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第三話 マーク模試返却 淳之介悲惨 敏光さらに悲惨

「菜摘ちゃん、お熱下がった?」

「うん、もうすっかり元気になって学校行ったよ」

「そっか。回復早いね」

「俺は正直、風邪引いてくれてたままの方が良かったよ」

淳之介と万由里、いつもの何気ない会話を弾ませながら通学路を進んでいく。

八時二〇分頃、夙葉丘高校一年二組の教室。

「おはよう、柚花ちゃん、賢子ちゃん、私、筋肉痛だよ。今日のダンスの授業はつらそうだよぅ。はい、お土産」

 万由里はこう伝えて、その二人に東京土産の入った紙袋を渡した。

「どうもありがとうございます。わたしも膝が筋肉痛です。歩き疲れて」

「大相撲グッズ、サーンキュ。マユリちゃんもタカコちゃんも、普段運動不足だもんね」

 柚花は爽やかな表情で言う。

「やぁ、淳之介殿ぉー。アキバ行ったんだろ? 楽しかったか?」

 敏光は登校してくると、さっそくこんな質問をしてくる。

「それほどでもなかったな。両国浅草の雰囲気の方がずっと良かった」

「淳之介殿も二次元世界にどっぷりのめり込めば、きっとアキバが好きになるぜ。これを差し上げよう」

 続いて表表紙に美少女の水着イラストが描かれたライトノベル二冊を手渡して来た。

「いらないって」

「まあまあ、よいではないか」

「姉ちゃんに叱られるから。こんなの持ってたら、部屋戻してくれそうにないし」

 淳之介は迷惑そうに振る舞い、受け取りを拒否した。

「そっか。リアル姉がいるのは大変であるなぁ」

 敏光が同情しながら呟いたその時、

「光ちゃん、これ、お土産」

 万由里が近寄って来て、大きな紙袋を手渡して来た。

「あっ、どっ、どうも」

 敏光は緊張気味に受け取る。

「浅草名物人形焼と雷おこしと、あと、両国で買った力士サイズのジーパンとTシャツ、光ちゃんにピッタリだよ」

万由里はそう伝えて、別の場所へ移動していく。

「おいらに合うサイズの服、近所の服屋じゃいちいち特注にしないといけないから、ありがたいのだが……」

 中身を確認してみて、敏光は苦笑いした。

「敏光も両国なら力士御用達の店がいっぱいあって暮らしやすいと思うぞ。秋葉原もすぐ近くだし」

 淳之介はにこにこ微笑む。

心優しい万由里は、他のクラスメイト達と担任の児島先生にも東京土産を分けてあげたのであった。

        ※

「では、呼ばれたら取りに来てね。浅尾くん」

この日の四時限目、児島先生による古文の授業にて、一月ほど前に行われた校内マーク模試の個人成績表がついでに返却されることになった。

「松永さん、後でじっくりお話したいことがあるので、お弁当食べ終わってからでもいいから、お昼休み、職員室に来なさい」

 柚花は返却される際、児島先生から微笑み顔でこう告げられた。

「はっ、はい」

 柚花はやや緊張気味に個人成績表を受け取り、自分の席へ戻っていく。

(ありゃりゃ、まあ予想通りだったけど……ちょっぴりショック)

 その途中に結果を確認し、苦笑いを浮かべたのであった。

 お昼休み。柚花、万由里、賢子の仲良し三人組はいつものように近くに寄り添い、一緒にお弁当を食べる。

「ワタシ、絶対叱られるよぅ。マユリちゃんとタカコちゃんは、京大何判定だった?」

 柚花の質問に、

「私はC判定だったよ」

「わたしはA判定でした」

 万由里と賢子はきっぱりと答えた。二人とも現時点で第一志望を京都大学総合人間学部にしており、第二志望以下は京大の他学部とはせず他の大学にしている。万由里も第二志望以下の大学についてはB判定かA判定を仕留めていた。

「めっちゃ羨ましい。それに引き換えてワタシなんて……」

 柚花は自分の個人成績表を眺めながら、悔しそうに唇を噛み締める。

「柚花さん、本当に身の程知らずね。わたしでもそんなことは怖くて出来ないわ」

 賢子は呆れ返っていた。

「柚花ちゃん、すごく度胸があるね。さすがお相撲をやってただけのことはあるよ」

 万由里はほとほと感心していた。

柚花は第一志望から第五志望まで書く欄を全て京都大学にし、第一志望にこの二人と同じく総合人間学部、第二志望に理学部、第三志望に文学部、第四志望に経済学部、第五志望に法学部と書き、全て見事にE判定を取ってしまっていたのだ。

