月曜日
「ほんとぉに大丈夫? 私もついて行こうか?」
「大丈夫だよ……」
「無理してない? 別に無理しなくてもいいんだよ? 仕事辞めるのだって今は頼めるところがあるんだよ?」
制服を着た直美が玄関前で何度も俺に振り返る。
上司の電話を無視してから初出社だ、よほど心配らしい。
「駄目だったらそこに頼んでみるけど今日は頑張ってくるよ……ほら、遅刻しちゃうよ」
「うぅ……ちゃ、ちゃんと帰ってきてよぉ……私待ってるからね……」
「わかったよ……約束するよ」
「うん、約束……指切りする……」
まるで子供のように小指を差し出した直美。
俺もまた小指を伸ばし、直美のそれに絡ませた。
何度も上下に振って……名残惜しいけれど離した。
「嘘ついたら針……ヤダからね……」
「信じて……ちゃんと直美ちゃんのところに帰ってくるから……」
「うん……わかった……」
本当に昔に戻ったみたいに何度も不安そうに俺の顔を見返して、ようやく家を出ていった直美。
(あんなに心配かけて駄目だな俺は……しっかりしないと……)
自分の頬を叩いて気合を入れて、俺は退職届を持って会社へと向かった。
不思議な興奮というか高揚に包まれていて、心臓はバクバクと高鳴っている。
だけど視界がはっきり見える、今まで朝は陰鬱で足元しか見えなかったというのに。
(よっぽど追い詰められてたんだな俺って……)
もちろん会社に近づくにつれ足は重くなり、嫌な気分になってくる。
だけど直美の心配そうな顔を思い出して堪える。
これをやり切って、今度こそ直美に笑顔を取り戻そう。
「おはようございます」
会社に出社してはっきり挨拶すると、俺は直属の上司を探すが見当たらない。
仕方ないので既に難しい顔で仕事をしている部長の元へ向かった。
「すみません、少しだけお時間良いでしょうか?」
「忙しいの見てわからねーのか……まあいい、なんだ?」
「仕事を辞めようと思いまして、退職届の受理をお願いします」
「ちっ、お前もか……まあいい分かった受け取っておく……一カ月後に辞めるってことでいいんだな?」
意外とあっさりしていた。
まあこの会社を辞める奴は多いから慣れているのだろう。
「はい……唐突ですみませんが正直限界なので……」
「わかったわかった……じゃあさっさと仕事に戻れ」
拍子抜けだがほっとした、俺は自分の席に戻ると仕事を処理し始める。
凄まじい量が溜まっている……多少サービス残業してでも出来るだけ終わらせてしまおう。
「雨宮ぁああっ!!」
「っ!?」
少し遅れて上司が出社して一直線に俺のところへとやってくる。
「お前よく抜け抜けと会社にこれたなぁっ!! わかってんのか自分がしたことっ!!」
「…………っ」
やはりストレスの元凶を見るとどうしても動悸がする。
何を言うこともできずにいる俺を睨みつける上司。
「社会人としてあり得ないだろっ!! 仕事舐めてんのかっ!! もう辞めちまえよっ!!」
「……ふぅ……ええ、辞めますよ」
「はぁっ!? 辞めれるわけねーだろうがっ!! お前なんかどこ行ってもやっていけねーよっ!!」
怒鳴り喚き散らす上司、近くで女性社員がこちらをみてクスクス嗤っていた。
「本当ですよ……もう退職届なら部長に出しました」
「なっ!? ほ、本気で言ってんのかお前っ!?」
「ええ……じゃあ仕事溜まってますので……」
俺はもうみんな無視して仕事に没頭することにした。
「そ、そんなこと許されると思ってんのかっ!?」
「…………」
上司がまだ喚きたてているが放っておく。
どうせ辞めるのだ、こいつらの機嫌を取っても仕方がない。
どこか達観したような気分で仕事を続ける俺。
「雨宮さんやめちゃうんすか~?」
「……ああ」
縁故採用されて以来、ずっと俺に尻拭いをさせてきた奴がまぬけ面で近づいてくる。
「うわぁ~寂しいわぁ~ほんっと残念っすわ~」
全く感情がこもっているように聞こえない。
「……だから俺は残ってる仕事を終わらせるから、そっちはそっちで頑張ってくれ」
「あっちゃぁ~、じゃあこれ誰に相談しようかなぁ……」
どうやらまた何かトラブルでも起こしていたらしい。
流石に辞める人間に任せても仕方がないと判断したようで違う人のところへ去って行った。
上司も外回りに出かけたことで静かになっている。
(やっと落ち着いて仕事ができる……)
お陰で今までとは比べ物にならない早さで仕事が進んだ。
この調子なら辞めるまでに全て片付けて引き継ぎのデータも作れそうだ。
(ああ、ものすごく進みが早いなぁ……)
仕事もだが時間が過ぎるのも早い、あっという間に昼になったように感じる。
いつもならここで同僚のクレーム処理や上司のストレス発散に付き合わされていたがもう関わる理由はない。
俺はさっさと席を立つと食事を買いに外出した。
(ああ、空気が美味しい……んんっ?)
携帯電話を取り出してみるとまた凄い数のメッセージが届いていた。
直美が恐らく学校の休み時間にちょくちょく送っているのだろう。
『大丈夫?』『平気?』『何かあったら言ってね?』
(物凄く心配かけちゃってるなぁ……)
『大丈夫だよ、今昼休みでご飯食べに向かってる……もう退職届も出したしちゃんと辞めれそうだよ』
返信してあげると間髪入れずに電話がかかってきた。
「もしもし……」
『おじさん……会社大丈夫だった?』
「うん、退職届も出したし……問題ないよ」
『よかったぁ……ちゃんと帰ってきてよ、私待ってるからね』
「わかってるよ……ありがとう直美ちゃん」
「……感謝してるなら直美、今日はおいしーものごちそぉしてほしいなぁ?」
俺の声を聞いてようやく安心したのか、いつもの調子が戻ってきた。
それがどうしようもなく嬉しくて、俺は残りの時間も頑張ろうと思えるのだった。
「もちろんいいよ、何でもご馳走してあげちゃうよ」
『じゃあ直美この間行ったお寿司屋さんいきた~いっ!!』
「……お寿司屋さん以外ならどこでも連れてってあげるよぉ」
『もぉ……じゃぁこの間食べそびれた和牛専門の焼き肉屋さんいっこぉっ!!』
「…………この間のファストフード店の前で待ち合わせね」
『お、おじさんの嘘つきーーっ!!』




