史郎と亮とオタク少女な直美ちゃん㉙
「はぁ……疲れたぁ……」
今日もまた無事に仕事を終えた俺は、凝り固まった肩を解しながら一人帰路を歩いていた。
(でも何とか仕事も終わらせられる目途も立った……これならもう仕事の方は通常通りのペースでも大丈夫だろうし……後の問題は直美ちゃんだけだ……)
前に休んだせいで溜まりに溜まっていた仕事も何とか一区切りつけられて、一つだけ肩の荷が下りたような気分になる。
尤も残っている問題こそが一番の難解なのだから困ってしまう。
(霧島が戻ってきた衝撃で直美ちゃんはかなり不安定になっちゃったけど……それ以前から直美ちゃんが抱えてる問題は色々と多かったみたいだからなぁ……)
実際に直美は霧島が戻ってくる前どころか亮が居なくなる以前から、人見知り自体はかなり酷いものだった。
それこそ中学校に入って初めて出来たあの二人以外にお友達が未だに出来ないほど……逆にだからこそあの二人を直美が家に連れて来た日などは、感激のあまり俺も亮もケーキまで買ってきてお祝いしようとして直美に窘められてしまったぐらいだ。
(あんまり嬉しかったから俺も亮も暴走しちゃったんだよなぁ……直美ちゃんには悪い事をしたよ……だけどあの時が一番……唯一直美ちゃんがまっとうに成れるチャンスだったんだけどなぁ……)
俺達のはしゃぎっぷりがよほど気恥ずかしかったのか、初めてできたお友達と価値観の共有ができるようになったためか、直美は反抗期っぽくなった。
そして子供じゃないと主張するかのように俺たちの手を借りずに、色々と自発的な行動をとるようになっていったのだ。
(亮には持ってくるプレゼントとか受け取りつつもお世話するなって騒いで……それでいて誕生日とかの記念日には内緒でケーキとか用意してあげるぐらい可愛らしく噛み付いて……俺にはもう大人の女の子だってアピールするかのように半裸で胸とか押し付けながらエロゲーを一緒にやろうと誘ってきて……ちょっとズレてるけど直美ちゃんなりに自立しようと頑張ってるのが見て取れて……成長を感じられて……寂しいけどそれ以上に嬉しかったんだけどなぁ……)
しかしそれも亮が居なくなったことで近しい人を失う恐怖を覚えてしまったのか……あるいは思い出してしまったのか、反抗期は一気に終わりを告げて俺により依存するようになった。
必要以上に甘えたり縋りついたりして……そのうち外に出ることも厭うようになっていった。
(あの時は俺が甘やかせ過ぎたせいで直美ちゃんがだらけてるだけだと思ってたけど……お友達二人の言い方からすると、多分その頃から男子を中心に下劣な目で見られるようになってたんだろうなぁ……)
考えてみれば直美は幼い頃こそ虐待染みた躾を受けてガリガリだったのだが、俺達に保護されてからは見る見るうちに肉付きが良くなっていった。
そしてまるで当時の分の栄養も補給しているかのように育っていった直美は、中学生になる頃には服の上からでも女性的なスタイルが目に付くほどに立派な身体に成長してしまったのだ。
(それで思春期の男子ばかりの場所に通ってるんだから嫌でもそう言う目で見られちゃうよなぁ……しかも中学校も比較的近いところにあるから多分、母親が派手に男漁りしていた噂を聞いてる奴もいただろうしなぁ……)
下手をしたら歳の近い子だけではなく大人の中にも直美をそう言う目で見る奴がいたかもしれないし……それどころか直接的にセクハラしてくる奴すら居たのかもしれない。
そうだとしたら直美が余計に人目を気にするようになって……対人恐怖症染みた思いを抱くようになっても不思議ではない。
(しかもそこへ母親が……噂の張本人が戻って来て……余計に変な目で見られるかと直美ちゃんが警戒するのも無理はないんだけどなぁ……)
確実に今の直美を追い詰める一因になっているであろう霧島だが、それでも俺はすぐにでも直美の傍から追い出そうという気にはなれなかった。
