霧島と史郎⑯
「…………」
「…………」
並んで歩きながらチラチラと史郎の様子を窺うが、向こうは真っ直ぐ前を向いていて全くこっちを見ようとしなかった。
(やっぱり嫌々付き合ってくれてるから不機嫌なのかなぁ……でも早足でさっさと進んでるわけでもないし……空気が重いよ……)
何も言わない史郎に、私もどう話しかけていいか分からなくて重苦しい空気を感じてしまう。
それでも久しぶりに二人きりになれたのだ、こんな機会はめったにない。
何せ史郎の両親は私を警戒しているし、また直美の前では当たり障りのない会話しかできないのだから。
(今しかチャンスはないんだ……何か……何でもいいから話題を振ってそこから……)
とにかくこのチャンスを逃すまいと、私は何とか口を開いた。
「し、史郎……今日は早かったね……いつももっと遅いのに……お、お仕事は大変なの?」
「…………まあな」
「そ、そうだよね……わ、私もさコンビニだけど長く働いて慣れてきてはいるけどやっぱり疲れちゃうこともあって……そ、それにお金って中々貯まらなくて……た、大変だよね」
「…………そうだな」
当たり障りのない話題に一応は最低限の返事を返してくれる史郎、だけどこれでは話を膨らませようがない。
それでも史郎の両親みたいに無視されるよりはずっとましだと思い、語り掛けることを続ける。
「これから直美はもっともっとお金が掛かりそうだし、あいつからのお金……そ、そう言えばね史郎……少し前から私の父親が生活費振り込んでくれるようになって……だけどちょっと遅れがちだから少し心配で……本当にやりくりが……」
「……それがどうした」
「え?」
急に私の言葉を断ち切るように冷たい声を発した史郎に驚いて足を止めてしまう。
すると史郎も足を止めると、ようやく私のほうをいつもの冷たい眼差しでだが見てくれた。
「お金が不安ならもっと稼げるよう努力すればいい……もっと良い所に就職すればいいだけだろう……お前はその努力をしているのか?」
「あ……そ、それは……だけど高校中退の私じゃ他に働けるところなんて……」
「今すぐが難しくても資格を取ったり、それこそ内職なりの副業をしても良いはずだ……本気で先のことを考えて不安を感じてるならそうしなきゃおかしいだろ」
「っ!?」
史郎の厳しい言葉に、私は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
確かに現状が上手く行っているからこれで良いと思い込んでいたが、自分で言った通りもしあの男から生活費の振り込みが止まればそれで私たちの生活は一気に瓦解してしまう。
(ま、真面目に……一生懸命働いているからこれで良いって思ってたけど……そうじゃないの?)
言葉に詰まる私に、史郎は淡々と口を動かし続ける。
「少なくとも本気で直美ちゃんのことを考えているなら……コンビニバイトだけで何不自由なく養うことができるだなんて甘い考えは持たないはずだ……お前の母親が言ってた通り直美の事をペット扱いでもして……」
「そ、それは違うよっ!! 確かに最初はそうだったかもしれないけど、今は直美が一番大事であの子が生活に不自由しないよう……片親だからって苦しまないよう頑張って……本当に……頑張ってるのぉ……うぅ……」
本当に心の底から直美のことは大切な娘だと思って育てている、しかし史郎にすらそう見られていると知って私は妙に虚しくなって涙があふれてきてしまう。
「お前はもう子供の親で大人なんだぞ、頑張ってるとか努力してるとかじゃなくて結果を出さなきゃいけないんだよ……お前が頑張ってるからそれで足りないところが出て、直美が苦労しても仕方がないと思ってるならそれはただの自己満足だ……」
「そ、そんなこと思ってないっ!! 直美が苦しまないためなら私は何でもするつもりだよっ!! お金だっていざとなれば……」
「身体を売って稼ぐ、か?」
「っ!?」
「やっぱりな……だと思ったよ……結局お前はあの日から何も変わってないな……」
史郎の揶揄するような指摘に胸が痛むが、それ以上に私はあの日のことを言及されたことに驚きが隠せない。
「し、史郎……あの日私が何をしようとしてたか……知ってたの?」
「男漁りだろ……それが金目当てでも何でも、楽な方に逃げてることには変わりない……」
「ら、楽な方って……だ、だってあの時の私に他に出来ることなんか……他に稼ぐ方法なんか……」
「それこそ時間をかけて資格なりを取って就活しても良いし、何なら俺らが一時的に金を貸してやっても良かった……そのために避難場所として……お前ら親子が生活していく基盤作りのために俺はお前ら親子を家に匿ったんだぞ……」
「っ!?」
再度頭を殴りつけられたかのような衝撃が襲い掛かってくる。
あの時私は、一刻も早く史郎の家を出なければと焦っていた。
しかし言われてみれば、誰も私たちを追い出そうとはしていなかった。
ただ……居心地が悪かったから……変な目で見られるのが辛かったから……私がさっさと出ていきたかったのだ。
(そうだよ……直美は雨宮家でも楽しそうにしてたじゃん……何で私、他の手段を試そうともしないで身体を売って稼ごうとしたの……?)
