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最終話 女相撲大会開幕 目指せ初優勝! 菜摘藤

十一月四日、日曜日。

いよいよ今日が菜摘の出場する女相撲大会、『第五三回関西女相撲最強力士決定戦』の開催日。近畿二府四県各地から意外と大勢の参加者が集ってくるらしい。この大会は出場力士のみならず行司、呼出、勝負審判、運営スタッフに至るまで全て女性なのだ。

 今日は清清しい秋晴れ。そのため今大会は、とある神社境内に設けた屋外会場で開催されることになった。

 午前中に幼児の部と小学生の部が行われ、午後から中学生の部と出場資格高校生以上の一般の部が行われる。

 菜摘は幼児の部が始まる前、早朝七時頃から会場入りし、仮設された支度部屋で四股踏みや鉄砲、股割り、他の出場者の胸を借りるなどして汗を流しながら一生懸命稽古に励んでいた。

「客として見るのはなんか新鮮な気分だよ。ナッちゃんのお相撲取る姿、楽しみ♪」

「菜摘さんの有志、この目にばっちり収めるわよ」

「菜摘ちゃん、年を得るごとにどんどん強くなってるよね?」

「うん、俺としてはこれ以上は強くなって欲しくないよ」

 柚花、賢子、万由里、淳之介の四人は小学生の部終了後の休憩時間中に会場入りし、正面(北側)真ん中より少し後ろくらいの観客席に着く。淳之介は万由里と柚花に挟まれる形となった。ちなみに観戦料はどの席も無料である。

幼児の部最初の取組から観戦していた藤太郎爺ちゃんは扇子を両手に持ち、さらにはアメリカ合衆国の国旗も描かれた金色のシルクハットを被り、なんとも恥さらしなド派手な法被を身に纏って、正面最前列座布団敷きの砂被り席に座っていた。彼はこの最も取組がよく見える特等席を確保するために早朝五時頃から会場前に並んでいたのだ。ちなみに彼は第一回の大会から五〇年以上、毎年皆勤で観戦しに行っている筋金入りの常連客らしい。

この大会の土俵は本場の大相撲と同じく直径一五尺。向正面東西土俵脇に塩箱と水桶も備えられている。屋外のため大相撲のような吊り屋根は設置出来ないので、ここでの屋根は四隅四本の木柱で支えられている。柱には向正面東側に赤、西側に白、正面東側に青、西側に黒の布が巻き付けられていた。大相撲の四房に代わる物だ。

女力士の格好は男の相撲のようにマワシが解ければすっぽんぽん、というわけではもちろんなく、公序良俗に則りレオタードやTシャツ&スパッツorハーフパンツなどを身に纏い、その上にマワシを着けている。

 今大会の中学生の部出場女力士総数は三二名。八名毎A~Dの計四ブロックに分かれ、トーナメント戦によりそれぞれのブロックの頂点に立った四名が準決勝へと駒を進める。とどのつまり五回連続で勝てば優勝出来るというわけだ。

今年はたまたま偶数だったが、出場者数が奇数の場合は籤引きで一回戦勝ち抜けというラッキーなことも起こり、運にもけっこう左右されるようである。西方か東方かも、前大会優勝者が東方になれる特権がある以外は全て抽選で決められる。

 菜摘は一回戦Cブロック第一組、淳之介達四人は彼女の出場までしばし他の取組を観戦しながら待つ。

 あいつ、本当に女か? どう見ても男だろ。と疑いたくなるような男顔&角刈り、さらには筋肉質の女力士もやはり見受けられた。

 一方、この子、相撲を取らせて大丈夫なのかなぁ? と心配になるような大人しそうで華奢で、けっこう可愛らしい子も少なからずいた。菜摘も、去年まで出場していた柚花もそんなタイプだ。

