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奴隷と呼んだ彼女に捧ぐ

奴隷と呼んだ彼女に捧ぐ -主の息子-

作者: 小林晴幸

「生まれた時には奴隷であった」の番外その2です。

今回も練習作なのですが…あれ、思ったよりは純情少年になった…か………?


しかし依然として暗く悲惨です…。

苦手な方はお気を付け下さい。

 彼女の姿を初めて垣間見たのは、今でも記憶に消えないあの日。

 国全体が戦勝で沸く最中、遠き戦地より父上がお帰りになった。

 館は父上の健勝な姿に喜びへと包まれ、次いで戸惑いで駆け寄る足を止めた。

 見慣れない、その姿。

 父上がお連れになった手弱女は、誰よりも儚い風情で、誰よりも美しかった。

 それまでこの世で一番お美しいと思っていた、私の母上よりも。

 父上の満足そうな顔は、一度も私達を写さない。

 私も、弟妹達も、母上の姿も。

 ただひたすら一心に、傍らから離さない女人へと向けられていて。

 笑顔で夫を出迎えようとした母上の顔が、笑顔のまま固まり。

 そして、歪んでいく。

 怒り、悲しみ、隠しようのない嫉妬。

 憎悪に。


 今まで一度も、私や母を裏切ったことの無かった父。

 だからこそ、初めての裏切りであるこれが父の本意だと。

 言葉よりも雄弁に、私達は突きつけられた。


 歪んでいく母の顔は、悲しかった。

 だがこの時、私は。

 私もまた、母を悲しませただろう。

 私の目もまた、彼女から引き離すことができず。

 母の嘆きを感じとっていたのに。

 それすらもどうでも良くなって、私の心は無情だろう。

 どうしてこんなにも、親不孝になれようというのか。

 自分でもどうしようもなく。

 私の心は、一度の邂逅で彼女に奪われたのだ。


 そして、私の想いは。

 私が自覚するよりも先に、父と母に悟られていた。



 嫉妬に狂った母。

 恋に狂った父。

 ああ、なんと似合いの二人だろう。

 そうして、二人の子たる私は。

 私は、やはり二人の子だ。

 どうしようもないほどに、こんなにも二人に似ている。

 隣国との戦勝祝いに授かったのだと、父は嬉しそうに言うけれど。

 歯を食いしばって父の言葉を聞く母を、どうして気遣ってやれないのか。

 そう思いながらも、私は彼女の姿求め、目を彷徨わせる。

 隣国の貴人から奴隷へと身を堕としたか弱い(ひと)

 父に奪われ、身を震わせて怯えている。

 息を潜めて父を嫌がる素振り。

 その様子が、私の胸の中で何かを暗く蠢かせる。

 隠しようのない苦しみ悲しみを見せる姿が、何より美しかった。

 鎖で繋がれ、父に抱き寄せられる姿。

 何よりも明確な隷属。彼女が父の所有である証。

 今まで一度も感じたことのない、父への反感が高まる。

 それは、父に裏切られた子としてのものだと思った。

 自分の中に生まれた新しい感情を隠したい思いが、そう思いこませた。

 だけど違うと、父は聡く気付く。

 同じ女に、同じ思いを抱いた。

 それだけで。

 私が女に向ける目を見ただけで、父は激昂した。

 彼女を己の腕の中に抱き込み、敵意を見せる。

 私と母の胸を掻きむしる憎悪。

 ひたすら、怯えて嫌がる姿を見せる女。

 父は、感情面で私や母を斬り捨てた。

 縁は未だに結ばれている。

 私と母は、正式に父の家族だ。それは間違いない。

 だが、父の中では。


 父は館の中に新しく離れを造り、其処に女と共に籠もった。

 私達の前には必要最低限しか姿を見せない様になり、会話も消えた。

 それと同時に私達への情も消えてしまったのだろう。 

 私達を見る父の瞳に、嘗ての温かさは既に無い。

 父と私達は、いつしか他人も同然で。

 父の私を見る目と、私の父を見る目は、同じものであった。

 ギラギラと濁りながらも鋭く光る、憎悪の目。

 私はいつしか自覚した。

 私は、父のものたるあの女が欲しかった。

 

