一話
「素直のサイン」
今思えば、時任陽菜の第一印象は、正直なところ私にとって決して好ましいものではなかった。
季節は春。桜咲く四月初旬。
時はまさに入学式シーズンで、私――桜坂月乃が通う私立浅野宮女子高等学校も、一般的なそれと同じような日に大勢の新入生を迎えていた。
レンガ造りの校舎や有名デザイナーが手掛けた制服といった要素も合わさって、地元でもお嬢様学校として名高いようだが、受験生全員が特段お金持ちというわけではない。両親が共働きという生徒もいるし、学校の標語の一つでもある『実力主義』の色が出ているとも言える。
私の家も、ハッキリ言ってそんなに裕福ではない。ここを受けた理由だって、家から近いし成績優秀者には学費の免除があるってだけのことだ。
……話が逸れた。そんなことは正直どうだっていい。
入学式に関しては特に何の変哲もない至って普通の行事なのだが、この学校は入学式の日の放課後に早速生徒会役員新メンバーの顔合わせがある。
と言うのも、毎年入学試験の成績上位三名は問答無用で生徒会へと加入させられるシステムがあるので、新学期初日から既に新入生の役員は決められているのである。これは余程の事情が無い限り辞退不可の強制力を持つ規則だが、三年間しっかり務めていればほぼ百パーセント有名難関私立大の推薦枠をもらえるということもあり、ちゃんとメリットも存在する。それを求めて猛勉強してここを受験する生徒も少なくない。
まぁ生徒会に入れば教師や他の生徒からの受けも良くなるし、寧ろなって悪いことなんて一つもないと言えるだろう。
因みに私は現在二年生の副会長。高校設立以来、最高得点で入学したのは少し自慢でもある。
――だが、そんな鼻っ柱はたった一年で叩き折られることになるのだけれど。
「一年五組、時任陽菜です。よろしくお願いします」
うなじが隠れるくらいのショートカット、そしてややツリ目気味のボーイッシュな見た目に、そのハスキーボイスはやたらと似合ってるなぁとぼんやり思っている内に彼女は着席した。
…………それだけ?
面食らう他の役員面々。私も多分彼女らと同じ顔をしているに違いない。
生徒会に入れたことの喜びやら抱負をそれなりに語ってくれた前の二人とは違い、ただ必要最低限の挨拶。クラスでの初顔合わせの挨拶でも、もうちょっと喋るんじゃない?
良く言えばクール、悪く言えば無愛想な彼女に発言の先を促す人は誰もいない。
少し待ったが、時任陽菜は黙ったきり。和やかだった生徒会室の空気が僅かに重くなったところで、二年三年のメンバーが私に視線を寄越す。……何でそこで私なんだ。そこは会長にフォローを頼むところだろう。どうして当の本人まで私に丸投げするかな。
「あー、えーっと、時任さん? 何かほら、もう一言くらいない? 生徒会でやってみたいこととか、そういう感じの」
適当に私が助け船を出したにも関わらず、時任陽菜は私に視線を移したかと思えばそのままじっと見つめてきた。
無言で、無表情で。
……別に気に障るようなこと言ってないよね、私。て言うか変なのは向こうだろう、どう考えても。
吸い込まれそうな彼女の瞳から目を離せずにいたが、時任陽菜はふと伏せ目がちになったかと思えば徐に立ち上がった。
「……やりたいことは、特にありません。受験して、たまたま成績が良かったからここに入っただけです。でもやるべきことはやるので、いらない心配はしなくていいです。――これでいいですか?」
同意を求める物言いをするも、私の返事を待たずに時任陽菜は椅子に腰を下ろす。
再び沈黙。
これは……ちょっと一言物申した方がいいのだろうか。まぁ確かに彼女の言うことにも一理あるだろうけど、それでも高校生にもなって自分から協調性を放棄するような発言をするのも問題な気がする。
曲がりなりにも生徒会役員の一員なのだ。一人がいい加減だと、全員がそう思われかねない。
なのでここは一発、先輩としてガツンと――
「あははははっ! 全教科満点で入学してきた子は言うことが違うわねー……あ、別に馬鹿にしてるわけじゃないわよ? 素直に面白そうな子だなーって思ってるだけだから。ふふっ」
言ってやろうとした矢先、この場にそぐわない陽気な笑い声が冷え切った雰囲気をいい意味で壊した。
皆が一斉に窓際の上座へと向き直る。その席に座ることの出来る人物はただ一人。
生徒会長、御神楽紗雪。亜麻色の髪と碧い瞳が特徴的なハーフ且つ帰国子女の美人さんで、学内で唯一ファンクラブ持つ身であったりする。
って、ちょっと待て。今会長何て言った?
