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七.束の間の春休み・前編─魔力が残していった憂鬱

 三月二十二日 月曜日 午前九時二十八分


 カーテンの隙間から差し込む光が、まだ半分空いたダンボールを淡く照らしていた。

 ツバキは寝癖のついた髪を片手でかき上げながら、床に腰を下ろし、手近な箱のガムテープを剥がしていく。

 トルモの家でもらった茶碗や、いつか読んだことのある魔導書、使い古したトレーニンググローブ__見慣れた品々が少しずつ部屋に顔を出していく中、ツバキは静かに息をついた。

 特にジャンル分けされることなく、一つのダンボールに様々なものが詰まっている。

 ツバキのカレストロでの一人暮らしは、そんな雑貨たちの整理から始まった。


「……あれ? 魔導書?」


 寝ぼけ顔だったツバキの目に、一瞬で光が戻った。

 ダンボールの中から取り出した分厚い書籍を見つめ、ぽつりと呟く。

 辞書のような厚みに、明朝体で『魔導書』とだけ記された、やたらシンプルな表紙。


「懐かしいもん入れたな。……どんなのだったっけ」


 今よりずっと魔法に強い関心を抱いていた頃、ツバキは夢中でこの本を読んだ。

 胡座をかき、かすかな記憶を頼りにページをペラペラとめくっていく。

 魔法の基礎から応用まで、分からないなりに、とにかく頭に詰め込んでいた__そんな記憶がよみがえってくる。


 四歳の頃だっただろうか。

 ツバキはトルモとのトレーニングの中で、初めて魔法というものに触れた。


「ツバキ君。難しいことじゃないから、まずはイメージしてみよう」

「は、はいっ!」


 魔法の使い方は至ってシンプル。やりたいことをイメージし、手のひらを相手に向けて放つ。それだけだという。

 訓練を受けていない人間でも、炎を意識して手に集中させれば、ほんのりと熱を感じることができるはずだった。


 だが、何も起きなかった。


「……何も、出ないです。やっぱり魔法って、難しいんじゃ……」

「いやいや、魔法が使えない生き物なんぞ、おらんぞ。皆、平等じゃ。__これを使ってみい」


 トルモが差し出したのは、魔法を補助すると言われる精巧な木の杖だった。

 それを使っても、結果は同じ。何も起きなかった。

 その日の訓練は中断され、代わりにトルモが薦めた分厚い本。すなわち、この魔導書を読み込むことになったのだ。


 この世界には魔法の概念があり、同時に、それを使うためのエネルギー__魔力が存在する。

 空気中に微量に混ざる物質『魔素』を、生き物は呼吸によって体内に取り込み、それが血流に乗って身体中を巡る。

 この魔素を、錬臓と呼ばれる臓器で増幅・変換し、初めて魔力として利用できる。

 これが、この世界における魔法の基礎的な仕組みだ。


 そんな説明を魔導書で読んだとき、ツバキはふと思った。

 __自分にも、その臓器はあるのだろうか?


 トルモに頼んで体内を検査してもらったところ、

 本来、心臓のすぐ近くにあるはずの錬臓が、ツバキの体には存在していなかった。


 当時は「特殊な器官なのかも」と思いかけたが、

 トルモいわく、「この世のすべての生き物に備わっている臓器」らしく、例外など存在しないという。


 つまり__

 ツバキには、魔法が使えない。


 そう、わずか四歳にして、自分がこの世界の仕組みに乗れていない存在であることが、はっきりしてしまったのだ。

 それからの彼は、魔法をあきらめ、代わりに筋力と体術を磨くようになった。

 しかし、この発覚が幼い彼の心に落とした疑問は、やがて大きな違和感へと育っていくことになる。


「トルモさん。俺、てっきりこの世界に生まれ変わったもんだと思ってたんですけど……もしかすると、“あの時の身体”が小さくなっただけなのかもしれないです」

「あの時の体……つまりはお主がここに来る前の状態。ということか。ほう……そうなると、一体誰が小さくしたのやら」


 もし、無いものが最初から無いのだとすれば__

 そう仮説を立ててみたツバキは、成長するにつれてはっきりしてきた自分の顔立ちが、前の世界とまったく同じであることに気づいていた。

 その一致が、彼の確信を強めた。

 だが、“誰がなんのために”そんなことをしたのか。

 そこまで考え出すと、答えのない問いがいくつも浮かんでくる。

 __それならせめて、この出来事に意味がある成り行きであることを、祈るしかない。

 ツバキはそう思い直し、目の前の“やるべきこと”に向き直るのだった。


 魔法の基礎編が終わると、次の章からは実際に使われる様々な魔法についての解説が始まった。

 炎を放つもの、水を生み出すもの、風を巻き起こすもの__いわゆる基本魔法の他にも、物質を原子レベルで変化させたり、無から何かを生み出したりと、突き抜けた内容まで網羅されている。