「そんじゃ、行ってきまーす」

柚花はお弁当を食べ終えると、暗い気分で職員室へ。

児島先生のもとへ恐る恐る歩み寄ると、

「松永さん、今度の模試からは、自分の進路を真面目に考え始めましょうね。あなたの今の成績じゃ、地方国公立大でもE判定よ」

 案の定、説教された。

「でも先生、これ、受けた当時の学力じゃないですか」

 柚花はにこやかな表情で反論する。

「松永さん、高校へ入学した頃と今とを比べて、あなたの成績はどれくらい上がったのかな?」

 児島先生はニカッと微笑みかけて問い詰める。

「むしろ下がってるような気がします。でも、まだ一年生だし、入試本番まで二年半くらいあるじゃないですか。時間は山のようにあるし、大丈夫ですよ。では、失礼しまーす♪」

 国数英全三教科総合得点率五割にすら満たなかった柚花は爽やかな笑顔で自信たっぷりにこう告げて、職員室から逃げるように走って出て行った。

(松永さん、三年生の今頃、いや入試直前になっても同じようなこと言ってそうね)

 そんな彼女を眺め、児島先生はハァーとため息をつく。

(一年生で受ける模試の判定はほとんど当てにならないみたいだけど、やっぱこの成績じゃ京大なんて夢のまた夢の夢だよね。京大に合格するためにはこの模試よりももっと難しいセンター試験で、しかも五教科七科目総合して九割くらい取らなきゃいけないみたいだし、さらにセンターよりも遥かに難しい二次試験も突破しなきゃいけないし)

 柚花は心の中でこう呟きながら、とぼとぼ廊下を歩き進んでいく。口ではああ言いながらも、ちゃんと自分の状況をわきまえていたのだ。

「ねえ、ジュンちゃんはあの模試、第一志望神大しんだいの工学部にしてたでしょ? 判定どうだった?」

一年二組の教室に戻ると、柚花はさっそく淳之介に質問してみる。

「E判定だった。もうあと三点高かったらD判定になるところだったけど。この成績はやばいよ。菜摘に見せられないよ」

 淳之介は嬉しくなさそうに答えた。表情も若干暗くなる。

「これは百パー、ナッちゃんにかわいがりされるね。でもDに近いEならいいじゃん。ワタシなんて京大どの学部もD判定までの道のりが程遠いスーパーE判定だよ」

 柚花は恥ずかしげも無く堂々と言い張る。

「俺も京大って書いていたらDまで程遠いE判定で、担任からお呼び出しがかかってたと思う」

 淳之介は苦笑いした。

「ワタシは神大どころか、国公立大の時点でお呼び出しがかかってたと思うよ。ねえジュンちゃん、うちの高校のホームページに書いてること、絶対詐欺だよね? 何がハイレベルなカリキュラムで東大・京大をはじめとした難関国公立大に合格出来る学力が身につきますよ。全然身につきそうにないじゃない!」

柚花は自分の個人成績表を眺めながら、こんな不満をぶつぶつ呟く。

「いや、べつに、皆が身につくわけでは……俺もたいして身についてないし、敏光なんか松永さんよりも酷い成績取ってたよ。近大ですらD判定だったし」

 淳之介は迷惑そうに意見した。

「柚花さん、それは毎日授業の予習復習、宿題をしっかりこなして、真面目に自学自習に励んだ場合でしょ。ただ授業に出席しただけで身につくなんていうのは甘い考えよ。東大・京大への進学は、日々コツコツ頑張った子だけが叶うのよ」

さらに賢子に呆れ顔で言われた。

「でもさぁ、実際に東大・京大に現役で合格出来る子、この学校からでも毎年十人ちょっとくらいじゃん。比率少な過ぎるよね?」

「偏差値五〇くらいのごく普通レベルの高校からだと、一学年三百人程度として、東大・京大に現役で合格出来る子は年に一人出るかどうかくらいじゃない。それと比べればずいぶん高いでしょ」

 尚も不満を呟く柚花に、賢子はこう意見する。

「まあ、そりゃそうだけどさぁ」

 柚花はまだ腑に落ちない様子だった。

「私も前に受けた模試では京大E判定だったけど、今回Eにすごく近いけどD判定が取れたから、柚花ちゃんも今からでも一生懸命勉強頑張れば、きっと京大へ行けるよ」

 万由里はほんわかとした表情で励ましてくれた。

「柚花さんは、万由里さんのような継続力も向上心も無いから、何年掛けたって絶対無理と思う」

 すかさず、賢子は素の表情でさらりと言った。

「タカコちゃん、はっきり言わないで。否定は出来ないけど」

 柚花は苦笑する。

「柚花さん、本当に京大へ行きたいんなら、これから毎日死に物狂いで勉強頑張りなさいね。それにしてもわたしは校内二位、全国で三六七位だったけど、もう少しで菜摘さんに総合点抜かれるところだったわ。まだ中学二年生なのに、恐ろしい子ね」

