第五章
前回の続きです。
完全に日が落ち、辺りは完全に暗くなった。戸の向こうからはメンフェゴールが動き回る音が聞こえなくなった。メンフェゴールが餓死一歩手前で、寝ずに餌を求め、動いる奴もいるかもしれないのでミノルとスズランは、ミノルの怪我が次の日になって治るまでソンの部屋にいることにした。
「………………」
ムーはソンに抱きしめられて続けているが、その表情に今まで国を引っ張ってきた時のような覇気はない。国民を見捨ててしまったことを悔やみ、今さっきまで泣き叫びながら暴れていたのだが、ソンに説得され、すこしは落ち着いたようだった。それでも、救えなかった、どうしようもなかった事に落ち込んでいる。
ドンッ。
戸を叩く音がして、その向こうから国民の声がした。
「ムー、あんた何で助けなかったの?」
ビクンッ、とムーの体が動く。
その声は低く、悲しみと怒りが混ざり、敵意を孕んでいた。
「何で、他の国民が助けを求めていたのに開けなかった? あんた、他の国民が危険を承知で、助けを求めてここまで来たんだぞ? 他の国民の子供がメンフェに襲われているから助けようって、ムーに頼もうって――――――何だよ、いるんだろっ!! 返事しろよっ!!」
ムーがガクガクと震えている。ソンは強めにムーを抱きしめた。
「本当になんだよ? ムーは例え国民じゃなくても、助けましょうって言っていたくせに、自分は国民を見捨てるのかよ…………、おい、何か言ってみろよ!」
ムーは口を開けて、震えながらも発した。
「メ、メンフェゴールを操れる、笛を、壊されたんです…………」
「…………、本当なのか?」
「はい、……すみません。本当にすみません」
「…………、それなら仕方がないよな…………。悪かった。ちゃんと謝りたいから――――――顔を見て謝りたいから、開けてくれ」
「はい!!」
ムーがソンの腕から逃げて戸の近くまで駆け出していた。きっとムーは国民を見捨てた罪悪感から少しでも逃げたくて、償いたくて、一刻も早く謝りたかったのだろう。ソンは開けるなと叫んだが、もう遅かった。戸が開かれ、戸の前には沢山の国民がいるのが見える。
次の瞬間、ムーは顔は殴られた。
ムーはまさか殴られるとは思っていなかった為か簡単に後ろに飛び、壁に背中をぶつけ、そこに座り込む形で、自分が何をされたのか理解出来ずに、自分を殴った国民――――――ユウカを見つめていた。
「はっ、バカじゃねぇの? 何でこうすぐに開けねぇんだよ? あのときはメンフェが近くにいたからか?」
そのユウカの左腕は無くなっていた。
「笛が壊れていたとしても、戸くらい開けてやれよ。みんな、死にたくなかったんだぞ。なのに、どうしてだよ? なあ、教えてくれよ?」
ユウカはムーに近寄っていく。ムーは泣いて、ごめんなさい。ごめんなさいと謝っていた。ユウカはこれ以上ムー問い詰めても無駄と悟ったのか、その部屋に居るムー以外の三人に矛先が向けられた。
「ミノル、スズラン、ソン、おまえらもなのか?」
ソンが答えた。
「うん、そうだね。戸の前には何にいるか分からなかったし、メンフェゴールに入られても困る。だから、自分たちが確実に助かるために見捨てたんだよ」
そう素っ気なく言うとユウカは怒りに震えて始めた。
「それ、は、どういうことだ? 国の規則で、国民だろうが何だろうが助け合うって言ってなかったか? それなのに、言ったヤツが守らなくて生き延びて、守るために行動したヤツが死ぬって、」
怒りが絶頂に達したのか、ユウカはソンに近づき、胸ぐらをつかんで叫んだ。
「ふざけんじゃねぇよ!! どうしてくれんだよ!!」
「…………ごめんなさい」
ソンの謝罪の言葉が響く。そのまま沈黙が訪れた。
