霧島と史郎⑦
「はい……わかりました…………失礼します……」
居間にあるソファーに腰掛けながら、史郎が教えてくれた公的機関の二十四時間対応窓口へ電話してみたが成果は思わしくなかった。
確かに職員の人は親身になって相談に乗ってくれた……だけどやはり直美との血縁を証明しなければ動けないと言われてしまったのだ。
しかしこれは考えてみれば当然だ、書類上の関係を無視して口頭で親だと主張しただけの人間を信じて行動を起こせるわけがない。
そんなことになれば無関係の悪人だって利用できてしまうし、もし何かあれば向こうの責任問題になってしまうのだから。
(どうしてあの時ちゃんと親権を……私は本当に馬鹿だ……)
目先のことばかり考えて楽な方楽な方へと流され続けたツケが回ってきたかのようだ。
尤もそれ自体は仕方がないと思う、確かに私はどうしようもない愚かな行為ばかりしてたのだからいずれはこうなっていただろう。
(だけど直美は関係ないのに……ただ私の子供として生まれて来ちゃっただけなのに、何でこの子まで苦しまなきゃいけないの……)
「むにゃ……まぁま……」
ちらりと横目で眠る直美へ視線を投げかけると、どんな夢を見ているのか嬉しそうに笑いながら私を呼び掛けている所だった。
何もないところへ小さい手を伸ばす我が子の可愛らしさに、一瞬状況も忘れてなごんでしまう。
そっと近づいてその手を優しく握りしめてあげると、直美は満足そうに首を僅かに動かしてそのまま静かに寝息を立て始めた。
(私なんかを……こんな駄目な親なのに……直美は頼ってくれてるんだね……)
やはり何があってもこの子だけは守ってあげたいと思う。
それでも私にはこれ以上どうしていいかわからなかった。
(だけどもうこれ以上史郎に協力してもらうわけにもいかないよね……向こうだって苦労してるみたいだし……)
声を出せないと言った史郎だが、どうも体調もよろしくないようだった。
終始落ち着きなく視線をさ迷わせていて、何というかとても怯えているというかオドオドしている様子だった。
更に興奮した私が詰め寄るとビクリと身体を振るわせて飛び退いたかと思うと、一人で考えたいと部屋に戻ってしまったのだ。
確かに私が距離を置く少し前も、オタクだという負い目からかどこか自信のなさげな振る舞いをしているところはあったがここまで極端ではなかったはずだ。
何があったのか気にはなるけれど、自分と直美のことで手一杯な私には史郎のことまで考える余裕は全くなかった。
「……ふぁぁ……眠……」
直美を見て気が緩んだせいだろうか、急激に睡魔が襲ってきた。
ここに来るまで母親の凶行から逃げたり雨に打たれたりして、心身共に消耗していたのだろう。
頭が重くなり、思考もどんどん鈍くなっていく。
(……駄目だ、何も考えられないぐらい眠い……少しだけ……)
この先のことを考えなければと思うけど、こんな状態で何が思いつくはずもない。
少しだけ休もうと直美の隣で横になって目を閉じると、あっという間に意識が朦朧として夢に落ちて行った。
『し、史郎……わ、私……』
『いいんだ、亜紀は悪くないよ……ほら、泣き止んで……んっ』
(ああ……またこの夢だ……久しぶりだなぁ……)
夢の中で私は史郎に謝罪して、許してもらってその腕の中に飛び込んで……幸せな気持ちでキスをしていた。
直美が産まれる前までは毎日のようによく見ていた夢だった。
あの時はただ胸が痛むばかりで苦痛にしか感じなかったが、何故か今はいつまでも浸っていたいぐらい素敵な時間に感じられた。
「……んぅ……あ、あれここ……?」
「…………」
「し、史郎…………そ、そっか私……お、おはよう」
身体が軽く揺さぶられて目を覚ますと、離れたところに棒を手にした史郎が佇んでいた。
恐らくあの棒で私を起こしたのだろう。
(どうしてわざわざ棒で? 近づきたくもないってこと……なのかなぁ……まあそれだけ嫌われててもおかしくないよね……はぁ……)
夢との落差に心が痛むが、まさしく自業自得なのだから何を言う権利もあるはずがない。
『一応朝食は作った、二人で食べろ』
「えっ!? い、いいの?」
『良いから作ったんだ、子供を飢えさせるわけにはいかないだろ』
「あ、ありがとう……直美、ほら起きてぇ」
「むにゃぁ……ままぁ……なおみまだおねむぅ……」
寝ぼけ眼の直美を抱きかかえて食卓に移動して、用意されていた朝食を早速頂くことにした。
