夢か現か
プロローグ
「…本当、後悔ばっかりだよ…。あのとき無理しなきゃ良かったとか、いや、無理して体壊したからこそ今の俺がいるんだろうけど…。でも…お前の事も……」
…そんな顔しないでよ。
私にはいつでも笑っていて欲しいって言ってくれたみたいに私だってそんな顔見たくないよ。
笑ってよ…。
そんな悲しそうな顔…しないでよ。
「…み!…なみ!……奈々実!」
「…ほぁ?」
「大丈夫か?お前、教室で倒れたって…」
「…教室?…は?あれ?孝介?え?なんで?」
「なんでって、小崎さんがメールくれたんだよ。お前が倒れたって。大丈夫か?うなされてたし…。もうすぐ先生戻ってくると思うけど。」
「いや、ってか、あれ?つか、なんで制服?え?先生?え?」
「どうした?なんかおかしいぞ。まだどっか辛いのか?」
心配そうな孝介が、私の額に手を当てる。
「熱はないな。」
熱はないが、頭が思い切り混乱している。
みたところ、孝介だけではなく私も制服を着ていて、見覚えのあるここは保健室。懐かしいと感傷に浸りたいが問題がある。
なぜ、私は保健室にいるのか。
いや教室で倒れたって。そもそも教室にいた記憶はない。
「なんで私が教室に…?つか、孝介なんで制服?コスプレ?」
「は?お前、本当大丈夫か?なんで教室にって、四限目はうちの学年数学だろ。習熟度別だから奈々実とはクラス別だけど。それに、学校に制服着てくるのにコスプレのわけないだろ。」
「習熟度別…?いやいや、そうじゃなくて、なんでもう卒業したのに数学なんぞ受けなきゃいけないのよ?」
「は????卒業?俺たちまだ2年生だぞ。」
「…は????」
孝介の言葉に頭にハテナマークしか浮かんでこない。
タチの悪い冗談か?どこかに仲間が隠れていて壮大なドッキリでも仕掛けられたのだろうか?寝てる間にここに連れてこられたとか?
今日は…あれ?今日は…何をしてた?何をしようとしてたんだっけ?
「痛っ…。」
「どうした?」
「ごめん。なんか、突然頭痛くなって。ちょっと、なんか飲み物あるかな?」
「あ、買ってくるよ。ちょっと待ってな。」
「ごめん。お願いします。」
孝介が保健室を出て行って、私はベッドから起き上がった。
勝手知ったる保健室。鏡の前に立つと、そこにいるのは間違いなく私。
ただ…
「あいやー。…こりゃ…夢か…。」
顔に化粧っ気はなく、長くしていた髪は短くなっている。ここ数年見慣れていた標準より細かった体は随分と丸くなっていた。
そこには間違いなく、高校生の頃の自分が鏡の前に立っていた。
1.夢か現か
(1)
「ほら。ミルクティー。」
ほどなくして飲み物を手に戻ってきてくれた孝介。
その手から当時だだハマりしていた甘い甘いミルクティーを受け取る。
…こんなん毎日飲んでりゃ太るわな。
「あ、ありがとう。」
ひと口飲んで、その懐かしさと甘さで胸がいっぱいになる。
あぁ、もう、こりゃ甘すぎて飲めない。
「ごめんね。ちょっと呼ばれちゃって。大丈夫?」
ガラガラという音と共に、白衣を着た先生が入ってきた。
懐かしい…。
「大川先生。うん。大丈夫です。」
「熱もないし、顔色もいいけど…。吐き気とかはある?」
「いえ。特に何も。」
「病院行く?突然倒れたってみんな心配してたわよ。」
「いや、大丈夫です。」
「本当?早退するなら手続きするわよ。」
「いや、家に帰っても夜まで親も帰ってこないし。部活は休むけど午後も出れます。」
「そぉ?少しでも体調悪くなったらすぐにくるのよ。」
「はーい。」
「田中君もついててくれてありがとうね。よかったね。優しい彼氏で。」