その沈黙をミノルが破った。
「罪は償うよ」
「…………何?」
「だから、『世界』に生まれて罪を償うってこと」
「…………」
「僕も死にたくないから、戸を開けないように提案した。だから、僕も同罪だ」
ミノルが言うとソンを掴んでいた手は放れた。
「それでいい?」
「…………『世界』に生まれるのか?」
「うん。僕の部屋に置いてある、ECを全部あげる。そして、明日、赤い実を採りに西門に行く。僕も一回しか機会はないから他の子供と同じ条件だ。これなら、必ず生まれることは難しいし、それなりの罰になると思うんだ。だから、それでいいかな?」
ミノルがそう提案するとソンも僕も罪を償う、と言った。その片腕のないユウカは他の国民たちにそれでいいか確認を取った。みんなは頷いてくれた。了承してくれたらしい。
「…………ミノル、本気なの?」
近くにいるスズランが心配そうに尋ねた。
「本気…………というよりは、やってはならないことをしたんだし、自分たちで決めたくせにその張本人がやらないっていうのはやっぱりおかしいんじゃない?」
そう言われて、スズランは顔を伏せてしまった。
「ミノルとソン、他の二人はどうするんだ?」
「この二人は見逃してほしい」
そうミノルが言った。スズランとムーは驚き、何か言おうとしたがすぐにミノルが続けた。
「ムーは元々助けようとした所を僕とソンが無理矢理押さえ込んで阻止たんだ。スズランも僕がやめろって強く言ったからスズラン自身が見捨てたわけじゃない。それにムーがいないと国を纏める子供がいないじゃないか? だから、これからの国のためにも、二人を許して欲しい」
「………………わかった。そうしよう」
片腕のユウカは部屋から出ていく。ミノルがすぐにECはいらないのかと訊くと、信用しているからいらないと返ってきた。
「明日、西門の前で一旦集まろう。明日はそこで待っていてくれ」
ユウカがそう短く言うと戸を閉め、帰って行った。ミノルはふうと一息ついた。いつの間にか次の日になっていたのか体中の怪我が無くなっている事に気付く。その代わり、服に付いていた袋の中にあるECが一枚減っていた。
「なんで、そんな事、するんですか?」
ムーがソンに訊いた。ソンは座り込んでいるムーに近づき正面から抱きしめた。
「大切な子を守りたいからねぇ」
「…………ソンさんが生まれるなら、ボクも生まれます」
「そんなことしたら、国が崩壊してしまうかもよ?」
「ソンさんがいないなら、ボクが崩壊して、死んでしまいます」
「そうかい」
ソンがミノルに向かって西門前であの国民たちとムーも生まれることになるけどいいか話し合うと言った。ミノルは本当に甘いなと言い、スズランの手を掴んだ。スズランは歩けるようになったミノルを見て、少し驚いたがすぐについてくる。ソンの部屋から出ていこうと戸を開けた。夜風が部屋の中に入ってくる。戸の周りには溶け残った子供の小さな肉塊が落ちている。
「ソン、ムー、また明日ね」「じゃあね」「また明日、二人とも」「ミノルさん、スズランさん、さようなら」
そうして二組は分かれた。
*
ミノルとスズランは部屋に戻った。戻る途中、まだ寝ずに餌を求めて歩き回っているメンフェゴールに遭遇したが動きが鈍かったので、襲われることなく戻ることができた。
明日、朝早く西門に向かおうと、二人は帰って来るやいなやすぐに床ににつく。
二人は寝につくまでの間、話をした。
スズランが訊いた。
「ミノルは『世界』に生まれたい?」
「できれば生まれたくない。スズランとの思い出が無くなるからね」
「…………、でも、どうして世界に生まれる――――――罪を償うっていったの?」
スズランはミノルがどうして、そんなことを言ったのか訊いた。