この女が、入学試験で全教科満点だって?
「はぁーあ……面白かった。えーと、名前何だっけ?」
一しきり笑った後、初めて会長が時任陽菜へと面と向かって語りかけた。時任陽菜は毒気を抜かれたような顔で、それでもクールな態度は崩さずに返答する。
「……時任陽菜、です」
「うんうん、陽菜ちゃんね。君みたいな子がここに来てくれて嬉しいわ。他の皆がダメってわけじゃ決してないんだけど、どうも小奇麗な子ばっかりで退屈してたところなのよねー」
「紗雪。ちょっと興奮し過ぎ。落ち着いて」
そこでようやく会計の島風あやめさん――会長とクラスメイトの幼馴染と聞いている――が、やんわりと嗜める。今回に限らず暴走しがちな会長の数少ない……いや、唯一のストッパーだ。偏見かもしれないが、眼鏡をかけてて物静かな様からはいかにも知的な雰囲気が感じ取れる。
「ああっと、ごめんごめん。あ、勿論私は皆のことはちゃんと大好きよ? 陽菜ちゃんのみならず、そこの二人もね。ようこそ浅野宮女子高生徒会へ。私は君達を歓迎するわ」
ようやく生徒会会長らしい挙措を見せてくれ、一同の表情から安堵の色が見て取れる。全く、最初からこうしてくれればいいものを。エンジンがかかるのが遅いだけで、やる時はやってくれるから私は会長を信頼している。
「さて、堅苦しい挨拶はこれくらいにしてトランプでもしない? 一応あと三十分は何やかんやして時間潰さないといけないのよねー」
前言撤回。エンジンかかってもすぐにエンストするポンコツだった、この人。
「紗雪。少なくとも新入生のパートナー役を決めてからにして」
「ん? あーそうそう、そうだった。えっとね、一応新入生の人達に説明しておくと、最初の二ヶ月は仕事なり何なりちゃっちゃと覚えてもらうために、上級生を一人パートナーとしてつけることになってるの。そういうわけで……陰町巴さんは三枝さんお願い。鴻加奈さんは、瓜生さんに頼むわね。で、陽菜ちゃんは桜坂さんが担当でよろしく」
「えっ? 私、ですか?」
唐突に言い渡された采配に、私は思わず声を上げてしまう。
いやいや、何でよりによって私なんだ。と言うか私副会長なんですが。一ヶ月と言えど、新学期始まってバタバタしてるこの時期にこれ以上時間割けないと思うんですが。主にズボラな貴女のせいで。
「うん? いや、なんかさっき陽菜ちゃんが桜坂さんのことじっと見つめてたじゃない? だから彼女、貴女のこと気に入ったのかなーって」
「なっ、ちょ、そんなわけ――」
横目で時任陽菜の顔を窺う。
「…………」
彼女は彼女で、依然として眉一つ動かさない鉄面皮を披露している。何考えてるのかさっぱり分からない。からかわれてること自覚しているのか? もうちょっとアクション取ってくれないと、私の独り相撲みたいで非常に恥ずかしい。
まぁ嫌そうな顔をしてないだけマシ……なのか?