「あははー。お世話になりました。」
「あ!後で鹿田君にお礼言っておくのよー。倒れたあなたを運んでくれたんだから。」
「まじか!了解です。失礼しましたー。」
先生にお礼を言って孝介と保健室を出た。
「昼飯食べれそうか?一応鞄とかは持ってきてるけど
。」
「ありがとう。うん。食べれる。中庭行こうか。」
鞄を受け取ろうとすると孝介がそのまま持ってくれている。
「ありがとう。あ、携帯だけとらせて。鹿田っちとあゆみにお礼のメール送りたい。」
「あぁ。小崎さん、めっちゃ心配してたぞ。」
「あらー。それは悪いことをした。」
学生鞄の外ポケットから見覚えのあるストラップが顔を出していたのでそれを引っ張ると携帯が出てきた。
「マジか。ガラケーか。」
「なんだって?」
「え、あ、いや、何でもない。」
これが夢だとしたらずいぶんリアルだ。夢ならば携帯ぐらい使い慣れた今のものにしていただきたい。。
スマホに慣れている私はいささか不安を感じながら懐かしい二つ折りの携帯を開くと、孝介との写真の上に日付と時間が表示されていた。
「画像荒いなぁ。」
「そうかぁ?みんなそんなもんだろう。」
「いやいやスマホに慣れるとさー、やっぱり荒いよね。」
「スマホ?なんだそりゃ。」
孝介が不思議そうな顔をしている。
…なんだろう。夢のはずなのに何だかリアルすぎて気持ちが悪い。
自分の意思のある夢を何て言うんだっけ?
…明晰夢ってよく分からないけど、こんなにはっきりとしているんだろうか?そして自分の意思があるのに自分の自由にはならないのか。夢であることを疑いたくなる程、孝介の反応も、手にしているガラケーもリアルだった。
「…いや、なんでもない…。」
とりあえず、夢から覚めるまで高校時代を楽しむとしよう。
高校卒業後全く連絡を取っていなかった懐かしい友人、鹿田っちとあゆみにお礼のメールを送った。
「孝介、今日部活?」
「そうだよー。帰るなら少し遅れて出るし、駅まで送ろうか?」
「1人で大丈夫だよ。孝介は体調とかどうなの?」
孝介と中庭の隅っこでお弁当を広げる。少し離れたグラウンドからお昼ご飯を終えた人達の遊んでいる声が聞こえてくる。
「俺より自分の心配しろよ。倒れたって聞いて本当びっくりしたんだから。」
「ごめん。でも、大丈夫だよ。昨日夜更かししすぎて寝不足だったからさ。多分そのせいだよ。」
「そうか?」
「私のことはいいの。孝介は大丈夫?」
「大丈夫だよ。なんだいきなり。俺どっか悪そう?」
苦笑いをしながら私と目を合わせる。
あぁ、顔が少し揺れている。目を合わせながら顔が少し揺れるのは孝介が嘘をつくときの癖だ。
「…あんまり無理しないでよ。特に腰とか痛くなったらすぐ休んでよ。」
「う、うん。」
孝介が少し驚いた顔をしていた。
ここで嘘つくなと言ったところで孝介は認めない。嘘なんかついてないよ。って、体がしんどいことを私に隠す。私が心配しない様に…。
孝介ってこんなに分かりやすかったんだ。当時は全然わからなかったのはちゃんと見ていなかったのかな…。
さっき携帯で見た日付と私の記憶が正しければ、私と孝介はまだ付き合いはじめて2週間位だ。
「孝介を心配するのも彼女の特権なんだからなんかあったら言ってよね。」
この頃の孝介は体の不調を感じながらそれを隠して部活をしていた。
せめて私の夢の中では、元気な孝介でいてくれるといいんだけど…。
「…ありがとう。なにかあったら言うよ。」
私の頭を撫でてくしゃっと笑う。孝介のこの笑顔、好きだったなぁ。
「えへへ。」
心がくすぐったくなる。孝介が撫でてくれるのが懐かしくて孝介の手に頬を寄せた。
