5+5
夜になるとそれまでくるくると表情を変えうねるように動き続けていた人口の渦もゆっくりと収まりを見せてきた。
街が僅かな眠りにつく準備を始めている。
店々のネオンが消され
街全体が静けさを帯び始める。
忙しなく縦横無尽に足を動かしていた人々は各々の帰るべき場所に帰り、街と今日を置いて夢の中へと旅立つ。
そんな中
ナガサキは起きていた。
陸橋の上に立ち
手には女物のベージュのスカーフを愛しげに巻き付けていた。
彼は街に毒を吐く。
唇の隙間から紫煙を吐き出してはくゆらせ、時折その中に誰かを蔑む言葉を混ぜるのだ。
ナガサキ マナブは24歳フリーターである。
明るく活発で、大学はかなり高いレベルの学校を卒業してはいるものの
その後の進路に行き詰まり、結局だらだらと就職も決めることなくアルバイトを転々としながら食いつないでいる。
現在彼女はいない。
正確に言えば先程まではいたのだ。
だが深夜のバー、一番奥の席。
そこで彼は今夜振られてしまった。
理由は?
惑うナガサキがやっと紡いだ意味のある言葉。
一直線にナガサキを見つめ
恋人だった女は言った。
『ナガサキ君はあたしを見ていないよね』
心臓に杭を打ち込められたような衝撃だった。
そんな馬鹿な。
俺はちゃんと見ていた。
ずっと見ていた。
君だけを。
だが、ナガサキは鯉のように口をパクパクさせるだけで
その想いを伝える事はできなかった。
それに女の言葉全てを否定できる程の何かを持ってすらいなかった。
だがしかし、例えそれが正しいとしても
間違っていなかったとしても
では俺は今まで何を見てきたのだ?
ナガサキはまた、幾度目かのため息を吐いた。
告白が自分にくれたのは
勇気と自信と恋人だった。
だが、別れがくれたのはただ一つの喪失感と疑問だけである。
「なんなんだ…俺が何をしたっていうんだよ、記念日には口紅を与えた、毎月デートは欠かさなかった、誕生日には二人きりのレストランを用意した、いつだってお前が一番だった…!愛を注ぎ続けたのに…!!なんなんだよっ…!!なんでなんだよ!!」
終いには人目もはばからず叫んでいた。
ナガサキの二つの瞳からは涙が零れ出していた。
街が落ち着いた煌めきを秘める。
世界など割れてしまえ。
枯れてしまえ、気取る花など。
荒んだ心が悲しみをより深くする。
その時、びゅうと一瞬大きな風が吹いた。
ナガサキの手に絡められていたスカーフが
飛んでいってしまった。
あ、とナガサキが指先を伸ばしたが
既にスカーフは天高く舞い上がっていった。
呆然とスカーフを飲み込んだ闇を見つめ
ナガサキは呟いた。
「マイコ、それでも俺はお前を愛していた」
一度流れた涙は陸橋の下
コンクリートに染み込んだ。