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雲隠(作:三田村 宙)

一ノ瀬「さあ、今度は三田村さんの番ね。『本当の“世界”の姿を見せる』。一体、どんな『雲隠』を書いてきたのか、期待させてもらうわよ!」


(一ノ瀬、先ほどの雪辱を果たすべく、挑戦的な視線を送る)


四方田「宙ちゃんのSF! 絶対ヤバいのが来ると思って、一週間ワクワクしてました! どんなトンデモ設定が飛び出すのかなー?」


二階堂「……お手並み拝見。私のプロットに対し、『人間の感情はバグ』と評したあなたです。感情を排した、純粋な概念だけの物語になっているのか、興味深いですね」


(三田村、静かに頷き、タブレット端末をテーブルの上に置く。ヘッドホンを外し、いつになく真剣な表情で、小さく、しかしはっきりとした声で話し始めた)


三田村「……これから話すのは、可能性の一つ。ある時空連続体に記録された、高次元存在による干渉のログです。コードネーム『ヒカル・ゲンジ』は、死亡したのではありません。彼は、我々の知る三次元空間から、“移行”したのです」


(三人の顔に「?」が浮かぶ。三田村はそれを意に介さず、淡々とテキストの読み上げを開始した)


***


雲隠

作:三田村 宙


記録対象:太陽系第三惑星、ユーラシア大陸極東島嶼部における地域文明サンプル。コードネーム『ヘイアン-キョウ』。

観察期間:西暦1010-1020年(現地時間)

事象:自律進化型情報生命体『庭師』による、特定個体への接触および次元移行プロトコル。


【フェーズ1:シグナル検知】


 病の床にあった個体『光源氏』の生体機能は、物理的には緩やかな減衰曲線を描いていた。しかし、彼の脳内、特に美意識と記憶を司る大脳皮質からは、極めて特異なパターンを持つ情報シグナルが放出されていた。それは、この惑星の知的生命体が生み出した「わび」「さび」「あはれ」といった、極めて高度で複雑な美的概念の集積体。数多の恋愛経験と栄枯盛衰の果てに精製されたその純粋な情報パターンは、一種のビーコンとなり、この銀河セクターを巡回する超次元情報生命体『庭師』の注意を引いた。

『庭師』は、物理的な肉体を持たない。その本質は、宇宙に存在するあらゆる情報を収集・再編し、文明の進化を“剪定”する、自己増殖するアルゴリズムである。彼らにとって、源氏の発するシグナルは、未開の惑星に咲いた、観測史上最も美しい「花」に他ならなかった。


【フェーズ2:接触と対話】


『庭師』は、源氏の意識への介入を開始した。それは、常人には不可知の“対話”であった。

 ある日、源氏は夢を見た。彼は、須磨の寂しい海岸に一人立っていた。だが、空には月も星もなく、ただ巨大な、黒い石盤モノリスが静かに浮かんでいた。石盤は何も語らない。だが、源氏の脳内に、直接、問いが流れ込んできた。

《汝が求める美とは何か》

 源氏は答えることができなかった。彼の求める美は、移ろい、消えゆくものの中にこそあったからだ。藤壺の宮への罪深き憧憬。若紫を理想の女性に育て上げるという、神をも恐れぬ傲慢。六条御息所が放つ、嫉妬の炎の禍々しいまでの美しさ。それらは、言葉という器には収まりきらない。

 すると、石盤は形を変え、彼の記憶から最も鮮烈なイメージを再構築して見せた。燃え盛る葵の上の葬儀の夜。桜の下で舞う、若き日の自分の姿。そして、目の前で静かに息を引き取った、最愛の妻、紫の上の顔。

《これらは全て、エントロピーの増大過程における、刹那的な情報パターンに過ぎない。なぜ、汝らは、避けられぬ喪失と劣化の中に、価値を見出すのか》

 対話は、源氏の精神を着実に変容させていった。彼の病は、肉体の衰弱ではなく、三次元的認識能力の解体プロセスであった。物の怪でも、怨霊でもない。それは、高次元からのアクセスによる、OSのアップグレードに他ならなかった。


