霧島と史郎㉒
「亜紀ちゃん……本当に今日で終わりなんですよね……」
「うん……ごめんね急な話で……何かあったら電話してくれていいからね」
新しい職場が決まってから丁度一カ月、ついにコンビニを辞める日がやってきた。
何だかんだで長く働いてきただけあって、それなりに親しくなった人たちが別れを惜しむ言葉をかけてくれる。
店長やお客様、そして今度は早めに来てくれたシフト交換要員の女の子だ。
誰もかれも私なんかに優しくしてくれる良い人たちだった……特にこの交代要員の子などは連絡先を交換する程度にまで仲良くなれた。
(昔の見せかけだけの奴らとは違う対等な初めての友達……まあ五歳年下ってのが情けないけど……)
名残惜しい気持ちはあるし、もっとこのぬるま湯のような環境に浸っていたかった。
だけどそう言うわけにはいかない、私はもう楽な方に流されて生きるのは止めたのだ。
直美の母親だと胸を張って言えるような立派な大人になる……そのためにもしっかり先を見据えて成長していかなければいけないのだ
(直美の親として……史郎に頼らなくてもやって行けるようにならなくちゃ……いつまでも史郎を巻き込んで……苦しめるなんて……嫌だから……)
「はぁい……はぁ……寂しくなるなぁ……」
「私も寂しいよ……だけど色々と事情もあるからこればっかりはねぇ……」
「それはそうでしょうけど……あの、亜紀さんが辞めるのってやっぱり例の人が絡んでたり……」
「ううん、史郎は関係ない……むしろ私が……」
「あ、亜紀さんっ!?」
この子にならと思い軽く事情を説明しようと思ったところで、いつもの学生の子が勢いよく飛び込んできた。
「し、仕事……辞めちゃうって本当ですかっ!?」
「いらっしゃいませ……うん、今日で最後なの……新しいところ決まったからね……」
「そ、そうなんですか……そ、そこは良い所なんですよね?」
「うん、史ろ……ちゃんと情報を集めて給料とか休日とか確認したし、福利厚生も大丈夫だから……」
言いながらもこれも史郎頼りで決めたことを思い出してしまい、改めて自分がどれだけ世間知らずで迷惑をかけてきたか嫌でもわかってしまう。
(こんな調子で史郎に頼らないでやっていけるのかなぁ……ううん、やっていかないと……)
直美に関してならともかく、私の事までも史郎に頼って押し付けては駄目なのだ。
だって史郎は私の旦那でも彼氏でもない、ただの幼馴染……いやその関係すら私が勝手に切り捨てた無関係な隣人でしかない。
それなのに自分が困ったら助けを求めて、傷付いている史郎を気遣うこともしなかったなど最低としか言いようがない。
(史郎のお母さんの言う通りだよ……私ただの疫病神だ……もうこれ以上私の事で悩ませちゃ駄目だ……直美のことでどうしようもなく行き詰った時だけ……それ以外関わっちゃ駄目なの……)
「……それならどうしてそんな浮かない顔してるんですか?」
「え……?」
「本当はそこで働くの……嫌なんじゃないんですか?」
ついつい史郎を想って落ち込みかけていた私に、学生の子が真剣な様子で語りかけてきた。
どうやら話の途中で物思いにふけって暗くなってしまったから、私が就職で悩んでいると勘違いしたようだ。
「あはは……そんなことないよ……ちょっと違うこと考えてて……」
「いやでも確かに亜紀ちゃん最近落ち込みっぱなしだったし……普通就職決まったらもっと嬉しそうにすると思うんだけど……」
「も、もう店長まで……ですから何でもなくて個人的に色々ありまして……」
必死に言いつくろうけれど、みんな訝し気に私を見つめるばかりだった。
「あの男が来てからですよね、亜紀さんが変わったのって……ひょっとしてあの人に脅されたり……」
「ち、違うからねっ!! もう史郎は関係ないのっ!!」
「……何が関係ないんだ?」
「っ!?」
否定しようと叫んだところで、ちょうど店内に入ってきた史郎が私に冷たい声をかけてきた。
即座に皆の視線がそっちに向くが、史郎は軽く一瞥した後全てを無視して私の下へとやってきた。
(ど、どうして……ここの所仕事が忙しいって直美が言ってたのに……っ!?)
「し、史郎……な、何で?」
「有給使って早退したんだよ……こうでもしないと話す時間取れなそうだからな……」
「ぁ……ぅ……」
史郎の言葉も視線もどこか責めるような厳しいものだった。
前に史郎の母親に叱咤されてから、私は出来る限り史郎に嫌な思いをさせないためにも顔を合わせないようにしていた。
それこそ窓越しでの会話も避けるようにして、連絡事項は全て直美を通して行うようにしたのだ。
そうやって私が避けていることに史郎も気づいたのだろう、それでこのように職場まで押しかけてきたようだ。
「とにかく……もう仕事終わるんだろ……さっさと着替えて来いよ……外で待ってるからな……」
「う、うん……」
まさか嫌ですと言うわけにもいかず、私は力なく頷くことしかできない。
そうして背を向けて外へ向かう史郎の後姿を見つめながら、この後どうするべきか考えるのだった。
「……ま、待てよっ!! あんた亜紀さんの何なんだっ!?」
「ちょ、ちょっとっ!?」
しかしそこで学生の子が、史郎に食って掛かった。
「あんたが来てから亜紀さんは変になった……ため息ばっかりついて……なのに絶対あんたのことを悪く言わないで言いなりみたいに従って……何考えてんだよっ!?」
「もういい加減にしてっ!! 流石に怒るよっ!! ごめんね史郎、気にしないで良いから……」
「…………はぁ」
学生の子を咎めつつすぐに謝罪したが、史郎はため息をつくとゆっくりとこちらへと振り返った。
そしてまっすぐ私を見たかと思うと、静かに学生の子へと視線を移し口を開いた。
「こいつは……どうしようもなく手が掛かる厄介な腐れ縁の……大事な幼馴染だ……そして俺の言いなりでも何でもない、自分の頭で考えて行動している立派な大人だ……自分勝手な感情でわめきたてるガキのお前が気にしていい相手じゃねぇんだよ」
「あ……」
「っ!?」
迫力のこもった力強い声に気圧されて、この場にいる誰もが何も言えなくなってしまう。
ただ私だけは……そんな風に想われていたと知って、何やら胸が詰まるような感激に襲われていた。
「はぁ……たく……亜紀、外で待ってるからな」
「う……うんっ!!」
史郎の言葉に頷くと、私は他のみんなを置いてすぐに着替えると店の入り口に立った。
そして出る前に一度振り返ると、感情のまま……笑顔ではっきりと別れを告げた。
「じゃあ皆、さようならっ!!」
「あ、亜紀さん……」
「亜紀ちゃん……」
「あ、亜紀ちゃん……良いなぁ……」
何か言いたげな男性陣と羨まし気にこちらを見つめる交換要員の女の子を置いて、もう私は振り返ることなく史郎の下へと駆け寄るのだった。
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