史郎お兄ちゃん㉛
「な、何でお前らがっ!?」
史郎お兄ちゃんの想像通り、まんまと女に呼び寄せられてきた父は入り口の傍にいる私たちを見るなり血相を変えて叫び声を上げた。
「あんたが約束すっぽかすからここまで出向いてきてあげたんでしょうがぁっ!! 何か言うことないのっ!!」
「う、うるさい黙れっ!! 勝手にこんなところまで押しかけてくるなっ!! 迷惑だっ!!」
「そうかもしれないと思い、あなた様のご都合が良い待ち合わせ場所を決めたのですが……どうして来られなかったのですか?」
「わ、忘れてただけだっ!! そ、そう言うあんたは……べ、弁護士かっ!?」
「はい、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません……私はこういう者です」
弁護士さんに名刺を差し出された父は、女とは違い手に取るとまじまじと内容を確かめ始めた。
どうやら偽物でないか疑っているようだが、さらに弁護士さんがバッチを見せながら何とか番号とやらを告げると父ははっきりと驚きに目を見開いた。
「ほ、本当に弁護士を雇いやがったのか……お、お前らなんかがどうやって……」
「な、何その言い方っ!? どんだけ私たちを馬鹿にしてるのっ!?」
私たちを……特に母を見つめて呟いた父の言葉からは私たちを見下しているのがありありと読み取れる。
(そ、そりゃあ史郎お兄ちゃんが居なかったら今頃……だ、だからってあんたみたいな最低な男に見下される覚えなんかないんだからっ!!)
怒りを込めて父を睨みつける私、隣では亜紀お姉ちゃんも同じようにしている。
ただ母だけは落ち着いていて……むしろ父をどこか悲し気に見つめていた。
「……あなたの言う通り私一人ではおろおろ悩んでため込んで何もできなかったでしょうね……本当に駄目な女でしたから……」
「いえ、確かに私を紹介したのは雨宮様ですが直接話して契約されると判断されたのは貴方様の意志です……何も卑下することはありませんよ」
「そうですよおば……お義母さん……あなたは何も悪くないんですから堂々と胸を張ってくださいよ」
「……あ、雨宮だと……お、お前まさか隣のガキかっ!?」
そこでようやく史郎お兄ちゃんへ視線を投げかけた父、今までは弁護士さんの連れか何かだと思っていたのだろう。
「ええ、お久しぶり……と言っても俺は殆ど顔も合わせてないし話だってした覚えはありませんけどね……」
「う、うるさいっ!! それよりお前が弁護士を紹介したのかっ!? 無関係な他人のくせに余計な真似しやがってっ!!」
「いいえ、史郎さんは無関係なんかじゃないわよ……だって娘の将来の旦那様ですもの……」
「は、はぁっ!? ふ、ふざけたことを抜かすなっ!! そんなこと認めると思ってるのかっ!?」
「何今更父親みたいなこと言ってるのよっ!! ふざけてんのはあんたの方でしょうがぁっ!!」
現状に混乱が極まってきたのか、史郎お兄ちゃんへ当たろうとする父。
反射的に怒鳴り返した私は、どんどん心の底からこの男に対する怒りが湧き上がってくる。
(散々親としての責任を放棄しておいて、それでいて肝心なところでばっかり私たちの邪魔ばかりして……何なのこいつっ!!)
「その言い方ですと娘お二人に対して親権を主張なさるおつもりですか?」
「あっ!? い、いえその……す、すみません恥ずかしい所をお見せして……」
高ぶっていた父だが弁護士さんに対してはすぐに腰を低くして対応する。
内弁慶とでもいうのか、自分より立場が弱いと見た相手にだけ威張っているつもりなのだろう。
それもまた腹が立つことこの上ないが、感情的に口を開こうとした私を史郎お兄ちゃんが押しとどめた。
「直美ちゃん、それに亜紀も冷静になって……とにかく話し合いを進ませないと」
「うぅ……し、史郎がそう言うなら……」
「ぬぬぅ……わ、分かったよ史郎お兄ちゃん……」
「ありがとう……じゃあ弁護士さん、お願いします」
史郎お兄ちゃんはあえて父が逆らいにくい存在である弁護士さんから話を進めてもらうことにしたようだ。
「わかりました……では私のほうから説明させていただきますが……このまま立ち話もなんですから部屋の中に入れて頂くわけにはいきませんか?」
「こ、この部屋はそう大きくないから……そ、それにこの馬鹿女が汚すからこんな大人数は入れないんですよ……」
「ば、馬鹿女って……だ、誰のことよっ!?」
それまでは無しにも入らず片隅で小さくなっていた父の愛人だが、はっきりと馬鹿と言われて腹が立ったようだ。
すぐに食って掛かるが、そんな彼女に父もまた口汚く言い返した。
「お前に決まってるだろうがっ!! こんな状況で俺を呼び出しやがってっ!! この裏切り者がっ!! お前がもっと金を使いたいって言うから連絡したせいでこうなったんだぞっ!! どうしてくれるんだっ!?」
「う、うるさいわねっ!! あんたが常々俺は金持ちだから幾らでも贅沢城って言ってたんでしょうがっ!! そっちこそこんな修羅場に私を巻き込んで……この最低のクズ男っ!!」