 成績優秀者欄が載せられた冊子を見て、賢子はほとほと感心する。

「やっぱまたランクインしてたのか、あいつ」

 賢子より少し下の順位に菜摘の名前と学校名が載せられてあったのを確認し、淳之介は苦笑いを浮かべる。今日は家に帰りたくないなぁという思いに強く駆られた。


          ※


「淳之介お兄ちゃん、今日、この間の模試が返却されたでしょっ! 見せろーっ!」

 夕方五時半頃、淳之介が帰宅すると玄関先にて菜摘からいきなりこんな要求。菜摘は不機嫌そうな表情を浮かべ、右手に竹刀を装備していた。

「菜摘、主人の帰りを待ち侘びてた犬みたいだな。分かった、分かった。見せるって」

 淳之介はびくびくしながらしぶしぶ鞄から個人成績表を取り出し菜摘に手渡す。

「……なにこの成績、全教科二学年下のあたしよりずーっと悪いじゃない!」

 菜摘は眉をくいっと顰めた。彼女は第一志望を京大理学部にしており、もちろんA判定だった。

「菜摘のは、良過ぎるんだ。成績優秀者欄に載ってたのを見て高比良さんも驚いてたぞ」

「あたしが載ったんだから、淳之介お兄ちゃんも載らなきゃダメでしょ。お仕置きっ!」

「うぶおぁ」 

 淳之介はのど輪を食らわされる。衝撃でバランスを崩し、床にドシンと尻餅をついた。

 さらに彼は、

「えーっい!」

「なっ、菜摘、やめろって。いってぇぇぇぇぇ!」

「あたし、賢子お姉ちゃんに勝つつもりだったのに、負けて悔しいから今ものすごーく機嫌悪いの」

「どんだけ目標高いんだよ菜摘は。高比良さんは俺の高校の学年トップクラス、いわば学力の横綱なんだぞ」

「だからこそ勝ちたかったのっ! あたしはっ!」

「いてててぇぇぇっ」

竹刀で足や腹部や肩、腕を十数発パシーッンと叩かれた。陸に打ち上げられた魚のごとくのた打ち回る。またも体格で遥かに劣る菜摘に完敗。

 そんな時、ピンポーン♪ と玄関チャイム音。

「こんばんはー、来たぞぅ」

藤太郎爺ちゃんが訪れて来たのだ。

「藤太郎お爺ちゃぁぁぁん」

 菜摘は竹刀を床に置くと、さっきと打って変わって満面の笑みを浮かべ、とても嬉しそうに彼のもとへ駆け寄っていく。

「やっと開放されたー」

 淳之介、ホッと胸を撫で下ろし、ゆっくりと立ち上がる。叩かれ慣れ過ぎて淳之介の体が知らず知らずのうちに頑丈になったのか、はたまた菜摘が手加減してくれたのか定かではないが、意外にダメージは少なかった。