大きい手。ゴツゴツしてるけど、優しい手。少しだけ震えてるのは緊張しているらしい。初々しいなぁ。夢から覚めてしまうのがもったいない。
「孝介。好きだよ。」
当時はあまり言えなかった。もっと伝えれば良かったと後悔した。せめて夢の中ではきちんと言おう。沢山言おう。どうせ自分ですら全部覚えていられない夢だ。素直にならなくてはもったいない。
「…俺も…好きだよ。」
孝介の顔が赤くなる。その瞬間、唇に何かが触れた。
「奈々実が…可愛いこと言うから…。…ごめん。突然。」
顔がさらに真っ赤になっている。現実は孝介とキスするまで5ヶ月かかったけど、やっぱり私の願望がそのまま夢に出ているんだろうか。
「孝介…大胆ー。」
こんな誰が見てるかも分からない中庭で孝介がキスしてくれるなんて夢でもあり得ないと思っていた。
やばい、起きたくない。
(2)
お昼を食べ終え、午後の授業も無事に終えた。
総合選択制という高校にしては珍しいカリキュラムのため、鹿田っちともあゆみとも顔を合わせないままだった。部活の顧問には大川先生が伝えてくれるらしいので6限終了のチャイムと共にさっさと教室を出て帰路につく。
鹿田っちとあゆみには明日があるなら明日直接お礼を言えばいいや。
孝介の様子を見に行こうかと思ったけど、時間がどれだけあるか解らないから色々な場所を見に行きたかった。
ここがどこまでリアルに再現されてるのか解らないけれど、よく行っていたあの懐かしいお店に行きたかった。
学校から駅までの道のりはやや遠い。40分かけて歩く道のりのお供を探して鞄を漁るとMDが出てきた。
「うわー…。確かに持ち歩いてたなぁ。」
100曲以上入っていたミュージックプレイヤーが無いのは不便だがまぁ仕方ない。
1時間ちょっとで終わってしまうMDをランダム再生の設定にしてイヤホンを耳につけた。
「なんだか凄く自由な気分だ。」
この後の時間を高校生の私はどうとでも使える。
今日出た宿題すら愛おしい。
鞄の中に小説の類は見つからなかったので電車で読むための本を途中にある古本屋で購入した。
電車を乗り継ぎ、小一時間ほどで自宅のある最寄駅へと到着する。
こんなに時間があったのに、なぜ私はもっと本を読まなかったんだろう。年を重ねるほどに若さというのは一瞬のきらめきだったことを痛感する。
読書を堪能した後、自宅のある最寄駅から5分ほど歩いたところにあるお店に寄った。
私が高校を卒業して間もなく閉店してしまうこのハワイアン料理のお店は、持ち帰りでスパムというハワイのソーセージみたいなものを使ったお握りが買える。
マグロとアボカドのポキも美味しく、食べたいものは色々あるが、さすがに1人で夕ご飯というわけにはいかないので今日はスパム握りだけを買って家に帰ることにした。
「あ。そっか。」
戸建が並ぶ団地の一画。家の鍵を探していると、中から猫の鳴き声が聞こえてくる。
玄関の曇りガラスの向こうに白い体に黒い手足の猫の影。長い尻尾をピンと立てて、甘えた声を出していた。
「小五郎…生きてるんだ。」
私が8歳の時から飼っていた猫。小五郎と名前をつけて、一緒に寝たり、雷が強かった日は側にいてくれたり、お兄ちゃんのような弟のような存在だった。
22歳の時、1年もの闘病生活の末死んでしまった。最後は目も膿んで見えなくなってしまっていたが、鍵を開けて家に入ると、綺麗なスカイブルーの瞳が2つ、私を見つめていた。
「小五郎!ご飯、食べようね。」
まだまだ元気な小五郎が、抱き上げた私の腕からするりと抜け出し台所へと先導する。
「あらぁ…ここもか。」
まだリフォームされずに古いガス代と、低いシンクが広がっている。