最初の頃はスズランは『世界』に生まれたいといい、ミノルから赤い実を採ってくるように脅したりしていた。ムーに出会ってからスズランはは世界に生まれたいと言うことはなくなり、一緒に生きていたいとミノルに告白した。だから、スズランに分からないのだろう。そもそも最初からスズランは『世界』に生まれることが目標ではなかったのだから。
「スズランが覚えていてくれるなら、いいかなって思っただけだよ」
「…………そうなると、私は生きていなきゃいけないの? ミノルが、愛する人がいないのに、『ここ』で一人で、生きていくのは…………私、いや」
スズランがミノルを服をぎゅっと握り締める。絶対に離したくない、と言わんばかりに。
「そうだよね」
ミノルが素っ気なく言い放った。
「ミノル……、それなら、私も『世界』に生まれていい?」
「強制はしないけど、なんかいやだなぁ。僕たちが生きた証がなくなるみたいで」
スズランの思うことは分かっていた。たった一人で、大切な人の思い出を守るために生きているなんてミノルにもできない。その思い出を守るということは永遠にその大切な人と会えない事を意味する。生まれれば会えるかもしれないが、『ここ』で、こうやって愛し合った事は全て忘れて、もし偶然に出会えたとしても再びこのような関係になるとは限らない。
言ってしまえば、死んで、朽ちて、再構築され、また生まれる。それと全く同じで、『世界』に生まれても、『ここ』にいる自分ではない事は確かなのだ。だから、愛する人に『ここ』に一人で生きて、生きた証、思い出を覚えてくれるのならそれがいい。何もなくなってしまうけど、愛する人が覚えてくれているなら、不安にならず、『世界』に生まれることができる。ミノルはスズランにそうして欲しかった。だが、一人で永遠に守れるほど、精神は強くできてない。いつか、寂しさに潰されるのだ。
「なら、どっか遠くに逃げよう。そうすれば、忘れることもなくなるよ」
「どこに?」
「…………逃げる所なんてどこにもないね」
スズランがはあ、とため息をつき続ける。
「…………きっと、忘れ去られるんだよ。ジョージだって、それを知っていたから…………友達を大切にしていたのかな? 自分が死んでも、覚えてくれる子供を探していたのかな」
「分からない。でも、多分そうだったかもしれない」
「そう思うと、ますます死んだり、生まれたりできなくなるね」
そのまま、二人は黙ってしまった。ミノルは、スズランには『ここ』にいて欲しいと思っていた。大切な思い出を守って欲しいから、と自己満足を押しつけていた。そう思ったときミノルは自己嫌悪した。何が大切な人だ、その大切な人に辛いこと押しつけて、永遠に一人で生きて欲しいとせがむ自分が愚かにみえた。
一応、スズランはミノルが『世界』に生まれる事に反対している。最後の時まで反対して、ミノルが『世界』に生まれることを止めると言うことを望んでいるのだろう。その反対にもし、ミノルが『世界』に生まれるなら、その大切な思い出を守るために永遠に独りで生きていこうとするだろう。その約束を破りたくないと思うだろう。
だって、それは大切な人との最後の約束になるから―――――――――
ミノルはスズランの左手、指と指を絡めてがっちりと掴んだ。つないだ手から伝わる、優しい体温。
この優しさに何度救われたのか。もう憶えてはいない。
「…………やっぱり、無理だ」
その体温で溶けるようにミノル感情は揺らいだ。まだ、救われたかったのかもしれない。ミノルは吐き出すように言う。
「生まれたくない。スズランと離れたくない。でも、大切な人と離れたくない思って、僕が見捨てた国民たちはメンフェゴールに溶かされたんだ」
