退職前労働①
「直美ちゃん、今から帰るからね」
『はぁ~い、寄り道しちゃだめだかんねぇ~』
「わかってますよ」
直美の電話を切ると、俺は未だ日が落ち切っていない帰路を歩いていた。
(まさかここまで劇的に環境が変わるなんてなぁ……)
俺が退職届を出したことはあっという間に噂として広がった。
女性社員共は嬉しそうにしていたが、同僚と上司の一部は急に慌て始めた。
何せ俺が辞めればその分だけ彼らの負担が増えるのだから当然の話だ。
(露骨にご機嫌取りやがって……今更何だってんだか……)
直属の上司こそ未だに憤っているが、他の奴らは妙に気を使い俺に押し付けていた残業などを代わりに引き受けるようになった。
そして口々に『こうしてフォローするから辞める必要はないんじゃないか』などと抜け抜けとほざきだした。
もちろん残るつもりはないが、せっかくフォローしてくれているのだから俺は遠慮なく帰宅することにした。
(どうせ辞めて顔合わせなくていいんだから気を使う必要もないしなぁ……)
時折居心地の悪さこそ感じるもののストレスは激変した。
お陰で帰路を進む足取りも軽い、あっという間に家に辿り着いた。
「ただいま~」
「おっかえり~っ!! おじさん最近早くていいねぇ~、直美ご飯食べに行きた~いっ!!」
「あっはっは~、いいぞいいぞぉ……フードコートね?」
「うわぁい、なおみうれしー……豪勢なのかせこいのかよくわからないんだけどぉ……」
「一応退職金も出るらしいけど……やっぱり節約はしないとねぇ」
直ぐに新しい職場が決まればいいが、そう上手く行くとは限らない。
そう考えたらやはりお金は溜めておきたいところだ。
「もぉ、しょぉがないなぁ……きょぉは直美の特製オリジナル究極アレンジヘルメット料理をごちそーしちゃうんだからねっ!!」
「ヘルメットって異物混入しないでよ……アルティメットの間違いかな?」
「すぐそぉやって揚げ足取るんだからぁ……べぇつに英語なんてど~でもいいでしょぉ?」
呆れたようにつぶやきながら台所へ向かう直美。
俺は食材を買い置きするタイプではない。
それなのにご飯を作れるということは事前に買っておいてくれたのだろう。
(本当は最初から作ってくれる気だったんだなぁ……)
俺がお金を節約したがるとわかっていて気を使ってくれたようだ。
もちろん断る理由もなく、俺は食卓の椅子に座って大人しく料理を待った。
「ふふぅ~ん~」
鼻歌を歌いながら楽しそうにフライパンを動かしている直美。
その後姿を見ているだけで頬が緩んでしまう。
(直美ちゃんには物凄く救われてるなぁ……もう頭が上がらないや……)
何かお礼をしたいところだが、どんなことをすれば年頃の女の子が喜ぶのか見当もつかない。
かといって直接聞こうものなら間違いなくエロいことを要求される。
せめて直美に心配をかけない職場を見つけるまでは、それは止めておきたい。
(何かないかなぁ……直美ちゃんが喜びそうなプレゼント……)
「隠し味にタバスコをいって……ああっとぉ……まぁおじさんのだしぃ……」
考えていると台所からとても怪しい言葉が聞こえてきた。
「な、直美ちゃん何したのっ!?」
「何でもないよぉ……直美を信じるのだぁ~」
「も、ものすごく不安……っ」
直美の声は笑いを堪えているようにしか聞こえなかった。
恐らく何か失敗してそれをごまかそうとしているのだろう。
だけどそれで直美が笑ってくれるなら俺は喜んで食べようと思った。
(何より直美ちゃんの手料理だから……何が出てきても俺は美味しく食べれるよ……)
「お待たせぇ~、直美の特製超究極最強激辛チャーハンのかんせぇ~」
「うぉっ!? に、匂いだけで鼻が痛い……む、むせるぅううっ!?」
「だいじょぉぶい、おじさんなら行ける行けるぅ~」
「わ、わかったよぉ……あむ……うぐぅっ!? か、辛ぁあああああいいいいっ!?」
「あはは、お~げさなんだからぁ……あむ……っ!? み、水ぅううううっ!!」