「なのに何の努力もしないで……短絡的な方法に走って……それで直美ちゃんがどんな目で……いや、とにかくお前は……」
「な、直美が何? ねえ直美が……どうしたの?」
「…………っ」
目の前がふらついて気分が悪い、それでも直美の名前だけは聞き逃さなかった。
言葉を濁そうとした史郎に聞き返すと、彼は気まずそうに顔をそらした。
「お願い……教えて……私、馬鹿だけど本当に直美のことは大事なの……ねえ、私なにかしちゃったの? 直美にまで迷惑かけちゃってるの? 教えて史郎……教えてください……」
「…………何で、直美ちゃんが毎週末……休日の度に俺の家に来ると思う?」
「そ、それは……史郎に懐いてるから……だ、よね?」
「それもあるけど……変だと思わないか……直美ちゃんがお友達と遊んでるところ……いやそもそも友達の話を聞いたことあるか?」
「そ、それってっ!?」
記憶を思い起こすけど、確かに直美が他の子と遊んでいるところはおろか名前を出すところすら聞いた覚えがない。
「……直美の通ってる小学校は家の近くだろ……もちろん通ってくるのは俺たちの住んでる街の子供が多い……そして霧島家の奇行は町中に知れ渡ってて……知ってる奴らはお前らを避けてる……つまり……」
「…………直美も……避けられてる……?」
言いながらも私は街の人たちの私たちへの反応を思い返して、史郎の言葉の正しさを理解してしまう。
包丁を振り回すほど精神を病んでいた母に、直美を産む前までとはいえ外に見せびらかすように男との性行為を派手に行っていた私だ。
実際に誰もかれも私たち親子を見て見ぬふりをしてきて、バイト程度ですら受からない程度に忌避されているではないか。
「多分な……直美ちゃんは気づいてないのか……気を使ってるのか知らないけど……放課後だってまっすぐ帰ってくるし……」
「…………げほぉっ!!」
「あ、亜紀っ!?」
自分自身への嫌悪感が止まらない。
気持ち悪くなって私は込み上げる吐き気を抑えながら蹲ってしまう。
(な、何それ……私全然気づかなくて……な、直美に私……ごめんね直美……こんな駄目なママでゴメンねぇ……)
一体私は何をしていたのだろう、どうして大事な直美のことにも気づかずに史郎のことばかり考えていたのだろうか。
目の前がぐらついて意識が遠くなっていく。
「…………っ!!」
何か史郎が叫んでいるけど、それすらうまく聞き取れない。
ただ薄れゆく意識の中で、どうして史郎がこうも私に関わってくるのか……きつく当たるのか何となく理解できた。
(私がまた短絡的に男と寝たりしたら……直美への視線はより厳しくなっちゃう……そっか、私が真面目にしてるか確認したのって直美の……直美ぃ……)
「ごめんねェ……こんなママで……ごめん…………」
ひたすらに直美に謝りながら、私は現実を否定するかのように意識を手放したのだった。
*****
「ごめんねェ……こんなママで……ごめん…………」
「……くそっ!!」
気絶した亜紀に触れることもできないまま、俺は近くの電柱に思いっきり自分の頭を叩きつける。
(何してんだ俺はっ!! こんなこと言いに来たんじゃないだろっ!! どうしてこんなに女々しいっ!!)
