のために使おう)
「これで少しは肩の荷が下りたよ……これで生きてる奴らにはお金が入るし、何より直接パワハラしたあいつは檻の中……気が晴れると良いんだが……」
「……今なんて?」
「ほら、お前の上司だったあいつだよ……と、お前は知らなかったんだよな」
聞いてみるとあの元上司は結局何処にも就職できなかった挙句に、パワハラの張本人として訴えを起こされた。
ある意味で経営陣のスケープゴートにされたようだ、また個人的な意思で直接パワハラしていたこともあってこいつだけはどうしても許せないという奴が多かったらしい。
「裁判所で有罪判決を喰らい、第三者からも指摘されてプライドがズタズタになって……頭がおかしくなったらしくその場で大暴れして逮捕されたよ」
「うわぁ……それは酷い」
「しかしそれでは出所してから何かしでかすのではないかな?」
「当分は出てこれないでしょうし、正気じゃないのでその後も別の病院に送り込まれるのが落ちでしょうね」
(どうしようもない人だったなぁ……ある意味でお似合いの末路だけどなぁ……)
「何か他に気になることがあったら今のうちに聞いておけよ、俺も忙しいから次はいつ会えるかわからんからな……」
「うーん、特に気になることはないのですが……そういえば縁故採用されて甘やかされてたあいつはどうなりましたか?」
「ああ、お前に仕事を押し付けてばかりいた奴なら前の会社近くにあったコンビニでバイトしてたよ……例の時給は高くていつでも募集してるあそこだよ……」
「えぇ……あそこって確か店長が物凄く性格悪くてすぐ従業員が居なくなるので有名なところじゃないですか……何であんなところで……」
「そのことを知らなかったのか、時給の高さに惹かれたか……そこでしか働けなかったってところだろう」
元部長の言葉に俺は前にあいつが書いて提出した履歴書を思い出した。
見栄と嘘にまみれていたあんなものを見せられて、採用するところなど確かに限られていそうだ。
(因果応報と言うかなんというか……俺は上手く転職できてよかったぁ……)
本当に安堵して、俺は胸をなでおろすのだった。
「……よし、じゃあ近々振り込まれるはずだから確認出来たら彼のところに連絡してやってくれ」
「これが連絡先です、どうぞ」
「ああ、ご丁寧にどうも……」
弁護士から名刺を受け取る。
(弁護士かぁ……いずれ直美の身の回りのことで相談する必要があるかもしれないなぁ)
しかし今は時期尚早だ、せめて直美が成人してから動かないと血縁を盾に逆にやり込められる可能性すらある。
相談にしても未成年との恋愛関係など良い目で見られるとは思えない。
俺は一旦名刺をしまい込んで、このことは忘れておくことにした。
「これで用事は済んだことだしそろそろ失礼……ってすっかり伝え忘れてた、お前に振り込まれる予定の額だが……」
「別にいいですよ、そんなに期待してませ……」
「十年分、積もり積もって約一千三百万ってところだ……税金に気をつけろよ」
「はぁっ!?」
(えぇっ!? そ、そんなに俺残業してたのかっ!? というか税金に気をつけろって何をどうしろとっ!?)
「おお、中々の額だねぇ……どうだい雨宮君、うちの株券でも買ってみないかい?」
「い、いや社長それどころじゃ……」
「まあ今度こそ俺たちは失礼するよ……じゃあ、頑張れよ雨宮」
俺と社長に一礼して去っていく元部長たち。
何だか化かされたような気分で、いまいち現実味がなかった。
「まあトラブルじゃなくてよかったじゃないか」
「ま、まあそうですけど……すみません社長、付き合っていただいて助かりました」
「あはは、結局何の役にも立たなかったけれどね……ほら休憩に行ってご飯でも食べて来なさい、過ぎた時間分は休んでていいから」
「いや個人的なお話だったのでそう言うわけには……ご飯だけ食べたらすぐに仕事に取り掛かりますっ!!」
「真面目だな雨宮君は……本当に君を雇って正解だったよ」
嬉しいことを言ってくれる社長に俺もまた頭を下げて休憩室に走るのだった。
「あ、雨宮さぁん……遅いですよぉ」
「まだ食べてたのか、もう休み時間終わってしまうよ」
「せっかくだし雨宮さんの愛妻弁当がどんなのか見てみたかったんですよぉ……どんなの食べてるか興味あるので」
「そんな大したものじゃないよ、普通のおべんと……っ!?」
未だに残っていた女性社員の近くに座り、俺は早速弁当を取り出して蓋を開き……すぐに閉じた。
何故なら……オカズとご飯をうまく利用して女体が描かれているように見えたからだ。
(め、目の錯覚かなぁ……い、いやそうに決まってるよなぁ……)
「どうしたんですかぁ、雨宮さん?」
「い、いや何でも……ほ、ほらもう休憩終わるからねっ!!」
「えぇ~、お弁当見せてくれないんですかぁ~」
「ひ、人に見せられる出来じゃないんだっ!! ほ、ほら急ぎなさいっ!!」
「もぉ……雨宮さんの意地悪ぅ……」
残念そうに口をとがらせながら去っていく女性社員を見送って、俺はようやく安堵の溜息をつくのだった。
(……やっぱり桜でんぷんで胸を……ほうれん草で毛を……何考えてんだ直美は……ってこれはメモ帳?)
『名付けて、直美の浮気は絶対に許さない弁当っ!!』
(……浮気なんかするわけないのになぁ、もっと身体に教えなきゃ駄目だなこれ)
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