第一章 記憶の底
ザァザァと雨の音がした。
気がつけば透は真夜中の部屋で目を閉じていた。
まぶたの裏で誰かの声がする。
「透、逃げなさい。」
その声は、懐かしかった。祖母のようでもあり、違う誰かのようでもある。
透は夢の中で走っていた。
ぬかるんだ地面を踏みしめ、何かを必死に抱えていた。
腕の中のそれは、温かく、重かった。
息が詰まる。
見えない誰かの足音が追ってくる。
蛍の光が頭上を流れ、雨粒に滲んで赤く散った。
「どうして——光っているの?」
誰かの問いが聞こえた。
透は答えようと口を開くが、声が出ない。
代わりに、掌から血が流れた。
それは夢の中でも、確かに鉄の匂いがした。
——パチンッ
小さな音で目が覚めた。
畳の上で、ひとつの蛍が光っていた。
閉めきった窓の内側にいるはずのない光。
透はぼんやりとそれを見つめた。
蛍はふわりと舞い上がり、仏壇の前で止まる。
祖母の写真の前で、ひとつ、ふたつと瞬いた。
やがて光が消えたとき、部屋は再び静まり返った。
雨は降っていないのに、どこか湿った匂いが残っていた。
透はそっと呟いた。
「また、見ているのか。」




