確かな弱さ
5月4日火曜日 16時56分
GUILDLINEカレストロ支店
「おはようございます」
「おお、ツバキじゃんか。おはよう」
この時間からの出勤が日常になったツバキ。
今日も学校から制服姿のまま出勤していた。
「今日は警備でしたっけ。エルリオさんも同じなんですよね」
「そういうことー」
エルリオは主に夜間の依頼をこなすスタッフとして活躍している。
作業着を身に纏いギルドのキャップのつばを逆に被った姿は、金髪な事も相まってかなり陽気な雰囲気だが、力仕事だけでなく機械にも強い。
以前学校で騒動があった際には、結界の解除に奮闘していたらしい。
「警備6時からですよね。それまでやることは……ん?」
更衣室でギルドの制服に着替えていざ出てきたが、そこには今日いないはずの人がいることに気がつく。
「ニコレスさん? 今日休みですよね。どうしたんです?」
「あぁ……ツバキ君か。明日の依頼に向けて準備しているところだ」
「ふーん。無茶は禁物ですよ」
PCに張り付いて離れないニコレスを横目に、ツバキはエルリオの隣に座る。
「もっと言ってやって。あの人頑固なのよ。俺が言っても変わろうとしても岩みたいに動かねぇ」
「俺が言ってどうにかなりますかねぇ」
「一発強いの入れて気絶させようかとも考えたぞ。ほんとだぞ」
「えぇ……」
「聞こえてるぞエルリオ」
ニコレスの背中越しに低い声が飛んできた。
愚痴にうんざりしているというより、単に疲労が重なったような響きだった。
「依頼に出るんだろう。準備はできてるのか」
「できてるからこうしてお喋りしてるんだよ」
間髪入れずにエルリオが言い返す。
両手を後頭部にやり、背もたれに体重を乗せる。
気だるげに見えるが、その目はニコレスの曲がった背中を見つめていた。
「はぁ……ツバキ。ちょっとついてきてよ」
「は、はい」
何か言わんとばかりにツバキを連れて、ギルドの車両が並ぶ駐車場にやってきた。
その角にある禁煙スペースでタバコを一本取り出した。
「ニコレスさ、多分ツバキになら少しは甘えると思うんだよ」
「え?」
呼び出されて早々、説明をすっ飛ばされた感覚に目が固まる。
「俺ですか」
「うん。さっき気絶させようとしたって言ったじゃん」
「はい」
「けど今のあいつさ、変身するようになってからはあの状態でも強いわけよ」
ため息が白い煙に混じって口からこぼれる。
建物の倍は広い駐車場の遠くを、壁にもたれて虚な目で見つめていた。
「んでもって責任感だけは昔から強いもんだからさ、自分の疲れにも構いやしない」
「そもそも、変身なんかする予定もなかったのに。はぁ……」
「え?」
ツバキは思わず瞬きした。
あの生真面目さや変身した姿での武器の扱いや、バイクを駆る姿といった振る舞いも、慣れきった印象を受けていた。
「そうだったんですか。すごく似合ってますけど」
「元は軍の研究所の、なんていったっけ……そうだ、セレストっていう、あいつの彼氏さんが変身するはずだったんだけどな」
「何があったんです?」
「変身に失敗してショック死したってさ。魔獣の魔力に耐えられなかったとかで」
「ショック死……そんなに危ないものなんですか」
死亡事故のあった変身ベルト。ツバキの中にあった変身ヒーロー像の明るさからは大きくかけ離れていた。
そんな危険物を扱うのに、ニコレスから怯えのようなものは何も感じなかった。
「だからニコレスはその後を継いだんだってよ。んで運のいいことに適性があったから、ギルドに身を置いたまま軍にも入って色々大忙しなわけだ」
「そうだったんですか……そこに守護龍の件も入ったら、そりゃあ、しんどいわけですよ」
タバコを吸うエルリオの隣で、ツバキは動いたわけでもないのにぐったりとしゃがむと、大きくため息をついた。
ニコレスの重たい空気が、ツバキの中で共感となってのしかかってきた。
「ニコレスを解放してやれるのは、あいつよりも物理的にずっと強いツバキじゃないと、ダメなんじゃないかって」
空を薄く染めだす夜の帳に、白い煙がネオンに照らされて淡く浮かび上がる。
風に揺られて散っていく一筋のゆらめきを一点、見上げるだけのエルリオの目は、少し潤んでいるように見えた。
「あいつに愚痴の一つくらい、吐かせてやってほしい」
「やってみますよ」
ガニ股でしゃがんだ状態から、力を一つ加えて立ち上がる。
車両や人、鉄道などが絶え間なく反響するノイズの中で、男二人がぽつりと約束を交わした。
『ニーコーレースー。今日の夕飯どうするの? また家でラーメン食べれるの?』
「頼むからもうちょっとだけ待ってくれ……」
誰もいないスタッフルームの中で、ブルーライトが充血した目を容赦なく突き刺さす。
頬杖を立てるニコレスの中で、フェクターは純粋な子供のようにはしゃいでいた。
うるさい脳内のはずなのに、それに覆い被さるようにある言葉が反響していた。
『セレスト君のことを、忘れたとは言わせんよ』
「くうっ! あれは、あなたが……!」
『え、なに?』
小声で怒りを押さえ込むように吐いた言葉。困惑するフェクターの声は届かない。
マウスを右手に持ちながら、左手は強く拳が握られていた。