ミノルの目から涙が流れる。悲しむ資格なんてないのは分かっている。本当に辛かったのはミノルが見捨てた国民とジョージのはずで、自分が我が儘を言える立場ではないことも分かったいた。でも、
「罪は償わなきゃ、何のためにジョージと争ったのか、反対していたのに、自分の事になると手のひらを返したみたいで、自分が最低の屑に思えるんだ。だから、友達の為に、自分の意志を突き通してまで、友達を見捨てたんだから、『世界』に生まれなきゃいけないだ。僕はスズランと離れるのも忘れることも、とても嫌だけど、罪を犯したんだから、それくらいしなきゃいけない事は分かっている。でも、スズランが独りにさせることが嫌だ。絶対にそんな寂しくて辛いことはさせたくない」
そうミノルが述べるとスズランが微笑んだ。
「ありがと」
スズランが、ミノルの頭を自分の胸にそっと抱え込む。ミノルは何故ありがとうと言われたのか分からなかった。
「こんな私の為に生きたいって言ってくれるなんて、私、とても幸せだよ。もう死んでもいいくらい」
「…………それは駄目だって」
「分かってる。私はもう、独りでも大丈夫ってことだよ。ミノルが安心してくれるように、ミノルが悩んでいるなら、その悩みごとをできる範囲で叶えてあげる。ミノルが言うことは何でも素直に訊く。だから、
私は独りでずっと生きていけます。ミノルとの思い出を守って生きます。心配しなくても私は大丈夫です」
ミノルは包まれたその優しさが自分が犯した罪を全て許してしてくれる神様のように感じた。その海に永遠に沈んで、溺れていたい。そこのままずっと――――――
「…………スズラン、もう駄目だよ」
「ん? どういう意味?」
「そういわれるともっと生まれたくなくなる」
ミノルははっきりと言ってしまった。
「ははは、そういうつもりで言ったの」
嘘つけとミノルは言おうと喉まできたのを飲み込んで、黙る。ミノルは顔をスズランと同じ目線にした。ただ、二人は見つめあった。
「そういえば、スズランが叶えて欲しかった事、叶えてあげられなかった」
「ミノルは叶えてくれたよ。私を見捨てなかった事」
「それは、僕がそうしたかったからで、僕自身の自己満足みたいなだったから違うよ。スズランは何かない? 僕に叶えて欲しい事」
ミノルはきっと、『世界』に生まれないでと言うだろうと思った。だがいつもと同じように違った。
「それじゃあ、ミノルと一緒に『世界』に生まれて、それで、また同じように出会って、恋人になって、また夫婦になって、生きていきたい!! それなら、ミノルも安心して『世界』に生まれることが出来るでしょ?」
「…………」
「ミノルは『世界』に生まれないで、って言って欲しかった?」
「…………いや」
ミノルは、スズランを直視できなかった。目を反らそうとして、できなくて目をつぶってできるだけスズランの顔見ないようとした。
「やっぱり、世界に生まれたい!!」
スズランはベッドから跳ね起きていった。
止めてよ。
「『ここ』よりすごいいんだよ!!」
本当に止めてよ。
泣きながら、自分を感情を押さえて、辛そうな顔して、僕なんかのためにそんなことは言うのは。
どうして、こうなるのか。
どうして、辛いのか。また会えるとは確信もないからか。
出会っても、誰だか分からなくて、嫌いになってしまうかもしれないからか。
もうそれは、賭みたいじゃないか。絶対に結果を知ることのできない、不平等な賭じゃないか。
でも、もう、
それしかないのか…………。
「スズラン」
「何?」
目を開いて、スズランの涙で滲む目を見つめた。
「僕らが、『世界』に生まれて出会って、スズランの夢が叶うか、賭けない?」
そういうと、スズランは涙声で言った。