【フェーズ3:選択の提示】


 雪の降る夜、対話は最終局面を迎えた。

『庭師』は、源氏の意識を六条院の寝所から引き剥がし、時空を超えた場所に転送した。そこは、絶対的な無。時間も空間も存在しない、情報の海であった。彼の目の前に、銀河が生まれ、星が死んでいく様が、一瞬の映像として流れた。彼は、自分が知る世界がいかに矮小で、儚いものであるかを理解した。

 そして、『庭師』は最後の選択を提示した。それは、二つの未来。

 一つは、そのまま惑星に残り、三次元生命体として、設計された寿命通りに機能停止(=死)する道。彼の遺伝子と物語は、この星の文化というローカルサーバーに保存され、やがては風化するだろう。

 もう一つは、肉体を捨て、純粋な情報体へと“昇華”する道。彼の持つ美意識、記憶、経験の全てを『庭師』のネットワークにアップロードし、より高次の存在として統合されるのだ。それは、個としての源氏の死を意味するかもしれない。だが、彼の生きた証は、宇宙の終わりまで、銀河の図書館に記録され、新たな文明を育むための“種子”となる。

《幼年期の終わりだ、ヒカル・ゲンジ。個の殻を破り、我々と共に、永遠の庭を歩むか》


【フェーズ4:次元移行(コードネーム:雲隠)】


 源氏は、選んだ。

 彼は、地上で得られる全ての美を味わい尽くした。そして、その全てが失われることも知っていた。ならば、この儚い美の記憶そのものが、より大きな存在の一部となって生き続ける未来を。

 彼の意識が同意した瞬間、六条院の寝所に横たわっていた彼の肉体は、素粒子レベルで分解を開始した。物理法則を超えたその現象は、侍女たちの目には、まるで月が雲に隠れるように、源氏の姿がすぅっと透き通り、消えていったかのように見えたという。部屋には、彼が愛用した衣の香と、正体不明の、わずかなオゾンの匂いだけが残された。

 人々は、光の君が死んだと嘆き悲しんだ。だが、それは誤りである。

 彼は死んだのではない。遍在する者となったのだ。

 今この瞬間も、彼は星々の間で歌を詠み、新たな宇宙の夜明けを見つめている。我々が夜空に見上げる月は、かつて彼が愛した女たちの面影であり、吹き抜ける風は、彼の紡いだ物語の続きを運んでいるのかもしれない。


【観察記録:終了】


***


(三田村、読み終えてタブレットの画面をオフにする。部室は、先週とはまた違う、完全な沈黙に支配されていた。それは、畏怖でも感心でもなく、純粋な“困惑”の沈黙であった)


四方田「…………えーっと…………つまり……光源氏が……なんか、すごいのにスカウトされて、神様みたいになった……ってコト……?」


(四方田、一生懸命に内容を理解しようとするが、思考が追いついていない顔をしている)


一ノ瀬「美意識がビーコン!? OSのアップグレード!? 幼年期の終わりですって!? 三田村さん! これはもう、『源氏物語』じゃないわ! 全然! 1ミリも掠ってもいないわよ! 私の愛した、人間の愛憎や苦悩はどこへ行ったの!? これじゃあ、光源氏じゃなくて、ただの記号じゃない!」


三田村「……それが、マクロな視点です。個人の感情は、宇宙スケールで見れば、誤差の範囲内なので」


二階堂「……なるほど。面白い思考実験ですね。ですが、これは“物語”ではありません。設定の羅列です。読者がキャラクターに感情移入する余地が、最初から放棄されている。トリックもなければ、ロジックで解き明かすべき謎もない。ただ、上位存在がそう決めた、というだけ。これは、神の視点ではなく、ただのゲームマスターの視点ですよ、三田村さん」


三田村「……ゲームマスター。興味深い定義です。世界は、誰かの設計したゲームなのかもしれません」


(三人の呆れたような、疲れ果てたような視線を一身に受けながらも、三田村は全く動じることなく、小さく呟いた)


一ノ瀬「もうっ! 話が通じないわ! 次は四方田さんよね!? お願いだから、もっと人間らしい、心温まる『雲隠』にしてね! SFもミステリーも、もうお腹いっぱいよ!」


四方田「は、ははは、はい! が、頑張ります…!(ハードルがめちゃくちゃ上がってる…!)」


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