史郎お兄ちゃん㉘
「直美ちゃん、お勉強は順調かい?」
「いちおー……だけどどぉしてもやっぱり集中しきれないから一番よかった時に比べるとちょっとねぇ……」
窓越しに話しかけてきた史郎お兄ちゃんに、私はちょうど今解いたばかりの過去問を見せてあげた。
従来の合格点ならば何とか超えているが、これ以上ミスが増えたり今年だけ難易度が変わったりしたら危ないかもしれないギリギリのラインだ。
「あらら、やっぱり計算ミスとか細かい単語の間違いが多いねぇ……まあこれぐらいなら大丈夫だと思うけど……やっぱり家のこと気になるよねぇ……」
「う、うん……弁護士さんのお話も聞いてるし大丈夫だって頭では分かってるんだけどぉ……それにまたあの男が私一人の時に来たらどうしようとか考えちゃうの……はぁ……」
少しため息が漏れてしまったが、これでも少し前までと比べればまだ胸の内は晴れているほうだ。
何せ今後の生活や金銭面についてはもう心配する必要がなくなったからだ。
史郎お兄ちゃんとお母さんが弁護士さんに相談した結果、十中八九こっちに有利な形であの男と別れられそうだと判明したのだから。
(思いっきり浮気から育児放棄の証拠まであるから、養育費だけじゃなくて慰謝料まで取れるって言ってたし……けどそれを知ったあいつがどんな行動に出るか……そっちが一番心配だよぉ……)
一度我が家に尋ねてきただけに、それこそ私一人の時にまたやってきて暴れたりしたらと思うとそれだけが不安だった。
「うーん、それは確かにそうだよねぇ……まあ近々直接顔を合わせて正式に離婚とその条件を話し合うついでに接触禁止にもするつもりだからそれまでの我慢だよ」
「うぅ……けどけどぉ……それでほんとぉにあいつこっちに来なくなるかなぁ……」
「元々厄介ごととか面倒ごとから目を逸らしたがる人みたいだし、多分弁護士さんを挟んで正式に決めた約束を反故したりはしないと思うよ……今回の件だって今の浮気相手にもっとお金を使いたいって我儘言われて渋々動いてるみたいだし……」
「し、史郎お兄ちゃんが言うならそうなんだろうけどさぁ……」
頭では信じれば史郎お兄ちゃんを信じていればいいと分かっている。
だけどやっぱり直接あの男が訪ねてきた衝撃が忘れられない私は、不安を隠し切れなかった。
「そんなに気になるなら……話し合う当日、直美ちゃんも一緒に来るかい?」
「ふぇぇっ!?」
「このままじゃ勉強が手につかなそうだし、ならいっその事多少時間使ってもちゃんと決別するところを見てさっぱりしたほうが効率上がりそうだからね……どうだい直美ちゃん?」
「そ、それは……も、もちろん行くよぉっ!! 史郎お兄ちゃんといっしょなら安心安全だもんねぇっ!!」
史郎お兄ちゃんの提案に激しく頷いて見せる私。
確かにもう一度直接会って、あいつが正式に離婚に同意するところを見たほうがすっきりしそうだ。
(よぉしっ!! あいつと完全決着付けてさっさと忘れ去ってぇ……お勉強に集中して史郎お兄ちゃんと愛の学園生活を送るのだぁっ!! 私ファイトぉ~っ!!)
「じゃあ当日は俺とお義母さんと、亜紀と直美ちゃんの四人で行くことになりそうだね……霧島家が空になっちゃうけど留守はうちの母親に頼んでおけば……」
「あはは、史郎お兄ちゃんもうちのお母さんのことそぉ呼んでるのぉ~直美たちとおんなじだぁ~っ!!」
「そ、そう言えば直美ちゃん達も俺のお袋をお義母さんって呼んでるみたいだけど……な、何があったの?」
「えへへ~、ひっみつなのだぁ~っ!! だけどこれでもぉ史郎お兄ちゃんは私たちから逃げられないのだぁ~っ!!」
笑いながら告げてあげると史郎お兄ちゃんは……何故かとても神妙な顔つきでゆっくりと首を横に振って見せた。
「それは違うよ直美ちゃん……君たちじゃない……だって結婚できるのは……一人だけだから……」
「え……し、史郎お兄ちゃん……っ?」
「本当はもっと早く結論を出すべきだった……いや頭の片隅で考えてはいたけどどうしても答えが出せなくて……だけど今回あの男の行動を見てて思ったよ……俺はちゃんと選ばなきゃ……まだもう少し時間がかかるかもしれないけど……俺……きちんと答えを出すから……」
「……っ!?」
とても真剣な顔で呟く史郎お兄ちゃんの言葉に、私は……何故か胸に痛みを感じてしまうのだった。
(し、史郎お兄ちゃん……そこまで直美たちのこと……将来のこと考えててくれたんだ……け、けどそれって私かお姉ちゃんがフラれ……うぅ……と、とにかく今じゃないから……まだ先だから……え、選ばれなかった時のこととか考えちゃ駄目だぞ私……はぅぅ……む、胸がキュってするよぉ……)
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