眠そうにしながらも直美は、母親が居ないからかいつもと違って緊張した様子も無く美味しそうにご飯を完食した。
「ご、ごちそうさま……でしたぁ……ままぁ、しょっきどこであらうのぉ……?」
「まだ直美は小さいんだからそんなこと気にしなくていいの……ゆっくりしてなさい」
「ほ、ほんとぉ? おこらない?」
直美は私の顔を見て、そして離れたところにいる史郎へと視線を投げかける。
いつも私の母親に怒鳴られながらやらされていたことだから気になっているようだ。
「大丈夫だよ、あの人……史郎はとっても優しいからそんな事じゃ怒らないよ」
「うぅ……ほ、ほんとぉ……し、しろう……おじちゃん?」
「…………」
恐る恐る話しかけてきた直美に、史郎はやっぱり視線を合わせることなく……だけどはっきりと首を縦に振って見せた。
それでようやく安心したのか、今度こそほっとした様子を見せた直美はそこで何かに気づいたように史郎のほうへと駆け寄って行った。
「え、えっと……はじめまして、きりしまなおみです」
「………………雨……宮………………史……郎……」
ぺこりと勢いよく頭を下げて自己紹介した直美に、史郎は物凄く時間をかけながら絞り出すように声を出した。
(一応時間をかければ声出せるんだ……だけど凄く苦しそう……)
「あの、しろうおじちゃんは……」
「ほら邪魔しちゃだめでしょ……戻っておいで直美」
「え……は、はぁい……」
史郎の様子が気になったのか、子供特有の好奇心でさらに何か尋ねようとした直美を何とか呼び戻す。
そうして抱きかかえてあげながら、私は改めて史郎へと向き直った。
「ご馳走様、美味しかったよありがとうね史郎……今食器洗って……」
『そんな事より、この後どうする気だ?』
「あ……それは……」
今更ながら自分の状況を思い出した私は、俯きながらも公共機関に電話した内容を説明した。
「……だからとにかく当面はお母さんに見つからないように暮らしていかないと……書類上はあの人が母親で私は姉だから……」
「…………」
世間体を気にするあの人のことだ、私たちを見つけたら無理やりにでも家に連れ戻そうとするだろう。
そうなった場合、親であるあの人に世間は味方するだろう……尤もそれ以前に包丁を持ち出すような相手と関わろうとしないかもしれない。
(本当にどうしたら……暮らす場所も当てもない……かといって直美のことを思えばあの家に帰るのだけは駄目だ……)
「……ままぁ?」
「……よしよし、いい子いい子」
「え、えへへ……なおみいいこ?」
「とってもいい子だよ……ママの自慢の娘だからね……」
実家に居た時は母親のあらゆる挙動に怯えて泣いてばかりだった直美が、今は私の腕の中で嬉しそうに笑えている。
もう二度とこの笑顔を失わせたくはない、だから絶対にあそこに戻るような真似は出来ない。
「…………」
「あ、ご、ごめん史郎……ええと、とにかく……どこか泊まれる場所を探さないと……ほ、ホテルとかって高いんだよね?」
『子供の父親のところ』
私の質問に史郎は、無言でメモを付き返してきた。
その文字はかなり乱れていて読みずらかったけれど、何とか内容は理解できた。
とても言いずらいことだったけど今更史郎に隠し事を出来るような状況ではない。
私は念のため直美の耳を抑えてから、静かに声を出した。
「…………別れたよ……というか向こうから連絡断ち切ってきた……」
「…………」
「遊びだったってことかなぁ……まああんなとこ直美連れていけないし……もちろん同じ理由で他の男のところも駄目……女友達も居ないし……本当に駄目だよねぇ私って……」
「…………っ」
「史郎?」
「しろうおじちゃん?」
話を聞いていた史郎は無言で目を閉じると、まるで感情を落ち着かせるかのように何度も深呼吸を繰り返した。
何も言えず見守り続ける私たちの前でしばらくそうしていたかと思うと、史郎は盛大にため息を漏らした。
そして……初めて自発的に私を見つめたかと思うとすぐに目を逸らしメモ帳に文字を走らせるのだった。
『今日両親帰ってくる……相談してみる』
「えっ!? そ、それってっ!?」
『期待するな、多分追い出される……けどそれまでは俺の部屋にでも籠ってろ……』
「あ、ありがとう史郎っ!!」
『追い出して子供に……直美ちゃんに何かあったら夢見が悪すぎるだけだ……それだけだ……』
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