エピローグ 菜摘と柚花、因縁の対戦 勝つのはどっちだ?
十一月十一日、あの大会からちょうど一週間後の日曜日。
午前十時頃、天気は曇。気温一四℃と晩秋らしい肌寒さだった。
「ナッちゃん、負けても再戦は無しだよ。これが最後だからね」
「うん! 分かってる。あたしの負けならそれがあたしの実力だから」
取組前に、二人はがっちり握手を交わす。
対戦の場所は、大会会場と同じだった。藤太郎爺ちゃんが神主さん達に交渉した結果、使わせていただけることになったのだ。
土俵には大会時と同様、力水の入った水桶と、撒くための塩も用意されていた。
見物人は万由里、賢子、淳子、淳之介の他に、
「やっほー、みんな」
「菜摘ちゅわーん、応援しに来たぞう。僕が行司さんやるねー♪」
母、春美さんと藤太郎爺ちゃんもいる。
この六人以外にもわりと大勢の観客が土俵周囲に集っていた。
菜摘のお友達は、今日は応援しに来ていなかった。なぜならこのことは伝えてなかったからだ。菜摘は正直、柚花お姉ちゃんにはまだ勝てそうにないなと思う所があっての判断である。
柚花は長袖Tシャツ&スパッツ姿、菜摘は夏用体操服の半袖クールネックシャツ&ハーフパンツ姿となり、その上からマワシを締めた。
靴と靴下も脱いで素足になり両者、相撲を取る準備が整うと、
「ひがあああああしいいいいい、ゆずかあああやまあああ。にいいいいいしいいいいい、なつみいいいふじいいい」
母は相変わらずの美声を発しながら、独特の節回しで四股名を呼び上げた。
菜摘と柚花はそれを合図に二字口から土俵へと足を踏み入れると、徳俵の前で一礼し、東西の土俵脇へ別れた。
菜摘は淳之介から、柚花は万由里から力水を付けてもらう。
柚花の四股名は、かつて取っていた頃と同じ『柚花山』だ。
仕切りの際には、激しい睨み合いが続いていた。
去年の大会の時も、こんな感じだったのだ。
「菜摘ちゃんも柚花ちゃんも、ファイト!」
「二人とも頑張って下さいね!」
「菜摘、頑張れーっ♪」
万由里、賢子、淳子はすぐ近くの座布団席で応援する。
(出来れば……松永さんに勝ってもらいたいな)
同じく座布団席で眺める淳之介の今の心境。
両者、塩撒きと仕切りの所作を五度繰り返したところで、母から制限時間いっぱいであることが告げられた。
最後の塩。菜摘は山のようにがっちり掴み、高々と舞い上げた。柚花もそれに負けるものかと豪快に撒き散らす。勢いはほぼ互角だった。
両者、仕切り線越しに向かい合い、蹲踞姿勢を取ったのち、
「待ったなし、手を下ろして。はっきよぉい、のこった!」
藤太郎爺ちゃんが軍配を返す。両者、一発で上手く立った。
(うわっ!)
瞬間、菜摘は背中をズンッと押され、驚きの表情を浮かべた。
柚花が、いきなり八艘飛びを食らわして来たのだ。
(やっぱ決まらなかったかぁー)
柚花は残念がる。
(変化なんかして、あたしを怒らせたね!)
菜摘は足を泳がされたものの、俵まであと一歩のところでくるりと一回転した。
体勢を立て直される前に柚花は一気に突き出そうと試みたが間に合わず。菜摘に顔面にパチンッと突きを食らわされた。けれども柚花、怯まず菜摘に突っ張りし返す。
両者、土俵中央で激しい突っ張り合いが始まった。
「二人とも互角ね」
「カンガルーのケンカみたい。デパートのバーゲンセールに群がるおばさんの争いを遥かに凌駕する迫力だよ」
「菜摘、柚ちゃんにあっさり負けなかった分、成長を遂げたわね。勝てるかも」
「俺は張り手の威力、松永さんの方が若干勝ってる気がする」
賢子達四人は勝負の行方を食い入るように見守る。
突っ張り合いが三〇秒ほど続いた後、柚花、一瞬の隙を付いて菜摘の両マワシを狙いに行った。
(やったぁ!)
見事掴むことが出来た。柚花、若干有利な体勢へ。
(やばいっ!)
