目が合った 約束編
目が合った。
電車の中、つり革につかまりながらぼんやりと窓の外を眺めていたとき、不意に視線を感じた。反射的にそちらを見ると、向かいの座席に座る女性と目が合った。
彼女はすぐに視線をそらすわけでもなく、じっとこちらを見つめていた。まるで何かを確かめるように。
——知り合い?
そんなはずはない。けれど、どこかで見たことがある気がした。記憶をたどろうとするが、もやがかかったように思い出せない。彼女の表情は穏やかで、それでいてどこか不気味だった。
次の駅に着き、ドアが開く。彼女はゆっくりと立ち上がると、俺のすぐ横を通り抜けていく。
その瞬間、かすかに囁くような声が聞こえた。
「やっと見つけた」
振り返ろうとした瞬間、ドアが閉まり、電車は動き出す。
——今の、何だったんだ?
窓の外、去っていくホームの人混みの中、彼女の姿を探した。しかし、もう見つからなかった。
胸の奥で、何かがざわめいた。
数日間、その出来事が頭から離れなかった。あの声、あの表情。何か大切なことを思い出しそうな感覚があるのに、どうしても掴めない。
そんなある日、偶然にもまた彼女を見かけた。
今度はカフェだった。店の奥の席で、彼女は静かにコーヒーを飲んでいた。迷うことなく、俺は彼女の前に立った。
「……あなたは?」
彼女は驚いたように目を見開き、すぐに微笑んだ。そして、小さな声で答えた。
「思い出せた?」
その言葉に、心臓が強く跳ねた。
——俺は彼女を、知っている?
だが、記憶の糸はまだ絡まったままだった。
「ごめん……思い出せない。でも、何か大事なことを忘れている気がするんだ」
彼女は少し寂しそうに笑った。
「大丈夫。きっと、また思い出せるよ」
彼女の声は、どこか懐かしくて、冷たかった。
その日から、俺は彼女と会うようになった。名前を聞いても彼女は答えず、ただ微笑むだけだった。
ある日、公園で並んでベンチに座っていたとき、彼女がそっと手を伸ばした。指先が触れた瞬間、頭の奥で何かが弾けた。
——思い出した。
幼い頃の記憶。小さな手を繋ぎながら、一緒に遊んだ少女。俺は約束したのだ。
「ずっと一緒にいる」
だが、俺は約束を破った。
彼女はあの日、川に落ちた。俺は手を伸ばしたが、間に合わなかった。そして、彼女は消えた。
「……君は……」
「よかった。やっと思い出してくれたね」
彼女は微笑んだ。しかし、その笑顔はどこか壊れたように歪んでいた。
気づくと、俺の手は冷たくなっていた。いや、違う。俺の身体が、冷たくなっていく。
視界が暗くなる中、最後に聞こえたのは、彼女の囁きだった。
「今度は、離さないから」
この度は、私の小説を読んでくださり、本当にありがとうございました。
物語を最後までお付き合いいただけたこと、とても嬉しく思います。
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これからも精進してまいりますので、また読んでいただけたら幸いです。