第四章 沈黙する村
夜明け前の空気は、まだ湿っていた。
久遠刑事は車の窓を少しだけ開け、ひんやりとした風を吸い込んだ。
村の川沿いに停めた車の前方では、数人の警官が足元の土を照らしている。
懐中電灯の光が水面を揺らし、朝靄の向こうに小さな輪を浮かび上がらせた。
金属だった。
錆びてはいたが、かろうじて丸い形を留めている。
「指輪…ですね。」
鑑識がそうつぶやいた。
久遠はうなずき、しゃがみこんだ。
土に半分埋もれたそれを、ピンセットで慎重に持ち上げる。
泥の膜をぬぐうと、内側に刻まれた二文字が見えた。
“O” “K”
一瞬だけ、朝の光がその刻印に反射した。
久遠は眉をわずかに動かし、手帳に静かにメモを取った。
「被害者の遺留品かもしれません、イニシャル…でしょうか。」
「そうかもしれない。あるいは—―」
久遠はそのまま指輪を袋に収めた。
川面を見渡すと、夜の名残のように蛍が漂っていた。
夜明けの光の中でも、かすかに光を残している。
普通ならもう飛ばないはずの時間だ。
久遠はその蛍を目で追いながら、ふと昨夜見た光景を思い出した。
透の家。
暗い部屋の奥で、確かに光がまたたいていた。
人の気配のないはずの時間に。
あの時、確かに透が窓際に立っていた。
影の中で、何かを手にしていたように見えた。
久遠は懐中時計を取り出し、時刻を確認する。
午前5時32分。
空の端がようやく白く滲み始めている。
車に戻ると、助手席のファイルを開いた。
そこには古い資料のコピーが1枚、薄茶色に変色した紙が挟まっている。
昭和58年7月15日——川沿いで女児が行方不明。
のちに遺体発見、未解決のまま。
久遠は視線を指輪に戻し、
小さく、誰にともなく呟いた。
「…OKか。」
そのとき、窓の外で光が一瞬きらめいた。
蛍が川面に落ちたのだ。
ぱちりと光って、静かに消えた。




