史郎と亮とオタク少女な直美ちゃん⑫
「あ、雨宮課長……本当に大丈夫ですか?」
「ああ……俺は、大丈夫だよ……」
徹夜明けでそのまま会社に来た俺を後輩の女性社員が心配そうに気遣ってくる。
あれから何度も亮と連絡を取ろうとし続けた俺は、結局眠ることができなかったのだ。
しかしそれは直美も同じのために、俺は自分の不調よりも直美のことが気になって仕方がなかった。
(ちゃんと学校行けたかな……ああ、いっその事お友達二人に連絡しておくべきだったかな……だけど大人の俺が直美と同年代の子に頼るわけには……直美だって俺が友達にそんなことするのは嫌がるだろうし……心配だなぁ……)
悲痛な顔つきで何度も携帯を弄っていた直美の姿は余りにも痛々しくて、正直俺は会社を休もうかと思ったぐらいだ。
だけど直美はそんな俺に向かい無理やり笑顔を作ると大丈夫だからと呟いて、そこからは普段通りのノリで俺を送り出そうとした。
(自分は学校休んで一日ゲームするからぁとか……ニート主婦直美は働く旦那様を応援しますとか……無理して行ってるのバレバレだったからなぁ……このまま俺が居たら無理し続けるんじゃないかと思って一人にしてあげようと思ったけど……)
果たしてこの選択が正しかったかはわからない。
ただ昼休みに様子を確認しようと連絡しても、直美はずっと話し中のままだった。
(やっぱりまだ亮と連絡を取ろうとしてるんだろうな……はぁ……やっぱり傍にいてあげるべきだったかな……)
「はぁ……っととっ!?」
「ほ、ほらまた……今日はずっと動きはふら付いているし注意力も散漫ですし……本当に大丈夫なんですかっ!?」
机の角に腿をぶつけて転びそうになった俺を見て、後輩の子は再度心配そうに声をかけてくる。
「だ、大丈夫だって……ちょっと疲れてるだけで……それにあと少しで定時だからさ……」
「それはそうですけど……はぁ……じゃあせめて私が資料とか取ってきますから、雨宮課長は座っての作業に専念しててください……」
「あぁ、悪いね……それは助かるよ……」
「これぐらい大したことじゃありませんよ……全く、放っておくと雨宮課長はすぐ無理をするんですから……辛い時ぐらい私たちを頼ってくれてもいいんですからね?」
「そうですよ雨宮課長……いつもお世話になってる分、今日は俺達が頑張りますから……定時になったらすぐに帰っていいですからね」
俺を気遣う後輩の子の言葉を聞いて、近くに居た部下までもが頷いてくれる。
「……ありがとう皆……悪いけどお言葉に甘えさせてもらうよ」
彼らの想いに素直に感謝を示しながら、俺は改めて自らの仕事を終わらせてしまおうと作業に没頭するのだった。
(ありがたいなぁ本当に……良い仲間に恵まれて、本当に良い職場に入れたもんだよ……これがもしサビ残しなきゃ許されないようなブラック企業だったらどうなってたことか……案外直美ちゃんと一緒に共依存に陥ってたり……それは今も大して変わらないかぁ……)
*****
「こ、ここまでで良いって……本当に大丈夫だから……」
「駄目ですぅ……途中で倒れられたりしたらこっちが困るんですからね……家が見えるところまではついて行きます」
定時を迎えて帰宅を始めた俺だけれど、後輩の女性社員は心配だからと後をついてきて離れてくれなかった。
それこそ会社を出てから同じ電車に乗り込んだかと思うと、そのまま俺の降りる駅で一緒に降りて改札を抜けようとまでしてくる。
「い、いや前にも言ったと思うけど俺の家族は人見知りだから……それにここからはタクシーで帰るからもう安心して……」
「ならせめてタクシーに乗るところまで確認します……どうせ雨宮課長のことだから節約とか何とか言って無理して歩いて帰ろうとするに決まってるんですから……」
