史郎と亮とオタク少女な直美ちゃん㊶
食事を終えるなり霧島は自然な動作で俺達の分も含めて食事の後片付けを始めた。
俺の知っているかつての霧島なら誰かに押し付けるか有耶無耶になるまで放置していたはずだ。
(変われば変わるもんだなぁ……直美ちゃんの母親として恥ずかしくないように怠け癖まで治そうとするなんて……俺や変な彼氏と付き合ってた頃は全くそんな素振り見せてなかったってのに……)
尤も当時はまだまだお子様だったし、その後に自分の愚かさを大いに思い知らされて反省したというのも変わった理由の一つだろう。
ただそれ以上に直美のことを大切に思っているからこそ頑張れているのだと、今なら信じられる気がした。
果たして直美も似たような想いを抱いているのか、そうして真面目に動いている霧島の背中をじっと見つめ続けていた。
(食事中は意地でも顔を見ないようにしてたのに……やっぱり気になってるんだろうな……)
元々複雑な想いを抱いていた相手なだけに霧島の前では……まして思春期真っ盛りの直美はそうそう素直になることが出来ないでいるようだ。
だからこそこうして向こうに見られる心配のない状態になると、逆に目が離せなくなるのかもしれない。
俺達の食べ終えた食器を洗い片付けている霧島……その姿は一見すれば普通の主婦が家事をしている姿とそう変わらないように映る。
そんな母親の動きを、まるで採点するような目つきでじっと熱心に直美は観察し続けた。
「……よしっと、これで……あ、あれ? ど、どうしたの二人とも?」
「……別にぃ」
家事を終えたところでこちらへと振り返った霧島は、未だに食卓へ座っている俺たちを見て不思議そうな声を洩らす。
しかしその兆候が見えた時点でサッと顔を背けた直美は、怠そうに机へと身体を持たれかけながらいつの間にか手に持っていた携帯電話を弄っていた。
どうやらよほど霧島の前では向こうを意識している姿を見せたくないのだろう……だけれど母親の問いかけに顔を背けながら不機嫌そうに答える年頃の娘という構図は、やっぱり普通の家庭の姿とどこか重なって見えるのだった。
「……ふふ、まあ油っぽいもの食べたばっかりだからすぐ動くのはどうかと思ってね……食後のお茶でも入れようかな?」
「そ、それなら私が……お世話になってるしこれぐらい任せてよ……」
「じゃあ頼むよ……直美ちゃんもいるでしょ?」
「……史郎おじさんが飲むなら飲むぅ」
「じゃあ三人分入れるから……ええと急須は……」
改めて俺たちに背中を向けてお湯を沸かし急須を探し始める霧島。
その様子を俺たちは何も言わず見守り続けるのだった。
*****
「ずず……ふぅ……落ち着くなぁ……」
「ずず……むぅ……ちょっと薄ぅい……」
「あ……も、もう少し濃いめの方が好みだった? じゃあ覚えておくから……」
「……ふん」
直美の難癖に近い指摘にも素直に頷く霧島だったが、その顔は珍しく直美の方を向いていなかった。
何せ霧島は俺達と向かい合うように座りながらも、丁寧な文字使いで履歴書を書き込んでいるのだから。
「頑張ってるみたいだけど、新しく書いてるってことはまた駄目だったのか?」
「あ……う、うん……これが中々……ほ、ほら私高卒でしかも履歴書に書けないことばっかりだからさ……面接とかでちょっと突っ込まれるとそれだけで言葉に詰まっちゃって……多分そのせいだと思うけど……」
苦笑いしながら答える霧島だが、確かに資格どころか職歴すらない三十越えの人間ともなるとまともなところへ就職するのは困難だ。
それでもアルバイトやパートならば諦めなければいずれどこかには受かるだろう。
「……まあ焦らずゆっくりやれよ……変なところに就職したらそれこそ大変だからな?」
「う、うん……だけどあんまり史郎と嵐野君に面倒かけるのは悪いし……出来るだけ早く仕事見つけるから……」
「……」
そんな俺たちのやり取りを横目で眺めている直美……何か言いたげに口元が動いているが、結局声を発することはなかった。
「そんなこと考えなくていいって……確かに面倒は色々と見てるけど迷惑だなんて思ってないし……それにこうして食事とか用意してくれて助かってる面もあるからな……」
「そ、そんな大したことじゃないから……むしろもっと沢山お返ししないと全然釣り合わないし……せめて生活費ぐらいは渡さないと……」
「……なぁんだ、ここから出る気ないんだ」
「っ!?」
どこか穏やかな空気を感じながら会話していた俺達だが、そこでぼそりと呟いた直美の言葉により一気に緊張が満ち溢れる。
どうやら直美は生活費という言葉から、霧島が働き出してからもこの家を出る気が無いと悟ったらしい。
(な、直美ちゃんっ!? そ、その言い方……まさか霧島に出て行ってほしいってことかっ!? で、でもじゃあ今までの態度は……っ!?)
どこか直美が霧島を受け入れているように思えていただけに、それは余りにも不意打ち過ぎて俺は驚愕を隠せずにいた。
それは霧島も同じなのか、一瞬で泣き出しそうなほど顔を歪め……しかしその後で小さくぽつりと続けた直美の言葉を聞いてしまう。
「……よかったぁ」
「えっ!? な、直美っ!? い、今なんてっ!?」
「あっ!? べ、別に何も言ってな……な、名前で呼ばないでって言ったでしょぉおおっ!!」
途端に霧島はパッと顔を輝かせて涙を拭い去ると、物凄く嬉しそうに身体を乗り出しつつ感極まったような声を発した。
それを聞いて直美は仕舞ったとばかりに顔を歪めて……どうも無自覚で呟いていたようで、慌ててごまかそうとするかのように大声で叫び出すのだった。
(……はは、なんだ逆だったのか……働き出したら家を出ていくんじゃないかって気にして……だからさっきから何か言いたげな顔して……よ、よかったぁ……)
直美が嫌がっているわけではないと……何だかんだでこの状況を好意的に受け入れ始めていると知った俺は心底安堵して、急激な感情の変化に疲れて机にもたれ掛かってしまうのだった。
「あっ!? ご、ごめんねっ!! だ、だけど私まだここに居てもいいんだよねっ!? 貴方が嫌がってるんじゃないかって不安だったけど……」
「べ、別に好きにすればいーじゃんっ!! だ、大体この家は史郎おじさんのなんだから直美にはかんけーないしぃっ!!」
頬を赤らめながらやっぱり目を合わせようとしない直美だけれど、それはやっぱり年頃の子供が親に意地を張っているようにしか見えなくて、俺は妙に微笑ましい光景に思えて……いつまでも傍でこの二人を見守っていたいと心の底から思えるのだった。