「うおおおおおっ、菜摘ちゃん、五日振りじゃーっ」

 藤太郎爺ちゃん、菜摘にガバッと抱きついた後、尻を両手でさすった。

「えーっい!」

「ほへっ」

 藤太郎爺ちゃん、投げ飛ばされ廊下の床にズサーッと着地。

 菜摘は抱き付かれた状態のまま、自分の足を藤太郎爺ちゃんの右足に外側から引っ掛け、払うようにして二丁投げを食らわしたのだ。

「フォフォフォ、菜摘ちゃん、投げ技も上手くなったのう」

 藤太郎爺ちゃん、孫娘の成長をとても喜ぶ。

「藤太郎爺ちゃん、ちょっと前に来たばっかりだよな。いつもは二、三ヶ月に一回くらいのペースだろ」

「今回は見せたいものがあってのう」

 藤太郎爺ちゃんはそう伝えると、菜摘と淳之介を外へ案内する。

 門の横に駐車された軽トラの荷台に、オレンジ色の直径一メートルくらいはありそうなとても大きなかぼちゃが積まれてあった。

「お化けかぼちゃだぁっ!」

 菜摘は目を近づけ、興奮気味に観察する。

「昨日の巨大かぼちゃコンテストで、優勝したんじゃ」

 藤太郎爺ちゃんは自慢げに伝えた。

「おめでとう! 藤太郎お爺ちゃん。巨大野菜栽培者の横綱になれたんだね」

 菜摘はパチパチ大きく拍手する。

「おう、現役時代の武蔵丸よりも重い二五四キログラムでな。来年は小錦越え狙うから楽しみにしておれよ」

「頑張れ藤太郎お爺ちゃん、シンデレラのかぼちゃの馬車みたいに中に人が入れるくらいのを期待してるよ」

「任せとけぇぃっ! こいつ、美味そうじゃろう?」

「藤太郎爺ちゃん、これは食べれないだろ」

 淳之介はちょっぴり呆れ返っていた。

「アトランティックジャイアントは観賞用だもんね。ハロウィンでジャックランタンによく使われるよね」

 菜摘はにこにこ微笑む。

 藤太郎爺ちゃんは自分の体の小ささにコンプレックスを感じているのか、若い頃から巨大野菜作りを趣味にしているのだ。

「あらっ、去年よりさらにビッグなかぼちゃ作ったのね」

 突如、背後からこんな声。

母だった。ちょうど今、買い物から帰宅したのだ。

「まだまだ全国制覇には厳しい水準じゃがのう。このかぼちゃは、明日は近所の小学校の全校集会、明後日のハロウィーンの日には児童館に呼ばれておるのじゃ」

 藤太郎爺ちゃんは嬉しそうに伝える。

「引っ張りだこね。藤太郎さん、今回は、夕飯はどうされますか?」

 母は一応尋ねてみる。

「今回は結構じゃ。それほど長居せずに帰るつもりじゃったし」

 藤太郎爺ちゃんは申し訳なさそうに断ったが、

「藤太郎お爺ちゃん、一緒に食べよう。今晩はお父さんも、淳子お姉ちゃんも夕飯いらないって言ってたから寂しいし」

 菜摘に強くせがまれ、

「そういうことなら、やっぱりいただこう」

 結局ご一緒することに。

こうして夕食の準備が始まる。

父、彦市は職員会議で遅くなるから、淳子は友人達と飲み会があるからとのことであった。

七時頃から藤太郎爺ちゃんを交えて四人での夕食会が始まる。

その最中に、ピンポーン♪ とチャイム音が鳴り響く。

「淳之介殿ぉー」

 それと共に、敏光の声が聞えて来た。

「俺が出るよ」

 淳之介が玄関先へ。

「これ、おいらの父ちゃんから」

 敏光は梨を届けに訪れて来たのだ。

「もうそんな季節か、サンキュ。ありがたく頂くよ。それよりどうした敏光? 今にも死にそうな声を出して、顔色も悪いぞ」

 淳之介は心配そうに問いかけた。

「おいら、近大でD判定取ったから、相撲部屋に強制入門させられるねん。おいら、母ちゃんと父ちゃんからいきなりそれ聞かされた瞬間、顔が真っ青になりそうになってんって」

「……そうなのか。そりゃ災難だな。高校辞めさせられて角界に入れられるって可哀想過ぎる。いまどき力士になるにしたって大卒だろ」

 敏光から震えた声でされた突然の報告に、淳之介はかなり同情出来た。

じつは敏光は、中学を出たらすぐに角界に入ることを両親から強く薦められていた。彼が今、夙葉丘高校に通えているのは中三の時の担任が、高校には絶対進学させた方がいいと両親を説得した経緯があったからなのだ。

敏光の父は、今は八百屋さんの店主だが、かつては大相撲の力士だった。五年勤めた現役時代の最高位は三段目とあまりパッとしなかったこともあり息子、敏光には自分よりも上の番付まで上がって欲しいと願っているそうである。

「おいら、力士なんて全くなる気ないって」

「それで、家出して来たってわけか」

「そっ、そうなんや。淳之介殿ぉ、今夜だけでもいいから、おいらをかくまってくれー」

「俺は、べつに、かまわないんだけどな。俺の部屋……」

「そっか。姉貴と同部屋にされたんだったな。じゃっ、じゃあ、淳之介殿の親父さんの寝室にでも」

「たぶん大丈夫だとは思うけど、あの、今、ちょっと、大声出さない方がいいぞ」

 淳之介はこうアドバイスしていると、

「敏光君が角界入りするだとっ!」

 藤太郎爺ちゃんがキッチンから廊下に出て、すごい勢いで玄関先へ駆け寄って来た。

「あちゃー」

 淳之介は頭を抱える。

「敏光君、数ヶ月見ないうちにますます立派な体格になったのう。これは良い逸材じゃ。近大ですらD判定を取ったのなら、即入門しろ。このまま平凡な高校生にしておくのは非常ぉに勿体無いぞっ。きみはかの第五五代横綱北の湖と名が同じなのじゃから、きっと大横綱になれる! さっそく僕の知り合いの親方を紹介してやろう」

