青空に響く終演
__砂の匂いが残り、魔法陣の余光がひび割れた土を淡く照らす。
教師の風魔法は使命を終え、薄い光膜を散らせながらツバキとザカリをそっと降ろした。黒紫の幕は高空で霧散し、澄み切った青が眼にしみる。
着地とともに砂がふわりと舞う。ツバキはまだ熱の残る拳を見つめ、指先に残る連撃の余熱を確かめた。
隣では黒煙を失ったザカリが大の字で横たわり、焦点のない瞳で空を映している。怒りも憎しみも、風とともに消え去ったのだ。
「……ザカリ!」
数呼吸遅れてヤクマが駆け寄り、名前を呼ぶ途中で声が途切れる。
リーゼも二人が着地したそばに降り立ち、口を開きかけて閉ざした。今は言葉よりもこの静寂が必要だと、誰もが肌で悟っていた。
その静寂を破ったのは、校舎の方から近づく一団の足音だった。
「……もう終わった、ってことでいいんですよね?」
アスタを先頭に、先ほどまでリーゼと共に結界に閉じ込められていた三年A組の生徒たちが、恐る恐るグラウンドへ降りてくる。制服には埃、顔には安堵と高揚が入り交じる。
「リーゼちゃん、大丈夫だった?」
「こいつさ、結界から出れたと思ったら、すーぐ飛び出していったからな。すげぇ度胸だったぞ」
飛び交う称賛に、リーゼは肩をすくめた。
「あ、ああ……べ、別に……」
慣れない注目に頬を染め、視線を泳がせる。
校長がゆるぎない足取りで近づき、周囲の生徒を一瞥したのち、起き上がったツバキに視線を定めた。
厚い掌がそっと肩に置かれる。言葉はない。しかし、__よくやったと。その圧で十分に伝わるものだった。
崩壊しかけていた結界が、ついに完全に消えた。
その直後、数人の影が駆け込んだ。
「みんなーッ!」
水色の髪を振り乱し、マオが真っ先に飛び込んでくる。レイスの姿を見つけるやいなや、泣き笑いで胸にしがみついた。
「よかった……ほんとに無事で……!」
「泣かないの。私たち、かすり傷で済んだんだから」
その背後には、ドライバーをつけたままのニコレス、肩で息をするエルリオ、そして警部ハルス。
ニコレスは無傷のツバキと、隣のザカリの倒れた姿を見比べ、声音だけで驚嘆を洩らす。
「まさかこの子があの結界を……?」
「まーたツバキ君に一本取られたりってとこかぁ」
エルリオが頭をかく。
校長が三人に駆け寄り、一礼した。
「首謀者はザカリという本校の元生徒です。死傷者もいません。戦闘で擦り傷を負った二人もすでに回復済みです」
「了解。詳細は後ほど」
ハルス警部が頷き、治癒班を招く。
淡い治癒光がザカリの胸で脈動し、乱れた呼吸を整えていく。
「……あれだけ派手な犯行だったが、あんたも他のみんなも、結構平気そうじゃないか」
傷一つない顔を覗き込み、警部が声を低く落とした。
校長はニコレスへ視線を移し、低く告げた。
「この子の扱いは慎重に。__ザカリ君は決して、極悪人ではありません。きっといつか、彼も反省することでしょう」
「検討します。まずは保護と、カウンセリングですね」
やり取りを遠い残響のように聞きながら、ツバキは澄んだ空へ目を向ける。耳奥の鼓動が、やっと静かな拍に落ち着いた。
リーゼが隣につき、安堵の息を漏らした。
「……お疲れ。まさかお前に助けられるとはな」
「リーゼもありがとうね。あの時の助言がなかったら、ザカリを救えなかった」
地面に横たわるザカリが身じろぎし、薄く目を開けた。
「あぁ……筋肉痛が酷い……。またさ……話、聞いてくれる……?」
「もちろん」
ツバキは穏やかに微笑む。
そこへ腕をぐるりと回す影、タレックが現れた。
かける言葉を探して頭をぽりぽりかき、ようやく笑う。
「……ったく、色々すげぇもん見せやがってよぉ」
ザカリの脇にしゃがみ込み、拳を軽く突き合わせる仕草のまま続けた。
「なぁ。時間があったら、またやろうぜ。今度は一人で超えてやる。お前も、コイツも」
“コイツ”と指されたレイスは眉をひそめ、すぐさま挑むような目線を返す。
「しばらくは、カレストロ魔法学校のトップを譲るわ。また取り返しにくる。それまで追い越されないようにすることね」
思わぬ手の温かさに、ザカリは目を泳がせる。さっきまで死を選び取ろうとした自分に、こんな手が差し出されるなど想像もしていなかった。
「あの……さっきは、めちゃくちゃ迷惑かけて、許してほしいわけじゃないけどその、……悪かった。二人を見返して、死のうとして……」
「いいの。その顔が見れただけで十分よ」
レイスが静かに笑う。
歪みに覆われていた表情はすっかり消え、ふつうの少年の顔が戻っていた。
「無理してあんな怖ぇ雰囲気出そうとしてたんだろ? もう、演技は終わりって事で」
大きく息を吸い__
「終わり!」
タレックがグラウンド全体に向かって、事態の終演を高らかに叫んだ。
ちょうどその横で、校長が拡声器を掲げた。
「本日の授業は全て中止。生徒・職員は休養に専念してください。再開は未定です。以上」
声が途切れると、グラウンドには静かで穏やかな空気が流れた。
医療班が“負傷者ゼロ”を確認し、遠巻きの晶写機が静かにシャッターを切る__それでも場を支配するのは深い静寂だ。
リーゼがツバキの隣に立ち、空を仰ぐ。
「……一件落着だな」
「うん。後は大人たちに任せよう」
雲の流れと鳥の声を胸いっぱいに吸い込み、わずかに口元を緩めて瞼を閉じる。
新学期早々に巻き起こった“魔法への復讐”。今、その騒ぎは静かに息を潜めた。
しかし、物語は次の舞台を待っている。
それを見据えるかのように、人が散り散りになるグラウンドを、ニコレスが呆然と眺める。
それをつつくように、脳内に声が響く。
『また活躍取られちゃったね』
「……次こそは、私が守ってみせるさ」
決意を固めるその声には、様々な感情が渦巻いていた。