平日⑧
「じゃっじゃぁん、直美せーふくバージョォンっ!!」
「可愛い可愛い……忘れ物ないね?」
「もぉ、もっとこぉ他に言うことないのぉ? エッチだねとかスカートめくりたいとか押し倒し……」
「ただのセクハラじゃないか……そんなことよりしっかり勉強してきなさい」
「うぅ……おじさんが冷たいぃ……」
泣き真似しながらドアに手をかける直美を玄関先から見送る。
ついに夏休みも終わった直美は、俺より早く家を出なければならないのだ。
「ほらほら遅刻しちゃうよ……ハンカチにティッシュは持った? 宿題は忘れてない? 変なパンツ穿いてない? お弁当は大丈夫? 念のためお小遣いもう少し……」
「子ども扱いしないでってばぁっ!! おじさんの馬鹿ぁっ!!」
「だって心配なんだもん……気を付けて行ってきてね」
「はぁい……じゃあ、行く前に安全祈願を込めて行ってきますのチューを……っ!?」
「……ぷぅ、ほら行ってらっしゃい」
何だかんだでほぼ毎朝していることだ、今更気後れするわけがない。
さっさと済ませてしまい、今度こそ直美に手を振ろうとする。
「な、何すんのぉっ!? な、直美これからがっこー行くのにキスなんかしないでよぉっ!!」
「えぇ……直美ちゃんからせがんできたんじゃないかぁ……それに今までキスしてきたのは直美ちゃんのほうでしょ?」
「だ、だってこ、こんな……お、おじさんからしてくるなんてそんなのぉ……ずるいよぉ……」
顔を赤らめてモジモジと身体をくねらせる直美。
(失敗したかな……というか本当に時間大丈夫なんだろうか?)
「うぅ……こ、こんな気持ちでがっこー行ってもしゅーちゅーできないよぉ……直美今日はお休みしておじさんと一緒にいるぅ」
「あのねぇ、俺だって毎日そんな気持ちで仕事行ってたんだからね……それにこの後俺も仕事行くんだから休んだって一緒には居られないよ」
「あうぅ……わ、わかってるけどぉ……じゃ、じゃあ帰ってきたら続き……しようね?」
「何度も言うけど直美ちゃんが卒業したらね……」
その頃には俺も職場に慣れて、直美との生活を見据えた将来設計ができるようになっているはずだ。
できればそれまでに直美の依存症も治してあげたい。
「も、もぉ……こんな生殺しばっかりで直美そろそろ我慢の限界だよぉ……」
「はいはい、それより少しは成績を上げることを考えようね……ほら早くいかないと本当に遅刻しちゃうよ?」
「お、おじさんのせいでしょぉ……ああもう、急がないとぉっ!!」
時計を確認した直美は、ようやく焦った様子で家を飛び出していった。
そしてそのまま走り出すかと思いきや、少しだけ不安そうにこちらを振り返った。
「どうしたの直美ちゃん?」
「直美……ここに帰ってきて良いんだよね?」
「当たり前でしょ、むしろ直美ちゃんが帰ってきてくれなきゃおじさんが耐えられないよ……行ってらっしゃい」
「……えへへ、おじさん大好き……行ってきまぁすっ!!」
今度こそ直美はいつもの快活な笑みを取り戻すと、通学路を走り抜けていった。
直美の後ろ姿が見えなくなるまで、俺はゆっくりと手を振り続けるのだった。
(若いなぁ……さて、おじさんはゆっくり支度して行くとしま……っ!?)
家に戻ったところ、下駄箱近くの壁に直美の鞄が立てかけられたままになっていた。
どうやら靴を履く際に置いて、そのまま忘れてしまったようだ。
(直美ちゃんのお馬鹿ぁっ!! 気付かなかった俺もお馬鹿ぁっ!!)
慌てて鞄を持って、必死に直美の後を追いかけて走る俺。
途中で気づいたらしい直美も泣きそうな顔で戻ってきた。
「お、おじさぁんっ!! な、ナイスだよぉっ!!」
「ほ、ほら鞄っ!! 今度こそ忘れ物ないねっ!?」
「あ、ありがとぉっ!! 多分大丈夫……ああ、い、急がなきゃぁあっ!!」
「気を付けてねっ!! 慌てて転んだりしないでよっ!!」
「わ、わかってるってばぁっ!!」
鞄を受け取った直美は、凄まじい速度で走り去っていった。
(つ、疲れた……朝から全速力する羽目になるなんてぇ……)
少し走っただけで俺は全身汗びっしょりで息切れもしている。
日頃の運動不足がたたっているのだろう。
(真面目に少し運動しないとなぁ……直美ちゃんが成長するまでに俺が倒れるわけにはいかないからなぁ……)
時計を見るとまだ出社時間まで余裕がある。
せっかくだからこのまま軽く走り込むことにした。
見慣れた住宅街の中、車が来なさそうなルートを選んでジョギングする。
「……どうも」
「……っ」
すれ違った付近の住人に軽く頭を下げるが、向こうは露骨に顔をそらして立ち去っていく。
精神を病んだ直美の祖母の奇行と幼馴染の淫行の数々を……霧島家のことをこの街で知らない奴はいない。
そしてそれに深く関わっている俺のこともだ。
(距離を置かれるのも無理ないよなぁ……俺だって直美ちゃんが助けを求めるまで何もできなかったし……)
警察やら児童相談所やらと揉めに揉めて、通報した相手を探して難癖をつけて回った霧島家は悪い意味で印象に残っている。
だからもう厄介ごとはごめんとばかりに街の住人は誰も俺たちに関わろうとはしないのだ。
お陰で援助こそ受けられないが、余計な干渉もされなくて済んでいる。
(女子高生がこんなおっさんと一緒に歩いて、あげくにその家に入り浸ってるんだ……下手したら通報案件だもんなぁ……)
しかし考えてみればご近所の人間から遠巻きにされている環境は、直美の成長に良いとは思えない。
こんな状況では交友関係を広げようという気になれず、ますます俺への依存に拍車がかかる気がする。
(いっその事、霧島家のことを知らない場所に引っ越してみたほうがいいのかなぁ……)
確か今の会社には社宅があったはずだ、頼めばそこに住むことは出来るだろう。
尤もそうなると今度は血の繋がらない少女と一緒に暮らしていることが問題になりかねない。
(せめて一緒に住んでいても口出しされない正当な理由が欲しいなぁ……養子縁組は無理だろうし……)
頭を悩ませながら、俺は人気のない街中をひたすら走り続けるのだった。
(ちょ、調子に乗って走り過ぎたぁ……あ、脚がやばい……けど時間もやばいぃ……)




