注文の多い料理店(作:一ノ瀬 詩織)
日付:20XX年某月某日
場所:文芸部部室
議題:『山猫軒・リベンジマッチ』発表会
出席者:一ノ瀬詩織(部長)、二階堂玲(副部長)、三田村宙、四方田萌
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一ノ瀬「さあ、お待たせしたわね! 『山猫軒・リベンジマッチ』、最初の挑戦者はこの私、一ノ瀬詩織よ!」
(一ノ瀬、自信満々の笑みを浮かべ、一枚の原稿を掲げてみせる)
一ノ瀬「テーマは、究極の『おもててなし』。お客様が、最高の気分でメインディッシュになるための、完璧なエスコートを書いてみたわ。紳士たちの悲鳴が聞こえてくるようよ!」
四方田「ひぇ……! 部長、ノリノリですね!」
二階堂「その『おもてなし』とやらが、どれだけ論理的な誘導になっているか、見させてもらいましょう」
三田村「……捕獲シーケンスの、最適化モデルを提示してください」
一ノ瀬「ふふん、聞きなさい! これが、真の『注文の多い料理店』よ!」
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注文の多い料理店
作:一ノ瀬 詩織
『注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい』
二人の紳士は、その奇妙な注意書きを読み、顔を見合わせた。
「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい、か。なるほど、きっとよほど格式の高い店なのだ。作法にうるさいのかもしれん」
「ふん、田舎のくせに生意気な。だが、腹は減った。仕方ない、付き合ってやろうじゃないか」
二人は、黄金の把手を捻り、次の部屋へと入った。
そこは、まるで高級ホテルのクロークのような小部屋だった。柔らかな絨毯が敷かれ、壁には大きな姿見がかけられている。そして、扉にはまたもやガラス板の文字が光っていた。
『当館では、お客様に心からの安らぎをご提供するため、金属類や電子機器といった、俗世の品々のお持ち込みをご遠慮いただいております。お召し物も、隣のドレッシングルームにて、リラックスできるガウンにお着替えくださいませ』
「なるほど、徹底しているな。確かに、鉄砲なんぞを提げたまま食事をするのは無粋というものだ」
「ガウンに着替えるとは、まるでスパリゾートのようだ」
二人はすっかり感心し、銃やポケットの中の鍵束まで、クロークの棚に置いた。そして、隣のドレッシングルームで、用意されていた肌触りの良い、真っ白なバスローブへと着替えた。心なしか、体まで軽くなった気分だった。
次の部屋は、大理石でできた、清潔で明るい洗面室だった。いくつも並んだ鏡の前には、乳白色の液体が入った、美しいガラスの小瓶が置かれている。
扉の文字はこうだった。
『こちらは、当館自慢の、天然湧水と三十種の薬草を配合した、特製モイスチャーミルクでございます。山の冷たい風に晒されたお肌を、優しくお守りください。顔はもちろん、手足の先まで、たっぷりとお使いいただけますと、より効果的です』
「ほう、これはありがたい! 顔がひりひりしていたところだ」
「ミルクか。べたつきそうだが、これだけ高級な店だ。きっと、品質も良いのだろう」
二人は、互いに競うようにして、その乳白色のミルクを顔や首筋、腕や足にまで、たっぷりと塗り込んだ。ミルクは、すうっと肌に馴染み、ほんのり甘く、香ばしい匂いがした。肌は、たちまちのうちにしっとりと潤いを取り戻した。
「素晴らしい! 肌がつるつるになったぞ!」
「うむ。高級な店のサービスは、やはり違うな」
すっかり気を良くした二人は、次の扉へと進んだ。
そこは、ほんのりと湯気が立ち込める、小さな浴室のような部屋だった。床には滑らかな玉砂利が敷き詰められ、部屋の隅には、山盛りの粗塩が入った大きな壺が置かれている。
扉には、こう書かれていた。
