第19話:常凪の記憶(中編) 〜借り物の命〜
【前回までのあらすじ】
物語は、剣豪・源流が抱き続けた「悲劇の記憶」へと遡る。
若き日の源流は、帝国の急襲を受けた同盟国「常凪の里」を救うべく、道中で出会ったハイエルフの女・ディネルースと共に馬を走らせた。
しかし、辿り着いた里はすでに地獄と化し、無残に掲げられた帝国の「赤き旗」が風に揺れていた。怒りに震え、親友の行方を探して里長の屋敷へ踏み込む源流。
屋敷の中もまた、地獄だった。
武士たちだけでなく、刀を持たぬ奉公人や中間までもが無差別に殺害されていた。
源流は大書院へと踏み込んだ。
「暁月殿!」
返事はなかった。
代わりに転がっていたのは、数本の槍に貫かれ、首から上が切り落とされた里長の遺体だった。
「……アンドレアめ……!」
源流の全身から怒気が噴き出す。
その時、微かな物音が聞こえた気がした。
チャリ……。
衣擦れか、あるいは金具の音か。
源流は柄に手をかけたまま、感覚を研ぎ澄ます。気配は、床の間の掛け軸の裏からした。
「……そこか」
源流が掛け軸を払うと、壁に隠し扉の隙間が見えた。
彼は一気に扉を開け放った。
「誰だッ!!」
中から鋭い声と共に殺気が放たれた。
だが、その切っ先は源流の喉元寸前で止まった。
「……げ、源流……か……?」
隠し部屋にいたのは、血まみれの武士と、震える暁月夫人、そして幼い姫君だった。
武士の名は藤堂。
この里一番の手練れであり、源流とは何度も剣を交えた好敵手にして親友。
「藤堂! 無事だったか!」
源流は駆け寄り、友の体を支えた。
「源流……来てくれたのか……」
藤堂は安堵の息を漏らすと、ガクリと膝をついた。その腹部は赤く染まり、出血は止まる気配がない。
「頼みがある……。奥方様と姫様を……オウカへ連れて行って……くれ」
「もちろんだ。藤堂、お主も一緒に参るぞ」
「私は……いい……。あとは、頼んだ……」
藤堂の瞳から光が消えかける。
彼女は源流の顔を見て、主君の家族を守りきったことに満足したのだろう。
ゆっくりと瞼を閉じ、その場に倒れ伏した。
「藤堂! 何を言っている!」
源流は叫んだ。
「お主は暁月家の護衛であろう! 生きて、これからも奥方や姫様をお守りしろ! おい、起きろ!」
源流が友の体を抱き起こそうとした、その時だった。
「こんなところに隠し部屋があったとは……流石は武家屋敷ね」
いつの間にか、背後にディネルースが立っていた。
音もなく現れた彼女を、源流は獣のような目で睨みつけた。
「……ディネルース殿か」
「源流、無理に動かすのはやめなさい」
「このまま、ここに置いてはおけぬ!」
「傷口を見せてみなさい」
ディネルースは躊躇なく血溜まりに踏み込み、藤堂の傷を確認した。
そして、短く告げた。
「残念だけど、もう手遅れね」
「お主が決めるな!」
源流が喰ってかかる。
「冷静沈着と名高い貴方らしくないわね」
ディネルースは冷ややかに言った。
「本当は貴方だって分かっているはずよ。内臓がいっている。彼女はもう助からないわ」
源流は唇を噛み締めた。武人である彼には分かっていた。藤堂の命の火は、もう燃えカスしか残っていないことに。
「でも……延命ならできるわ」
ディネルースが薄い笑みを浮かべた。
「私の『死霊術』を使えばね」
源流が目を見開く。
「死霊術だと! 藤堂はまだ死んでおらん!」
「今はまだね。でも瀕死な状態には変わりない。半分死にかけているのよ」
彼女は手袋を外し、魔力を練り始めた。
「壊死した部分、止まりかけた機能を、私の魔力で強制的に動かすだけ。意識があるうちは、貴方が毛嫌いする『アンデッド』にはならないから安心なさい」
「アンデッド……」
源流の脳裏に、大陸会議でアンドレアが叫んでいた言葉が蘇る。『ネクロゴンドは死者を冒涜している』と。
「アンドレアが言っていたことは、本当だったということか……」
「ええ。でも、死霊術を知りもせず忌み嫌うのは、偏見というものよ」
ディネルースは藤堂の顔を覗き込んだ。
「現に私は、彼女との時間を貴方に作ってあげようとしているのだから。……私はいいのよ、このままお別れを言えなくたって。どうするかは貴方が決めなさい」
究極の選択。
友を安らかに逝かせるか、禁忌を使ってでも言葉を交わすか。
「……どのくらい延命できる?」
「この子の精神力次第だから、私には分からないわ。数時間かもしれないし、数日かもしれない」
源流は、後ろで震える奥方と姫様を見た。
奥方は、涙を流しながら娘を抱きしめ、源流に向かって深く頷いた。
(藤堂……お主も、最後に言い残したことがあるはずだ)
源流は決断した。
「……やってくれ」
ディネルースが呪文を詠唱し、藤堂の額に手をかざした。
紫色の光が傷口を覆い、止まっていた心臓を無理やり鼓動させる。
「……ウッ、ア……」
藤堂が大きく息を吸い込み、目を開けた。
「源流……?」
「藤堂!」
「これは……どういうことだ……。私は、死んだはずじゃ……」
「ディネルース殿が、一時的に動けるようにしてくれたのだ」
源流は、それが死霊術であることは伏せた。友を混乱させたくなかったからだ。