でも…………何だかなぁ……
「はい、話もまとまったところで七並べでもしましょうか。最下位の人は私の言うこと何でも聞くことね」
そんな私の気持ちも知らずに、会長は着々とマイペースぶりを発揮していく。新入生の陰町さんと鴻さんは、この場において奇行と言っても差し支えない会長の行動に目を丸くしているが、一ヶ月もしない内に慣れてくれるだろう。彼女はそういう人なのだ。……やる気出せば本当に凄い人なのだが。
そして時任陽菜はと言うと……
「これからお世話になります、先輩」
いやに殊勝な態度が、どことなくむず痒く感じる。さっきみたいに生意気な態度を取ってくれた方が、ある意味まだマシだった。相変わらず内心の読めない瞳を向けてくるも、飾り気のない楚々とした素振りに一瞬ドキッとしたのは多分気のせいだろう。絶対気のせい。
「……よろしく」
どう反応するか迷った末、その一言しか返せなかったのも特に意味はない筈だ。
結論から言うと、時任陽菜はめちゃくちゃ優秀だった。
メモも取らずに私の言うことは全て記憶した上で、時にはより効率的な作業方法を提示したりしてくる。入学試験全教科満点は伊達ではないと言うことか。それでも言葉数は少なく、コミュニケーション能力の欠如に改善の兆しは一向に見られないのだけれど。
だって私が教えることに疑問点がある度に、いちいち小馬鹿にしたように眉を顰めたり溜め息を吐いたりしてくるのだ。何でそんな蔑まれなければならないのかと憤慨したいところだが、実際時任陽菜の言うことの方がより正しいから質が悪い。もうアレだ。この子を押しつけた会長に全責任がある。この場合責任転嫁しても私に罪はないだろう、うん。
ところが聞くところによると、クラスの中での評判は思ったより悪くないとのことだ。各教科の小テストでも満点続きで、オマケに体育の時間では運動神経抜群ときた。最初はその近寄りがたいオーラのせいで遠目から羨望の眼差しを受けていただけだったが、一度怖いもの知らずのクラスメイトが授業で分からない所を教えてもらいに行くと、周囲の予想に反して懇切丁寧に教えてもらったそうである。それ以来、クラスではクールビューティーな家庭教師のお姉さん的立ち位置らしい。何だそりゃ。
強烈な自己紹介からおそらくマイナスイメージを持っていた生徒会の上級生の面子も、聡明な彼女に対する評価を徐々に改めつつあった。積極的に関わろうとする人間こそいないものの(会長以外)、向こうにしてみれば仕事が出来るに越したことはないだろう。時間が経つにつれ、早くも彼女を頼りにする者も出てくる程だ。
私としては……少し面白くなかった。一応これでも結構頑張って二年生で生徒会の副会長の座を射止めた身だ。何だか今まで培ってきた人気を突然掠め取られた気がして、胸の内から日に日にもやもやした感情が大きくなっていくのは最早必然と言えた。
だからと言って時任陽菜のことが嫌いなわけではない、と思う。いや、私がそう思うまいとしているだけなのかもしれない。仮にもまだ私は時任陽菜の教育係で、今彼女との関係がギクシャクすれば更に面倒なことになるのは目に見えていたから。
我慢だ、我慢。心を平静に保とう。彼女には必要以上の感情を向けず、私は私で淡々とやるべきことだけをやればいい。
どうして時任陽菜が私にはやけに冷たいのか、考えるだけ無駄な時間だ。全く気にならないわけではないが、特に知りたいとも思わない。少なくとも今後も仲良くはならないだろう相手のことを把握したって詮無きことだ。
うん、そうだ。意地でも気にしてやるものか。
ともあれ入学式から一ヶ月程度経ち、時任陽菜の名を知らない者が校内に存在しなくなった頃。
私と時任陽菜の関係に変化が発生する事件――私にとっては、確かにそう呼ぶに値する出来事だ――が起こった。
四月も無事終わりバタバタした雰囲気が形を潜め、五月を迎えた生徒会では早速仕事が山積みになっていた。
言い忘れたが、ここの生徒会になれる方法は入学試験の優秀者になる以外に、もう一つだけある。それが五月中旬に行われる純粋な役員選挙だ。前述した選抜方法のみだと不公平が生じるとのことで、後に立候補者で選挙をして更に一年生に二人、二年生に一人役員を加えることになっているわけだ。一応現役員の不信任投票もあるが、これで落とされた生徒がいたなんて話は今までに聞いたことはない。
なので今、私と時任陽菜は立候補者の演説原稿のチェック及び投票用紙作成等の雑務に追われていた。
「……四時半、か」
一段落して腕時計を見る。下校時刻まであと三十分。残る原稿は三枚。時間的にわりと厳しい。加えて肩が凝ってるわ若干寝不足だわで辛い。
こういう時に限って人員が不足しているから困ったものだ。同期の皆は運が悪いことに私以外全員教師からの頼まれ事や私的な用事でここにいないし、三年生は来月に控えた修学旅行の準備で忙しい。そして現一年は勝手が分からないのもあって、手伝ってもらうにもちょっと頼りない――時任陽菜を除いては。
「投票用紙、印刷してきました」
噂(?)をすれば何とやらだ。ちょうど当人のことを考えていたことにどことなく気恥ずかしさを感じ、胸中を気取られるわけがないと思いながらも私はチラリと彼女を見てすぐ視線を原稿に落とす。
「あー、じゃあそこに置いといて。後は私がやっとくから、もう帰っていいわよ」
「はぁ……そうですか」
……………………うん?
