カエルの子はドラゴン
第一部
木の中の蛙、大海を知らず。されど大空を飛ぶ
西暦2053年2月。
森の中にある大樹の洞の中。
カエル達は、日々やっとの思いで暮らしていた。
木の洞の中は外界と閉ざされており、毎日がその日暮らしである。
なので、カエル達はいつからかこの場所を<ヒグラシの郷>と呼ぶようになっていた、らしい。
不思議なことに、機械文明が発達し自然が開拓されてきている時の流れの中で、この場所やその他の数少ない自然は人間の手が入って来なかった。幸運なことに。
そこには自然と人間の最後の境界線があったのだろうか?
誰にも、答えは出せない。
そんな中で、一匹のオタマジャクシが誕生したことをここに記録しておく。
名前は、まだない。
そして時は流れ、西暦2053年の9月――
一匹のオタマは前脚が生え(もちろん後ろの脚もしっかりと生えています)エラ呼吸から肺呼吸になり、
洞の中にある水場から出て元気にピョンピョンと跳ね回るようになっていました。
名前は、カエル。ただのカエル。
「聞こえておるか。カエル」
「ゲコ……もう食べられないよぉ……」
「おい。寝ているんじゃあなかろうな? 大切な、とても大切なわしの授業中じゃというのに……」
「ズー・ピー・おやすみなさ――」
そこでプツンと何かが切れる音がしてカエルは目が覚めた。だがもう遅かった。
「カエル!!! 起きなさい!!!」
「うわあぁ!? ニンゲンがついにキタのか!?!?」
「ばか者。授業中じゃ」
ふん、と鼻を鳴らし、立派なヒゲを揺らしながらジィガは振り返った。
そしてコクバン、と郷の中で呼ばれている石版を指差して続ける。
「そうしてニンゲン達はわしら自然に住む者たちの居場所を奪い、ついにこの地に追いやったというわけじゃ」
「ふんふん、なるほどー」
「お前は賢い。だがまだ青い。この世界は広い。わしらの世代にまで遡ることが出来れば外の世界を見せることも出来るのだが、時間というものは誰にも平等に訪れるし、過去を取り戻すことはできんのだ」
熟達した手さばきで石版に何かの図形や文字のようなもの、言葉を書いていくジィガ。
そう。このヒゲが特徴のジィガこそ一族の長老的な存在であり、この郷のリーダーである。世界の色んなことについて知っており、それをひけらかすことで満足するタイプのカエルだ。
「このことをしっかりと覚えておくように……」
「ズー・ピー」
「ととと、それからあの話じゃがな」
「ズ……ゲコ……」
「クリスタル。あれには絶対に触れてはならんぞ」
カエル達の住む郷、ヒグラシの郷は円柱状の空洞になっている。一番上の縁までは高さ20メートル以上あり、途中に枝などもない。よってこの場所は完全に外界と遮断されていると言っていい。
そしてその円柱状の空洞の中心に浮かぶ不思議な物体――それこそが今ジィガが言ったクリスタルだ。
宙に浮いていること自体が不思議の権化であるが、それよりも触れてはならないという言葉の意味のほうが重要だ。
「あれに触れたものは、自分が自分でなくなる。ようするにだ……」
「ゲコ・ゲコ・おやすみなさい……きょうもいいユメ」
「じゃからな……」
と大切なことを最後に告げようとした時である。振り返ったジィガが目にしたのはイスを机代わりにして突っ伏して寝ているカエルの姿だった。
プツン!
