史郎と亮とオタク少女な直美ちゃん㉑
「ただいま……」
「お、お帰り史郎……お疲れ様……あ……っ」
仕事を終えて自宅に帰り着いた俺を、やっぱり居間で待っていたらしい霧島がすぐに出迎えて来た。
そして自然な動きで俺の鞄を受け取ろうと手を伸ばすが、あえて俺はそのまま無視するように自分の部屋に向かった。
(はぁ……お前は変わる前も変わった後も、そういうことする奴じゃなかったし……そう言う関係でもないだろ……)
果たして彼女の行動が迷惑をかけている俺への申し訳なさからくるものなのか、或いは反省したアピールなのか……どこぞで働いていた名残なのかはわからない。
ただ俺はこんな霧島の姿を受け入れることができないでいた。
だからどうしてもこんな風にきつい当たり方になってしまうが、それでも霧島は俺の態度を見ても悲し気に顔を歪めるだけで何を言い返すこともなく後ろから静かについてくる。
おかげで俺たちは妙に重苦しい沈黙に包まれてしまい、それに耐えきれなくなったところで自然に口を開いていた。
「……今日は何か進展あったのか?」
「えっ?」
「仕事でも……直美ちゃんの事でも……何かあったのかって聞いてるんだが……?」
「……ごめんなさい」
俺の言葉に霧島は顔を俯かせると力なく呟いた。
「……じゃあ今日は一日、何をしてたんだ?」
「……史郎に借りたお金で新しい履歴書とついでに食材を買って……後、証明写真撮ってきて……その後は会社に電話して……そ、そして履歴書書き上げて郵送しに出たんだけど……そ、そしたらちょうどなお……あの子が帰ってきて……こ、声を掛けようとしたんだけど……」
そこで霧島は足を止め、声を震わせながらも必死に言葉を紡いだ。
「は、話かけるなって……あ、あんたなんかに名前で呼ばれたくないって叫ばれちゃって……す、凄い目で睨みつけられちゃって……」
「……それだけ直美ちゃんはお前のやってきたことに苦しめられてきたってことだ」
「うん……わかってる……私も今日、ちょっとだけ買い物行って……それだけでも色々と……あの子はずっとこんな中で暮らしてたんだよね……?」
「ああ、そうだ……しかも守ってくれるはずの家族はどこにも居なくて、育児放棄から虐待染みた目にまで合って……その後は家族の居ない寂しさを堪えながら今日まで過ごしてきたんだ……そしてようやく再会したと思ったらあんな自分勝手な言い分を口にして……憎まれても無理のない……っ!?」
「……っ」
俺の言葉を聞いて霧島はビクリと身体を震わせたかと思うと、自らの服の裾をギュっと握りしめた。
俯いたままだから霧島がどんな表情をしているのかはわからないが、その顔の辺りから床に向かいポタポタと水滴が垂れているのは見て取れてしまう。
(い、言い過ぎたか……いやけどこれぐらい直美ちゃんを思えば……って、何で勝手に俺が直美ちゃんの気持ちをわかったつもりになって文句言ってるんだ……そんな権利ないだろうが……)
実際に育児放棄されて被害を受けていた直美が怒るのは無理もない話だし、ある意味で当然の権利ともいえる。
しかし逆に言えば直美が受けた苦しみを俺が勝手に代弁するなど許されるはずはないし……何より仮にも霧島は反省しているようにふるまっている。
それこそ霧島を匿っている点から彼女の生活に関しての口出しは許されるだろうけれど、直美に関することを直美本人の許可もなく責めるのは筋違いだ。
(それなのに俺は……直美ちゃんがずっと苦しむところを見てきたからつい言いたくなるのか……それともやっぱりあの裏切られた時のことを根に持ってるのか……そうだとしたら、情けなさすぎるぞ俺……)
「……済まん、言い過ぎた」
「……ぐす……ううん、いいの……多分史郎の言う通りだから……私、ろくに考えもしないで……嵐野君にあの子が私を必要としてくれてるって聞いて……こんな私を……み、見た目とか身体とかじゃなくて私個人を必要としてくれる人が居るんだって嬉しくて……だから会えば喜んで母親だって受け入れてくれるって……み、皆笑顔で……幸せになれるって思い込んでて……そんなわけなかったのに……」
謝る俺に、霧島はうつむいたままフルフルと首を横に振り涙声でそう答えた。
(……考えが足りないというか幼稚というか……だけどそれは楽な行き方ばっかりしてたから周りへの配慮とか出来てないだけで……悪意があったわけじゃないのか……こいつは自分の事だけ考えて戻ってきたわけじゃなくて、こいつはこいつなりに皆のこと考えて……なのか?)