「藤太郎爺ちゃん、よくあんな危険な場所に毎年懲りもせずに座れるよなぁ」

 Bブロック第二組の取組終了後、淳之介は呆れ顔で呟く。

 先ほど、土俵際で投げの打ち合いをしていたわりと大柄な両力士が、勢い余って藤太郎爺ちゃん目掛けてダイブして来たのだ。勝負審判や控えの女力士の方々が咄嗟にガードしてくれ事なきを得た。このように砂被り席では、女力士の直撃を食らうリスクもある。

 それからさらに十分ほど経ち、

【続きまして、Cブロックの取組を行います。出場する力士の皆様は、土俵横力士控え席までお集まり下さい】

 このアナウンス。いよいよ菜摘の出番がやって来た。

「ひがあああしいいいいい、なつみいいいふじいいいいい。にいいいしいいいいい、だいぶつうううあらあああしいいいいい」

呼出から独特の節回しで四股名を呼び上げられると、菜摘と相手力士、大仏嵐は二字口と呼ばれる所から堂々と土俵に上がった。徳俵の横で両者向かい合って一礼し、向正面東西土俵脇に分かれる。清めの塩を撒く前に菜摘はBブロック第四組の勝者から、大仏嵐は次のCブロック第二組の西方控えの女力士から力水を付けてもらった。

【東方、菜摘藤、兵庫県西宮市出身、二年生。西方、大仏嵐、奈良県奈良市出身、三年生】

続いて場内アナウンスにて四股名、出身地、学年が放送される。

仕切りのさい、『なつみふじいいいっ!』と、会場のあちこちから大きな声援が巻き起こる。菜摘は幼児の部出場時代からこの大会で一、二を争うほどの大人気力士なのだ。

小さい体で大きな相手にも怯まず果敢に挑む姿が、観客の心を鷲掴みにするらしい。

「ナツミン、ファイト」「なっちゃーん」「菜摘先輩、勝って下さぁい!」「菜摘藤、頑張れー」「なっちゃんかわいい♪」

菜摘と同じ学校のお友達も何人か応援しに来ていた。菜摘の似顔絵イラストの描かれた横断幕をみんなで持ちながら熱く叫ぶ。

(顔や指や足に湿布貼ってる子もいるよ、おそらく練習に付き合わされたんだろうな)