元々そんな権利がないというのもあるがそれ以上に昨夜の霧島の行為と……それに対する直美の反応を覚えているからだ。
(確かに霧島の存在は直美ちゃんの感情を惑わしている……だけどそれは嫌悪感だけじゃないはずだ……)
何だかんだで母屋の手料理を食べきった直美……寝言で母親に甘えるような声を洩らした直美……きっと心の奥底では母親の愛情を求めている部分があるはずなのだ。
しかし同時に忌避感も零ではないはずで、問題なのはその割合がどのぐらいなのかが傍からはわからないということだった。
それどころか下手をしたら直美自身ですらわかっていないのかもしれない。
(その辺りのことがはっきりして……その上で直美ちゃんが霧島を嫌がる様なら俺はどんなことをしてでも切り離すつもりだけど……もしもそうでないのなら……そして霧島がちゃんと母親をやれるようになれば少しは直美ちゃんも落ち着くんだろうけど……)
そこで俺はそうなってほしいと……直美と霧島が仲良く母娘の関係に戻れることを願っている自分に気が付いてしまう。
霧島のことはあれほど嫌っていて見限っていたはずなのに。
(当時、あんな風に態度が一変して見捨てられて……一時期は物凄く怨んでも居たんだけどなぁ……だけど考えてみたら霧島も直美ちゃんと同じで地味だったけど魅力的な身体に成長してた……ひょっとしてあいつもそう言う目で見られてストレスを感じていたんじゃないのか?)
もしそうだとすれば当時も俺は何も気づいてあげられなかったことになる。
霧島からしたら自らが異性からの下劣な視線で悩んでいるときに、隣に住んでいた幼馴染の俺は亮と共にゲームに熱中していた愚かしい男にしか映らなかったのかもしれない。
(俺なりに毎日お世話して、面倒見てあげてたつもりだけど……もしそうだとしたら……肝心な悩みに全く気付いてあげられない俺は霧島のことをちゃんと見てあげられてなかったってことになる……そりゃあ嫌われても仕方ないよなぁ……)
今だからこそそう思える俺は、だからこそ直美の二の次とは言え霧島の現状も……あの苦しそうな顔も何とかしてあげたいと思えるのだった。
尤もこれは亮に支えてもらってそこまで深刻にならなかったからこそこんな風に振り返れるのだろうけれど……そうでなければやはり俺は霧島の当時の裏切りを許せずにいたに違いない。
(そう言う意味でも亮には感謝しかない……だからこそあいつにも幸せになってもらいたいもんだけどなぁ……やっぱり折を見ていい仕事を探すのを協力してあげないとなぁ……)
そう思いながら俺は改めて帰路を歩く速度を早めようとした。
恐らく今日も直美の様子を見に俺の家にやってきているだろうから……少しでも早く帰って相談にでも乗ってやりたいと思ったからだ。
「あ、雨宮課長っ!! はぁはぁ……ま、間に合ったぁ……」
「えっ!?」
しかしそこへ走ってきたらしい後輩の子が、息を切らせながら俺に近づき……女性とは思えない力で両肩を握りしめて来た。
(な、なにこの力強さっ!? そ、それに何か顔が怖……っ!?)
「あ、雨宮課長ぉっ!! こ、これとお……嵐野さんに渡してあげてくださいっ!!」
「えっ!? と、亮に……うおっ!?」
そして勢いよく押し付けられたのは、分厚く閉じられたファイルに挟まれた就職情報紙であった。
「あ、嵐野さんが気になるって言ってた職種調べてみましたからっ!! あ、雨宮課長の家に居るって聞いたので……茶、ちゃんと渡してあげてくださいねっ!!」
「えっ!? あ、う、うん……それは構わないけど……」
「じゃ、じゃあおねがいしますねっ!! し、失礼しますっ!!」
「ちょ、ちょっとっ!?」
そのまま勢いよく駆け抜けていく後輩の子を、俺は呆然と見送ることしかできないのであった。
(な、何で……どうしてあの子が亮の就職を……そ、それに何か顔が赤かったような……ま、まさか……えぇっ!? な、何がどうなってんのぉっ!?)