「ごめんね史郎……せっかくあの子と平和に暮らしてたのに……私が戻ってきたりしたから……め、迷惑だったよね?」
「……まあ迷惑なのは否定しないが……霧島家はお前の家なんだから戻って来たことを卑下することはないだろ」
「だ、だけど……あの子があんな……ずっと離れてたけど自分そっくりなあの子があんな辛そうな顔させて……し、史郎にまでそんな顔させて……そ、それに浮気してたお父さんはともかくお母さんの精神も病ませちゃって……ほ、本当に私、周りを不幸にしてばっかりだ……」
辛そうに苦しそうに後悔を口にする霧島……だけれどそれは自分の境遇への嘆きではなく、周りに掛けた迷惑を憂う言葉であった。
「……あんまりすぎたことを深く考えるな……それよりこれからどうするかを考えろ」
「うぅ……う、うん……わ、私出来るだけ早くお金稼いでどこか行くから……し、史郎とあの子の迷惑にならないよう……だからもう少しだけ我慢して……」
「そう言う意味じゃない……過去を反省したんなら、それをこれからの生活に活かせって言いたいんだ……」
「え……? そ、それって……?」
俺の言葉にようやく顔を上げた霧島は、涙にぬれる顔を拭いながらこちらをじっと見つめてくる。
そんな彼女から俺は僅かに視線を反らしそうになるが、何とか堪えて見つめ返しながら続きを口にした。
「要するに、ちゃんと変われよってことだ……あんな自堕落な生活は止めて……周りを苦しめるような享楽的な生き方も止めて、俺たちに迷惑が掛からないよう自立して……そしてその上で、自分のしたことの責任の取り方を考えろって話だ……」
「じ、自立……責任……う、うん……だから自分一人で生きれるように地盤を作ったらここから離れて……」
「あのなぁ……それで本当にお前がしたことの責任を取ったことになるのか? 直美ちゃんと向き合いもしないで逃げようとしてるだけじゃないのか?」
「っ!?」
それを聞いて霧島ははっきりとショックを受けた様に目を見開いた。
「直美ちゃんは確かに今、お前を見て苦しんでるし……心も物凄くかき乱されてる……だけど逆に言えば全く関心が無かったらそんな風にはならないだろ……直美ちゃんはお前にまだ何かを期待してるんだよ」
「き、期待……わ、私にあの子が……?」
「ああ……それが良い意味なのか……ひょっとしたら怒りをぶつけ足りないっていう悪い意味なのかもしれないけど……どっちにしても、それはお前がこの場から居なくなったら有耶無耶で終わってしまう……そしたらきっと直美ちゃんの心の中には解決できないでモヤモヤが残り続けることになる……」
自分でそう言いながらも、俺はいつぞやともに寝た際に直美が漏らした寝言を思い出していた。
『……くぅ……すぅ……お母さ……直美、良い子……もっと撫で……すぅ……』
(直美ちゃんは甘えん坊だけど本当に良い子なんだ……だからきっと、今自分が霧島に感情的に当たってしまっていることも内心では自分を責めているはずだ……亮が居なくなった時に自分の発言を悔いていたみたいに……)
そう思えばもしここで霧島との関係を清算できないまま遠くへ行ってしまったら、それこそ一生引きずってしまいそうだ。
だからこそ俺はあえて霧島が直美と向き合う前に何処かへ行かないよう、優しく微笑むと忠告染みた言葉を掛けるのだった。
「だからお前が本当に直美ちゃんを思ってるなら……変わろうとしてるなら……幾ら直美に拒絶されても……否定的な言葉を掛けられても……ちゃんと話し合える日まで傍にいてやれ……それを俺は邪魔したりしないから……」
「あ……ぅ……し、しろ……うぅ……」
果たして俺の言葉に何を感じたのか、霧島は声にならない声を洩らすと……何故か少しだけ頬を赤らめて床に視線を落としてしまうのだった。
(一体どうしたんだこいつ……まあ否定しなかったってことはわかってくれたと思うとして……しかし俺も偉そうなこと言えた義理じゃないよなぁ……過去の霧島の行いに囚われて今の霧島が何をしても懐疑的な目で見ててどうするんだか……ちゃんとこれからのこいつを見て評価してやらないと……)




