私の読書遍歴
ときどきこの「小説家になろう」を覗くのだが、投稿者諸氏の創作力・文章力に思わず驚嘆してしまう。僕は学生という身分を離れてからしばらく経つが、大学進学のとき、法学部でなく文学部を選んで、本気で物書きの道を目指していたならば・・・とただ悔いるばかりである。
思えば小学生の頃から読書が好きだった。しかしジャンルはおそろしく偏っていた。初めて読んだ本格的な小説が太宰治の「斜陽」で、太宰が操る言葉の美しさに心酔した僕は「この時代の小説こそが真に綺麗な日本語を使っている」と決めつけて、太宰と同年代、あるいはその前後の世代の作家ばかり読むようになったのである。そのせいで、小学生時代に担任教師に提出していた日誌は、さながら昭和前期~中期にかけて活躍した作家についての読書録のごとき様相を呈した。今でも鮮明に憶えているが、「『人間失格』を読みました」と報告した日には、担任から「ずいぶん難しい本を読むんだね・・・」と驚きとも呆れともつかぬ返信が記されていたものである。
中学生になると三島由紀夫を読むようになった。三島文学の特徴である精巧なレトリックはなかなか理解できず、辞書を片手の読書ではあったが、三島最後の四部長編『豊饒の海』を読んでいたときには、夜、自室に籠り、読書灯をともして、いちまいいちまい、言葉の味を噛みしめながらページを繰っていたのを思い出す。
このころは将来の夢に小説家を挙げること屡々であった。実際に短編を中心にいくつか自分でも小説を書いていたし、国語の授業も好きで成績も悪くなかったから、そう思うのも無理からぬことであった。しかし今思い返すと、当時の僕の文章は、当世風にいえば「中二病」感満載であった。文章技術や言葉の理解も十分でないのに、むやみやたらとレトリックを使い、本当は薄っぺらな文章を粉飾していたにすぎなかった。もう当時の原稿は残っていないから読み返すことはできないが、おおよそどんな感じの文章であったのか、頭の中で再生することはできる。思い出すだけで顔から火が出る恥ずかしさである。
高校生になると、小説家になりたいという思いは次第に沈静化していった。これは要するに成長して現実を知ったということだろう。だが読書は変わらず続けた。このころは小説をほとんど読まなくなり、時事もの、政治ものの新書や評論を渉猟するようになる。夏休みの読書感想文には、当時流行った『国家の品格』を読んだ。この本を読んだことをきっかけにして、だんだんと、大学では政治を勉強したいという気持ちを強くしていく。そして大学は法学部に進学することを決めた。てっきり僕は文学部にでも進むのだろうと思っていた中学時代の恩師や同級生からはたいそう驚かれたものである。
さて、大学に進むと通学圏内に大規模な書店がいくつか立地しており、本を読むには至便の好環境となった。ところが僕はぱたと本を読まなくなってしまった。どうしてかは今もって分からない。日々、大学の講義とアルバイト、サークルでの政治的な議論に明け暮れるばかりで、政治的な関心や知識はずんずんと高まっていった一方、読書欲は急激に減退した。この空白期間は、いまさらどうにもならないけれども実に惜しい。大学時代こそ人生最大かつ最後のモラトリアム期間であるというのに、その期間に得られる果実をみすみす逸してしまったのであるから。
だが、この空白期間は社会人になってから猛烈な反動を生み出した。自分の自由にできるお金が増えたこともあり、僕は大学時代の空白を埋め合わせようと、片っ端から読みたいと思った本を買いあさり出したのである。当然、どんどん本が部屋を占有するスペースが増えていくので、対応のため、引っ越しの際に準備した本棚に加え、2つの本棚を増設するに至った。
読書量が増加すると同時に、久しぶりに「自分でも文章を書きたい」という欲求が強く湧いてくるようになった。それでちょくちょく短い小説を書きはじめる。しかし、僕は長い間、小説を書いていないうえ、事前の構想が甘いせいで、まともな形に仕上がらない。途中で筆を投げてしまうことも一度や二度ではない。
こんな状態であるから、ものを書きたいという欲にかられ、参考に、物書きを趣味、ないし生業としている人たちのことを知ろうとして「小説家になろう」などを訪問すると、僕などまるで及びもつかぬ発想で、皆が楽しそうに自分の作品を投稿しているではないか。それを見るにつけ「ああ、僕も物書きの道に進んでいれば・・・もっと本気で文筆と向き合っておれば・・・」と感じてしまうのである。
――今宵も男は、本棚から読みさしの一冊を取り出し、ほの暗い部屋の一隅で、黙然とページを繰りつづける。
ふと投稿したい思いにかられ、推敲もまともにせず投稿しました。
また思いが募ったら、こんな徒然な文章を書きます。