「う……い、いやほら改札を出たら切符代掛かるし……そんなの悪いから……」
「そんなの大した額じゃないんだから気にしませんよ……どーせ独身で無駄にお金は余ってますからね……」
軽く図星を付かれた俺は慌てて別の口実を口にしたけれど、彼女はむしろいじけたように呟くとササっと改札を抜けてきてしまう。
「ほら、早くタクシー乗り場に……全然タクシー居ないじゃないですか……やっぱり歩いて帰るつもりだったんでしょ?」
「あ、あはは……いや、たまたま居ないだけで少し待てば多分きっと恐らく……」
「じゃあそれまで一緒に待ちましょうね雨宮課長……それとも電話して来てもらいますか?」
じっと俺を睨みつけてくる女性社員の言葉に、俺はもう反論の余地を失ってしまう。
(うぅん、ぶっちゃけここからならタクシーを待つより歩いて帰った方が早いからなぁ……それに今日は一刻も早く直美ちゃんに会いたいし……未だに通話中なんだもんなぁ……)
家の中で一人ぼっちで過ごしているであろう直美が今どうしているのか気になって仕方がない。
だから少しでも早く帰ってあげたかった俺は、後輩の子を振り切るのを諦めることにした。
「……いやいいよ、やっぱり歩いて帰るから……だけど何度も言うけどうちの子は人見知りだから……」
「わかってますよ……私は家が見えるところまで付いたらそこで待機して雨宮課長が入るところを見送ったら帰りますから……」
「うぅん……あんまり夜道を女性一人で歩かせたくないんだけどなぁ……」
「私は大丈夫です……少なくとも今のフラフラな雨宮課長よりはずっとマシですから……どぉせこの年まで彼氏無しなモテない女ですからね……」
「そんなことないと思うけどなぁ……じゃあこっち……とっとぉっ!?」
またしても自虐するように呟く彼女に意識を取られていたせいか、縁石に足を取られて転びそうになってしまう。
「ああっ!? 言ってる傍から……やっぱり今の雨宮課長を放っておけません……」
「うぅ……た、たまたまだってぇのに……」
そのせいで今度こそ言い訳も何も出来なくなった俺は、付いてくる彼女を止める言葉を失ってしまうのだった。
「しかし、雨宮課長ってこの駅だったんですねぇ……意外と近いところに住んでいたんですね……」
「えっ!? そ、そうなの?」
「ええ、私は隣の駅から……それこそ学生時代はそこのコンビニでアルバイトもしてましたからね……」
「へぇ……それは知らなかったなぁ……じゃあ意外と子供のころに会ったことがあったかもしれないなぁ……ちなみにどこの学校に通ってたの?」
「私が通ってたのは……」
何気なく彼女が呟いた言葉からお互いに近いところに住んでいたことを知り、驚きながらも話題が弾んでしまう。
「へぇっ!! じゃあそれこそ通学中にすれ違ったりしてたかもしれないねぇ……」
「雨宮課長があそこの……えっ……じゃあまさか……あの時の絆創膏くれたお兄さんって……」
「えっ? 何がどうし……っ!?」
何かを期待するような目を向けてくる後輩の子に意図を尋ねようとした俺だが、そこで自分の家が見えて来て……玄関先に携帯を手にした直美が立ち尽くしていることに気付いてしまう。
あの引きこもりがちな直美が自らの意志で外に出るとは思えなくて、何かあったのかと思わず後先を忘れて駆け寄ってしまう。
「な、直美ちゃんっ!? どうしたのっ!?」
「ふぇっ!? あっ!! し、史郎おじさんっ!? も、もうそんな時間なのぉっ!?」
駆け寄りながら叫んだ俺の声を聞いてようやくこちらに気付いた直美は、慌てて時刻を確認したかと思うとすぐ俺に視線を戻し……飛びついてきた。
「おかえりぃ史郎おじさぁん……よかったぁ、間に合ってぇ……」
