平日④
「悪いね雨宮君、だけど事情に詳しい君が居たほうが良さそうだからねぇ」
「むしろこじれそうですけどね……はぁ……」
深呼吸を繰り返しながら、社長と二人で応接室に待たせている取引相手の元へ向かう。
期限を破って損害を発生させた、重大な契約違反についての話し合いだった。
ことによっては損害賠償請求にも発展しかねない厄介な内容だ。
(入社したばかりの俺がやる仕事じゃないんだが……まあ相手が相手だからなぁ……)
「大丈夫、こっちは追及する側だから堂々としていればいい……それに理由次第ではもう縁を切るつもりの相手だからね」
「そんなに酷……かったですものねぇ」
「ああ、今まではそれこそ君が頑張ってくれてたからまだ任せられたけれど……」
ため息をつく社長、しかし内情を知っている俺としてはその気持ちはよくわかる。
何せついこの間までは……そこで働いていたのだから。
(俺が居なくなったら多少忙しくなるとは思ってたが、まさか仕事の期限は疎かトラブルの解消すら放棄していたとは……)
はっきり言ってめちゃくちゃだ、何がどうなっているのだろうか。
お陰でこうして担当者を呼びつけて面談することとなり、そこに会社の内情を良く知る俺も対応に当たる羽目になったのだ。
(相手次第では何を言われるか……まあもう縁を切るらしいし気にしないで行こう……)
「お待たせしました」
「失礼します」
多少の罵声は覚悟しながら、俺は社長に続いて応接室に入った。
「こ、この度は誠に……あ、雨宮っ!?」
「……お久しぶりです」
てっきり縁故採用された同僚が来るとばかり思っていたが、そこに待っていたのはかつての上司だった。
俺を見て目を丸くしたかと思うと、すぐにこちらを睨みつけてきた。
「お、お前っ!? 何やってんだっ!!」
「勿論仕事ですよ……あの、大声出さないでいただきたいのですけど?」
「し、仕事だとっ!? そ、そうかようやく戻ってくる気になったのか、本当にお前は馬鹿な奴だなっ!!」
「はぁ?」
何を言っているのか訳が分からない。
「君ねぇ……仮にも他所の会社で人を馬鹿呼ばわりするのは止めてくれないか」
「しゃ、社長っ!! しかしこいつはどうしようもない馬鹿で……ほら、さっさと謝れ雨宮っ!!」
「……いや、どうしてこちらが謝罪するのでしょうか?」
「お前の仕事だろうがっ!! 俺の指示に逆らうのかっ!!」
やはり支離滅裂だ……一体何がどうしたのだろうか。
そんな元上司の態度に、社長は苛立った様子で口を開いた。
「もういい……どうやらそちらには謝罪の意思が全く見られないようだ、これっきり取引はお断りさせてもらうよ」
「い、いやちょっと待ってください社長っ!! 雨宮ぁあっ!! お前が早く謝らないから……」
「いい加減にしたまえっ!! 私の大事な部下である雨宮君をどこまで侮辱する気だっ!!」
「なぁっ!?」
社長の言葉にはっきりと顔色を変えた元上司、まさか未だに俺のことを自分の部下だと本気で考えていたのだろうか。
ひょっとして俺がこの場に居合わせたことを、トラブル解消のため先回りしたとでも都合よく捉えたのかもしれない。
(馬鹿すぎるだろ……こんな奴のいる会社と取引したくねぇ……)
個人的な嫌悪感ではなく、純粋に会社としてのリスクを考えた上でそう思った。
同時にそんなところにしがみ付いていたかつての自分がいかに愚かだったのかよくわかる。
「もちろん賠償責任についても追及させてもらうっ!! 分かったらさっさと帰りたまえっ!!」
「そ、そんな……今そちらに見捨てられたら私は……いや会社だってどうなるか……」
社長の怒り交じりの叫び声を受けて、元上司は一転して弱々しくなった。
確かにこの会社との取引は、縁故採用のあいつですらトラブルを放置できない程度に大口だったはずだ。
だからこそ早めに解決に動けとさんざん指摘したというのに、本当に何を考えていたのだろう。
「ふざけるなっ!! トラブルの釈明をするどころか自分の都合ばかり口にして……先ほどから何様のつもりだっ!!」
「あ、い、いえそのようなつもりは……」
「ならばどういうつもりなんだっ!! 君はこちらを馬鹿にしているのかっ!!」
「す、すみませんっ!! 申し訳ございませんでしたっ!!」
完全にうちの社長を怒らせてしまった元上司は、怯えた様子で頭を下げ始めた。
(怒ると怖いんだよなぁこの人……)
だから縁故採用されて甘やかされていたあいつはいつも俺に仕事を押し付けて逃げ回っていたのだ。