 私が、自覚したのと同じ頃。

 館の中に、赤ん坊の声が甲高く響いた。

 いつしか、女は孕み子を産んだという。

 私の、妹だという。

 だが、妹だと言うには。

 生まれた時期が合わぬと、誰もが噂した。

 その噂のただ中で、私は知った。

 彼女には、嘗て誰より何より愛した、夫がいたのだということを。

 心の中、憎悪の対象がまた一人、増えた。

 自分でも持て余す感情を制御することなど、私にはできなかった。

 ああ、父もこの苦しみを味わっているのだろうか。

 私と同じ、この嫉妬という醜い感情を。


 ざまあみろ。


 いい気味だと、喉の奥で嗤う声がする。

 この耳に聞き知った、己の声が。

 外道へと堕ちる代償に、父は何を捧げたのだろう。

 私は、何を捧げる事になるのだろうか。

 私は。

 私は。

 私は、自分がいつまでも昔の自分と同じくはいられないと悟り始めていた。

 いつまでも、清廉に心正しくはいられないだろうと。

 いつか私は、父の様に殺してしまうのだろうか。

 己の、恋敵を。




 彼女が唯一の慈しみを見せる、生まれたばかりの赤児。

 私や父とは似付かぬ、夏空の蒼を瞳に宿した赤児。

 彼女は狂気に満ちた穏やかさで、その子を夫との子だと微笑む。

 幸福に幸福に、帰ることのできない夢の中を彷徨いながら。

 父は、そんな彼女を幸せそうに引き寄せながら、赤児を自分の子だと言う。

 都合の悪い一切合切に目を瞑り、その子こそが自分の子だと。

 私達、母の子供達を忘れ去った微笑みで。

 狂った女と、女を狂わせた男と、何が悲しいのか泣き叫ぶ赤児。

 幸せそうに微笑む姿に、胸が痛くなるほどの寒々しさを感じた。

 ああ、早く父が死んでしまえば良いのに。






 やがて、時が経ち。

 生まれた赤ん坊はすくすくと育つ。

 彼女と瓜二つに育っていく。

 年を経るごとに、似ていく。

 だけどその顔は、彼女とは違い凍り付いて冷めている。

 自分を取り巻く無情な環境を、幼心に察しているらしい。

 健気な子供らしさなど、欠片も見せず。

 彼女は力を求めたのだろうか。

 彼女は救いを求めたのだろうか。

 時折、庭の片隅で彼女が木の枝を振る姿があった。

 多分、他の誰も気付いていない。

 私以外の、誰も。


 汗を流し、泥にまみれ。

 手も体も擦り切れてボロボロで。

 それでも彼女は泣かない。諦めない。

 憎らしい何かが眼前にあるかの様に、鬼気迫る様子で木の棒を振る。

 嘗て館に若い奴隷がいた。

 彼女に、面差しの似た若い男。

 その男に剣術を習っていたことも、きっと私だけが知っている。

 そんなに頑張ってどうするというのか。

 そんなに強く鳴りたがって、どうするというのか。

 この、寒々しくも狂気に満ちた館の中で。

 この、彼女にとっては敵しかいないだろう館の中で。

 何が憎いのか。

 運命か、環境か。

 父か、母か。

 それとも、自分が憎いのか。

 何もかもが憎いという様に、彼女は今日も棒を振る。

 私はそれを、庭に面した館の三回から今日も見下ろす。

 あの位置が見えるのは、館の中で此処だけ。

 私の部屋だけだ。

 だから今日も、汗を流す彼女の姿は私だけの独り占めにできる。

 誰も、他に見る者はいない。

 そのことがやけに愉快で、胸の奥から沸いてくるもの。

 愉悦。

 そう、それが愉悦だと気付いたのはいつだっただろう。

 気付いても気付かなくても、どちらでも良い。

 どちらでも良くなるくらい、胸の中が温かかった。

 

 最初は、彼女の身代わりだと思っていた。

 あの子は、彼女にとても良く似ているから。

 だけどいつしか、私はあの子をこそ「彼女」と呼ぶ様になっていた。

 そして、あの女性のことを「彼女の母」と。

 そのことが、私の中のどのような変化からもたらされたものか。

 私の感情が、どのような変化をもたらしたのか。

 それに気付かないでいられるほど、私は穏やかに彼女の姿を見続けた。


 あの日、彼女が十三の年。

 彼女が大人の女になりつつあると、不意に気付いてしまうまで。


 それに気付いた時、きっと。

 私は、運命の岐路に立たされていた。


 誤った道を選んだと気付いたのは、彼女の剣に刺し貫かれた時。

 その、瞬間になってだった。




読んで下さり、ありがとうございました!

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