 どれもこれも、こちらの現代科学では到底説明できないものばかりだ。

 それでも、錬臓と魔力さえあれば成立してしまうのが、この世界の常識らしい。

 ふと、ツバキは本から目を上げ、部屋の中を見回した。


「……魔法のある世界って割には、やっぱ普通だな」


 壁も、フローリングも、ベッドも机も収納も、見慣れたものばかり。

 ファンタジーの世界に来たと思っていたのに、今いるこの空間はまるで、どこかの日本のワンルームだ。


 魔法が存在する世界とはいえ、

 錬臓の働きが生物の体内でしか機能しないせいで、魔法を用いた機械の発展はほとんど進んでいない……らしい。2日前に、その常識から逸れた存在を見た気がするが。

 そのせいか、インフラや日常生活は、良くも悪くも、日本とそう変わらないものとなっていた。


「ま、おかげですぐに慣れそうではあるか」


 ツバキは肩を軽くすくめ、魔導書をぱたんと閉じた。

 本棚の最下段にそれを放り込むように収めると、立ち上がって伸びをひとつ。

 そのまま荷解き作業に戻ろうとした、ほんの数秒後だった。


「うっ……?!」


 突如、頭痛と眩暈に襲われ、ツバキはその場に崩れ込む。


「こっちは……まだ、かかりそうかぁ……」


 視界が歪み、情報が洪水のように流れ込んでくる。

 今のツバキに見えているものは、ただの視覚ではない。

 むしろ、“感じているすべて”が脳に直接叩き込まれてくるような感覚だった。


 __魔力感知。

 重力室での過酷な修行の中、ふとした拍子に目覚めた能力だ。

 空気中や生物の血中を流れる魔素から、錬臓を通じて変換された魔力までを、ツバキは感知できる。

 特に人間相手では、その魔素の流れをサーモグラフィーのように視覚化することで、居場所や動きが見えるようになった。


 さらに、魔力の微細な揺れから、大まかな感情の変化すら察知できる。

 音で例えるなら、視覚的に“音の周波数”を目で見るようなもの。

 どこが強く響いているかはわかっても、それが何の楽器で、どんな旋律なのかまでは判別できない。

 それでも、感情の輪郭だけは掴める__そんな能力だった。


 だが、この力には大きな問題がある。


 それは、意識しなくとも、勝手に感じ取ってしまうという点。

 さらに、遠くの情報までも感覚的に理解してしまう点だ。


 ツバキの意思とは無関係に、街中の人々や生き物たちの“存在情報”が、常に流れ込んでくる。

 それはまるで、視覚・聴覚・触覚がすべて拡張され、五感が渋滞を起こしているような感覚だった。


 この都市に来てからというもの、その余分な情報量がツバキの体力をじわじわと削っている。

 それでも__


「……この力があれば」


 ツバキは自分に言い聞かせるように、そう呟いた。

 この力があれば、遠くの状況を把握することも、人を探し出すこともできる。

 ギルドで働く上で、きっと役に立つはずだ。

 そして、誰かを守るために。誰かを救うために。


 ふと、ツバキは顔を上げた。


「ん……あの魔力は……」


 座り込んだままのツバキは、額に手を当てる。

 感知された魔力の揺れに、彼の意識が自然と向けられていく。


 __場所は、カレストロの外。壁の向こう、数キロメートル離れた地点。

 そこに存在していたのは、巨大な虎のような魔力反応と、見覚えのある__いや、感じ覚えのある魔力だった。


「……魔獣と、ニコレスさんか。あの形……変身してるな。大丈夫かな」


 遠くの戦場。

 視えないはずの戦いの気配が、重なり合う魔力の波動となってツバキの脳裏に伝わってくる。

 2つの魔力は互いにぶつかり合い、数度の衝突の後、セルディーの放った一撃が、獣の魔力を四散させた。


 魔獣の消失。

 感じ取れたのは、そんな確かな終わりだった。


「……ふぅ」


 戦ってもいないのに、深く息を吐いたツバキ。

 肩がじんわりと重くなり、背中に汗が滲んでいるのに気づく。

 __見ているだけなのに、こんなに疲れるとは。

 それでも、この力は必要だ。

 人を探し、守るために。これからの自分にとって、確実に武器になる。


「馴染ませていかないと……」


 ツバキは小さくつぶやいた。

 異常な力と共に生きることを、彼は選んだのだ。

説明回です。

文章があまりに拙いので、全体的に度々修正を入れていきます。

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