霧島と史郎⑲
「い、いらっしゃいませぇ……」
「あ、亜紀ちゃん……本当に大丈夫なの?」
「大丈夫ですよぉ……ちょっと慣れてないことしてるから疲れてるだけですから……ふぁぁ……す、すみません仕事中に……」
店長の気遣う声に笑顔で返事をしようとして、思わず欠伸が漏れてしまった。
ここの所、睡眠時間を減らしているので眠気が中々取れないのだ。
「いや、それぐらい構わないけど……この間から変だよ亜紀ちゃん、何かあったら相談してくれていいんだからね?」
「ありがとうございます、だけど平気ですから……」
「ならいいけど……だけど慣れないことって何をしているんだい?」
「あはは……まあ大したことじゃないですよ……ちょっとした勉強です」
余り深く突っ込まれたくなかったが、とりあえず本当のことを告げておく。
あれから私は夜、直美を寝かしつけた後に史郎と昔のように窓越しで話をするようになった。
尤も当時と違って会話の内容は私が何をすべきか……いや直美を幸せにするためにどうするべきかについてだ。
そしてその話し合いで、まずは私の現状を変えていかなければいけないことがはっきりと分かった。
(私がしっかりしてなきゃ直美の評価にも関わっちゃう……何より私も直美の母親だって胸を張って言えるような人間になりたい……私なんかを好きでいてくれる直美に……関わってくれる史郎を失望させたくないもん……)
だから私は色んな勉強をするようになった。
一般的な教養から就職に有利になりそうな資格など、とにかく将来何が起きても対応できるようきちんと学ぶことにしたのだ。
少なくとも身体を売ったりとか、人に後ろ指を指されるような選択が頭をよぎらない程度には強くならなければいけない。
(直美がもう少し成長して手が掛からなくなったらちゃんとしたところに就職して、あの男の支援なしでもやっていけるようにならないと駄目だし……頑張らなくちゃっ!!)
ずっと怠けていたから今更勉強するのはとてもつらかった。
何より先生もいない状態だから分からない所に詰まると、答えを探すのは一苦労だ。
それでも直美の為だと思えば私は幾らでも頑張れた。
何より史郎も、そんな私を見続けてくれている……だから全然音を上げる気にはならなかった。
「ふぅん……何の勉強?」
「それはその……あ、お客様ですよ店長……いらっしゃいませぇ」
続く店長の指摘を今度こそ流して、私は接客に集中することにした。
何せ資格の勉強が上手く行った暁にはこの仕事は辞めて、もっと条件の良いところを探す気でいる。
もう何年も務めていてそれなりに思い入れもあるが、直美のことを思えばバイトという立場に甘んじているわけにはいかない。
それでもまだ先が決まってない状態でそんなことを店長に言う気にはなれなくて、私はこの話を膨らませたくなかったのだ。
「こ、こんにちわ亜紀さん」
「いらっしゃいませ、いつもありがとうございます」
いつもの常連である学生さんが持ってきた商品をレジに通し会計を済ませてしまう。
しかし彼はレジ袋を受取ってもなお、その場を動こうとしなかった。
「えぇと……どうかなさいましたか?」
「あ、あの亜紀さん……あれから調子はどうですか?」
「ああ、ご心配おかけしてすみません……私は平気ですから」
彼も又私を心配しているようだけれど、やはり部外者に事を話す気にはなれなかった。
「本人はこう言うんだけどねぇ……やっぱり気になるよねぇ……」
「そ、そうですよっ!! き、気になりますよっ!!」
「あ、あはは……大げさだなぁ……」
しかしそこに店長も入ってきて、二人して私を見つめてくる。
(こ、困ったなぁ……本当に大丈夫なんだけどなぁ……前に史郎が来たときの対応がアレだったから心配させちゃったのかなぁ……)
一体どうこの場を乗り切ろうか考えていた私の耳に、新しいお客様の来店を告げる音が聞こえてきた。
ちょうどいいと思った私は二人を一度放置して入り口に顔を向けて……デジャブと共に彼の姿を目の当たりにした。
「よぉ……」
「……いらっしゃい、史郎」
「あ……っ」
前と同じように表れた史郎だが、私を見て口元に僅かだが笑みを浮かべていた。
そして私もあの時とは違い、ちゃんと笑顔で出迎えることができた。