ドアの開く音がしない……何をしているのだろうと顔を上げると、そこでようやく時任陽菜が私のすぐ横に突っ立っているのに気付いた。
「……何?」
「手伝いますよ、それ」
「うん?」
手伝う? 何を? 誰が?
「その原稿チェック、まだ全部終わってないんですよね」
「まぁ、そうだけど……」
唐突な申し出に一瞬混乱するが、私はすぐに正気に戻る。
「お気遣いありがとう。でも私は大丈夫だから。もう下校時刻も迫ってるし、貴女も早いところ帰ったら?」
だが時任陽菜は踵を返そうとせず、代わりに一歩踏み込んできた。そして私の顔へと人差し指を向けてきた。
ピアノでもやってそうな長くて形の良い指を、私はじっと見つめる。
「……人に指差すのは失礼だって、小さい頃に習わなかった?」
「ここ。目の下」
「はい?」
「隈、出来てますよ。あと少しやつれてます。そんなので作業続けても、効率悪いと思いますけど」
「っ……」
的確な指摘を受け、私は顔が赤くなっていくのが分かった。勿論この子の優しさなんかに対してなんかではない。
よりにもよって時任陽菜に無様を晒してしまった。隈が出来てるだって? 誰のせいと思っているんだ。日に日に時任陽菜の評価が鰻登りに上がっていくから、パートナーの私もそれについていくのに必死なのだ。私だって時には間違える。あらゆる教科でパーフェクトを叩き出す人間の隣にいるプレッシャーが、こんなにもしんどいものだとは思ってもみなかった。
加えて私は生徒会副会長。新入生に遅れを取るわけにはいかない。
「いいの。これは私が任されたことなんだから。無理して構わなくてもいいわ」
「よくないです。手伝います」
「な……私の言ったこと通じてる?」
「通じてます。だから手伝うって言ってるんです。どうせ私が側にいることがプレッシャーになって、変に頑張り過ぎてるんでしょう? そんなので倒れでもしてくれたら、私の方もいい迷惑なので」
あまりに率直な物言いに、私は二の句が告げず思わず歯噛みしてしまう。
本当なら感心すべき洞察力なのだろうが、この場においてはお節介も甚だしい。て言うか暗に自分は優秀って誇示しているようにも聞こえる。いや、まんまそう言っているとしか思えない。
……ムカつく。はしたないとは分かっていても、心の中でそう毒づいてしまう。
そもそも何でそこまで言われなければならないのか。お前は私の保護者か。
噴出した苛つきは最早止まることを知らず、私はバンッと机を両手で叩いて立ち上がった。
「あーもう! 後は私がやるからって言ってるでしょ! いいから帰っ――」
途端、視界が急激にぼやけてきた。
同時に頭がクラクラして四肢に力が入らなくなり、足元がふらつく。何かに掴まろうとしたが、私の手は虚しく空を切る。
立ち眩み? そう思った時には、既に私の体は体勢を立て直せない程に傾いてしまっていた。
「っ! 危な――」
時任陽菜の焦った声を耳にしたのも束の間、私は盛大に横転した。ガシャンガシャンと耳元でパイプ椅子が倒れる音を聞きながら、反射的に頭を両手で抱えて丸くなる。昔子供の頃に階段の上からすっ転んだ時のトラウマがこんな所で役に立つとは。
そしてドスン! と鈍い衝撃。
だけど、思ったよりも痛さは訪れなかった。
「つ、ぅ…………?」
まず感じたのは、何か柔らかいものに包まれている感触。クッションのような、それでいてどこか温かいような。あと女の私が言うのも変だけど、どこか官能的な甘ったるい匂い。シャンプーでも香水でもない、そんな香りが鼻腔をくすぐる。
そして私は目を開けた。まず視界に飛び込んできたのは、目と鼻の先にまで迫っていた時任陽菜の顔だった。
「ったた……大丈夫で、す…………か?」
「……………………は、はい」
うん、状況分析をしよう。
どうやら時任陽菜は体勢を崩した私を庇い、咄嗟に抱きしめた結果自分が下となって床に倒れ込んだ、というわけか。
ここは素直にありがとうと言うところなのだろう。だけど、そのたった五文字がなかなか喉元から出てくれない。出てくるのはヒューヒューと掠れた吐息だけ。どうしてかは分からない。数センチと離れていない時任陽菜の長い睫毛や、僅かに上気する頬、ごくりと唾を飲み込む度に蠢く喉元に視線が釘付けになっている自分が分からない。
「…………」
「…………っ」
気まずい。私は時任陽菜に、何か喋ってくれと心の中で願った。だけど彼女もまた、何か言いたげに唇を震わせながらも私を凝視してくるだけ。そうしている間も知ってか知らずしてか、彼女の両腕はがっちり私の体をホールドしている。いや、後者であってほしい。真剣に。
何でだ。何でいつもみたいに冷たい態度で撥ねつけてくれないんだ。らしくない。
目の前にいるこの子は、本当に私が知る時任陽菜なのか?