 藤太郎爺ちゃんはそう言って、懐から携帯電話を取り出した。かなり興奮気味だった。

「とっ、藤太郎、爺さん」

 敏光のお顔はみるみるうちに蒼ざめた。彼は藤太郎爺ちゃんとも顔馴染みなのだ。小学校時代から幾度となく将来の角界入りを勧誘されたこともあって、敏光は藤太郎爺ちゃんを大変苦手としている。

「淳之介お兄ちゃんの大きいお友達、敏光お兄ちゃんっ! お久し振りぃ! また一段と大きくなったね」

 菜摘も嬉しそうにとことこ駆け寄って来た。

「……」

 敏光の心拍数、急上昇。敏光は小学校時代、休み時間や登下校中に菜摘にしばしば一緒にお相撲ごっこしようとかって懐かれ、対戦をさせられいつも菜摘にバランスを崩され投げ飛ばされていた経験があるのだ。その度に周りで見ていた多くの女の子から弱過ぎとか泣き虫とかって言われ笑われバカにされていた。敏光が三次元の女の子を苦手になったのはそんな理由なんだろうなと淳之介は推測している。

「僕は敏光君の角界入りを全力で応援するぞぉっ!」

「待て、藤太郎爺ちゃん。どう考えたって敏光が角界でやっていけるわけないだろ。敏光は臆病なやつなんだ」

「いやいやー、角界に入れば敏光君の臆病な性格も絶対直るはずじゃ」

 淳之介の必死の訴えを、藤太郎爺ちゃんはほんわかとした表情で反論する。

 その時、

「おらも激しく同意だな。敏光、やはりここにいたか」

 背後からワイルドな声。

 敏光の父親だった。息子を追っかけて来たのだ。背丈は一八〇センチあるかないかくらい。体重は百キロはあるかなといったところ。敏光よりは一回り小柄な体型をしている。

「うわぁ、ラスボス登場」

 淳之介は苦笑いし、思わずこう呟く。

「親方も光臨だぁーっ!」

 菜摘は大喜びしていた。

淳之介も菜摘も敏光父のことは昔からよく知っていたのだ。

「淳之介君、菜摘君、久し振りであるな。いつもおらの豚児がお世話になっております。ぅおう! これはこれは藤太郎様、ご無沙汰しております」

 敏光父は藤太郎爺ちゃんの姿を目にするや、深々とお辞儀をした。じつは藤太郎爺ちゃんは、敏光父を角界に勧誘した人でもあるのだ。

「いえいえこちらこそ。淳之介よ、僕に意見するのは僕に相撲で勝ってからじゃな。今から僕と相撲を取ろう。それで僕が勝ったら即、敏光君を角界に入れる。淳之介が勝ったら、僕からはもう二度と敏光君を角界に勧誘せん!」

 藤太郎爺ちゃんは機嫌良さそうに言う。

「さすが藤太郎様、ナイス提案。いざこざは相撲で解決するというその姿勢、シンプルかつ公平で大いに評価出来るぞ。おらからも敏光の角界入りは永久にチャラにしてあげよう」