「そうしたら、ミノルのことを、誰も覚えてなくて、『ここ』にいた意味が無くなっちゃうよ?」
「嫌だけど、仕方がない。どうせ『世界』に生まれたら知る由もないんだから」
「また出会えるか、分からないよ? 愛し合わないかもしれないんだよ?」
「それも賭けだよ。そもそも絶対なんて無い」
ミノルが寝床から、立ち上がりスズランを近くに行く。
「だから、一緒に世界に生まれよう。僕がスズランの願いを叶えてあげる」
永遠なんてないんだ。このまま続いてしまえば、いずれ破綻する。そう、ジョージとの関係のように。だからその前に、破綻する前に、こうやって終わりを決めて生きていけば、その日までその大切にしたいこの子を僕と出会えて本当に良かったと。生まれて良かったと。生きていて良かったと。そして、幸せにしてあげようと誓えるのだ。
「…………ん。大好きなミノルが言うなら、一緒に生まれる」
スズランは嬉しそうな声で言って微笑んだ。ミノルその顔がたまらなく好きで、それだけで、生きていて良かったとも想えた。
「でも、また会える日まで、会えないから」
スズランがミノルにさらに近づき、お互いの顔がくっつくくらい近距離で、
「その間、会えなくても寂しくないくらい、十分、満たされるくらい、いっそ溢れてもいい、だから
今だけ、いっぱい愛して」
ミノルの唇にスズランの唇がふれた。ミノルはその柔らかい感触に驚き後ろに下がった。丁度寝床足が当たり、仰向けで倒れた。一緒にスズランも倒れてきた。
「足りない」
スズランのもう一度唇が触れた。離れて、もう一度。
「足りない、よ、」
ぼろぼろと涙がミノル顔に落ちてきた。ミノルはスズランの背中に手を回してそっと抱きしめた。
「愛して、よ。一回、離れてたいって、思うくらい、飽きて、忘れたいって、思うくらい、いっぱい愛してよ。そうしないと、諦められないし、もし、出会えなくてもいいって、考えられ、ない」
スズランが体が震えていた。ミノルはゆっくりなだめるように言った。
「出会えるよ。そして、また二人で生きていくんだ」
「本当?」
「…………そう信じてなきゃ、絶対に嫌になってくるからね」
また出会える。そう想えるのはきっと、こんなに愛している子と離れて生きるなんて、そんな人生は、死んでいるのと同じだからなんだろう。
絶対に、そうなんだ。
*
次の日の朝になり、一睡もせずにいたミノルとスズランは、今日開く西門に手をつなぎながら向かった。途中、ソンとムーに出会い、四人で西門に向かう。
西門には相変わらず沢山の子供たちが門が開くのを待っていた。そこから少し離れた所に国民たちが集まっている。四人はそこに向かう。
「逃げると思っていた」
ユウカが言った。ユウカにムーは一冊の本を渡した。
「ボクもソンさん、ミノルさん、スズランさんも。この四人で一緒に世界に生まれます。これからの国のことはユウカ、あなたに任せます」
「いや、いらない。必要ないからな」
「? どうしてですか?」
「あのあとな、皆で話し合って、あたし達も世界に生まれることにしたんだよ。ムーのあの笛があったから国は成り立っていた。それが無くなったってことは国の崩壊に等しい。笛も作れるほど器用な国民はもういないからな」
「でも、ECがあれば、生まれなくても」
「国の決め事だろ? 殺してまで奪うなって。最後までそれは守るよ。ああそうだ。ここにいる皆は今日は赤い実を採り行かないから、取り合いにならない。安心しな」
そういってユウカと、その後ろにいた国民たちは微笑んだ。ムーは本当にすみませんと泣きながら頭を下げ続けた。国民たちはいいって、私たちが決めたことなんだからといっていた。
ゴォォォォォォォォ!!
