最強を目指す重力修行
「……本気で言うとるんか」
「はい! 超本気です」
ツバキの瞳は真っ直ぐだった。
年端もいかぬ幼子の顔に宿る意志の光は、どこか異様で、痛々しいほどだった。
「むぅ……なぜ強さを求める」
トルモの問いは静かだった。
だが、その一言に込められた重みを、ツバキはきちんと受け取っていた。
「……求められてる気がするんです。やりきれって。このままじゃまた、どこかで潰れてやりきれなくなる。だから、強くなって生きるんです」
真っ直ぐと紡がれる誓いのような言葉。
言葉はどこか曖昧で幼くもあったが、その中に秘められた決意はなによりも熱く燃えていた。
トルモの口元がわずかに緩む。
「そうか……しかし、よくワシに頼もうと思ったな」
「だってトルモさんは、偉大な“賢者”じゃないですか」
「よく知っとるな……」
「賢者様から魔法を教われば、色んな人を守って助けられる。すごい魔法使いになれます。だから、お願いします!」
改めて、ツバキが頭を下げた。
トルモはそのつむじに向け、一つ問いかけをした。
「__ツバキ君。君は、どれ程の強さを目指す?」
「え……?」
彼の声は低かった。気さくな老人像から、賢者としての威圧感なのか、鋭く思い雰囲気へ切り替わった。
緊張走る食卓で、ツバキは臆する事なく椅子から立ち上がり、両手を机について身を乗り出した。
「“最強”です。俺が目指してるのは、大事なものを守れる最強の強さです」
「大事なものを守れる最強の強さ……か」
俯いていた顔が、やがて静かに上がる。
トルモの中で何か踏ん切りがついたように、先までの重たい気配は無くなっていた。
「分かった。いいだろう。やるなら徹底的にやるぞ。本当にいいな?!」
「え? ……はい!」
こうしてツバキは、“賢者の弟子”としての第一歩を踏み出した。
***
約千年前、世界を征服しようと企んた魔王の野望を阻止した、四人の英雄たちがいた。
その中でも最も謎多き“賢者”は、戦後に姿をくらましすでに死んでいるとされていた。
……しかし、彼は今ここにいる。ツバキの師として。
ツバキはつい前日、賢者の弟子となった。
そして始めたことといえば、魔法の練習……ではなかった。
「四八……四九……五十っ! ふっふぅ……!腹痛あっ!」
腹筋__そう、筋トレである。
ツバキは未成熟な体を器用に使い、様々な筋トレを行っていた。
なぜ、魔法使いである賢者の修行で筋トレをしているのかというと、それは弟子入り直後に遡る。
「え? 魔法は、教えてくれないんですか?」
「……えー。それなんじゃが」
とても言いづらそうに、目線を右往左往とさせている。
数秒の間を空けて言い放った告白は、ツバキが憧れた未来を早々に打ち破ることとなる。
「ツバキ君。君は……魔法が、使えん」
「…………え?」
言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。
「ど……どうしてですか」
「君の体は、魔法が使えるようにできておらん。錬臓がないんじゃ」
「レンゾウ?」
初めて耳にする名前だった。おそらく臓器なのだろうと予想できたが、当然そんなもの、自分の暮らす世界には存在しない。
「わかりやすく言えば、体に取り込んだ魔素を魔法に変換する臓器じゃな。あって当然のものじゃが、君にはなかった」
「そう……なんですね」
落胆したツバキの声は、戸惑いに溢れていた。
どうしてその臓器がないのか。なぜ彼はその事を知っているのか。ないのであれば、自分はどうなればいいのか。
心のどこかで、まだ何かにすがろうとしていた。
しかし、それを振り払うように、ツバキは顔を上げた。
「……わかりました。魔法は、諦めます」
一言一言、噛み締めるように告げた。
「けど……せめてこの体ぐらいは、強くなってみせます」
トルモが何かを言いかけたその時には、すでにツバキは立ち上がっていた。机の端に手をかけ、静かに拳を握る。
魔法の道は閉ざされた。ならばそれ以外を極めるだけ。
その日から、ツバキの本格的な肉体修行は始まった。さらにその翌日。トルモが言う、特訓用の準備とやらができたようであった。
「ツバキ君。ワシについてきなさい」
「はい!」
トルモの背中を追いかけながら、地下室へ続く階段を、慎重に一段ずつ降りていった。
薄暗い地下通路は、成人二人が肩を並べて歩くのがやっとの幅だった。
ログハウスの地下は、石造りとなっていた。湿気を含んだ石の壁が、ぼんやりと光る白熱灯に照らされていた。ひんやりとした空気が肌にまとわりつき、足音が響くだけの静けさが、余計に圧迫感を増していた。
「地下は入っちゃダメだって言ってませんでした?」
「今から紹介する部屋だけはオッケーじゃ」
右側に二つの扉が並んでいたが、トルモはそれらを通り過ぎ、奥の黒い扉の前で立ち止まる。
「どうじゃ? 特別感があるじゃろう」
「確かに」
周囲の木製の扉と違い、これだけが異質な黒。その重圧感は、幼いツバキの体には到底釣り合わないほどだった。
固唾を飲むツバキの前で、重い金属の軋む音が響き、扉がゆっくりと開かれる。先に見える白い光にドキドキしながら、彼は無言でトルモの後に続いた。
「…………え」
息を呑むほどの光景が、ツバキの緊張を飲み込んでいった。
「どうじゃ。驚いたじゃろ」
上を見ても白。横を見ても白。下を見ても白。全てが白い。先ほど目に入った白い光は、部屋そのものの色だったのだ。
「すっご……。なんなんですかこの部屋! 部屋っていうかもう、別世界じゃないですか!」
「ここはワシが魔法の実験をするために作った部屋でな。色々できるんじゃよ。まあ、説明するより感じた方が早いの。重力一・一倍」
『ピコン』
何かが作動するような音がした。直後、ツバキの体に異変が起こる。足元が沈み込むような感覚に、無意識に姿勢が下がった。
「……身体が重くなった。もしかして今のが」
足が鉛のように重くなり、未発達な膝がプルプルと震えている。まるで下降中のエレベーターが止まる寸前の、一瞬だけ身体が重くなるような感覚が、ずっと続いているようだった。
「そうじゃ。ワシの言葉に反応して、この部屋における君の重力は一・一倍に変わった。どうじゃ? 少しずつ重力を上げながらトレーニングすれば、どんどん強くなると思わんか?」
自身の重さに驚いていた口角が自然と上がる。アニメや漫画で見たような修行が、今ここで実現できる。それが彼の胸を熱くした。
「重力は、どれぐらいまで上げられるんですか?」
「特に制限は決めておらんから、理論上無限に上げられるはずじゃ。あと温度湿度も変えれるから好きに使うんじゃぞ」
「む、無限……っ?!」
簡単に言うが、家の敷地に収まらないような広大な空間。それも環境を自由に操れる部屋を、トルモは作ったのだ。魔法がある世界とはいえ、こんなことができるのは賢者たる所以なのだろうか。
「ワシはもう一つ用意するもんがあるから、ゆっくり鍛えておいてくれ」
「は、はい!」
トルモはそう言い残した後、部屋を出て行ってしまった。
静寂が支配するこの空間。扉が閉まった音だけが甲高く響く。
「……とりあえず、筋トレするかぁ」
修行。本格的に始まった現実を受け入れ、早速気合を入れて準備運動を始めた。
重力室だけでも、強くなるには十分すぎるほどの補助だった。しかしこれに付随するとある要素が、この修行を爆発的に加速させることとなった。