「コラーーーーー!!!!!」
「ワーーーーーーー!?」
それから更に時は流れある日の朝。
「カエル! まだまだ脇が甘いぞ!」
「あらよっと! そのウゴキはもう見切ったよ!」
「ならコイツはどうだ! それ!」
「うわあ!?」
ドシン、と尻餅をついたのはカエル。
土俵に仁王立ちしているのはカエルの親であるオットガ。
そのオットガとカエルは組み手、まぁようするに相撲をとっている。
「っかー。やっぱ親父には敵わねェーな」
「フフン。俺に勝とうたって10年は早い。相撲に限ればな」
と、自信のあるんだかないのだか分からない台詞で勝ちを締めくくったオットガ。
「さあ、立ち上がれカエルー。メシを食おうぜ」
「あぁ……っと! スキあり!」
「甘い」
手を差し延べた姿勢のオットガを引き寄せて無理やり倒そうとしたが、結果また宙を舞い頭の上に星が回っているカエルの図。
「痛てて……! お星さんが見える」
「んなこと100回やっても勝てるわけねーだろ。修行しろ修行」
「無理だ……もう勝てる気がしない……」
絶望したカエル。だが腹は空く。すぐに立ち上がると気分を変えてハエを探す。
「おっ、いたいた!」
小さな池で水を吸いにきたハエ。それを足音を殺しながら慎重に近づく。
そして。
「ぱくっと!」
「さすがだな。カエル。お前のその食い意地とじいさんに習った勉学にだけは俺は勝てないよ」
呆れたように言う父と、ハエをパクパクと食べる息子。
そんな日常だった。
「いつか、カエルが武芸で俺を越える日が来るかもな」
「何だよ親父、急に。もぐもぐ」
「まぁ、これでも父さんは父さんだ。息子から挑戦されて、腕っぷしで負けてもそれはそれで悪い気はしねぇんだよ。今は何回やっても俺が勝つけどな!がはは!」
豪快に笑ってみせる父の姿に内心で恐れ慄くカエル。
「約束だ。いつか俺と真剣な勝負をしよう」
「父さん?」
「それでもって、俺を完膚なきまでに倒してみせろ!もちろん相撲でだぞ!」
ぽかん、という擬音が聞こえて来そうなほど一瞬、忘我の境地に追いやられたカエル。
だがやがて男の表情を作ると、言い放った。
「……あぁ。いいぜ。俺は父さんをいつか越えてみせら」
「……それでこそ我が息子よ」
がはは! わはは! 朝の<ヒグラシの郷>に笑い声が木霊する。
そのすぐ後にジィガがすっ飛んで来て二人とも早朝の騒音注意で叱られたことは言うまでもない話である。
朝の鍛錬を終え、腹も膨れたカエルがやってきたのは<ヒグラシの郷>の中心地。
スッキリとした気分で迎えた正午。
ゆっくりと上を見上げれば、見えるのは遥か上に見える木の縁と、その更に向こうに見える真っ赤な太陽だ。
「あー。外。行きてェな」
ゆっくりとそれに向かって手を伸ばす。
4本の指と、水かきのついた手。それで太陽をつかむ。
もちろん本当につかめるわけではなく、手で空をかいているだけだ。
「外。どんな世界なんだろーな。ジィガは色々教えてくれたけどよォー」
青い空と白い雲、真っ赤な太陽。それだけ。
「教えてくれんのはニンゲンのこと、自然のこと、そればっかりだもんな。退屈であくびも出るよ」
独り言をつぶやきながらあくびをするカエル。
「でも、外の世界のこと知ってんのはジィガだけだ。やっぱちゃんと話聞かなくちゃァな……」
と。手を下ろしたカエル。そのカエルが見たものは。
「……ん?」
空洞の中央で鈍く回転し光沢のある太陽と同じ色をした石。
「あんなもん、前からあったのか? 気付かなかったぞ」
音が反響し、独り言で喋っている言葉が空洞の中で木霊する。しかし、唯一その存在だけが音を跳ね返さない。
「なんなんだ、アレ……そういやジィガが何か言ってたな……」
見てしまったものは見てしまったのだ。気になって仕方がない。
カエルはまだ若い。多感な時期なのだ。