「門が開いたようだな。ミノル、ソン、スズラン、そして、ムー、今までありがとな。すぐにそっちに行くから、覚えていたらまたよろしくな」
そう片腕だけのユウカは言って四人を見送った。他の国民たちもそれぞれの再会を願った別れの挨拶が飛び交った。
「ありがとう」
そうミノルが言った。
「ありがとね」
そうスズランが言った。
「ありがとう。またで会えることを楽しみに」
そうソンが言った。
「今までボクの我が儘に付き合ってくれて本当にありがとうございました」
そうムーが言った。
「じゃあ、行こう!!」
ミノルが叫んだ。あとに続き、ソン、スズラン、ムーが声を上げた。
*
ミノルたちは門の中に入った。ソンに全員分採ってきてもらうという荒技もあったのだが、ミノルが確実に赤い実を方法があると言ったので、それを信じ、とある場所に向かった。
「まさか、西門の中にもう一本、赤い実がなる木があるとは」
ムーが走りながら言う。
そこまでの道を熟知しているミノルを先頭に、次にスズラン、ムー、最後にソンの順番で一列になり木々を避けながら、南門の壁の方へと走っている。この周辺には子供が来ないというよりは、こんな所に赤い実があるとは露にも思ってもいないためか、その子供を狙うメンフェゴールすらいない。だから注意するのは足下だけで、後は何も気を回す心配もない。
ミノルが答える前にソンが割り込んでくる。
「前からおかしいと思ったんだよねぇ。ミノル、西門になると必ず二、三個採ってくからさぁ、何か魔法みたいなものを使っていると思ってたよ」
「黙っててごめん。誰にも言わない方が確実に見つかることはないからずっと黙ってたんだ。それにソンは追求も跡を着いてくるって事もしなかったから、察してくれたんだと思っていたんだけど」
「追求は、自分から話さないだから訊いて欲しくないって事でなんだと思ったから、追跡しなかったのは単にミノルの跡を着いていく僕の分の赤い実を採ることができないからしなかっただけさぁ」
「そうか。もうそろそろだ」
木々の間を避け走り続け、大体の目印としている木が見つけた。最近来ていないので、道を間違えて迷う可能性もあったが、杞憂に終わったようでミノルは安心した。しばらくすると前方に蔓と背丈の高い草が行く手を阻んでいた。ミノルはスズランから金属片を借りて、蔓は切り、草をかき分け進んでいく。最近来ていなかったからこんなに生い茂るのかとうっと惜しい蔓を切っていく。
「あと、どれくらい?」
スズランが訊いた。ミノルがもう少し、と答えた。
「そう――――――」
スズランが何かを言おうとしたが途中から途切れて、
列の真ん中の二人が何か突進してくるものに当たり、飛ばされた。
「ミノル!! 後ろ!!」
ソンが叫んだ。ミノルは振り返る。後ろ着いてきたスズランとムーが遠くに飛ばされ、生えている木の幹にぶつかって止まっている。痛み意識が朦朧としているのと急にぶつかったせいも重なって、状況判断ができず混乱しているようで、目は開いているのだが、全く逃げようとしていなかった。
「スズラン!! ムー!! 早く逃げろっ!!」
ミノルが二人に向かって叫んだ。前にそびえ立つ、メンフェゴールから逃げるように。
何でメンフェゴールがここにいる!? 普通はもっと子供の多い場所にいるはずだろう。こんな所にいたって無意味なはずなのにと思いながら、スズランとムーを助けるために、ミノルは走り出した。
「ミノル、僕がメンフェゴールの気を引くから、その間に――――――」
ソンも走り出し、そう言いだしたのをミノルは話半分で言う。
「僕がメンフェゴールを倒す。だから、ソンは二人を」
ミノルはぱっかり口を開けて消化液を二人に向けて吐こうとしているメンフェゴールの背中に向かう。ソンは何か言おうとしたが、ミノルを信じ、二人を助けに向かって行く。
ミノルはメディスンの背中に近づくとスズランから借りた金属片でメンフェゴールの背中の分厚い皮膚の繋ぎ目に沿ってを右に切りながら、右方向にそのまま駆け出した。
メンフェゴールは切られた痛みに咆哮して後ろに仰け反った。
ミノルはメンフェゴールに背を向け、気を失い欠けているスズランに近づく。ソンもムーを抱き抱えて逃げる準備は万端のようだ。ミノルもスズランを負ぶって逃げようとする。
「スズラン、僕の背中に」
「…………うん」
スズランがミノルの背中に乗ろうとした時、
「ミノル!!」
ソンの叫び声が耳に届いた。後ろ振り返ると、メディスンが口を開けて消化液を吐き出している最中だった。
そして、口から、球状で飛んでくる、消化液。
その量は餌不足のせいかなのかいつもかける量とは少ない量だ。
ミノルは避けようと体が勝手に動こうとしたの制止させた。今避けたらスズランに当たる。かといって、二人同時に逃げるのは今からでは無理だ。
だから、
ミノルは左手でその消化液を受け止めた。
「ぐぅっ!!」
ミノルの左手は消化液を受け止めて、いとも簡単に溶けた。左手の感覚が無くなり、その代わりなのか骨折とは違う激痛が体中をかけ巡る。ミノルは腕を溶かし続ける付着した消化液を死にものぐるいで地面に擦って取り除いた。辺りの地面はミノルの血で赤く染まっていく。
「ミノル、早く逃げて!!」
スズランの声がミノルに聞こえた。だが、ミノルの真っ正面にはメディスンが立ちはだかり、消化液を出そうと口を開き終えている。
これで、本当に終わりか。
諦めきれない、が諦めたのだ。
「死なないでよっ!! 一緒に『世界』に生まれて、またで会うって、約束したでしょっ!! 私の願いを叶えてくれるって約束したんでしょっ!!」
ミノルは愛する子供の声で我に返る。
そうだ。スズランとの最後の約束、果たしていなかった。スズランと一緒に生まれて、また、出会うって約束したんだ。
だから、だから、だからっ!!
