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殺人蛍  作者: 佐宮 乃慧


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第二章 揺れる残光

 現場を離れたあとも透の足取りは重かった。

 久遠刑事は何も言わず、ただ並んで歩いていた。

 川の音が遠ざかるにつれ、胸の奥に鈍い空洞が広がっていく。


「ご案内、助かりました。」

 久遠が言った。声は相変わらず穏やかだった。


「しばらく村の方に滞在されるんですよね?」


「はい。祖母の葬儀が終わるまでは。」


「そうですか。あまり気を張らないでください。」


 その一言に透はわずかに息を止めた。

 まるで、自分の胸の内を見透かされたようだった。

 久遠はそれ以上何も言わず、軽く会釈して去っていった。



 ——静寂が戻った。



 昼過ぎ、透は祖母の部屋に入った。

 線香の香りがまだ残っている。

 窓は閉めきられているのに、空気がわずかに揺れていた。

 誰もいないはずなのに、背中に気配を感じる。

 ふと、床の軋む音がした。



 祖母が座っていたあたり——畳の上に布をかけた木箱があった。



 昨日は確か、そこにはなにもなかったはずだ。

 だが今は、まるで“置かれていた”というより“現れた”ように見える。

 箱の表面には薄く埃が積もっている。

 けれど、指で触れると妙に温かかった。



 透はしゃがみ込み、布をめくる。

 木の香りがふっと鼻をかすめた。

 ただの箱なのに視線を外せない。

 中から、かすかに音がした気がした

 カサリ…と紙が擦れるような音。



 南京錠が錆びついて掛かっている。

 外すつもりなどなかったのに、指が勝手に鍵を引き抜いていた。



 錠が外れた瞬間、部屋の空気が変わった。

 どこかで小さく風鈴が鳴ったような音がした。

 透は息を止め、そっと蓋を持ち上げた。



 中には、茶色く変色したノートが1冊。

 表紙に墨で“記録”とだけ書かれている。

 その文字が、まだ乾ききっていないようだった。



 ページをめくると、祖母の筆跡がびっしりと並んでいた。



 7月15日 

あの夜、光を見た。

 蛍ではない。透の中に灯った火。

 どうか、次の夏までは消えませんように。



 透は思わず指を止めた。

 自分の名前。

 そして、“光”という言葉。


 なぜ、祖母がそんなことを——ページをめくる手が震える。

 次の行は滲んでいて、かろうじて読めた。



 あれは、あの子ではない。

 あれは、残り火。



 “残り火”その言葉を見た瞬間、頭の奥がざわめいた。

 視界がふっと白く霞む。



 気がつくと、透は畳の上に手をついていた。

 ノートが開いたまま、ページの上に蛍の羽が1枚落ちている。

 どうしてここに蛍が。

 光はない。ただ、薄く乾いた羽音の気配だけが残っていた。



 そのとき、ふいに部屋の奥が暗くなった。

 障子の隙間から、ひとつの光が差し込む。

 いや、光ではない。

 まるで空気の中に浮かぶ残像のような。



 耳の奥で声がした。

「透、逃げなさい。見つかる前に。」



 その声は、夢と同じだった。

 透は息をのむ。

 目を閉じた瞬間、脳裏に映像が走る。


 赤い川、泣いている少女。

 月明かりの下で蛍が血の上を舞っている。


 その中心に、小さな自分の影が立っていた。

 光の中に染まりながら。



「……違う。」

 透は呟いた。



 だが、胸の鼓動は早まっていた。

 何かを思い出し始めていることだけは、はっきりと分かった。



 気づけば、外は夕暮れだった。

 川の方角から、誰かの声が聞こえる。


 子どもたちが遊んでいるような笑い声——

 なのに、どこか遠い。

 まるで過去の音のように。


 透はノートを閉じ、胸に抱えた。

 その重みが、罪の形をしているように感じられた。

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