「なっ!? お、お前誰のおかげでこんな良い暮らし出来てると……」
「お二人とも言い争いは後でお願いします……とにかく今は話を進めましょう」
罵り合う二人の間に弁護士さんが入り込み、強引にその場を収めてしまう。
そして私たちは部屋の中で今後について話し合いを始めた。
尤も事前に準備できているこちらに対して、向こうは良い訳にもならない取り繕いをしては論破されるばかりだった。
「で、ですから育児放棄していたわけでは……」
「これについても既に調べはついています……また育児放棄だけでなく夫婦における共有財産の使い込みにも相当しますのでこれも慰謝料とは別に請求させていただきます」
「うぐっ!? し、しかし慰謝料と急に言われてもその……」
「浮気の証拠もこの通りですので……もちろん養育費についても当然の義務ですので請求させていただきます」
「なぁっ!? そ、そんなことしたら私は生活していけませんよっ!?」
「そちらの収入等も調査済みです……このマンションもあなた様の持ち物なのでしょう? 支払い能力は十分にあると判断しております……またこちらをご覧ください、これも……」
淡々と追い詰められている父は先ほどまで私たちに見せていた威勢はどこへ行ったのか、どんどんと顔色が青ざめていく。
そしてついには口を噤んだまま俯いて、何も言わなくなってしまった。
「……以上ですね、この条件に納得いただけるのでしたらこちらの書類にサインしていただければ後は私が処理いたします」
「……もしも、しなかったら?」
「依頼主様の意志にもよりますが裁判で争うことになるでしょうね……尤もそちらに勝ち目はないでしょうし、時間と費用が無駄になるだけかと思いますよ」
「…………」
暫くの間、父は無言で黙り込んでいたが最後にはのろのろと動き出すと書類にサインをし始めた。
てっきりもっとごねてくるかと思っただけに、これは驚きだった。
(そう言えばお母さんが面倒なことから目を逸らして逃げるたちだっていってたなぁ……弁護士さんの約束を無視して逃げ回るぐらい厄介ごとが嫌いみたいだからもうさっさと終わらせちゃおうと思ったのかなぁ? まあこいつの内心なんかどうでもいいけどぉ……ざまぁみろぉっ!!)
こちらの主張が通ったことと、何より目の前ですっかり落ち込んでいる父の……いや元父の姿にかなり溜飲が下がる私。
亜紀お姉ちゃんも史郎お兄ちゃんもどこか満足げだけど、お母さんだけはやっぱりそんな元父をどこか悲しげに見つめていた。
「ありがとうございます、これでこちらの要件は終わりました……帰りましょう」
「そうですね、長居しても仕方ないですし……帰ろうか皆……」
「う、うん……帰ろうお母さん」
「そ、そぉだよ……早くあのお家に帰ってご飯食べようよ」
立ち上がった史郎お兄ちゃん達に次いで、私も立ち上がりお母さんの手を引っ張った。
「そうね、帰りましょうか……じゃあ、さようなら……あなた」
「……っ」
母の別れの言葉に、元父は僅かに身体を震わせたけれど結局何を言うことも無く顔を上げようともしなかった。
(はぁ……何か大変だったなぁ……私何もしてないけど……け、けどとにかくこれで全部終わりぃっ!! こいつとは縁切れだし、あのお家も私たちの物になった……本当に全部史郎お兄ちゃんのお陰……ありがたいなぁ……後でお礼しちゃうんだからっ!!)
「史郎お兄ちゃん、ありがとうね」
「いや俺は何もしてないよ……お礼なら弁護士さんに……」
「いえ私は仕事ですから……では私は時間も押してますのでこのまま事務所に戻らせていただきます」
「長々とお付き合いさせてすみませんねェ……本当に助かりました」
恐らくは予定時間を超過しただろうに、最後まで付き合ってくれた弁護士さんに皆で頭を下げる。
だけど弁護士さんは全く気にした様子もなく、淡々としたまま別れを口にするのだった。
「お気になさらず……それより雨宮様、先ほど話した就職の件……考えておいてくださいね」
「えぇっ!? あ、あれ本気だったんですかっ!?」
「私はいつでも本気ですよ」
「し、史郎弁護士になるのっ!? す、凄すぎだよぉ……」
「うぅ……た、確かに……な、直美たちももっと頑張らないと……」
「い、いやまだ決めてないからねっ!? な、何で落ち込んでるの二人ともぉっ!?」
「キャーーーーーーーーーーーーっ!!」
「っ!?」
部屋を出て少し歩いたところで、後ろから女性の甲高い悲鳴が聞こえてきた。
振り返ると私たちの出てきたドアがまだわずかに閉まり切っておらず、声はその部屋の中から聞こえてきたようだ。
「お前が……お前がぁあああああっ!!」
「だ、誰か助けてぇっ!!」
「くっ!? な、直美ちゃん達はここにいてっ!!」
「し、史郎ぉっ!?」
「し、史郎お兄ちゃんっ!?」
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