 敏光父はパチパチと拍手し、褒め称えた。

「ほっ、本当か? 父ちゃぁん」

 敏光は父の目を見つめながら尋ねる。

「ああ、本当だ。男に二言はないっ! ただし淳之介君が負けたら、おまえを問答無用で角界に入れるぞ」

 敏光父はにこやかな表情で宣言した。

「じゅっ、淳之介殿ぉぉぉぉぉ。お願いだぁぁぁ~。絶対、勝ってくれぇぇぇ~」

 敏光に青ざめた表情で頼まれる。

「大丈夫だよ敏光、藤太郎爺ちゃんには余裕で勝てるさ」

 淳之介は自信満々な様子だった。

「前に対戦した時は、負けたではないか」

 藤太郎爺ちゃんは大きく笑う。

「まだ俺が小六の時の話だろ。俺はその時より体はずっと大きくなってるし、藤太郎爺ちゃんは年食ってるし」

「大きな自信だな。淳之介、四の五の言う前にさっそく勝負じゃ! 僕は本気じゃぞ」

 こうして淳之介、藤太郎爺ちゃん、母、菜摘、敏光父子の六人が応接間へ。

 菜摘が率先して縄で土俵を作る。仕切り線も備えた。

「淳之介くんが藤太郎お爺様とお相撲を取ると聞いて、飛んで来ちゃった♪」

 以前淳子と対戦した時と同じく、万由里も観戦しに来た。あのやり取りのあとまたも母が万由里の携帯に連絡したのだ。

 今回は母が呼出。菜摘が行司を務めることに。

 万由里、敏光父子の三人は隅の方で見物。

 淳之介が万由里に詳しい事情を説明すると、

「光ちゃん、すごくかわいそう。光ちゃんが高校辞めちゃうなんて寂しいよ。淳之介くん、絶対勝ってあげて」

 万由里は深く同情してくれ、ぽろりと涙も流してくれた。

「あたしも淳之介お兄ちゃんが勝って、敏光お兄ちゃんを相撲部屋強制収監の危機から救って欲しいと思ってる! 力士っていうのは、ただ体が大きいだけじゃダメだもん。高い身体能力と強い精神力も伴ってなきゃ。敏光お兄ちゃんが入門したって、百パー厳しい稽古やしきたりに耐えられずにすぐに弱音を吐いて逃げ出しちゃうよ」

 菜摘は強く主張し、団扇を手に取ると土俵中央へ。

(淳之介殿のリアル妹、いい子であるなぁ)

 それを聞いて、敏光は心の中で感激した。嬉し涙がこぼれそうになる。

「ひがあああしいいいいい、うめがあああたにいいい。にいいいしいいいいい、じゅんのおおおさとおおおおお」

 母は相変わらずの美声を発しながら、独特の節回しで四股名を呼び上げた。

淳之介と藤太郎爺ちゃんはそれを合図に土俵へと上がる。

藤太郎爺ちゃんの四股名は、十五代&二十代横綱そのままの『梅ヶ谷』だ。

淳之介は以前、淳子や菜摘や万由里と対戦した時と同じくトランクス一丁。藤太郎爺ちゃんは本気モードなようで、自前の金色のマワシを締めていた。

 仕切りの所作を五度繰り返したところで、母から制限時間いっぱいであることが告げられた。

「五秒で片付けるっ!」

 淳之介は強く宣言する。

「相撲歴八〇年以上、双葉山をリアルタイムで知っている僕の実力を舐めたらいかんぞ、淳之介」

 藤太郎爺ちゃんも勝つ気満々だ。

両者、仕切り線の前へ移動し、向かい合う。

「淳之介くん、光ちゃんを相撲部屋強制収監から救うために頑張れー」

 万由里は熱いエールを送った。

「………………」

 敏光は心臓をバクバクさせながら固唾を呑んで見守る。

「藤太郎さん、頑張れよ」

 敏光父は、淳之介に負けて欲しいと強く願っていた。

「お互い待ったなしだよ。手を下ろして」

 菜摘から命令されると、両者腰を下ろし、仕切り線手前に両こぶしを付けた。

「見合って、見合って。はっけよーい、のこった!」

 いよいよ軍配返される。

 約二秒後、

「どうじゃ淳之介!」

 藤太郎爺ちゃんは得意顔。

「そっ、そんな……」

 淳之介はあまりに一瞬の出来事に唖然。彼はばったりと前に倒れ落ちていたのだ。

「うっ、嘘、だろ……」

 敏光の顔が一気に青ざめた。

「よぉし! よかったな、敏光」

 敏光父、満面の笑み。

「あらら、あっさり勝負ついちゃった」

 万由里はぽかーんとなる。

「藤太郎お爺ちゃん、変化するとは思わなかったよ」

 菜摘も信じられないといった面持ちで、軍配団扇を東方に指した。

「ただいまの、決まり手は、叩き込み、叩き込みで、梅ヶ谷の勝ち。淳之介、残念だったわね。でも、藤太郎さんに変化されたってことは成長の証よ。真っ向勝負じゃ勝てないって思われたんだから」

 母は優しく慰めてくれる。

「僕の究極奥義じゃ。真っ向から思いっきり突っ込んでくる淳之介は甘いのう。僕は小学校時代から変化の名人と言われておったのじゃ」

「藤太郎爺ちゃん、それってつまり、逃げてるってことだろ」

 淳之介は眉を少し顰めた。

「いやいやー淳之介、変化も立派な技の一つじゃよ。引っかかる方が悪い。それじゃ、約束どおり敏光君を相撲部屋に」

 藤太郎爺ちゃんはにこにこ顔で言う。

「敏光、これで角界入り決定だな」

父はとても嬉しそうに息子、敏光の肩をポンッと叩く。

「いっ、嫌だ、嫌だ、嫌だぁぁぁ」

 敏光は泣き喚きながら首をぶんぶん激しく振る。

 その時、

「藤太郎お爺ちゃん! 変化で勝ってどうするのっ。真っ向勝負で挑んで!」

 こんな怒鳴り声が轟いた。

「びっくりしたぁ」

 万由里は目を丸くする。

「……」

 敏光はあまりの恐怖からか、ぴたりと泣き止んだ。

 声の主は、菜摘だった。藤太郎爺ちゃんの取り方に、怒り心頭な様子であった。

「藤太郎お爺ちゃん、変化とかの奇襲戦法はどんな大きな相手でも封印するんじゃなかったの? 真っ向勝負で挑まなきゃ卑怯だよ。あたし、真っ向勝負での相撲が見たいのっ!」