「私の夢とはいえ…細部までよく覚えているなぁ。」
自分の記憶力に驚きを覚えつつ、小五郎にご飯をあげて、二階の自分の部屋へ向かった。
「うわぁ…」
大学生の頃に家を出たが、同じ県内に住んでいたので頻繁に帰ってきてた。時間のあるときは模様替えを何度かしていたが、目の前に広がる部屋は見事なまでにごちゃごちゃ…ぐちゃぐちゃしている。
「うわぁ…。なんかこうも元どおりだとちょっとへこむわー。夢ならぱっとイメージ通りの部屋に変われば良いのに。」
目を閉じて、むんっと目の前の部屋が変わるように念じてみたが、何も変わっていない。
「不便な夢だ。」
とりあえず着替えると1階のリビングで宿題を終わらせる事にした。
午後7時過ぎ。寝転んでいた小五郎が玄関へと駆け出した。
鍵を開ける音がする頃には、すでに玄関で両足を揃えて座っている。
「おかえりー。」
「ただいまー。あー。疲れた。あれ。もぅご飯の準備してくれてあるの?」
「準備したって言ってもお母さんが作ってくれたの温めたりしただけじゃん。あ、今日ワイキキ食堂でスパム握り食べたくなって買ってきたんだけど食べる?」
「食べるー。」
手洗いをしている水音と共に母の返事が聞こえた。
「うわ、洗濯物畳んでくれたの?助かるわー。ありがとう。」
「うん。まぁ今日は部活なく帰ってきたから時間があったのよ。」
着替えをしに寝室に行った母の嬉しそうな声。やっぱり洗濯物畳むのは面倒なんですね。親子だなぁと感じながら母のお椀にお味噌汁をよそった。
久しぶりのスパム握りも堪能し、お腹もいっぱいになり部屋に戻ると暗闇で携帯が光っていた。
そういえば、お知らせ機能があったなぁと部屋の電気をつけてから携帯を開くと孝介からメールが来ていた。
Date 5/10 18:06
from 孝介
Sub No title
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体調大丈夫か?いきなり倒れたんだからなんかあればすぐ病院行ってくれよ?
俺だって奈々実の事心配してるんだからな!
それと…今日は突然ごめん!なんか奈々実の気持ちも考えずに…。しかも奈々実の具合が悪い時に…でも、後悔とかはしてなくて…。奈々実が嫌だったらごめんなんだけど…。
はて。何か謝られることをされたか。
しばし考えてから昼間のキスのことだと思いつく。
あぁ、なんて初々しい。唇に少し触れたキス1つでとやかく言う歳はもう過ぎた私に孝介からのメールは眩しすぎて直視できなくなりそうだ。
Date 5/10 19:40
To 孝介
sub Re:
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あれから具合も悪くなってないから大丈夫だよ。ありがとう!
昼間の事を言ってるなら、謝らないでよ。笑
すごく嬉しかったよ。(〃ノωノ)孝介、あんまり手出してくれないから。笑
メールを送った後、これを読んだ孝介が顔を赤くしてるところが容易に想像できた。
「折角ちゅうできたんだし、明日からも積極的にきてね。」
最後に送ろうと思って消した一文をメール画面に唱えて画面を閉じた。
明日は来るんだろうか。
お風呂に入ったり、テレビを見たり。時間はいつも通りに流れているように感じる。
覚めなければ良いなと願いながら、こんなにも長い時間夢を見ていて大丈夫なんだろうかと不安になった。
それとも、夢の中の時間は現実世界よりも早く進むんだろうか。
漠然とした不安を抱えた中、電気を消してそっと眠りについた。