スズランがいつも暇さえあれば握って来る、この右手。
今、握られているのはスズランから借りた金属片だが、冷たい金属片だが、
その右手にスズランの温かさを感じた。まだ生きて、というように。
「ごめんな」
ミノルはメンフェゴールが消化液を吐き出す前の馬鹿みたい大きく開けた口の奥、喉に向かって勢いよく、
「君も生きたいんだと思う。でも、僕も、生きていたいんだ」
グヂャッ!!
右手を突っ込み、握った金属片を突き刺した。
金属片はメンフェゴールの脊髄に達し、メンフェゴールは消化液を吐かなかった。ミノルはすぐにメンフェゴールの口の中から、手だけを引き抜いた。金属片を引き抜けなかったのは、喉に残っていた消化液で指が溶けてしまったからで、ミノルの右手も指が親指を除く全てが第一関節くらいしか残っておらず、親指は完全に溶けていた。メンフェゴールは引っくり返り、少し痙攣していたが、口から血を流しながらすぐに絶命した。
「ミノル!?」
スズランが近づき、右手に付着している消化液を自分の手を省みずにふき取っている。スズランの手の皮膚も少し溶け、お互いの血で真っ赤に染まってしまった。
「やめろっ!! それ以上やったら」
「やらせてよ……、ミノルばっかりこんな目に遭って……、私、何にもしてあげられない……、だから、お願い、私にもミノルの怪我、分かちあわせて……」
ミノルはそれ以上は言えなかった。スズランは必死に取り除こうと痛みに顔歪めてながらも続けていた。
「ミノル……、大丈夫……じゃないねぇ」
ソンが近づきながら言った。ミノルは自分の怪我だと、あの場所に行く前に大量出血で死んでしまう。だから、ソンに最後の希望を託した。
「ソン、このまま、ずっと真っ直ぐ行けば、洞窟があってそこに赤い実がある、だから――――――」
「わかった。すぐに採ってくるよ。それまで、ムーをよろしく」
ソンはムーをゆっくりと優しく背中から降ろすと、今まで見たことない速さで赤い実を採りに走っていった。その姿を見送るとミノルはスズランの方を向いて言おうと、
「スズラン、怪我して、いる、ところ、を、お、さ、えてし、け、つ 」
したのだが、急に瞼が重くなり、呂律が回らなくなって、何も考えられなく。
「ミノル!? どうしたの!? まさか、みの――――――」
ミノルはもっとも嫌っている、闇の底に堕ちていく―――――――――
*
ミノルは『ここ』に生を受けた当初は、一般的な子供と同じ、当たり前のように『世界』に生まれたい、と思っていた。そして当たり前ように赤い実を求めて森の中を走って、当たり前ように採れなかった。そうして、当たり前ように明日しかない、と絶望に浸って、当たり前ように徹夜で門の前に並ぼうと思い立って並び、当たり前にように次の日を迎え、当たり前のようにまた採れなかった。
ミノルは南門から出て、狂ったように揺れながら町を歩き、死にたくないと譫言を発していた。誰かがミノルにぶつかった。ミノルは苛立って、そのぶつかってきた相手を殴り殺した。
その時、偶然に殺した子供の服から、ECが飛び出していた。最初ミノルはこれが何なのかわからなかった。自分も持っているかと思い、服をまさぐって探したのだが、なかった。そうして最後の時まで、ミノルはそのECの金属光沢が綺麗だったと言う理由で、次々と周りにいた子供を殺した。そして、ある法則に気づき、確実に持っている子供だけを狙って殴り殺し続けた。罪悪感なんて一つも持たずに、どうせ死ぬんだと思いながら、ECを強奪し続けた。