菜摘も、負けて堪るかっ、と柚花の両マワシをがっちり掴んだ。
土俵中央。両者、胸が合わさりがっぷり四つ。
柚花、攻められる前に勝負を決めようと力を振り絞った。寄り切ろうと試みる。
菜摘、柚花に一気に土俵際まで押し込まれてしまった。俵の上に足がかかってしまい、もうあとがない。柚花を押し返そうと試みるも、全く動かせず。非常に苦しそうな表情を浮かべ、腰を落として必死に堪える。大会で箕面竜と対戦した時と同じような状況だ。
「「「「「「「「おおおおおおおおおおおっ!」」」」」」」」
淳之介達以外の観客からも激しい歓声、大拍手。
「のこった、のこった!」
藤太郎爺ちゃんもしきりに掛け声。かなり気合が入っていた。
容赦なく体を預けてくる柚花、
(松永さん、やっぱまだまだ強いな。菜摘の突っ張り、全然効いてなかったみたいだし。差し手争いも松永さんの方が勝ってたし、これはまた菜摘の負け確実だな)
この時、淳之介は悟った。
その時、
「とりゃあああああああああああああああああああああああああーっ!」
と、菜摘が大きな叫び声をあげた。そして、
「ただいまの決まり手は、うっちゃり、うっちゃりで、菜摘藤の勝ち。柚花山から初白星おめでとう! 今までの雪辱を果たすことが出来て良かったわね」
母は爽やかな表情で告げた。
「菜摘ちゃん、お見事じゃ! 双葉山が得意にしていた技じゃぞ」
藤太郎爺ちゃんも軍配団扇を西方に指し示していた。
菜摘は土俵際ギリギリの所、体を捻りながら捨て身の投げ技を打ち、奇跡的に勝つことが出来たのだ。
「菜摘ちゃん、おめでとううううう!」
「菜摘さん、凄いです!」
「菜摘、おめでとう! うちは勝てると思ってたわ」
「俺は、まさかあの体勢から勝てるとは正直思わなかったよ」
万由里、賢子、淳子、淳之介は菜摘に向けてパチパチと大きな拍手を送る。
「「「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」」」」」」
他の観客からも、当然のように大きな拍手喝采が巻き起こった。
「あららぁ、負けちゃったよ、ワタシ」
土俵下まで転落した柚花はてへりと笑いながら呟いて、自力で起き上がる。
「いたたたぁっ」
菜摘自身も、勢い余って体勢が崩れ土俵下に転落してしまった。すぐに自力で起き上がる。
「あっ、菜摘ちゃん、肘から血がいっぱい出てるよ。あと、鼻血も」
万由里は心配そうに伝えた。
「あっ、本当だ。めっちゃ出てる。めっちゃ痛いわけだ」
菜摘は目を腕に向け、眺めてみた。
「ごめんねナッちゃん、怪我を負わせちゃって」
柚花は菜摘の側に寄り、大変申し訳なさそうに深々と頭を下げて謝罪した。
「いえいえ柚花お姉ちゃん、気にしないで下さい。お相撲に怪我は付き物ですから。それに、たいした怪我ではありませんから」
菜摘は笑顔できっぱりと言う。
「でも、ワタシ、罪悪感に駆られるし。あの、ナッちゃん、これ使って」
柚花は持って来た鞄からポケットティッシュを手渡す。
「ご親切に、ありがとうございます」
菜摘は受け取ると、すぐに自分の鼻に詰めた。
「柚花ちゃん、肘は、お水で洗った方がいいよ」
万由里はそう言うと、菜摘の背中と太ももの内側を抱え、お姫様抱っこした。
「まっ、万由里お姉ちゃん、なんか、恥ずかしいよ」
照れくさがる菜摘に、
「まあまあ」
万由里はにこにこ微笑みかける。境内の手洗い場まで辿り着くと、菜摘をそーっと下ろしてあげた。
「ありがとう、万由里お姉ちゃん」
菜摘は照れ笑いする。
「どういたしまして」
万由里はにこっと微笑んだ。
「うー、しみるぅ」
菜摘は水道の蛇口を捻り、肘の傷口を丁寧に洗う。
「どうしよう。私、絆創膏持ってないよ」
「あたしも持ってないや」
この二人が困っていたところへ、
「大丈夫よ。わたし、菜摘さんと柚花さんが怪我することを想定して、これ持って来てたの。傷口が乾かないように、この絆創膏を貼るね」
賢子も駆け寄ってくる。ポーチの中から液体絆創膏を取り出した。
「あの、タカコちゃん、ワタシが貼るよ。ナッちゃんに、さっきのお詫びをしたいから」
柚花も駆け寄って来た。
「柚花お姉ちゃん、優しいなぁ」
菜摘は頬をちょっぴり赤らめる。
