第三章 残響する夜
夜、透は眠れなかった。
畳の上に横になっても、まぶたの裏に光がちらつく。
蛍の光。血の色。
そして、祖母のノートに書かれていた7月15日の文字。
——あの夜、光を見た。
呼吸が浅くなる。
その言葉を何度も思い返すうちに、瞼の裏の光が形を持ち始めた。
気づけば視界が赤く染まり、川の音が耳に流れ込んでいた。
夢の中で、透は子どもの姿になっていた。
背丈も低く、声も幼い。
けれど、夢だと気づいていながら目を覚ますことができない。
夜の川沿い。
水面の上に無数の蛍が漂っている。
現実よりも多く、まるで星が降ってくるようだった。
「ねえ、透——」
振り返ると、少女が1人立っていた。
白いワンピース。髪は肩にかかり、笑うと少し歯を見せる。
名前は思い出せない。
けれど、懐かしい。どうしても忘れたくない顔。
「見て。ほら、蛍。死んでも光るんだって。」
少女は川辺にしゃがみ、掌を水面に差し出した。
1匹の蛍が浮かんでいる。
羽は動かず、身体だけがかすかに光っていた。
「ほら…ね?」
少女が微笑む。
その声が、夢の中の「逃げなさい」の声と重なった。
風が止んだ。
蛍の群れが、2人を包むように舞い上がる。
世界が赤く染まり、音が消える。
次の瞬間、透の手の中に冷たい感触があった。
何か柔らかいものを握っている。
手を開こうとしても開けない。
血の匂いがした。
少女がいない。
川の上で、光だけが残っていた。
透は跳ね起きた。
額に汗が滲み、喉が焼けるほど乾いている。
部屋は静まり返っていた。
けれど、まだ川の音が聞こえる気がした。
外では風が吹いていないのに、障子がかすかに揺れている。
床の上、祖母のノートが開いていた。
自分では閉じたはずなのに。
ページの上に小さな手形が浮かんでいる。
赤い指の跡。
透は息を呑み、後ずさった。
畳の上を蛍が1匹、ゆっくりと這っていた。
羽はちぎれ、ほとんど死んでいるのに、光だけがまだ瞬いている。
「——死んでも光る。」
その言葉が、今度は少女の声で響いた。