そんな私たちを交互に見て固まる学生さんと店長を押しのけるように、史郎は飲み物を片手にレジへとやってくる。
「お疲れ様史郎……今日も早かったね」
「まあ……色々あってな……それより亜紀、お前の仕事は……」
「うん、もう少しで終わりだから……待っててくれたら……嬉しいなぁ」
「……はぁ……本当に面倒な奴だなお前は」
呆れたように言いながらも史郎は決して首を横に振るようなことはしなかった。
そして飲み物片手に外に出ると、そこで立ち止まり私が出てくるのを待ってくれていた。
「あ、亜紀さん……あの人って……」
「おはようございまぁすっ!! 亜紀ちゃん、外で例の人とすれ違ったけど……」
「わかってるよ、店長じゃあ私帰りますね」
「あ、ああ……気を付けて……」
何やらボケっと私を見つめる二人だったが、これ以上史郎を待たせるのは悪いのであえて放置したままお店を後にした。
「お待たせ史郎……帰ろっか?」
「……あいつらはいいのか?」
「えっ? あいつらって?」
「…………まあいいけど」
私の言葉に史郎は疲れたような顔を見せながらも私の横に並んで、一緒に歩きだした。
「ありがとう史郎……また様子見に来てくれたんだね」
「ああ……言っただろ……お前が逃げ出さないよう監視してやるって……」
「ふふ……そうだったね……」
私は弱いからすぐ楽な方に流れてしまう、だから直美の為に逃げ出さないよう監視する……そう言う名目であの日から史郎はずっと私に付き合ってくれている。
相変わらず口調は厳しいままだけど、困った時には相談に乗ってくれて直美の相手もしてくれる……本当に史郎は昔と変わらず優しい人だった。
そうやって史郎は私が間違わないよう見続けてくれていて、それが嬉しくてたまらない。
(これが好意とは違うって分かってるけど……それでも史郎が私を見ててくれるってだけで……無視しないで相手してくれてるだけで……凄く幸せだよ……)
だから私はもう絶対に愚かな真似はしないつもりだ。
直美に余計な負担をかけたくないし、史郎にも二度と見限られたくないからだ。
「それより……考えたか、引っ越しの話?」
「あ……うん……ちゃんと考えてるよ」
真顔で尋ねてきた史郎、恐らく今日会いに来た本題はこれなのだろう。
現在この街では私への……いや霧島家への悪い噂が知れ渡っている。
当然直美に向く視線も良いものではなくて、これでは成長に悪い影響が出てしまうかもしれない。
ならばいっそ遠くへ引っ越したらどうかという話を、少し前に史郎としていたのだ。
「確かにこのままだと直美がお友達を作るのは難しいと思う……引っ越しが出来るならしたほうがいいのかもしれない……けど……」
「けど……なんだ?」
「……引っ越した先で史郎みたいな理解者が得られるとは思いにくいの……そうしたら片親だからって寂しい思いをさせちゃうかもしれないし……何より…………引っ越し費用が無いんだぁ」
甘えと惨めな現状が混ざった情けない内容だが、嘘偽りなく真剣に答える……もう史郎に隠し事はしないと決めたからだ。
「お前なぁ……まあお金が無いのはわかるけど……そんなに俺を頼るなっての……」
「いや分かってるんだけどさぁ……直美はずっとお家に私か史郎が居る状態で育ってるから、見知らぬ街の見知らぬ家に引っ越してさぁ……私が仕事でいない間そこに一人ぼっちでいるの耐えられるのかなぁって……」
「……それも……そうだな」
私の意見を聞いて、史郎は少し考えた後で同意して見せてくれた。
「何だかんだで直美ちゃんは……寂しがり屋だからなぁ……この間も一人でお風呂入るの嫌だって駄々こねてたぐらいだし……けど流石にそろそろ一人で出来るよう慣らしていったほうが……」
「えっ!? 何それ初耳っ!? というか直美お風呂は結構一人で入ってるんだけど……」
「……嘘だろ? 一人じゃ髪の毛洗えないって俺の手を引っ張ってたんだが……?」
真顔で答える私に、史郎もまた困惑した様子を見せながらも真顔で答えて見せた。
(な、直美ぃっ!? あんた何考えてるのぉっ!?)
我が子の意外な一面に、私は思わず頭を押さえてしまうのだった。
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