ECが五十枚になるころ、そろそろ飽きてミノルはECを持ったまま、空を眺めた。もうすぐ死ぬんだと思うと憂鬱になった。そして、時を待った。でもいくら待っても死ぬことはなかった。昇る朝日をミノルは生きたまま見ることができた。
ミノルは持っていたECが一枚、減ったこと気付いた。そしてECが一枚あれば明日も生きる事ができることを知った。そして同時にあることを思いついた。隣の森から、次の日に開く門の森へ、その隣接している森と森を隔てる壁を開く前からよじ登って行けば簡単に取れるのではないかと。門が開く前によじ登って行けばいいと考える子供もいるが、登りきることも、登ることもできない。それくらい突起物もない壁なのだ。しかし森の中だと、それを有に越える、登る事ができる木がそこら十に生えている。壁の近くにも、何本も生えている。ミノルはその壁、周辺の木を一日かけて登り、壁の上に降りて、そして逆側、明日、門が開く方の森の木に飛び移り、門が開く前から赤い実が成る木へ向かうことができる。
ミノルはすぐさま実行した。一日以上かかると踏んで西門から行き明後日開く南門の方の壁へと向かった。
そして、壁へと向かう途中で――――――
ミノルは落ちた。――――――
× × ×
――――――そして、ミノルはその赤い実を手に掴み、もぎ取った。
だが、ミノルは再び思いついた。ECさえあれば永遠に生きてられる、だから――――――
赤い実なんて必要ない。『世界』に生まれなくても生きていける。
ミノルは、そうして、悲しく、寂しい、生き方を始めたのだった。
あの愛おしいあの子に出会うまでは――――――
*
「――――――ミノル」
「なあに。スズラン」
意識を取り戻したミノルは自分がどんな状況なのか確認する。ミノルが気を失っている間、スズランに膝枕してもらっていたようで、今はスズランの顔を見上げいた。それからミノルの顔の横には赤い実が二つ置いてある。
「ソンが採ってきてくれたんだよ。ソンとムーは先に『世界』に生まれたから、もう『ここ』にはいないけどね」
「スズランは、先に食べなかったの?」
「ミノルがもし、目を覚まさなかったら、このまま明日になって死んじゃうなら、私も一緒に死ぬ。だって一人で生まれてもミノルとまた出会えないから」
「そう」
頭がとても痛く、体の感覚も全くない。その代わり体中が寒いのだ。きっと、血が足りないからだろう。危なく死ぬところだったが、こうやって最後にスズランにまた出会うことができたのだ。
「寒い」
ミノルが呟いた。スズランは顔を近づけてミノルの唇にそっと自分の唇を触れさせた。
「暖かくなった?」
「まだ足りない、まだ寒い」
「もう、昨日の私みたい」
「いや、死にそうだからなんだけど」
二人は笑った。そして、もう一回、今度は長く。永遠に時間が止まってるように感じた。
「足りないね」
「まだまだ足りない」
「仕方がないから、この続きは『世界』に生まれてからって事にしよう」
「うん、そうしようか」
スズランが右手で赤い実を持ってミノルの口に近づける。
「先に食べて、その後、すぐに私も生まれるから。じゃあ、また会おうね、ミノル」
「うん。それまでお別れだね。スズラン」
ミノルはスズランが差し出した赤い実を齧った。甘い酸味のある果汁が口の中に広がって溶けていく。その心地よさを感じながら――――――
もう少しだけ続きます。