第十五話「久しぶりに村を出ることになりました」
葛葉村は関東北部の山間にある割には、温暖な気候らしい。その為、真冬でも豪雪に悩まされるようなことは少ないのだという。
とはいえ、十一月も半ば過ぎともなれば、最低気温が一桁の日が続くようになる。冬が来たのだ。
「大分寒くなってきたけど、藍里ちゃん、冬物は足りてる?」
「はい。昨日の内にダウンコートをお手入れしておいたので」
朝食の席でのことだ。智里が、未だ薄着な藍里を心配して、そんなことを尋ねてきた。
確かに寒くはなって来たが、長年ボロアパートに住んでいた藍里としては、まだまだ余裕のある寒さだった。彼女が母親と暮らしていた部屋は、サッシからの隙間風は当たり前、壁には断熱材も入っていない、そんな部屋だったので、寒さには慣れっこだったのだ。
だが――。
「この屋敷は、手を入れてはあるとはいえ百年以上前のものだ。藍里が考えているよりも寒くなる。室内でも、防寒はきちんとしておいた方がいい」
「あ、そうなんですね……」
智里お手製の山菜うどんを啜りながら、守矢までもが藍里にそんなことを言ってきた。
どうやら、傍で見ている人間には、藍里の恰好はそれほど寒そうに見えるらしい。「流石に、この季節に半袖はやりすぎたかな?」と、藍里は少しだけ反省した。
ちなみに、タケ様は数日前にふらっと出て行ったきり、姿を見せていない。どうやら、何も告げずに帰ってしまったらしい。少し薄情だった。
「部屋着が足りないようなら、大友の家にでも頼んで融通してもらうといい」
「大友さんのおうちに? でも、紅茶の件でもお世話になりましたから。そんな、私の服まで頼るなんてことは――」
「遠慮をするな。こういう時の為の大友だ」
「え……?」
まるで大友家を御用聞きであるかのように言う守矢の態度に、藍里は思わず怪訝そうな声を上げてしまった。
確かに、葛葉家はこの村で特別な存在なのだろうが、大友の家もそれは立派なものだった。それを、御用商人や小間使いかのように言うのは、神様とは言え失礼ではないかと思ってしまったのだ。
けれども――。
「大丈夫よ藍里ちゃん。大友の家は、むしろ喜んで引き受けてくださると思うわよ」
「そうなんですか?」
「なんだ智里。藍里には教えていなかったのか? 葛葉と大友の関係を」
「葛葉と大友の関係? 一体どういうことですか」
「あのね、藍里ちゃん。大友の家はね、元をただせば葛葉の分家なの。明治に入る前に分かれた、遠い親戚ね」
「分家……」
「分家」とはまた、時代がかった言葉が出てきたものだと、藍里が目を丸くする。
そんなもの、映画や小説の中でくらいしかお目にかかったことがない。
「葛葉は村に残り、神様をお守りする。大友は村を拠点にしつつ、村の外での権益を確保し、村へ財をもたらし、村を動けぬ葛葉に便宜を図る。そういうことになっている」
「前にも言ったかもだけど、葛葉家所有の不動産やら何やらの管理も、大友の家がやっているのよ」
「えっ……それって主従関係的な?」
「上も下もない。ただの役割分担だ。だから、藍里が大友に遠慮することもない」
言いながら、守矢がうどんに七味を振る。
薄味がお気に召さなかったのか、何度も何度も振るものだから、うどんのつゆは、すっかり赤くなってしまっていた。
「ええと……でも私、痩せているせいか、服のサイズとかきちんと試着してみないとしっくりこないことが多いんです。折を見て、街に買いに行こうかと」
「……街へ、出るのか」
「はい。いけませんか?」
「いや。ここいらの地理には不案内だろう。誰かにエスコートさせよう。そうだな、外崎……は忙しそうだから、ふむ」
守矢はぶつぶつと独り言を言うと、着物の裾からスマホを取り出し、何やら弄り始めた。
どうやら誰かにメッセージを送っているらしく、ポコポコとメッセージの送受信音が何度か居間に響いた。
藍里はその光景をぼんやりと眺めながら、「そう言えば、神様のスマホは誰の名義になってるんだろう?」等と、益体のないことを考えてしまった。
「よし。ちょうどいい足兼ボディーガードを用意した。午後には迎えに来るだろうから、早速行ってくるがいい」