 西桝席にいた彼女達をちらりと眺め、淳之介は少し哀れむ。みんな文化系っぽい大人しそうな感じの子達だった。

「菜摘ちゅわぁぁぁーん 好きじゃ好きじゃ、大好きじゃあああああああ、アイラブユウウウウウウウーッ! 今年も全身全霊スピリットパワーで応援するからねーっ」

 藤太郎爺ちゃんは扇子を激しく振り回しながら大声で叫ぶ。

「恥ずかしいから止めろ。近くの他の男性観客らも釣られて叫び回ってるし。菜摘、緊張しちゃうじゃないか」

 淳之介は呆れ返りながら、騒がず静かに見物。

「淳之介くんのお爺ちゃん、相変わらずとってもお元気だねー。菜摘ちゃん、頑張れー」

「ナッちゃん、頑張って」

「菜摘さん、優勝目指してね」

 万由里も柚花も賢子も、あまり大きな声は出さずに応援する。

 目指せ! 初優勝 菜摘藤 と墨で書かれた縦五〇センチ横幅一.五メートルほどの横断幕を四人で持ちながら。これは万由里と柚花と賢子の手作りだそうだ。

「「「「「「「「だいぶつあらしいいいいいいっ! 頑張れぇぇぇぇぇっ!」」」」」」」」

 相手力士、大仏嵐も同じ学校と思われる子達からしきりに応援の声がかけられていた。

 塩撒きと仕切りの所作を何度か繰り返し、いよいよ制限時間いっぱい。

大仏嵐は、菜摘より二〇センチ以上は背が高かった。

両者、土俵中央に二本、白く引かれた仕切り線の前へ。そして向かい合う。

「時間です。待ったなし、手を下ろして」

 行司から告げられると両者ゆっくりと腰を下ろし蹲踞姿勢を取ったのち、仕切り線に両こぶしをつける。

「見合って、見合って、はっけよぉーい、のこった!」

軍配が返され、いよいよ立合い。

「おう、変化すると思ったら恐れず真っ向から行ったぁっ!」

 柚花は思わず身を乗り出して叫ぶ。

「菜摘は藤太郎爺ちゃんの影響で、自分よりどんなに大きな相手でも絶対変化はしない、真っ向勝負で挑むという信念を持ってるみたいだからな」

 淳之介も感心する。

菜摘は相手力士に先に両マワシを取られてしまったものの、菜摘もすぐに相手力士の両マワシを取り、休まず自分の膝を相手力士の内股に入れて吊り上げるようにして振り上げ、豪快に投げ飛ばしたのだ。

一回戦、これにて勝負あり。菜摘の圧勝であった。

両者、徳俵の横に立つと、再び向かい合って一礼。背中が土まみれになって敗れた大仏嵐、苦笑いを浮かべながら土俵から下りていく。敗者復活戦は無いため、負けたらその時点で出番は終了である。応援に駆け付けた子達からも残念そうな声が漏れていた。

「なつみいいいふじいいい」

 勝った菜摘は蹲踞姿勢になり、きちんと右手で手刀を切って行司さんから勝ち名乗りを受けた。

「さすが僕の遺伝子を受け継ぐ孫娘、菜摘ちゃんじゃ。上手いっ! うおおおおおっ!」

 藤太郎爺ちゃんは扇子を激しく振り回しながら熱く叫び回る。

 淳之介達四人と、菜摘のお友達も持っていた横断幕をわきに挟み、大拍手。

【ただいまの、決まり手は、櫓投げ、櫓投げで、菜摘藤の勝ち】

場内アナウンスで決まり手も発表された。

「菜摘さん、機転力凄いわね。相手に両マワシ取られても落ち着いてたわ」

「ナッちゃん、やるじゃん。去年よりもずっと動きが良くなってるよ」

「あっという間だったね。勝ち名乗り受けてる時の表情も、凛々しくてすごく格好良かったよ」

 賢子、柚花、万由里はとても感心していた。

「攻めが早過ぎる。対戦相手、中に浮いてたし。俺、菜摘に一生相撲で勝てる気がしない」

淳之介は恐怖心も芽生えた。

 菜摘は二回戦の相手にはマワシを取らせる隙を与えず、胸目掛けて突っ張りを目にも止まらぬ速さで断続的に繰り出した。

一七〇センチ近くはあった相手力士、勢いに負けて尻餅をつく。

 勝負は五秒ほど。決まり手は、〝突き倒し〟だ。

これにて菜摘は三回戦、準々決勝進出。ベスト8に残った。

「うおおおおおっ! 僕の秘伝、mvパワー炸裂じゃぁぁぁーっ!」

 藤太郎爺ちゃんは異様に喜んでいた。

「菜摘の張り手の威力は本当に凄まじいよな。俺も一瞬で吹っ飛ばされたし」

 淳之介は恐怖心をさらに強く感じた。

菜摘は勝ち名乗りを受け土俵から下りると、お友達に喜びを伝えた後、藤太郎爺ちゃんとハイタッチを交わして淳之介達四人のいる席へ。Cブロック二回戦もう一組の取組を一緒に観戦する。 