「なんだっけ……確か、クリ…なんだっけ……」
思い出す。必死に。
「クリスタル? だっけ?」
正解だった。
その時である。
カエルは耳を澄まして音を聞いていた。
遠くから高速で回転する機械音が、ハッキリと聞こえ始めた。
「なんだ……何の音だ!?」
『ヴィンヴィイィィ!!』
最初に削られたのは、木の上辺部だった。
チェーンソーと呼ばれるそれを人間達は巧みに使い、自然を簡単に破壊できる。
見上げるカエル。吹き飛ばされる木くず。
ついでにブルルン、ブルルルン、と恐ろしい重低音が響く。
「っ! おいおい!! 本気でマジで何だよ!!!」
ゲコゲコと、カエルが騒ぎ立てるも人間にとっては何の意味も成さない。
次に使われたのは重機、油圧ショベルと呼ばれるそれは、とてつもない破壊力を持つ。
ゴゥン、ゴゥンと音が鳴り、ピタリと止まる。
静寂に包まれた。
「なんだってんだよ……まさか本当にニンゲンが」
その静寂が破られるのとカエルが言葉を切るのは同時だった。
ゴゥン、ゴゥン、ゴゥン。
見上げれば、聳え立つ油圧ショベルの5本の爪。
それが木を食い破ろうとしている。
カエル達は無抵抗。否、戦う手段を持たない――。
「――<ヒグラシの郷>の全てのカエルよ! 集まれ!!」
ジィガの真剣な声が、機械音に負けず、聞こえる。
集まったのはカエルを合わせてたったの5匹だった。
50匹以上のカエルが生存しているが、混迷を極めた現在では集合もままならない。
「聞け、お主ら。集まった5匹の勇敢なるカエル達よ」
『はい』
「あれはニンゲンが作り出した機械というものだ」
『!!』
「日ごろの授業で聞いておろうな? まぁよいあまり時間がないでな」
必死さが垣間見える、話しながらも額から汗が滴っている<ヒグラシの郷>の主。
「全員が逃げることは出来ない。あの機械には誰も勝てん」
ピリリと、その場の空気が熱くひり付く。
「じいさん! 俺は戦うぞ!!」
ある若者が悲痛な声で叫ぶ。だが。
「――お前にも、誰にも勝てない」
「―――。――。」
「ニンゲンというものはそういう生き物だ」
その時、ついに爪の魔の手が大樹を壊そうと動き出した。
ごうんごうん、と轟音を立てながら削ってゆく。
1匹のカエルが必死にそれに立ち向かって行ったが、爪に巻き込まれた。
「――!! アレク!!」
<カエル>の叫びは、亡骸となったアレクには届かなかった。
「クソ! 誰も勝てないのかよ!? ふざけんなよ!!!」
しかし。
一匹のカエルだった。
「父さん――……?」
「カエル。お前は正しい。無理をしちゃあいけない。上には上がいる。俺だって膝がガタガタ震えてやがる。武者ぶるい。ってヤツだな、じいさんの言葉を借りると」
「おい……父さん……無理だよそいつには勝てないって。」
フッ、と笑ってオットガが答える。
「お前は生きろ。生きてみんなを守れ。そうすりゃ……俺は! 俺の魂は! ここで死なない!!!」
気付けば一族に伝わりしマントをまとった姿のオットガが、爪を必死に抑えている。相撲だ。
「!?」
「ニンゲン風情が……カエル達を舐めてんじゃねぇぞオラァア!!」
ドン!!
ザクリ。
「父さぁあああああああああああん!!!!!!!!!」
プツン。
限界だった。
自分でも分からないまま、それを手にする。
ジィガが叫ぶ。
「やめろ! カエル、よせ! クリスタルには」
「ふざけるな!! 俺が、俺がこの世界を変えてやる!!」
日常は非日常に塗り替えられた。
クリスタルに触れた瞬間、キイィィィという音と共に眩い閃光が辺り一面を包み込んだ。
やがて光が収まると変化が生まれる。
カエルの背中には対のツバサが生え、手は鈎爪となり、口からは炎を噴き上げた。
体はむくむくと膨れ上がっている。
カエルの子は、ドラゴンに成った。
第一部 第一話 完。