本当はわかっている、亜紀が直美のことを大事に思っていることも……やり直そうと必死に頑張っていることもだ。
色々と足りない所はあるが、それにしたって単純に考えが及んでないだけで無意識に逃げているわけではないはずだ。
幼馴染でずっと傍で見ていて、別れた後も未練がましく見続けてきたのだ……今の亜紀に悪意がないことはわかっている。
(わかってんだよ……だから一人で考えずに相談しに来いよって言いに来たはずなのに……馬鹿か俺はっ!!)
もう一度、今度は使い物にならない左手を壁に叩きつける。
亜紀を守る際に大けがを負ったこの手は、未だに精密な動作を行うことができない。
日常生活ぐらいなら問題はないが、趣味のゲームにしても得意だったプログラミングにも支障が出るほどだ。
おかげで就職も上手く行かなかったし、ゲームに至っては小学生の直美にすら負けるほど腕が落ちて遊べるものが減ってしまったが……それでも俺はあの日の行動を全く後悔していない。
そのはずなのにどうしても亜紀の顔を見ると胸の奥から薄暗い感情が湧き上がってきて抑えられない。
(どうして俺は……亜紀を苦しめるようなことばっかりしちまうんだ……今更こんなことしても仕方ないだろうが……)
自分に言い聞かせるけれどどうしても上手く行かない、今だって絶望的な表情で気絶した亜紀を見て……ざまあみろと思ってしまう自分が居る。
何せ俺を捨てて別の男との行為を見せびらかすようにして、道ですれ違うたびに陰口を叩き嘲笑った憎きクソ女が因果応報とばかりに落ちぶれているのだから。
(いい加減にしろよ俺……いつまでそんな過去のことに拘ってんだよ……今の亜紀は頑張ってるだろうが……くそっ!!)
何度も左手を壁に叩きつけて、血が滲むまで痛めつける。
「直美ぃ……ごめんねぇ……」
「亜紀……すまん……」
気絶しながらも涙を流して娘に謝罪する亜紀を見ていると俺のほうが申し訳なくなってくる。
(どうして俺は……こうダメな男なんだろうなぁ……)
せめて涙を拭ってやろうと手を伸ばすけれど、亜紀に近づくにつれて昔のことを思い出して震えが来てしまう。
『私、好きな人ができたからもう近づかないでね』
『話しかけないで……』
前日まで普通にしてたのに急に態度を一変させた亜紀、あれは未だに俺の中でトラウマとして根付いている。
未だに亜紀と会話をしようとするたびに、あの時のように醜い歪んだ顔を見せつけてくるのではないかと身構えてしまうほどだ。
言葉を取り戻したことをきっかけにある程度払拭されたはずだが、それでもやはり亜紀に近づくと嫌悪感が湧き上がってくる。
『たっくぅーん、早く入ろぉ』
引っ切り無しに毎日のように男を招き入れて、窓越しに露骨に喘ぎ声と行為を見せつけてきたあの時に感じた吐き気が消えてくれないのだ。
それでも気絶した亜紀をこのまま置いておくわけにはいかないと、俺は深呼吸を繰り返しながら亜紀の身体を背負って自宅に向かって歩き出した。
「ごめんねぇ……直美ぃ……ごめん……史郎ぉ……ごめん……」
「……どうしてこうなっちゃったんだろうな俺たち……」
背中越しに聞こえる亜紀の謝罪を受け止めながら、俺は空を見上げてぼやくことしかできなかった。
(けどまあ……直美ちゃんは……あの子だけは幸せにしてあげないとなぁ……)
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