「あーあ、やっぱりあの人が勝っちゃったかぁ。あたし、次は絶対勝てないよ。去年の優勝者だもん。怖いよぅ」

 勝負がついた後、菜摘は落胆の声を上げた。

「ナッちゃんの次の対戦相手、ワタシも去年決勝で立合い一瞬で肩越しに上手取られて〝つかみ投げ〟であっさり負けてるからね」

 対戦経験のある柚花は深く同情する。全く歯が立たなかったのだ。

「頑張れ、菜摘らしくないぞ」

 淳之介は怯えている菜摘を勇気付けようとする。

「ナッちゃん、頑張って。ナッちゃんは去年よりもずっと強くなってるから大丈夫だよ」

「菜摘さん、あんな豪快な投げ技や強烈な突っ張りが繰り出せるんだから、きっと勝てるわっ!」

「今の菜摘ちゃんなら、絶対勝てるよ。自信を持って」

 柚花達三人は優しく励ます。

「菜摘ちゃん、p=mvの数式をフルに活用するのじゃ。そうすれば絶対勝てるぞっ!」

 藤太郎爺ちゃんも駆け寄って来て励ましてくれる。

「みんな応援ありがとう。きっと無理だろうけどあたし、精一杯頑張ってくるよ。思いっきりぶちかましてくる!」

 こぶしをぎゅっと握り締め強く宣言するも、菜摘はぎこちない足どりで土俵へと向かう。

「ひがあああああしいいいいい、みのおおおりゅううううう。にいいいいいしいいい、なつみいいいふうううじいいい」

呼出の合図。両者、土俵の上へ。

観客から割れんばかりの拍手喝采が起こる。

【東方、箕面竜、大阪府箕面市出身、二年生。西方、菜摘藤、兵庫県西宮市出身、二年生。これにて、Cブロックの頂点が決まります】

 場内アナウンス。

相手力士、箕面竜は体がかなりでかかった。背丈だけでなく横幅も。ただ、お顔は体型のわりに痩せていて、けっこう可愛らしかった。

「菜摘と同級生なのに、まるで幼い子どもと大人だ。あの箕面竜っていう四股名の人、去年よりもさらに太ったよな? 百キロは絶対超えてるだろ」

「淳之介さん、思春期の女の子に体重のことを言及するのは失礼ですよ。でも、確かにそんな感じね」

「まともにぶつかったら菜摘ちゃん、一気に土俵の外まで突き飛ばされそうだよ」

「ナッちゃん、この相手でも真っ向から攻めるのかなぁ?」

 淳之介達四人は心配そうに見守る。

「小錦‐舞の海戦を思い出すわい」

 藤太郎爺ちゃんはこの取組をとても楽しみにしている様子だった。

 仕切りの際、両者激しい睨み合いが続く。

(女同士の本気の争いって、すげえ怖いな)

 その迫力に淳之介は少し仰け反ってしまう。

六度目の塩撒きと仕切りで、制限時間いっぱいとなった。

 最後の塩。菜摘は山のようにがっちり掴み、高々と舞い上げた。箕面竜もそれに負けるものかと豪快に撒き散らす。その勢いは菜摘の方が勝っていた。

 これが勝負にどう響いてくるか?