「えっ!? な、何がっ!?」
「あ、あのねぇ実はついさっき電話があっ……ふぇぇっ!?」
「えっ!? あ、雨宮課長どうし……あらっ!?」
そこへ後ろから後輩の子が駆けつけて来て、俺の影で見えなかった直美に気が付いて呆気にとられたような声を洩らす。
そんな彼女を見て直美もまた目を見開いたかと思うと、顔を真っ赤にしてサッと目を逸らしながらも俺の手を必死に引っ張り始めた。
「し、史郎おじさん……か、帰ろ……家の中入ろ?」
「あ、ああ……そ、そうだね……じゃあ悪いけど俺の家はそこだから……」
「あ……そ、そうですか……す、済みません気づかなくて……え、ええと初めまして……私は雨宮課長の後輩の……」
「うぅ……い、いいから……ほ、ほら史郎おじさん早く……っ」
挨拶しようとする後輩の子に視線を合わせることなく俺の手を必死に引く直美。
その手には力が込められていて、絶対に離すまいという意思が見て取れた。
(人見知り……ってだけじゃなさそうだな……俺が離れていくのを恐れて……やっぱり付いてきてもらうべきじゃなかったかなぁ……)
ここまで見送ってくれた女性社員の子には悪いけれど、直美が一番大切な俺としてはやはり彼女を優先してあげたい。
「わかったから……じゃあ悪いけど俺は帰るから君も気を付け……ああ、ちょうどタクシーが来たからあれで帰ると……っ!?」
「し、史郎ぉっ!!」
「っ!!?」
そこへちょうどタクシーがやってきて、手を上げて止めると同時に後部座席が勢いよく開いたかと思うと聞き覚えのある声と共に……彼女が飛び出してきた。
(な、何で……どうして霧島がっ!?)
「史郎っ!! あ、あいたかっ……な、何その女っ!?」
「な、何って……い、嫌お前こそどうしてここに……っ!?」
「……俺が連れて来たんだ」
忘れられるはずもない初恋の女の子だった霧島は、別れたころと大して変わらない風貌でありながら何故か分かれる前のように俺を親し気に見つめ……たかと思うと傍にいた女性社員の子を睨みつけた。
そんな母親の姿を見て直美は何を思うのか、俺の手をギュっとにぎりしめながらも近づいてくる霧島のことをチラチラと不安そうに見つめていた。
しかし俺は一体何が起きているのか訳も分からず呆然と尋ね返すことしかできなくて……だけどそこで遅れてタクシーの助手席が開いたかと思うとまたしても見覚えのある……ずっと会いたかった奴が姿を現してそれしか目に入らなくなってしまう。
「あ……あぁああっ!! ほ、ほんとぉにとぉるおじさんだぁ……お、お帰り亮おじさぁあああんっ!!」
「と、亮……本当にお前なのか……っ!?」
直美もまた亮の姿を見つけると今までの不安も何も消し飛んだかのように感激の涙を流しながら、必死に手を振り始めた。
そんな俺たちを申し訳なさそうに見つめながら亮は……儚く微笑んで見せるのだった。
「ああ……ごめんな勝手に姿消して……それにこんなに時間がかかって悪かったよ直美ちゃん……だけどもう……ところで史郎、そこの女性は?」
「えっ!? あ、あの私はただ雨宮課長の後輩で……その、体調が不安だから着いてきただけでして別に……」
「い、良いから私の史郎から離れてっ!! ごめんなさい史郎っ!! 私本当に馬鹿だったっ!! もうあなたのこと裏切ったりしないからっ!! だから……っ」
(な、なんだっ!? どうして霧島がこんな態度を取ってっ!? それに亮が連れて来たって今更何でっ!? と言うか直美ちゃんに何か言うことないのかこいつはっ!? 俺の後輩に構ってる場合じゃないだろっ!! 彼女をこんなことに巻き込むわけには……ああ、もぉ、何をどうすればいいんだこの状況っ!?)