 菜摘は険しい表情を浮かべ、上目遣いで強くお願いした。

 すると、

「……菜摘ちゃんがそういうなら、仕方ないのう」

 藤太郎爺ちゃんはほんわかとした表情を浮かべ、再取組をする気になった。

「ありがとう、藤太郎お爺ちゃん。それでこそ一人前の力士だよ」

 菜摘はにこやかな表情になる。

「確かに、変化で勝つのは良くないな。おらも現役時代、なんとしてでも勝つためにそれやって親方によく鉄拳食らわされたものだよ」

 敏光父も取り直しに納得出来たようだ。

「藤太郎爺ちゃん単純だな。でもよかったぁ」

 淳之介は呆れ顔で突っ込んだのち、ホッとした表情を浮かべる。

「うおおおおおおおおおおおおおおおっ! 淳之介殿ぉ、次こそは頼んだぞ」

 敏光も咆哮し、大喜びした。

「すまんのう、菜摘ちゃん。大人げないところを見せてしもうて」

 藤太郎爺ちゃんも照れ笑いしながらぺこんと頭を下げて謝る。

 そういうわけで、取り直しとなった。

「よかった、よかった」

 万由里もホッと一安心。

「淳之介、敏光ちゃん、よかったね」

 母は、今度は四股名の呼出を省略。藤太郎爺ちゃんと淳之介はすぐさま土俵に上がる。

先ほどと同じく仕切りの所作を五度繰り返したところで、母から制限時間いっぱいであることが告げられた。

「待ったなしだよ。見合って、見合って。はっけよーい、のこった!」

 菜摘から二度目の軍配返された。

次の瞬間、

「やった!」

 淳之介は快哉を叫ぶ。藤太郎爺ちゃんの両マワシをがっちり掴むことが出来たのだ。

「しまった!」

 藤太郎爺ちゃんは思わず声を上げる。

「これで勝てるっ!」

 淳之介は確信した。

「おう! さすが淳之介殿」

 敏光の顔に笑みが浮かぶ。

「……」

敏光父は表情変わらず。

「淳之介よ、マワシが取れたら勝てるというのは、甘ぁい考えじゃぞ。相撲は奥が深いのじゃ」

 しかし、藤太郎爺ちゃんも淳之介のトランクスの裾を両手でがっちり掴んだ。

両者、がっぷり四つに組み合う。

「こうなったら」

 淳之介、藤太郎爺ちゃんに攻められる前にとすぐさま上手投げを打ってみた。

「ありゃ?」

 すると、藤太郎爺ちゃんはあっさり土俵にごろりんと転がってしまったのだ。

「えっ! 決まっちゃった?」

 予想以上の脆さに、淳之介は少し驚く。

 菜摘は軍配団扇をサッと西方に指した。

「ただいまの決まり手は、上手投げ、上手投げで、淳の里の勝ち」

 ほぼ同じタイミングで母が決まり手を告げると、

「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ! 淳之介殿ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 敏光が雄叫びを上げながらガバッと立ち上がり、涙をぽろぽろ流しながら淳之介にぎゅっと抱きついて来た。