「待ったなし、手を下ろして。はっけよぉい、のこった!」

 行司が軍配返した次の瞬間、

「まだまだまだ!」

 注意の言葉を告げる。

立ち合い不成立、菜摘の両こぶしがちゃんと仕切り線についていなかったのだ。

「相当緊張してるな、これは」

「リラックスして頑張れ、ナッちゃん」

「菜摘さん、落ち着いて」

「菜摘ちゃん、やっぱり怖がってるみたい。かわいそう」

 淳之介達四人は固唾を呑んで見守る。

「菜摘ちゅわぁん、こんな照國みたいなやつ張り倒してしまえ!」

 藤太郎爺ちゃんは大声で叫んだ。

「相手力士に失礼だろ」

 淳之介はすかさず突っ込みを入れる。

「待ったなし、手をちゃんと下ろして。はっけよい、のこった!」

 二度目の立ち合い、今度は上手く立った。

すぐに両者、激しい張り手の打ち合いが始まった。

パチンパチンパチンパチンと叩き合う音が絶え間なく聞こえてくる。

土俵中央で凄まじい突っ張りの攻防が繰り広げられているのだ。

「うおおおおおおおっ、まるで平成十年名古屋場所の武双山・千代大海戦を見ているようじゃぁ!」

 藤太郎爺ちゃん、大興奮。身を乗り出し、瞬きもせずに取組に見入る。

 菜摘のお友達も同じような感じだった。

「ナッちゃんの張り手、物凄い威力」

「菜摘ちゃん、さっき以上に凄いね。もはや相撲というより殴り合いのケンカだよ」

「運動エネルギーも凄そう。菜摘さんを怒らせない方がいいわね」

「俺、あんなのまともに食らったら十メートルくらい吹っ飛ばされそうだ。菜摘より遥かにでかい箕面竜も、少しずつ土俵の方へ追いやられてるし」

 柚花達四人も食い入るように眺める。

 やがて、がっぷり四つに組み合う体勢に変わった。乾坤一擲互いに力比べ。

だが菜摘、組み合ってまもなく箕面竜に一気に押し込まれる。そしてついに俵の上に足がかかってしまった。もうあとがない。菜摘、懸命に堪える。非常に苦しい表情。

しかし次の瞬間、

「うりゃあああっ!」

 菜摘はこう叫び声上げ、渾身の力を振り絞り、自分の三倍以上は体重がありそうな箕面竜を吊り上げた。そしてそのまま土俵外まで運ぼうと試みる。けれども途中で力尽き、下ろしてしまった。しかし休まず菜摘は上手投げを打った。だが箕面竜に堪えられ決まらず。

「やあっ!」

 今度は箕面竜が投げを打とうとしてくる。

菜摘、必死に堪え、何とか残すと休まず寄りに出た。箕面竜を土俵際まで追い詰める。

たが箕面竜、そこから負けるものかと菜摘を寄り返す。

再び両者、土俵中央へ。動きが止まる。意地と意地のぶつかり合い。大相撲だ。

「「「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」」」」」」」」

 場内から激しい歓声、大拍手。

(こうなったら……)

 菜摘、咄嗟の思いつきで箕面竜に〝蹴返し〟を食らわした。しかし決まらず。

次の瞬間、箕面竜がもう一度打った投げで菜摘の足がふらついてしまった。菜摘は何とか残したが、箕面竜に対し背を向けた状態になってしまった。

「菜摘ちゃぁぁぁん、後ろもたれじゃ、後ろもたれを狙うのじゃ!」

 藤太郎爺ちゃんは思わず立ち上がり、さらに大声で声援を飛ばす。

だが、彼の声援空しく箕面竜はすかさずこのチャンスを逃すまいと後ろからがっちり菜摘の両マワシを捕まえた。菜摘、こうなったらもうどうすることも出来ず、ふわり軽々と持ち上げられてしまった。