「え、今日ですか? その、私、別に一人でも大丈夫ですよ」
「まあまあ、そう言わずに。ここは神様のご厚意に甘えておきなさいな」
――何故だろう。守矢も智里も、自分を一人で村の外に出したくないように思える。そんな疑念が藍里の脳裏に浮かんだ。二人とも、あまりにも過保護すぎる。
結局、洋服代までも押し付けられるように渡され、藍里は急遽、街へ買い物に出ることになってしまった。
***
そして午後。屋敷の外から甲高いクラクションの音が響き、藍里がなんだなんだと様子を見に行ってみると――。
「よっ! お嬢ちゃん。呼ばれて来てやった、ぜ!」
「タ、タケ様!?」
屋敷の前に、帰ったはずのタケ様が姿を見せていた。しかも、彼の背後には愛車らしき青いスポーツカーまで停まっている。
やけに車高が低く平べったい2ドアの車で、藍里が見たことのない車種だ。古い車なのかもしれない。
「呼ばれたって……。え、もしかして神様が呼んだのって」
「そっ、俺様って訳よ。有難く思えよ~? お嬢ちゃんの為と聞いて、忙しい中、愛車を飛ばしてきたんだから、よ!」
「は、はぁ……」
何故だか、タケ様のテンションはいつもよりも高かった。気のせいか、話し方も少しおかしい。若干ハイになっているように見える。
それに、何よりも気になったのは――。
「あの〜、タケ様。つかぬことをお訊きしますけど」
「なんだい?」
「運転免許とか、持ってるんですか?」
「当たり前ぇだろ」
「神様なのに?」
「そりゃ、神様だって無免許運転はノーグッドに決まってるだろぉ?」
言いながら、タケ様が金属製の鋲が沢山付いた長財布から何やら取り出して、藍里に見せ付けた。それは、どこからどう見ても運転免許証だった。しかもゴールドだ。
「……氏名と住所の欄が、ボヤけてて読めないんですけど?」
「ああ、そいつぁ真名バレ防止さ。真名や本拠が知られると困る神様も多いんでな」
「それ、警察とかに見せても通用するんですか?」
「当たり前ぇだろ。何の為の免許証だと思ってるんだ」
藍里の中で「常識」の二文字が崩れていく音が響いた。
この世には、藍里が思っていたよりも不思議なことが沢山あるらしい。
「ささ、お嬢ちゃん。準備はいいか? 早速出発しよう、ぜ!」
「あ、ええと……少し待っていただけますか? それと……そのお車って、もしかして二人乗りですか?」
「一応後部座席はあるが、狭いぞ」
言いながら、タケ様がドアを開き運転席のシートを前に倒し、後部座席を指さす。
覗いてみると、そこには「狭い」という言葉では足りない、後部座席というより荷物置き場と言った方が近い、狭いスペースしかなかった。
これでは、智里についてきてもらうことも難しそうだ。
藍里は観念して、タケ様と二人で出かけることにした。
***
――曲がりくねった山道を、青いスポーツカーが疾走していた。
「ヒュー! やっぱりこのコースは、ご機嫌だぜ!」
「あ、あのタケ様。もっとスピードを落とした方が……」
「あ~? 心配すんな。俺のドライビングテクニックは……文字通りの神業だぜ!」
タケ様がハンドルを鮮やかに操ると、車は後輪を滑らせながら華麗にカーブを曲がっていった。
確かに、凄いスピードを出している割に、危なげは全く感じない。恐らく、本人の言う通りタケ様の運転技術は凄いのだろう。先程から、かなりアクロバティックな運転をしてはいるが、対向車線には全くはみ出していない。
だが、それでも藍里は生きた心地がしなかった。ただでさえ曲がりくねった山道の、申し訳程度の二車線道路だ。一歩間違えれば山林に突っ込むか、谷底へ真っ逆さまなのだ。
そんな道路を、タケ様は制限速度を遥かにオーバーした速度で駆け抜けていく。
――結局、タケ様の駆るスポーツカーは、バスで数時間かかる道のりを僅か数十分で踏破してしまった。
その間、タケ様は「ロータリーエンジンが~」だとか、「電気自動車はオモチャ~」だとか、様々なうんちくを垂れていたようなのだが、スリルドライブに必死に耐えていた藍里の耳には、全く届いていなかった。