こうなるともう止まらないし、止められない……俺は遠巻きに見守ることにした。
「私に謝ってどうするっ!! 君が謝罪すべきなのはまず罵声を浴びせた雨宮君だろうっ!!」
「ちょっ!?」
「っ!?」
しかし社長に水を向けられてしまい、思わず声を上げてしまった。
ぶっちゃけこいつの罵声などもう全然気にしていない。
直美のお陰でとっくに振り切れているのだ、だから謝罪などと言われても逆に困ってしまう。
「し、しかしこいつは……」
「私の部下をこいつ呼ばわりかっ!! どこまで付け上がっているんだ君はっ!!」
「い、いえすみませんでしたっ!! わ、悪かったな雨宮……」
「それで謝罪のつもりかっ!! もういいからさっさと帰れっ!! 雨宮君、悪かった……行こう」
「は、はぁ……じゃあ失礼します」
社長に連れられて、俺は応接室を後にする。
「すまないね雨宮君……君が前の会社で良い扱いをされていないことは知っていたが、まさかここまで酷かったなんて」
「気にしないでください社長……大体俺だけじゃないですよ、あの会社ではコネがない奴は皆こんな感じでした……」
「そうだねぇ、色んな人が精神を病んで辞めていったものなぁ……やっぱりあそことの取引は止めたほうがいいだろうね」
「そうですね、内情を知っている俺としても止めたほうがいいと思います」
俺が居た時ですらギリギリ綱渡りで何とかしてきたのだ。
それが今はさらにグダグダになっているようだし、今後もまた似たようなトラブルは頻発するだろう。
(うちの会社はこの業界じゃ引く手数多だから他にいくらでも取引相手はいるもんなぁ……)
わざわざ俺が居たあんなブラック企業と繋がっている必要はない。
「そうしよう……時間を取って悪かったね、じゃあ元の業務に戻って……」
「お、お待ちくださいぃいいっ!!」
「……まだ帰ってなかったのかね? こちらは社外の人間は立ち入り禁止だぞ」
俺たちの前に回り込んできた元上司をあからさまに見下す社長。
「こ、この通り俺……いえ私が愚かでしたっ!! 申し訳ございませんっ!!」
そんな俺たちに向かって、元上司は床に正座すると土下座して謝罪してみせた。
こいつがここまでするとは、よほど前の会社の経営状態はヤバいようだ。
(それともこいつの立場が悪いのか? まあどうでもいいけど……)
「ど、どうかもう一度だけチャンスを……どうか社長……雨宮……さんも……」
「……どうする雨宮君?」
(そこで俺に振らないでください……)
何故か俺に話を振られて困惑する……が、既に答えは決まっている。
「……頭を上げてください」
「お、おお……わかってくれたかっ!?」
「既にそちらとの契約は切れています、赤の他人に頭を下げられても困るんですよ」
「なっ!?」
こいつが態度を改めようが、元いた会社が駄目なことには変わりがない。
だから今更何をされようとも取引を継続するという選択肢は存在しないのだ。
そうなった以上、俺とこいつの間にはもはや何の縁もない……関わる理由すらない。
「もう一度言いますがこちらは社外の人間は立ち入り禁止です……早く出て行ってください」
「そう言うことだ……誰か、お客様を外まで送って差し上げろ」
「お、お待ちくださいっ!! わ、私が悪かったですっ!! 雨宮さん、いや雨宮様どうかお許しをぉおおっ!!」
(だから俺が許すとかどうとかじゃなくて社会人としての立ち振る舞いに問題があるんだよ……最後まで分かってなかったなぁ……)
呆れる俺たちの前で、元上司はうちの若い衆に引きずられるように屋外へと追い出されていった。
「はぁ……なんか妙に疲れました」
「本当にすまないねぇ……少し早いけどお昼休みを取って構わないよ」
「いえ悪いですし、ちゃんと時間まで仕事しますよ」
「雨宮君は真面目だねぇ、だけど君はうちの大事な戦力なんだからゆっくり休んでくれたまえ……精神的な疲労でミスされても困るからね」
社長は本気で俺のことを気遣ってくれているようだ。
あまり断るのも悪い、俺はお言葉に甘えて先に休ませてもらうことにした。
社長に頭を下げて休憩室に向かうと、携帯を取り出して直美に連絡するのだった。
(これが俺にとって一番の休息だからね……直美ちゃんの声を聞いて午後も頑張ろう)
『はぁん……んぅ……お、おじさぁん……』
「ちょっ!? な、直美ちゃん何してるのぉっ!?」
『だ、だからぁ花嫁しゅぎょぉ~……んはぁ……』
「絶対間違ってるからそれぇっ!!」