『血行促進とデトックス効果に優れた、天然岩塩を用いた『ソルト・スクラブ』をお楽しみください。壺の塩をたっぷりと手に取り、全身をマッサージすることで、毛穴の奥の汚れまで排出し、この後のお食事を、より一層美味しく感じていただけます』
「ソルト・スクラブだと? 聞いたことがあるぞ。都会の富豪たちが好む、最新の美容法だ」
「食事を美味しく感じる、か。面白い趣向だ。よろしい、やってやろうじゃないか」
二人は、壺からざらざらした岩塩を掴むと、全身にすり込み始めた。少ししみたが、肌がぽかぽかと温まり、血の巡りが良くなっていくのが分かった。体の芯から、すっきりとしていくようだ。
「はっはっは、これは効くな! なんだか、腹の減り具合も最高潮だ!」
「ああ、早くメインディッシュにありつきたいものだ!」
満足した二人は、体の塩を軽く洗い流し、いよいよ最後の扉の前に立った。これまでの素晴らしいサービスに、期待は最高潮に高まっていた。扉には、金文字でこう書かれていた。
『お客様、長らくお待たせいたしました。全ての準備は、これで完了です。
どうぞ、ダイニングへお進みください』
扉を開けると、そこは、蝋燭の光だけが揺らめく、豪華な食卓のある部屋だった。テーブルの上には、美しい銀食器が二人分、きちんと並べられている。だが、部屋には他に扉がなく、窓もない。
二人が、ふと不安を感じ始めた、その時だった。
部屋の隅の暗闇から、ぬらり、と青い二つの瞳が浮かび上がった。そして、部屋の壁に、最後のメッセージが、ぼうっと、緑色の光で浮かび上がったのだ。
『ああ、ナイフやフォークはご不要です。
なぜなら――今宵のメインディッシュは、あなた方なのですから』
「な……!?」
「ひっ……!」
全てを理解した紳士たちの、絶望的な悲鳴が、部屋の中に響き渡った。
それは、これから始まる晩餐の、開始を告げるファンファーレでもあった。
次の瞬間、部屋の蝋燭の火が、ふっと、全て吹き消された。暗闇の中から、腹を空かせた獣たちの、グルルル……という低い唸り声と、紳士たちの最後の断末魔だけが、しばらくの間、楽しげに響き渡っていた。
***
(一ノ瀬、会心の笑みを浮かべて、朗読を終えた)
一ノ瀬「どうかしら! スパリゾートのような、至れり尽くせりのおもてなし! これなら、どんな紳士だって、最高の気分で食卓に上がれると思わない!?」
四方田「ひぃぃ……! こ、怖いです……! でも、すごく巧妙でした! 美容とか言われたら、私でもクリーム塗っちゃうかも……! ちゃんと食べられちゃって、後味最悪ですけど、すごかったです!」
三田村「……ユーザーを最終目的まで誘導するプロセスにおいて、各ステップを『利益の供与』として提示する手法。警戒心の閾値を下げる、効果的なプロトコルです。捕獲成功確率は、オリジナル版の12%から、98.4%まで上昇したと推定。見事なシステム再設計です」
二階堂「……なるほど。確かに、心理誘導の罠としては、よく出来ていますね。被害者の虚栄心と、高級なサービスへの期待感を利用した、巧妙な手口です。評価できるかと」
一ノ瀬「でしょう!?」
(得意満面の一ノ瀬に、二階堂は、しかし、と続けた)
二階堂「……でも、この計画が成功するのは、被害者が『極めてうぬぼれの強い、単純な思考の持ち主』である場合に限られます。少しでも警戒心の強い人間なら、『なぜ、こんな山奥に、これほど都合の良いサービスがあるのか』『なぜ、従業員の姿が一人も見えないのか』と疑問に思うはずです。完璧な計画とは、相手の性質に依存しないもの。部長のプランは、相手を選ぶといわざるをえない。……評価としては、Bプラス、といったところですね」
一ノ瀬「び、Bプラスですってぇぇ!? こ、この、完璧なフルコースのおもてなしがぁぁぁ!?」
(またしても膝から崩れ落ちる部長に、二階堂は静かに告げた)
二階堂「次は、私の番。相手が誰であろうと、絶対に逃れられない……。論理で構築された、真に『完璧な罠』とは何か、見せてあげます」