これはもう勝負あったな。菜摘の負けだ。 

淳之介はこの時こう悟った。

案の定、箕面竜はそのまま杵を振り下ろすかのように豪快に叩き落とした。菜摘その場にぺたんと座りこむ。

菜摘は力量の差を見せ付けられ敗れてしまったのだ。とても悔しそうな表情を浮かべる。それでも立ち上がると一礼を忘れずにして、土俵から下りた。

「みのおおおりゅううううう」

 今大会最後の勝ち名乗りを行司から受け、満面の笑みで花道を引き下がる箕面竜。

両者に、会場中から割れんばかりの大きな拍手喝采が送られた。

【ただいまの決まり手は、送り吊り落とし、送り吊り落としで、箕面竜の勝ち。箕面竜、準決勝進出です】

 そんな中、場内アナウンス。

「勝ちたかったなぁ」

 敗れた菜摘はこう呟きながら、藤太郎爺ちゃんの目の前を素通りし淳之介達四人のいる席へやって来る。菜摘の目には、悔し涙が浮かんでいた。

「菜摘ちゃん、残念だったね。でも、よく頑張ってたよ。というか、鼻血出てるよ」

「菜摘さん、鼻血、鼻血」 

「ナッちゃん、垂れてる、垂れてる」

「菜摘、唇からも血がけっこう出てるぞ」

 四人は菜摘のお顔を見ると、慌てて指摘する。

「菜摘ちゃん、手当てするね」

万由里は持っていたポーチからポケットティッシュを取り出し、菜摘の鼻に詰めてあげた。

「ありがとう万由里お姉ちゃん。張り手し合った時に切っちゃったみたい」

 菜摘はほんわかとした表情になった。

「どういたしまして」

 万由里はちょっぴり照れくさがる。もう一枚のティッシュで菜摘の唇から出ていた血も拭き取ってあげた。

「菜摘さん、去年の取組よりもすごく迫力があって素晴らしかったよ。熱戦だったわ」

「土俵際で粘れるようになったのは、成長の証だよ」

 賢子と柚花は大いに褒めてあげた。

「まあ去年よりは、善戦出来たかな」

 菜摘が苦笑顔で呟いたその時、

「菜摘藤、去年よりかなり強くなっとるね。うちも負けるかと思ったよ」

 菜摘の側へ、箕面竜が近寄って来た。

「いえいえ、あたしなんてまだまだひよっこですよ。でも箕面竜、来年はあたし、さらに稽古を積んであなたに絶対勝ちますよ!」

 菜摘は真剣な眼差しで箕面竜の瞳を見つめる。

「うちも菜摘藤に追いつかれんように、稽古に一生懸命励むからね」

 箕面竜は凛々しい表情を浮かべた。

「望むところです!」

お互い友情の握手をがっちりと交わす。

「また来年、会場で会いましょう」 

箕面竜はそう告げて、準決勝に出るため土俵へと戻っていった。

「ナツミン、めっちゃ頑張ってたね」「感動した」「すごいよ、なっちゃん」

 お友達からも声援が送られる。

「みんなあたしの稽古に協力してくれてありがとう。来年もまた頑張るよ」

 菜摘はとても嬉しそうにお友達に礼を言う。

「菜摘ちゃぁん、僕、とってもナイスな取組を見せてもらったよ。僕はもういつ死んでもいいわい。菜摘ちゃんは女相撲界の新しい風じゃな。淳之介のお友達も、しばらく見ないうちにますますべっぴんさんになったのう。特にメガネの子、さらに才媛っぽい雰囲気が出て来て京大にも余裕で受かりそうじゃ」