マズイ。このままじゃなんかマズイ。上手く説明出来ないが、とにかくマズイ。
早く何か言え私。この雰囲気は長引いたらダメなヤツだ。
「え、えっと……とりあえず腕、解いてくれない、かな? このままじゃ、ちょっと苦しい……」
「あ――ご、ごめんなさい!」
今まで見たこともないような慌てっぷりで、時任陽菜は弾かれたように私から離れた。
勢いで私は床に顔面を強かにぶつけ、暫し悶絶。その拍子にいつもの調子が戻って、私は彼女に文句を言おうと上体を起こすも――
「……いないし」
どんだけ逃げるの早いんだ。あれだけ作業を手伝おうかとか言ってきたわりに、結局やらず仕舞いか。
いや……寧ろこれでいい。時任陽菜がどこかへ行ってくれて助かった。もし彼女がその場から動かなかったら、恐らく私の方がパニックを起こして生徒会室を飛び出していただろう。
「~~~~はぁ…………」
大きく息を吸い込み、深呼吸する。額に手をやると、熱でも出てるんじゃないかってくらい火照っていた。それだけじゃない。さっきまで少し肌寒かったくらいなのに、今ではクーラーが必要なほど暑さを感じている。
原因は言うまでもない。だけど、それを認めるのは少々葛藤が必要なようだった。
「何なのよ、一体……」
この一ヶ月で時任陽菜のことは大体知ったと思っていた。
無愛想で、無神経で、そんな自分の言動に無自覚で、ハッキリ言って嫌な奴。確かに整った器量で、黙っていれば美人なのは悔しいが受け入れざるを得ない現実だ。それが人気の一端なのも頷ける。
だからってそれとこれとは話が別だ。どうしてか知る由はないが、彼女はあからさまに私に険のある態度を取ってきている。私だって出来る限り品行方正を貫きたいが、どうも時任陽菜に対してはそれが出来そうになかった。
なのに、思いがけず見てしまったあの表情。
鉄面皮が取れ、顔を真っ赤にして見開かれた丸い瞳。
束の間の静寂の中で、やけに大きく聞こえた微かな息遣い。
「……反則でしょ」
私はどこかおかしいのだろうか。
あの時確かに、私は時任陽菜と見つめ合っていた状況に耐えれなかった。こんなのはダメだと、本能的に脳内で警鐘を鳴らしていた。
だけどそれと同じくらい、このままどっちも動かなかったらどうなるんだろうと想像を膨らませている自分もいた。
……どうなってたんだ? 実際のところ。
「あ、あああ、ああああああうぅぅぅぅぅ」
余計な妄想が脳裏を過ぎり、自ずと呻き声が漏れる。違う。そんなんじゃない。そんなんじゃないんだ。そんなんじゃない、んだけど…………
何だ何だ? どうしてしまったんだ私は。
幸か不幸か、明日の放課後に早速生徒会の定例会議がある。
一体どんな顔して彼女と会えばいいのだろうか。
当然の結果と言うべきか、その後原稿チェックは一分も集中を続けることも出来ずに、敢え無く下校時刻を迎えてしまった。
締め切りは明日の会議まで。かくなる上は家に持ち帰るしかないのだが、多分片付けられないだろう。理由はお察しだ。気にするなと自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、ますます変な感情が募っていく悪循環。もう嫌だ。
……くそぉ、思い出したらなんかまた腹立ってきた。何で私がこんなことで心乱されなければならないんだ。
「もう、どうしろっていうのよ」
答えは簡単だ。どうもしない。これに尽きる。時任陽菜のことをどうも思っていないのならば、そうするのが一番推奨されるべき振る舞いだ。
なら、この期に及んで悩んでいるっていうのはそういうこと?
そういうことって、どういうこと?