◇
隠し部屋を出て、屋敷の外へ向かう一行。
外の惨状を見た藤堂は、絶句した。
「ひどい……。アンドレアは、悪鬼に取り憑かれたのか……」
「アンドレアは、大陸会議で私を悪者に仕立て上げようとしたわ」
ディネルースが淡々と語る。
「そして、その企みが失敗に終わると、今度は私を討つという大義名分を掲げて各国に宣戦布告をした」
彼女は悲痛な面持ちを作ってみせた。
「でもね、私にも責任があると思っているの。私が死霊術なんてものに興味を持ったがために、アンドレアにつけ込む隙を与えてしまったんだもの」
「大陸会議のことは、御屋形様より聞いています……」
藤堂は悔しげに拳を握る。
「私には、アンドレアを止める責任があるのよ」
ディネルースの言葉は、完璧な「被害者にして、責任感ある指導者」のそれだった。
屋敷の外で、サムライたちが源流を見つけ駆け寄ってきた。
「源流殿!」
「生き残りはいたか?」
サムライは首を横に振った。
「いえ、残念ながら……」
「そうか……」
源流は目を伏せた。
「仕方あるまい。里の者たちは弔うとしよう。数人、見張りを立てろ。残りは埋葬の準備を進めよ」
「はっ!」
藤堂は、気丈に振る舞いながら奥方たちを誘導した。
「お二人はあちらでお休みください。さぁ、どうぞ、こちらへ」
その背中は、生前と変わらぬ忠義に満ちていたが、源流には、その命が蝋燭の灯火のように揺らいでいるのが見えていた。
◇
サムライたちが里の者たちを埋葬する様子を、少し離れた丘から源流と藤堂が見守っていた。
土饅頭が増えていくたび、藤堂の顔色が蒼白になっていくのが分かる。
「……すまぬ。念仏を唱えることはできぬが、許せ」
源流が頭を下げると、藤堂は力なく首を振った。
「許すも何も……感謝しかないよ。来てくれて、ありがとう」
「逆の立場でも、同じことをしたであろう。もっと早く駆けつけられれば……無念だ」
ふと見ると、藤堂の細い両肩が震えていた。
気丈に振る舞ってはいても、彼女はまだ若い娘なのだ。故郷を、主君を、家族同然の仲間たちを一度に失った悲しみは計り知れない。
源流はためらいがちに手を伸ばし、そっと藤堂を引き寄せ、包容した。
「……泣いていい」
「う、うぅ……あぁぁぁぁっ……!」
藤堂は源流の胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣いた。
◇
しばらくして、嗚咽が収まると、藤堂は恥ずかしそうに顔を上げた。
「ごめんなさい。……みっともないところ、見せちゃったね」
「皆を想い涙を流せぬ者を、拙者は信用できぬ」
源流は優しく言った。
藤堂は少し距離を取ると、寂しげに微笑んだ。
「それもあるんだけどね……貴方と手合わせが二度とできないと思ったら、辛くて」
彼女は源流の腰にある『桜花』を見た。
「前回は私が勝ったよね? 勝ち逃げなんてズルいよね……」
源流は迷わず『桜花』を抜いた。
「藤堂、刀を抜け」
「えっ……無理だよ、私はこんな体だし……」
「武士たる者、刀で語るべし。……来い」
源流の真剣な眼差しに、藤堂はため息をつき、そして嬉しそうに自身の愛刀を抜いた。
「……手加減なしだよ?」
「望むところだ」
二人は切っ先を合わせた。
今まで幾度となく手合わせをした両雄。それぞれの国を代表する剣豪同士の、人生最後の手合わせ。
それは今までのような激しい斬り合いではなく、互いの呼吸を確かめ、剣を通じて魂を交わすような、静かで美しい演武だった。
その光景を、遠くの雑木林からディネルースが見つめていた。
懐の魔導通信機が震える。
『……ディネルース様。予定通り、そろそろ仕掛けます』
女性の声だ。
「待ちなさい」
ディネルースは低い声で命じた。
「サムライたちは弔いの最中よ。終わるまで待ちなさい」
『……気でも触れましたか? いつもの冷徹な貴女様とは思えませんわ』
「失礼ね。私はそこまで野暮じゃないわ。それに、これは私たちにとっても大切な儀式なのよ」
ディネルースは、剣を交わす二人を冷ややかに見据えた。
「弔えば弔うほど、アンドレアへの憎しみが募る。悲劇は、美しく演出してこそ価値が出るのよ」
『……そういうことでしたか。流石です』
「タイミングは私が指示するわ。それまで待機なさい」
【次回の予告】
「最期の微笑み、そして暴かれる『悪魔』の本性。」
死の淵から蘇った親友・藤堂。源流はそれが禁忌の術であると知りながらも、彼女と剣を交わし、魂を通わせる「人生最後の手合わせ」に耽ります。
「貴方に会えて、よかった……」
滅びた里で交わされた、二振りの短刀。それは、偽りの平穏の中で結ばれた、あまりにも純粋な愛の誓いでした。
しかし、源流が仲間を連れて里を去った瞬間、物語は暗転する。
源流が死ぬまで抱え続けた「恩義」の正体、そして藤堂を待ち受ける「死よりも残酷な運命」とは――。
裏切りの赤。少女の悲鳴は誰にも届かない。
第20話は、明日の21時40分更新です!
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