「とっ、敏光。苦しい、苦しいって」

「淳之介お兄ちゃん、おめでとう! 力技で勝てたね」

 菜摘は軍配団扇を地面に置き、パチパチ大きく拍手をする。

「おめでとう、淳之介くん。格好良かったよ。光ちゃんも、厳しい角界に入れられずに済んで良かったよ」

 万由里も大きく拍手する。ちょっぴり嬉し涙も流していた。

「強くなったんじゃのう、淳之介」

 藤太郎爺ちゃんはゆっくりと立ち上がると、苦笑い浮かべた。けれども嬉しさも感じていた。

「淳之介君、おらがきみくらいの年の頃には全く歯が立たんかった藤太郎様相手に、ようやったな。敏光、約束通り、おらからはもう金輪際、おまえを角界には勧誘せん!」

 敏光父はきっぱりと言う。

「僕からもじゃ。男同士の約束じゃからのう」

 藤太郎爺ちゃんも残念そうにしながらも納得出来たようだ。

「あっ、ありがとう、ございまするぅぅぅ」

 敏光は涙をぽろぽろ流したまま深々と一礼して感謝の言葉を述べた。

「敏光お兄ちゃん、あんまり泣くと、『あー○あん』の絵本みたいに、お魚さんになっちゃうよ」

 その様子を、菜摘は微笑ましく眺める。

「光ちゃん、良かったらこれ使ってね」

 万由里はアジサイ柄の可愛らしいハンカチを差し出した。

「……」

敏光は照れくささからか拒否し、自分の腕で涙を拭った。

「敏光、せっかく夙高へ入れたんだから、大学へ行け。どうせ大学行くなら大学受験界の東の横綱、東大を目指せ」

 敏光父は大きく笑いながら勧める。

「それはおいらには天地がひっくり返っても絶対無理だよ父ちゃん」

 敏光も大きく笑いながら言い返したのであった。


淳子が帰宅した後、あの出来事のことを菜摘が伝えると、

「そんなことがあったんだ。やるじゃない淳之介、男らしさを見せたのね」

 淳子が頭を優しく撫でて褒めてくれた。

「まあ、敏光が菜摘のお仕置き並に理不尽なことになりそうだったからな」

 淳之介は少し照れ気味に言う。

「何かご褒美あげよっか?」

 淳子はにこっと微笑みかける。

「べつにいいよ」

 淳之介はそう伝えて、照れ隠しをするように机に向かい英語の宿題を進める。

 そこへ、

「淳之介お兄ちゃん、あたしのお仕置き、理不尽なことなのかなぁ?」

 菜摘がニカーッと微笑みかけて来た。

「そりゃぁ、理不尽だろ」

 淳之介はやや声を震わせながら主張する。

「もう、淳之介お兄ちゃんったら。あたしがお仕置きするのにはちゃんと正当な理由があるのにぃ。淳之介お兄ちゃんがきちんと学業をこなしてくれたら、あたしはすごく褒めてあげるのになぁ」

「いったたた、いってぇぇぇ!」

 菜摘にこめかみを両サイドからぐりぐりされ、淳之介は涙目になりながら叫び声をあげる。

 こうして香村宅の夜は、今日も平和に過ぎていった。


        ※


 あれから四日後の金曜日の夜、十時頃。

「淳之介お兄ちゃん、相変わらず問題解くの遅過ぎぃっ!」

「いっててぇ、菜摘、髪の毛引っ張るなって」

 淳之介が自室にていつものように菜摘に数学のスパルタ特訓をされている時、

「ねえ二人とも、明日映画見に行かない? うちの友達、彼氏と行くつもりだったみたいだけど、都合が付かなくなっちゃったみたいだからチケット貰ったの。どの映画見てもOKな共通券よ」

 淳子が帰宅して、部屋にやって来る。鞄からチケット二枚を取り出してかざし、誘いかけた。

「俺はいいよ。菜摘か姉ちゃんか万由里ちゃんで見に行って来たら」

 淳之介は全く乗り気でなかった。

「それは無理。ペアチケットだから男女一組でしか使えないの」

 淳子はきっぱりと伝えた。

「淳之介お兄ちゃん、万由里お姉ちゃんと見に行って来なよ。あたし大会明後日だし、稽古に励まなきゃいけないから」

 菜摘はこう強く勧めてくる。

「そっ、それは、ちょっと……」

 淳之介は気まずく思う。

「じゃ、うちと一緒に見」

「それはますます嫌に決まってるだろ」

 淳子が言い切る前に、淳之介は即拒否。

「そう言うと思ったわ。ちょっと万由ちゃん呼んでみるね。ねえ、万由ちゃーん」

 淳子は窓を開け、向かいの部屋にいる万由里に大声で呼びかけた。

「何でしょうか?」

 万由里はすぐに声に気付いて、窓を開ける。

「明日、淳之介と映画見に行かない? ペアチケット手に入れたの」

 淳子はそれをかざしながら伝える。

「淳之介くんと映画かぁ。私、ちょうど見たい映画があるので見に行きます」

 万由里は快く誘いに乗った。

「……」

淳之介はますます気まずくなってしまう。

「ペアチケットは二枚分、淳之介に渡しておくから」

「分かりました。明日がとっても楽しみだなぁ。それじゃ、おやすみなさーい」

 万由里は満面の笑みを浮かべながら、就寝前の挨拶をして窓を閉めた。

「もう、淳之介お兄ちゃんったら。デートだからって照れちゃって」

 そのあと菜摘がほっぺたをぷにっと押してくる。

「菜摘、べつにデートじゃないだろ」

 淳之介は困惑顔で意見した。

「淳之介、本当は嬉しいくせにぃ」

 淳子にもにやにや微笑まれてしまった。


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