「きゃぁっ!」

 藤太郎爺ちゃんに尻を両手で鷲掴みにされ、賢子は可愛らしい悲鳴をあげる。肩がぴくんっと震えて、頬もちょっぴり赤らんだ。

「藤太郎お爺ちゃん、賢子お姉ちゃんに失礼なことしちゃダメだよ」

 菜摘はにこっと笑いながらそう言い、藤太郎爺ちゃんを背後からふわりとつかみ上げた。

「ほえ」

「やぁっ!」

 そして肩に担ぎ上げ、自身はブリッジをするような形になって藤太郎爺ちゃんを地面に叩きつけた。

「おう、ナッちゃん、芸術的決まり手。来年が楽しみ♪」

「お見事ね」

 柚花と、被害者の賢子は微笑み顔でパチパチと拍手を送った。

「出たっ! 撞木反り、清清しい決まり手じゃ。大相撲では幻になっておるからのう。こんなレアな技かけてもらえて僕、今ベリーハッピーじゃぞい」 

藤太郎爺ちゃんは地面にうつ伏せ状態のまま大喜びしていたのであった。

「プロレスのバックドロップみたーい」「菜摘先輩、ますます技が磨かれてますね」「来年は優勝目指して頑張って下さい!」

菜摘のお友達は、大きな拍手を交えてこれを見届け、会場を後にした。

「淳之介お兄ちゃん、あたしの練習相手になってくれてありがとう。幼稚園時代から数えて初めて準々決勝に進めたのは、淳之介お兄ちゃんのおかげだよ」

「いやいや、俺は、べつに。菜摘の頑張りの方がずっと大きいよ」

 菜摘にくりくりとした目で見つめられ礼を言われ、淳之介は少し照れくさがる。

「柚花お姉ちゃんも、一般の部に出て欲しかったなぁ」

「ごめんねナッちゃん、ワタシ、もう相撲はやめたから。マワシ姿恥ずかしいし」

 柚花は申し訳なさそうに伝えた。

「柚花お姉ちゃん、普通の女子高生らしくなったね」

 菜摘はかなり残念がる。

「柚花ちゃん、来年は出てあげたら?」

「わたしも柚花さんの相撲、また見てみたいわ」

 万由里と賢子は勧めるも、

「でも、ワタシもうマワシ締める気になれないよ。体もけっこう鈍っちゃったし」

 柚花はもう相撲を取る気は一切ないようだった。

「柚花お姉ちゃん、引退しても結構ですけど、あたしともう一度だけ勝負して下さい!」

「えっ!」

「勝ち逃げは卑怯ですから。リベンジを果たしたいです! お願いしますっ!」

 菜摘は真剣な眼差しで、柚花の目をじっと見つめる。

「うーん……きっともうナッちゃんの方が強いと思うし、でも、ナッちゃんがどうしてもと言うなら、取ってあげても、いいよ」

 柚花は十秒近く考えた後、引き受けてあげた。

「やったぁ!」

 菜摘は嬉しさのあまりガッツポーズ。

 無邪気でかわいいなと、他の四人は思っていた。

「でもナッちゃん、今日は疲れたでしょ? 一週間後に勝負しない?」

「それがいいです。あたし、さらに稽古積んで来ますから」

「ワタシも久し振りに稽古して、感覚を取り戻すよ」

 これにて約束成立。

淳之介達五人と、藤太郎爺ちゃんはこのあとも中学の部最後の取組まで観戦する。

優勝は、菜摘を三回戦で敗った箕面竜。去年に続いて二連覇だった。

「あたしも来年こそは表彰台に立つぞ!」 

中学の部表彰式を見て、菜摘は強く誓った。

 これにて五人は女相撲大会会場を後にする。藤太郎爺ちゃんはこのあとも一般の部の取組と表彰式、閉会式まで見届けるとのことであった。毎年そうなのだ。

途中で賢子と柚花と別れ、淳之介、菜摘、万由里の三人で帰り道を進んでいた所、

「菜摘、相撲大会どうだった?」

 学際帰りの淳子とばったり出会った。

「幼稚園時代から含めて、初めて二回戦突破してベスト8に残れたよ。中学の部は来年で最後だから、次はベスト4、いや、優勝を狙いたいよ」

 菜摘は屈託ない笑顔で伝え、宣言する。

「それはよかったわね。頑張ってね菜摘。頑張り屋さんの菜摘なら、きっと優勝出来るわっ!」

 淳子は強くエールを送った。

「ありがとう、淳子お姉ちゃん」

 菜摘はちょっぴり照れた。

「俺は菜摘の今日の取組を見て、これはもう一生菜摘に相撲で勝てないなと確信したよ」

「もう、淳之介お兄ちゃんったら、情けない」

「いってぇぇぇーっ」

 開き直ったように言った淳之介の左肩を、菜摘はパシンッと叩いておく。

「菜摘ちゃん、淳之介くんをあんまり強く叩いちゃダメだよ。骨折れちゃうからね」

 万由里はにこにこ微笑みながら、優しく注意。

「はーい」

 菜摘は素直に返事した。旅行中の風呂場とカミキリムシでの件で、万由里にちょっぴり恐怖心を抱いてしまったのだ。

「淳子ちゃんも、また一般の部に出て欲しいな」

「ごめんね万由ちゃん、うちは、もう二度と出ないから」

 万由里にお願いされると、淳子は苦笑いを浮かべながら手をぶんぶん振る。彼女は過去に一度だけ、女相撲大会に出場したことがあるのだ。それは三年前の高一の頃だった。見事一回戦で〝腰砕け〟で敗れたというより自滅してしまい、以降出場することはなかったという。