「柚花ちゃん、強さのみならず人格も備わってるね」
「柚花さんはまさに女相撲界の横綱の器ね」
万由里と賢子は尊敬の念を抱いた。
「いやぁ、そんなことないって」
柚花は微笑み顔で謙遜する。
「柚花さんのそんな仕草も素晴らしいです。これ、どうぞ」
「サーンキュ」
柚花は賢子から絆創膏を受け取ると、
「はい、貼ったよナッちゃん。早く治してね」
菜摘の肘の傷口にぴたっと貼ってあげた。
「ありがとうございます、柚花お姉ちゃん」
菜摘は照れくささのあまり、柚花と目を合わせられなかった。
「ナッちゃん、菜摘藤。今回の取組、ワタシの力負けだよ。あれから一年ちょっとしか経ってないのに、すごい進歩だね。若さだね」
柚花は褒め称えてくれる。
「いやいや、実力的には柚花お姉ちゃんの方が上ですよ。あたしが勝てたのは運が良かっただけだから。あたし、さらに精進して来年の相撲大会に挑みます!」
菜摘は謙遜気味に言い、強く宣言した。
「ナッちゃん! 期待してるよ。ワタシの分まで頑張ってね」
二人はもみじのような手と手を合わせ、がっちり握手を交わす。
「大鵬‐柏戸の千秋楽相星決戦が偲ばれる名勝負じゃったぞ。柚花ちゃんよ、これで引退なんて非常ぉーに勿体無い。来年の女相撲大会一般の部に出て欲しいものじゃわい」
行司を務めた藤太郎爺ちゃんはそう告げながら、柚花に背後から近寄った。
「ひゃぁっん!」
腰から尻にかけてなでられた柚花は、頬をポッと赤らめる。
「柚花ちゃんもますますいいヒップラインになったのう。尻の触り心地の良さは女相撲の強さに比例する。これぞ藤太郎の女相撲の法則じゃ。学会では一切認めてもらえんかったがのう」
「あんっ、くすぐったいよぅ」
尚も柚花の尻をなで続ける藤太郎爺ちゃんに、
「藤太郎お爺ちゃぁん。小学生みたいないたずらしちゃダメだよ」
菜摘はニカッと微笑みかけた。
そして、藤太郎爺ちゃんの身に着けていた行司装束の帯を、怪我をしてない左腕でむんずとつかみ、ポイ捨てるかのように豪快な投げ技を食らわす。
「ただいまの、決まり手は、つかみ投げ、つかみ投げで、菜摘藤の勝ち!」
技が決まった瞬間、母は爽やかな声で決まり手を告げた。
「おう! ナッちゃんもの凄いパワー。何年か前に見た、朝青龍と把瑠都の取組を思い出したよ」
柚花は驚き顔。菜摘に対しちょっぴり恐怖心も沸いてしまった。
「フォフォフォ、僕の今の気分はあっぱれ秋晴れじゃわい」
うつ伏せ状態の藤太郎爺ちゃん、すこぶる上機嫌だ。
「淳之介お兄ちゃんの高校の、学力の横綱の賢子お姉ちゃん、来週日曜の記述模試は、負けないからね」
菜摘は真剣な表情で賢子の目を見つめながら、宣戦布告する。
「望むところね。わたしも頑張るわ。先輩の意地を見せるから」
賢子はきりっとした表情で強く誓った。
「楽しみにしてるよ。さてと、淳之介お兄ちゃん、その模試に向けて、今日からあたしと一緒に本格的にお勉強稽古始めようね」
「そっ、そうだな」
淳之介は少し表情が青ざめた。
「受験界の西横綱、京都大学でせめてD判定が取れるように、おウチ帰ったらあたしと一緒に猛特訓だよ♪」
菜摘はにこっと微笑みかける。
「勘弁してくれ、菜摘」
淳之介は苦笑いを浮かべ、お願いした。
「ダーメ。いつも以上に厳しく鍛え上げるから」
「そっ、そんな……」
「淳之介お兄ちゃん、今度の記述模試で京大C判定以上取ったら、お部屋元に戻してあげるよ」
菜摘にウィンクされながら伝えられると、
「本当か。じゃあ、頑張ろう」
淳之介は急にやる気が出て来た。
「淳之介、そんなにうちと同じ部屋は嫌なのぉ?」
淳子が上目遣いで問い詰めてくる。
「うん! もちろん」
淳之介ははっきりと言ってやった。
すると、
「前言撤回、淳之介お兄ちゃんがどんなに良い成績取っても、お部屋はそのまま」
菜摘はにこにこ顔でこう言う。
「おい菜摘、そりゃぁないだろぅ」
「菜摘、グッドジョブ」
淳之介、菜摘、淳子の三人は楽しそうに会話を弾ませながら、家路を進んでいく。
「なんか、サ○エさんとカ○オくんとワ○メちゃんみたいだよ」
「マユリちゃん、ナイス突っ込み」
「確かに。性格と年齢構成は違うけど、関係は同じね」
その様子を万由里、柚花、賢子の三人は微笑ましく眺めていた。
(千秋楽)