 家に帰った後、菜摘はさっそく両親に今日の結果を報告。ご褒美に母が、晩御飯に菜摘の大好物キムチチゲを振舞ってくれたのであった。


           ☆


 あれから五日後の金曜日夕方。

「あの、ジュンちゃん、ちょっと、お願いしたいことが……」

 淳之介が敏光と別れ、一人で学校から帰っていたところ、柚花に背後から話しかけられた。

「何かな? 松永さん」

「技の練習に、付き合ってくれないかな?」

「断る」

「あーん、お願ぁい」

「敏光に頼めばいいだろ」

「頼んだんだけど当然のように断られちゃって。マユリちゃんとタカコちゃんにも申し訳なさそうに断られちゃったよ。ジュンちゃん、ナッちゃんにいつものようにかわいがりされてるんだから、突き飛ばされたりぶん投げられたりするの慣れてるでしょ?」

「ダメだ、ダメだ」

ブレザーの裾をぐいぐい引っ張られた淳之介は、当然のように迷惑がる。

「ジュンちゃん、ワタシに勝って欲しくないの?」

「……勝って欲しい気持ち半分、負けて欲しい気持ち半分だな。菜摘が負けたら可能性はかなり低いけど相撲やめてくれるかもしれないし」

「じゃあ、付き合ってね♪」

「断る」

「ねえジュンちゃん。小学五年生の時、裁縫セットを貸してあげたことがあるの、覚えてる?」

「えっ! そんなことあったか?」

上目遣いでじーっと見つめられ、淳之介の心拍数が少しだけ上昇した。

「絶対覚えてるはずだよ」

 柚花がほっぺたをつんつん突いてくる。

「……ああ、あったな、そんなこと。すごく恥ずかしかったよ。他の男子達から、おまえ女から借りてるってからかわれたし。嫌な思い出だ」

 淳之介は今思い出し、苦笑いした。

今から五年ほど前。家庭科の授業で使う裁縫セットを忘れて来た、当時五年二組だった淳之介は家庭科室へ向かう途中、他のクラスの子に貸してもらおうと五年三組の教室前へ立ち寄った。けれども今以上に引っ込み思案だった彼は声をかけられずに困っていた。そんな時、柚花が「裁縫セット忘れてきたん? ワタシの貸してあげるよ」と声をかけてきてくれ優しく接して来てくれたのだ。

「あの時のお礼、まだ何にもしてくれてないでしょ?」

「遥か昔のことだし、今さらそんなことしなくてもいいだろ」

「ダメー」

 柚花はにこっと笑い、舌をぺろりと出した。

「……分かった。菜摘に圧勝はして欲しくないし」

 そんな彼女の可愛さに負け、淳之介はしぶしぶ誘いに乗ってあげた。

「やったぁ♪」

 柚花は嬉しさのあまり、その場でぴょんぴょん飛び跳ねる。

(菜摘もだけど、これで相撲なんかやってなかったら、敏光が見てるアニメの美少女キャラそのままの可愛らしさなんだけどなぁ)

 その仕草を眺め、淳之介は心の中で残念そうに思っていた。

 この後、

「いってぇー。松永さん、全然力衰えてないだろ。もう少し優しく投げて欲しかったな」

「優しく投げたよ。ジュンちゃんが受身取るのが下手なだけ。普段柔道の授業真面目に受けてないでしょう? さあ、早く立って。次は〝首捻り〟と〝徳利投げ〟と〝素首落とし〟の練習したいから」

「そっ、それは勘弁」

 淳之介は冬用体操服に着替えさせられ、松永宅のお庭で真っ暗になるまで柚花の練習相手に付き合わされた。

「淳之介お兄ちゃん、変化技に対応する練習したいから、これから付き合ってーっ!」

 帰宅すると菜摘からまた稽古相手を頼まれる。

「もう、勘弁してくれ。さっき松永さんに付き合わされて今日はすごく疲れたし」

 淳之介は暗い表情を浮かべげんなりするが、

「なら一層付き合ってくれなきゃね。柚花お姉ちゃんだけ引き受けるなんてずるいよ」

 当然、有無を言わせず付き合わされたのであった。またしてもトランクス一丁で。


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